学位論文要旨



No 119806
著者(漢字) 松浦,弘行
著者(英字)
著者(カナ) マツウラ,ヒロユキ
標題(和) 中・深層性カイアシ類Euaugaptilus属の多種共存機構に関する研究
標題(洋)
報告番号 119806
報告番号 甲19806
学位授与日 2005.03.01
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第2812号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 水圏生物科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 西田,周平
 東京大学 教授 寺崎,誠
 東京大学 教授 古谷,研
 東京大学 助教授 津田,敦
 広島大学 助教授 大塚,攻
内容要旨 要旨を表示する

 動物プランクトンは局所的な多様性に富み、均一に見える環境下で多くの種類が共存しているが、競争排他の原理からすれば、この現象は矛盾する。一方、海洋の種多様性は表層で低く、中層で高くなり、深層で再度減少する。環境の変化に乏しい中層でいかにして種多様性の維持メカニズムが働いているかは未だ知見が少なく、明確な結論を得ていない。プランクトンの種組成は少数の優占種と多数の非優占種から構成され、種多様性の維持にはこれらの非優占種の存在が大きく関与していると思われるが、これらの種に着眼した研究例は少ない。

 Euaugaptilus属カイアシ類は世界の海洋の中・深層に生息する肉食性のグループである。この属は非常に多くの種(73種)から構成され、主に深層部に低い密度で出現し、非常に多くの同属種が同所的に出現する特徴をもつ。また多くの種(58種)は口器付属肢の第2下顎と顎脚に「button seta」と呼ばれる刺毛をもつことが知られ、これはカラヌス目でもこれらの種だけがもつ特殊な刺毛である。口器付属肢の形状はそのカイアシ類の食性を反映することが知られることから、Euaugaptilus属は他のカイアシ類とは異なる摂餌戦略を行うことが示唆される。

 本研究では、中層における多種共存機構を理解することを目的として、Euaugaptilus属カイアシ類の生態学的調査を行った。まず各海域の分布の調査により(1)Euaugaptilus属と他のカイアシ類の出現と個体数の比較、また(2)鉛直分布の季節変動と各成長段階の分布を明らかにすることを目的とし、また(3)スールー海の特異性と半隔離的環境が中・深層性種に及ぼす影響を論じた。次に(4)button setaの微細構造とその機能について調査し、また消化管内容物を観察することにより、摂餌生態を明らかにすることを目的とした。さらに(5)各種の系統関係を明らかにすることで種間関係を把握し、(6)Euaugaptilus属の多種共存機構を明らかにすることを目的とした。

1.東部インド洋における中・深層性カイアシ類の鉛直分布

 東部インド洋ベンガル湾の2測点において深度0〜2100m間の6〜8層で昼夜の層別採集を行い、中・深層性カイアシ類の鉛直分布と出現組成を明らかにした。両測点ともに表層で個体数密度は高く、深度と共に減少した。Stn. 11では表層はEuchaetidae科が卓越し、夜間はMetridinidae科とAetideidae科の割合が増加した。中層上部ではEucalanidae科が、中層下部にかけてはHeterorhabdidae科が多かった。Stn. 15では表層にPontellidae科、亜表層にEucalanidae科が卓越し、400m以深ではLucicutiidae科が卓越した。2測点の組成の違いは、Stn. 15の表層の低塩分と酸素極小層の影響が示唆された。一方、Augaptilidae科は2測点ともに中層全域に10%前後(最大18.08%)で出現し、この科の全体に対する割合は低かった。

 Euaugaptilus属カイアシ類は27種が出現し、高い多様性を示した。これらの種の多く(約74%)は水深500m以深のみに分布した。最大密度はE. magnusの5.94個体/1000m3であったが、多くの種類は0.5〜1個体/1000m3であり、他の主要な種に比べて非常に低い。このようにEuaugaptilus属は同所的に多くの種類が出現するが、分布密度はきわめて低いカイアシ類であることが示された。

2.相模湾におけるEuaugaptilus属の鉛直分布と季節変動

 相模湾中央部において、深度0〜1000m間の14層で昼夜層別採集を2000年5、7月、および2001年3月に行い、Euaugaptilus属の各成長段階の鉛直分布と季節変動を明らかにした。相模湾には年間で29種類が出現し、これらは中層中部で種数が多く、動物プランクトンの中層における多様性の高さを反映する結果となった。また5月と7月に比べ中層の多様性は3月が最も高かった。同様にEuauagaptilus属の個体数密度は3月が2倍ほど高かった。中層上部に分布するE. palumboiが年間通して優占し、3月には他の月よりも3倍近く密度が高いが、他の種は密度の変化は少なかった。コペポディッド期から成体までが年間通じて出現し、鉛直分布は季節的に変化することなく、また成長に伴う生息深度の明確な変化は認められず、年間ほぼ同じ深度範囲に生息していることが示唆された。採集深度間の類似度を求め、群集構造を比較した結果、採集月に関係なく亜表層(100〜250m)、中層上部(300〜500m)、中層下部(600〜1000m)の3つのクラスターが認められ、群集は季節的な変化よりも鉛直的に異なる組成を示すことが示唆された。また、日周鉛直移動の傾向が見られないことから、この種類は接餌や成長を含めた生活史全てを中層で行っていると考えられた。

3.スールー海とセレベス海におけるEuaugaptilus属の鉛直分布

 周辺海域から浅いシルにより隔離された半閉鎖的な環境をもち、中・深層の水温が約10゜Cと温かく均質なスールー海において深度0〜1000m間の16層で昼夜層別採集を行い、また1000m以深の採集結果を踏まえて、Euaugaptilus属カイアシ類の種組成、鉛直分布を明らかにし、これに隣接するセレベス海との比較を行った。両海域共にE. palumboiが最も優占し、最大で276.2個体/1000m3(セレベス海)、108.9個体/1000m3(スールー海)の密度で出現した。セレベス海では29種と多くの種が出現したが、スールー海では8種しか出現せず、固有種や未記載種は含まれていなかった。出現した種の多くはセレベス海では中層上部を中心に生息するが、スールー海では分布深度をより深い層に広げて分布していた。またスールー海において1000m以深の採集からは上記の種以外に7種が出現し、これらの種はセレベス海では中層に分布している種類であり、スールー海では深層に分布域を移動していることが明らかになった。スールー海には出現しない他のカイアシ類が知られており、これらは300m以深の中層に分布する種であり、水温約10゜C以下に生息していた。これらのことから、スールー海では水温が中・深層で一様に高いため、低水温の深層に出現した種は、スールー海では高水温のため排斥され、空いた空間ニッチを埋めるため中層種が深層にまで分布を広げたと考えられた。スールー海から出現した種の鉛直分布パターンは、中層上部・中層中部から下部・中層下部を中心に生息する種の3つに分かれた。均質な環境のスールー海で鉛直分布が種により異なったことから、水温などの物理環境の影響よりも、その他の要因、種間関係によって分布範囲が決まっている可能性が示唆された。

4.Euagaptilus属の口器付属肢の微細構造と食性

 Euagaptilus属カイアシ類の口器付属肢を走査型および透過型電子顕微鏡(SEM/TEM)を用いて観察した。第2下顎と顎脚の刺毛には吸盤状の突起(button)が存在し、外部形態は同一種の第2下顎と顎脚の間では形態・配列に違いは認められなかったが、種間では対応する付属肢に違いが認められた。buttonをもたず櫛状の突起が並ぶ種、小型の突起が並ぶ種、buttonが並ぶ種の3つに大別でき、さらにbuttonをもつ種は大型吸盤状、中型で薄いハート型状、小型円形状のグループに分けることができた。これらのことからEuaugaptilus属は多様な形状のbuttonあるいは突起を第2下顎と顎脚の刺毛にもつことが示された。button setaの内部構造は刺毛の本体と平板状の円盤、柄、これらを取り囲む外膜から構成された。また外膜の内側には空所が多く見られた。刺毛本体の内腔には神経細胞の樹状突起外節が存在したが、筋肉細胞は認められなかった。これらのことから円盤と柄の連結部、柄と刺毛本体の接触部は互いに受動的に動くことが示唆される。また刺毛内側の空所の存在によって、それぞれの可動範囲を広くする事ができる。buttonによって餌との接触面積を増やすとともに、各buttonが動くことで円盤を餌表面に密着させ、さらに餌を捕獲する際の衝撃を緩和する機能があると考えられる。消化管内容物の調査では、甲殻類のクチクラ片、刺毛、棘、上顎の歯が多く観察された。一部の種では刺胞動物の刺胞や不定形の組織が観察された。Euaugaptilus属カイアシ類は肉食性でbutton setaを用いた特殊な摂餌生態をもつことが示唆された。

5.Euaugaptilus属の系統解析

 Euaugaptilus属カイアシ類34種で各付属肢の形態から83の形質を用い、系統解析を行った。また体長と外部形態に変異の見られるE. longimanusの4タイプを解析に含み、外群にはGaussia princepsを用いた。擬似乱数による200回の逐次OUT付加を行う発見的探索法に基づき最節約樹を推定した。得られた樹形は階段状の分岐パターンを示した。変異の見られたE. longimanusはひとつのクレードに含まれ、他の種よりも類似した個体群であることが示唆された。各クレードはbuttonの形状を反映したが、一部の種では収斂の結果であることが示唆された。また上顎歯の形状は分岐に対応していなかった。

6.Euaugaptilus属の多種共存機構

 スールー海中層には8種が共存し、各種の鉛直分布は、中層上部・中層中部から下部・中層下部の3つに分かれた。また、分布が重複する種間では体長の違いがあり、さらにbutton setaの有無、形状に違いがあった。異なる体長は利用できる餌のサイズの違いを、異なる摂餌器官の形状は対象となる餌のタイプが異なることが考えられる。このことから鉛直的な棲み分けによって、さらに同所的に分布する種においては餌ニッチの違いによって共存していることが推測される。セレベス海と相模湾では多くの種が出現し、より複雑な群集構造を示したが、類似した体長の種や近縁な種間では分布中心が異なり、また分布の重なる種間ではbuttonや上顎の歯の形状が異なり、また遠い系統関係をもつ種間であった。

 以上、本研究によりEuaugaptilus属カイアシ類の種多様性、分布様式、摂餌生態、系統関係に関して多くの知見が得られた。中・深層に生息する本属カイアシ類は、同所的に30種程が低密度で分布し、季節変動の極めて小さいグループであることが示された。これらは鉛直的な棲み分けと餌資源の違いによりニッチ分割を可能とし、多種が共存していることが示唆された。今後、海洋の多種共存機構をより明確にするためには、消化管内容物や代謝活性、捕食者との関係等について、より詳細な種レベルの研究を集積することが重要である。

審査要旨 要旨を表示する

 海洋の動物プランクトン群集は局所的な多様性に富み、限られた海域に多くの種類が共存する。また、外洋における種多様性は一般に中層で最大となるが、沿岸・表層に較べ環境変動に乏しい中層における種多様性の維持機構については知見が乏しい。Euaugaptilus属カイアシ類(以下本属)は世界の海洋から73種が知られ、多くの種が同所的に出現する。また口器付属肢に「button seta」と呼ばれる特殊な刺毛をもつことから、特異な摂餌戦略をもつことが示唆される。本論文は、これらの点に注目し、本属の分布生態、摂餌器官の機能形態と食性、および種間の類縁関係に基づき、中・深層における多種共存機構について考察したものであり、以下のように要約される。

 第1章では陸上および海洋における多種共存現象に関する知見を総説し、外洋域のプランクトン群集が高い局所多様性によって特徴づけられること、また外洋域の多くの分類群で種多様性が中層において最大となることを示した。さらに本属の分類学的、形態学的特徴と、多種共存機構の研究における重要性を指摘し、研究の目的を明示した。

 第2章では、カイアシ類全体における本属の鉛直分布様式を把握する目的で東部インド洋とベンガル湾から得られた試料を解析し、出現した全カイアシ類の科レベルでの鉛直分布(個体数密度と生物量)を明らかにした。両海域では貧酸素層の発達状況を反映して生物量および科の鉛直分布と組成が大きく異なった。本属は同所的に多くの種(29種)が出現したが、分布密度はきわめて低いカイアシ類であることが示された。

 第3章では、相模湾中央部定点で、各種の成長段階別の鉛直分布と季節変動を明らかにした。合計29種が出現したが、いずれの月も20種以上が出現し、種数は中層中部で最大であった。解析に供した8種ではコペポディッド期の各成長段階の個体が、種により年間ほぼ同じ深度範囲に分布した。また、Morishita-Hornの類似度指数により群集構造を比較した結果、亜表層(100〜250m)、中層上部(300〜500m)、中層下部(600〜1000m)の3つのクラスターが通年安定して存在していることが示された。

 第4章では、熱帯外洋域の特徴をもつセレベス海と、閉鎖的で中・深層を通じて約10゜Cの水温で特徴づけられるスールー海を対象として種組成、鉛直分布を調査した。出現種数はセレベス海で29種、スールー海で8種であった。また、スールー海に出現した8種は、セレベス海では中層上部を分布中心とし、スールー海ではより深層に幅広く分布する傾向を示したことから、セレベス海の中層下部以深に生息する種は、スールー海の高温の中・深層では個体群を維持できず、これらの種の空間ニッチに、高水温性の種が進出し、幅広い生息層を占めたものと考えた。

 第5章では、口器付属肢の微細構造と消化管内容物を解析した。本属は多様な形状のbuttonあるいは突起を第2下顎と顎脚の刺毛にもち、個々のbutton setaは刺毛本体と平板状の円盤、柄、および外膜から構成されていた。この結果、button setaは餌との接触面積を増大し、餌を捕獲する際に衝撃を緩和する機能をもつものと考えた。消化管内容物からは甲殻類のクチクラ片、刺毛、棘、上顎歯、刺胞動物の刺胞が検出された。以上の結果、本属は肉食性であり、種あるいは種群により食性が多様化していることが示唆された。

 第6章では、種間の類縁関係と摂餌器官の形態との関係を明らかにする目的で、付属肢の形態から抽出した83の形質を用い、擬似乱数による200回の逐次OUT付加を行う発見的探索法に基づき最節約樹を推定した。得られた樹形は階段状の分岐パターンを示し、各分岐群はbuttonの形状とよく対応したが、一部の種では収斂が起きたことが示唆された

 第7章では、本研究で得られた知見を総合し、本属の多種共存機構について考察した。分布深度、体長、およびbutton setaの形状を、それぞれ生息場所、餌のサイズ、餌の質的特性を反映するものと仮定して、ニッチの重複度を検討した結果、いずれの海域においても、多くの種で鉛直的棲み分けと餌ニッチの分割が主要な共存機構であることが示唆された。今後の課題として、button setaの機能の解明と餌の種特異性を実証する必要性が指摘された。

 以上のように本論文は、Euaugaptilus属カイアシ類の広範な海域における分布様式の詳細を初めて明らかにし、分布の季節変動、摂餌生態、および属内の系統関係についても豊富な知見を提供している。さらに、これらの知見を総合することにより、海洋生態系における多種共存機構について新たな視点を提示しており、学術上、応用上貢献するところが大きい。よって審査委員一同は、本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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