学位論文要旨



No 119808
著者(漢字) 天羽,真一
著者(英字)
著者(カナ) アマハ,シンイチ
標題(和) 人工分子の電気的性質
標題(洋) Electronic Properties of Artificial Molecules
報告番号 119808
報告番号 甲19808
学位授与日 2005.03.08
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第4606号
研究科 理学系研究科
専攻 物埋学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 長谷川,修司
 東京大学 教授 内田,慎一
 東京大学 教授 青木,秀夫
 東京大学 教授 家,泰弘
 慶應義塾大学 助教授 江藤,幹雄
内容要旨 要旨を表示する

 半導体2重障壁構造を円形に切り出した縦型量子ドットでは、量子力学的閉じ込めと電子間相互作用に起因して、殻構造やフント則といった原子と同様な性質が見られる。このことから、縦型量子ドットは理想的な人工原子として知られており、軌道・スピン占有や電子相関の効果を調べる理想的な系として研究されている。

 本論文では、中央の障壁の厚みが異なる3種類の半導体3重障壁構造を円形に切り出した縦型2重量子ドット(人工分子)を用いて分子的な電子状態の研究を行った。人工分子では、電子が2つの井戸(人工原子)をトンネルすることによって、結合状態・反結合状態が生成される。トンネル方向の磁場(縦磁場)、トンネル方向と直交した方向の磁場(横磁場)、また、傾斜磁場を印加して、超低温での電気伝導(励起スペクトロスコピー)を測定し、人工分子の電気的性質・電子状態を明らかにした。

 本論文では、まず、電子数が1,2の状態を取り上げて議論(第6章)した。縦結合人工分子では、自然界のπ結合と同じく、同角運動量をもつもののみが混成するため、同じ縦磁場依存性をもつ。一方、横磁場下では、波動関数がおのおのの原子に局在し、結合が小さくなるため、反結合状態が安定化していく。この点に着目して、1,2電子の電子状態を明らかにした。まず、同じ電子数1の状態において、結合状態の基底状態と同じ縦磁場依存性をもち、横磁場印加によって安定化する励起状態を見出し、反結合状態の存在を明らかにした。また、その基底状態、励起状態のエネルギー差の横磁場依存性は、磁場の二乗に従うことを明らかにした。これは、理論的な予測と一致する。同様にして、電子数2の縦磁場での電気伝導特性から、結合状態を2個の電子が占有したSinglet基底状態と、結合・反結合を1電子ずつ占有したTriplet励起状態の存在を明らかにした。そこに横磁場を印加するとそれらのエネルギー準位が逆転し、Singlet-Triplet遷移が生じることを初めて観測した。そのSinglet-Triplet遷移におけるエネルギー差の磁場変化は、電子がおのおのの原子に局在したモデルであるHund-Mullikanの近似式にZeemanエネルギーを加えたものと、状態遷移付近では比較的一致していた。これは、Singlet-Tripletの状態遷移付近での二電子状態は、結合状態に電子が埋まった非局在状態と比較的各原子に局在した状態の混在状態であることを示すものであると考察した。

次に電子数が4,5,6の状態に着目し、議論を進めた(第7章)。ここでは、自然界に存在する分子と比較し、結合エネルギーの違う人工分子を調べ、結合の強弱による電子状態の違いを明らかにした。量子化学では、分子の結合の強さを表すのに、"結合次数"が使われる。トンネル結合が弱まると、自然界の分子と同様、反結合状態に電子が占有され、イオン結合性を帯び、結合次数の低いものができると予想される。本研究では、反結合状態に電子が占有されやすくなる様子を、結合の強い(中央障壁の厚さb=2.5nm)、比較的強い(b=3.2nm)、弱い(b=4.0nm)、3つの人工分子の電子状態を比較することで、実験的に調べた。まず、結合の強い分子では、電気伝導特性は、人工原子とよく似ており、結合状態のみが占有されていると結論付けた。一方、比較的強い人工分子では、電子数5で、ある磁場領域で原子には見られない状態が基底状態(本論文では、"β"と呼ぶ)となっていることを明らかにした。その予想は、厳密対角化の理論計算からも裏付けられ、β相が、反結合状態の電子占有に起因した分子的な状態(分子相)であることが示された。さらに、傾斜磁場を用いることで横磁場を加えて結合を弱めると、この電子状態が安定化することを実験的に示した。これは、β相では、電子が反結合状態に占有されていることを示す一つの証拠となる。さらに結合の弱い分子においては、反結合状態占有やクーロン斥力の変化に伴い、より人工原子とは異なる電気伝導特性を示すことを明らかにした。この結果は、単一電子描像では理解できず、厳密対角化の計算結果を参照することで、電子状態の厳密な同定を行った。その結果、より結合次数の小さい状態が実現されていること、また、その電子密度を考えると、イオン的な状態が実現されていると推測した。

さらに、本研究では、結合の変化に伴う人工分子の電子相関の変化にも着目した(第8章)。まず、スピン-スピン相関に伴う状態遷移(電子数2のSinglet-Triplet遷移、電子数4のHund's coupling、多電子におけるSinglet-Triplet-Singlet遷移)を調べ、電子間の交換相互作用が、人工原子にくらべ減少していることを明らかにした。これは、素子が人工原子に比べ、大きくなっていることに起因している。さらに、人工原子において強磁場領域で安定化する完全スピン偏極状態(MDD:Maximnmm density droplet)が、人工分子でどのように現れるかを調べた。結合の強い人工分子では、強磁場領域でも原子と似た電気伝導特性を示し、結合軌道からなるMDD的な状態が実現できていると考えられる。一方、結合の弱い人工分子では、MDD的な状態が実現されてはいるものの、その間に反結合に電子が占有されたMDD的な状態から、結合状態のみのMDD的な状態への遷移(isospin flip)が生じるとされていた。しかし、MDD特有の安定性の確認は行なわれていなかった。本研究では、isospin flipの見られる領域で励起スペクトロスコピーを行い、励起状態を確認することにより、どちらのMDD的な状態でも、MDD特有の大きな安定性が見られる傾向を確認した。さらに強い磁場領域では、人工原子の場合とは異なる電子数で人工分子状態の安定化が起こることを見出した。これは、未確認ながら分子に特有の性質と考えられる。

 図1:本研究で用いた人工分子の模式図とSEM、写真(a)。中央の3重障壁の間に電子が閉じ込められている。周りに付けたゲート電極で電子の化学ポテンシャルを変えながらSource-Drain電極の電気伝導特性を測定する。縦磁場(B⊥)、横磁場(B‖)、傾斜磁場(B)に対する電気伝導の変化を測定することにより、人工分子の電子状態を検出する。(b)はトンネル結合による結合・反結合軌道の生成ししたもので、これにより、分子的性質が出現する。

 図2:電子数1,2の横磁場印加下での励起スペクトロスコピーの結果(a)。青(赤)い四角の中の矢印は、結合(反結合)状態に電子が占有されていることを示している。電子数1においては、磁場印加に伴い、グラフ上、下方へ移動している励起状態が見て取れ、これは、反結合状態に電子が占有された状態と同定される。一方、電子数2においては、基底状態は、結合状態に2電子埋まった、singlet状態が基底状態であるが、横磁場印加に伴い、同様に下方へ移動するものが見られ、これは、結合・反結合軌道に電子が埋まったtriplet状態であると考えられる。そのエネルギー差Jは、Hnbbardの式4t2/Uと比較的一致している。

図3:結合が比較的強い人工分子b=3.2nmの励起スペクトル(a).図のβと書かれた領域は、原子では見られなかった基底状態が生じており、分子的な状態:電子の反結合状態の占有に伴う状態であると考えられる。そのβ相は、傾斜磁場を印加すると、傾斜角度θを大きくして、横磁場成分を大きくすればするほど安定化することが示された(b)。これは、β相では、反結合状態に電子が占有されていることを反映したものである。

図4:さまざまな人工分子のHund結合の様子(a)。結合が弱くなると(図で下の方向)、左に示されたHund結合のエネルギーは、小さくなっており、分子における電子間相互作用の減少が確認された。また、人工分子のMDD的な状態での励起スペクトルでは、isospin flipと思われる状態遷移○,△が確認できる(b)。

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は、半導体結晶中に二つの量子ドットを近接して作成し、その電気伝導特性を測定して二重量子ドットの電子状態を実験的に明らかにした研究である。つまり、二つの量子ドットを隔てるトンネル障壁厚を変えて量子ドット間の結合を制御し、また、側面に設置したゲート電極によって量子ドット内の電子の化学ポテンシャル変えて電子数を制御し、さらには、磁場を印加することによって電子の波動関数およびスピン状態を制御することによって、「人工分子」と呼ぶべき電子状態が二重量子ドットに形成されていることを示した。また、その電子状態が外部パラメータによってさまざまに変化することを詳細に解析し、理論と照合して理解することに成功した。これらの研究成果は、半導体量子ドットによって形成される人工分子の理解を飛躍的に進歩させ、固体物理の研究にとっても重要な知見を与える研究となっている。

 本論文は9つの章から構成されている。第1章では本研究の背景と関連するこれまでの研究を概観し、その中から生まれた問題意識および本研究の目的が述べられている。第2章および3章では、半導体中に形成される単一量子ドットおよび二重量子ドットについての基礎的事項および過去の研究が概観されており、第4章では二重量子ドットについての理論的研究が紹介されている。第5章では本研究で使用した実験手法と試料を説明している。第6章以下で、本研究の結果および考察が詳述されている。第6章では、二重量子ドットに電子が1個あるいは2個存在する場合、第7章では、電子が4、5、6個存在する場合の実験結果および解析を述べている。第8章では、電子相関の効果に着目して、今回はじめて見出された人工分子特有の状態について詳述している。最後に、第9章において本論文で明らかにされた結果、その意義、および今後の研究の展望をまとめている。

 最近の高品質半導体結晶の作成技術および微細加工技術の進歩により、電子をその波長程度の微小空間に閉じ込めて、その振る舞いを自在に制御することが可能となってきた。それにより、さまざまな量子力学的効果を直接的に、しかも制御性良く観測することができるようになった。本研究で使用された二重量子ドットは、厚さ数ナノメータのトンネル障壁を隔てて隣接して作成されており、そこに閉じ込められた電子は、このトンネル障壁を透過して二つの量子ドット間にまたがって存在することができる。これは2原子分子と似た状態となっているため、この二重量子ドットは「人工分子」と呼ばれる。その興味深い特徴は、自然の分子と異なり、その電子状態を外部から制御して変化させられること、また、その状態を超低温での電気伝導の測定によってプローブできることである。本研究は、このような最先端の試料作成技術および実験技術を駆使して行われた。

 本研究の成果は大きく分けて三つある。

(1)1電子および2電子状態の解明:

 電気伝導度のゲート電圧および印加磁場依存性(励起スペクトロスコピー)によって、基底状態より10meV程度上に励起状態を見出し、これが反結合状態であることを明らかにした。その励起エネルギーは、横磁場の二乗に比例して変化することを示し、理論的予言を実証した。2電子状態では、結合状態を2電子が占有するSinglet基底状態と、結合と反結合状態を1電子ずつ占有したTriplet励起状態が存在することがわかった。さらに、横磁場を印加することによって、それら2つの状態のエネルギー準位が逆転するSinglet-Triplet遷移が起こることをはじめて見出し、Hund-Mullikanの近似式によってほぼ説明することに成功した。

(2)多電子状態の解明

 電子が4つ以上占有した二重量子ドットの電子状態を、トンネル障壁の厚さの異なる試料について測定を行い、自然界の分子と比較しながら解析した。トンネル障壁が薄く、量子ドット間の結合が強い場合には、ある磁場領域で新たな基底状態(β相)が存在することが見出された。これは人工原子(単一量子ドット)には見られない状態であり、横磁場依存性から、反結合状態が電子によって占有されている状態であることを明らかにした。結合の弱い二重量子ドットでは、人工原子と異なる電気伝導特性を示し、イオン結合性の強い状態になっていると考えられる。

(3)二重量子ドットでの電子相関効果の解明

 スピン・スピン相関に伴う状態遷移(2電子状態のSinglet-Triplet遷移、4電子状態のHund結合、多電子状態のSinglet-Triplet-Singlet遷移)を調べ、電子間の交換相互作用が人工原子に比べて減少していることを明らかにした。これは系のサイズの違いに起因するといえる。また、強磁場領域において、完全スピン偏極状態(Maximum Density Drplet,MDD)が実現し、MDD特有の大きな安定性が見られる傾向を確認した。これは人工分子特有の性質と考えられる。

 以上のように、論文提出者は、トンネル結合した二重量子ドットの電子状態を電気伝導特性の測定から詳細に研究し、多電子状態特有の現象を理解するための重要な知見を得た。このように本研究は、最先端の実験技術を駆使して初めてなされたものであり、その独創性が認められたため、博士(理学)の学位論文として十分の内容をもつものと認定し、審査員全員で合格と判定した。なお、本論文は、共同研究者らとの共同研究であるが、論文提出者が主体となって実験の遂行や結果の解析を行ったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

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