学位論文要旨



No 119810
著者(漢字) 深谷,優子
著者(英字)
著者(カナ) フカヤ,ユウコ
標題(和) 一貫構造明示が歴史教科書の読解に及ぼす影響
標題(洋)
報告番号 119810
報告番号 甲19810
学位授与日 2005.03.09
学位種別 課程博士
学位種類 博士(教育学)
学位記番号 博教育第106号
研究科 教育学研究科
専攻 総合教育科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 秋田,喜代美
 東京大学 教授 市川,伸一
 東京大学 教授 南風原,朝和
 東京大学 助教授 針生,悦子
 東京大学 教授 根本,彰
内容要旨 要旨を表示する

 本論文は、これまでの文章理解研究において、教科書のように複数の文章によって構成されているテキストの読解に対応する知見が不足していることに着目し、多様な情報が同時に呈示されているテキスト(以下、包括的なテキストと呼ぶ)の構造的な特徴が読解に及ぼす影響について、歴史教科書を取り上げ、文章理解研究の知見に基づいて検討し、文章構造からの読解支援を行うことを目的とした。

 文章理解研究において、読解とは文章の内容について一貫した記憶表象を形成する作業と見なされる。この記憶表象として、文章の逐語的な記憶である「テキストベース」と、文章の意味内容が読み手の知識と関連づけられている「状況モデル」の二種類が想定されている(Kintsch,1994,1998)。すなわち、状況モデルは、テキストベースがさらに読み手の知識と関連づけられることによって構築される、利用可能性の高い心的表象である。そして、これまでの文章理解研究は、読み手が文章から状況モデルを構築できるかどうかには、読解能力や作業記憶容量、既有知識などに加えて、文章の意味的なつながりである"coherence"が大きな影響を及ぼすことを明らかにしてきた。"coherence"とは、文章において各要素がどれだけ緊密に関係づけられているかの概念であり、"coherence"が低い文章の読解は、成人においても困難であることが指摘されてきた(McKoon & Ratcliff,1992;Leon & Penalba,2002)。本論文では、この"coherence"としてひとくくりにされる概念のなかでも特に、隣接する単語や文同士の「連接性」と、文章間の形式や対応関係の「一貫性」に焦点をあて、これらが包括的なテキストの読解を支援するかどうかを検討した。

 従来の文章理解研究で想定されていたテキストは基本的に一篇の文章であり、包括的なテキストの読解で要求されるような多様な情報の統合という観点は欠けていた。これを踏まえると、現在数多く存在している、複数の文章を同時に呈示する包括的なテキストの研究を蓄積することが必要であろう。このような包括的なテキストのひとつに、日本の教科書がある。教科書は教材・学習材として重要であり(細野、1995)、かつ多様な情報が掲載されている。そして、歴史においては、記述からの事象の理解と、それらの事象の関係性を理解することの両者が重要であり、読解の比重が高い(cf.,Wineburg,1991;Perfetti,Britt,Rouet,Georgi,& Mason,1994)。これらを踏まえ、本論文では包括的なテキストとして歴史教科書の読解を検討した。

 読解は、著者の意図(第一層)、実際の文章記述(第二層)、読み手の認知(第三層)の三層全体から把捉されるべき現象である。本論文では、とくに文章記述(第二層)と読解(第三層)とに焦点をあてた。すなわち、文章記述の特徴が読解に及ぼす影響を明らかにすることで、適切な読解を導く文章記述の特徴を明らかにし、教科書記述改善を試みた。

 二章では、包括的なテキストとして小学校用教科書社会(6年上)(以下、小学校歴史教科書と呼ぶ)を検討し、その特徴を明らかにすることを目的とした。第一節では、三社の教科書の本文および欄外の文字情報を比較分析した。その結果、三社の教科書に共通して、本文の文章記述において、情報が省略されて非明示である箇所や、事象が実際の生起順とは異なる順序で記述されている例が確認された。これらは文章の「連接性」を低め、円滑な理解を妨げる要因であるので、読解時に一貫した心的表象を形成しにくいおそれがある。また、本文だけでなく欄外にも数多くの文字情報が含まれていたが、同一単元内の本文記述と対応関係が教科書に明記されることは少なかった。この点も、複数の文章間の一貫構造が明示的でない構造であるため、読解に支障をきたす可能性があると言えよう。第二節では、単元に含まれる情報の種類と、単元の構造について、三層構造を踏まえて整理検討した。その結果、歴史教科書には、様式や視点・立場、配置の点で多種多様な情報が掲載されていること、その中に他の情報についてコメントを加えているメタ的な情報(メタディスコース)があることを示した。単元中の文章記述(第二層)は、著者の意図(第一層)に基づいて組織化されていたが、この組織化は明示されておらず、対応関係がわかりにくく、読解時に問題となるおそれがある。

 三章では、二章で指摘された歴史教科書の構造的な特徴が実際の読解にどのように影響を及ぼすのかを明らかにするために、調査研究を行った。第一節では、大学生・大学院生10名に対し、二章で分析した歴史教科書の二単元を呈示して、読解と記憶および内観報告の調査を行った。その結果、教科書の情報を網羅的・統合的に読解した読み手は少なかった。また、欄外の情報は、読解においても再生においても、読み手の注意が向けられることは少なかった。これは欄外情報の内容の重要性が高い場合でも同様であった。この調査で示されたような読解は、単元の全体ではなく、細部の断片的な心的表象をもたらす可能性がある。第二節では、専門学校生61名を対象として、前節と同じ歴史教科書の二単元を呈示し、学習目標の設定と要約作成の調査を行った。その結果、呈示した単元の学習目標は、本文記述と対応した目標設定であったが、欄外で著者が設定した学習目標を反映した目標は皆無であった。要約作成課題でも、本文の文章記述のみを利用した要約作成が多く見られたが、欄外にあった多数の関連情報が要約に表出することは少なかった。これらの結果から、歴史教科書の本文記述に関しては適切な読解を行っているものの、欄外の文章記述を含めた単元の全体構造を踏まえた読解を行っていない実態が、実証的に示された。

 四章では、文章記述中に構造を明示することが読解に及ぼす効果を検討するため、実験研究を行った。第一節では、三社の中学校用教科書社会(歴史的分野)から一単元のテキストを作成し、その本文記述に対して文章理解の理論に基づいた局所的な「連接性」の修正・改善手法を適用した。その結果、本文の「連接性」に手を加えないオリジナルテキストと「連接性」を改善した修正テキストが作成された。各テキストの「連接性」について、大学生10名に評価させたところ、修正テキストの「連接性」のほうが有意に高く評価され、両テキストの「連接性」操作が妥当であることが確認された。第二節では、中学1年生115名を二群に分けて、前節で作成したオリジナルテキストか修正テキストのいずれかを読解させ、「連接性」が読解に及ぼす効果を検討した。その結果、読解直後および一週間後に実施したテストにおいて、修正テキスト群の理解および精緻化推論の遂行成績が、「連接性」の修正を施していないオリジナルテキスト群の成績よりも優れていた。このことから、本文記述の局所的な「連接性」を修正・改善することが、文章内容の記憶の安定性と利用可能性を高める一助となりうることが示唆された。第三節では、小学校歴史教科書から一単元を選択して、本文と参照すべき欄外情報の対応関係を明示した手がかりを含む関係性明示テキストと、含まない関係性非明示テキストを作成した。大学生136名を二群に分けて、明示テキストか非明示テキストのいずれかを読解させ、情報の相互参照的な読解に及ぼす効果を検討した。その結果、非明示テキスト群は三章にて報告した実態調査結果と同様に、個々別々に文章を読解していた。これに対し、明示テキスト群はテキスト内の文章や資料などの情報を読む順序がある程度規定されており、関連する情報を参照しながら読解する相互参照が多くなっていた。この相互参照によって、統合的な読解が促されると考えられる。

 五章では、研究の知見を総括し、今後の課題と展望を述べた。本論文で行った各研究から、複数の文章が同時に呈示されるだけでは、個々の文章は羅列的で並列的であると認識されやすいという問題が示された。たとえば、トピックを共有した文章が同時に呈示されているときは、いわば「間接的関連性(van Dijk & Kintsch,1983)」が示されている状態である。本論文で行った研究では、このような間接的関連性を読解に利用しない読み手が多かった。これに対して、四章で効果を検討した「連接性」の修正や相互参照を促す手がかりとは、読解時に文章同士を結合させるときに有効な明示的な手がかり(「直接的関連性」)である。本論文の各研究からは、この明示的な手がかりを見落とす読み手が少ないことが示唆されており、上記の文章記述の改善によって、読解支援を行うことが可能だと言えよう。

 以上、本論文では、複数の文章を統合した読解が必要とされる包括的なテキストとして歴史教科書を取り上げ、その読解における潜在的問題点を調査によって明らかにし、その問題点を改善する方策として、文章の「連接性」の修正および「一貫性」の手がかりの明示が適切な読解を支援することを実証的に示した。

 今後の課題は、本論文で確認された一貫構造明示の効果が適用可能な範囲を明らかにすることである。歴史教科書以外の包括的なテキストの読解においてどの程度効果が確認されるのか、また、読み手の知識や読解能力が十分でない場合にも効果があるのか、テキストと読み手の要因から詳細に検討することが必要である。

審査要旨 要旨を表示する

 本研究は、複数の文章や情報から構成される包括的なテキストの構造的特徴が読解に及ぼす影響について、歴史教科書を取り上げ、文章の意味的なつながりを形成する"coherence"概念に注目し、読解過程と読解支援のあり方を探究することを研究主題としている。本主題に接近するため、歴史教科書の文章記述と構造の分析、教科書読解過程の検討、さらに円滑な読解過程を促すテキスト形成による実験研究という複数のアプローチにより、本主題に迫る実証研究と考察を行っている。

 本論文は、問題設定を行った第1章、7つの実証研究を行った第2章から第4章、および総合考察を行った第5章の全5章から構成されている。まず第1章では文章理解研究の先行研究を概観し、包括的テキストとして教科書を検討する意義が論じられる。そして、包括的テキスト研究の分析枠組みとして、"coherence"概念を整理検討し、「連接性」と「一貫性」の2点の分析視点を導出している。続く第2章第1節では、小学校歴史教科書3社の文章記述を連接性の観点から分析し、事象間の関係を記述する際の情報提示順序の逆転等、文章の連接性が低いことを明らかにしている。また第2節では教科書の単元構造の分析から、歴史教科書では欄外情報に多様な様式や視点が含まれることで、著者の意図を組織化する一貫性が低い点を示している。

 第3章では、第2章での分析結果を踏まえ、歴史教科書の読解過程を、大学生61名を対象に読解行動と内観、および要点再生課題を実施分析することにより検証している。その結果教科書文章の統合的表象の形成が困難であること、読解中に相互参照手がかりを利用することで統合を図っていることを明らかにしている。また第2節では、読み手の読解における学習目標と要約課題の分析から、歴史教科書の形式が複数視点、形式の異なる複数情報から構成されているために、読み手が構成する表象構造の一貫性が低い点を示している。そして第4章1、2節では、文章記述の局所的連接性を高めるよう修正された中学校歴史テキストを作成し、中学生115名を対象とするオリジナルテキストと修正テキストの読解過程の比較から局所的連接性の修正・改善が安定した記憶表象をもたらすことを示している。また第3節では文章構造の一貫性に関して欄外情報との参照対応を明示したテキストを作成比較することから相互参照によって統合的理解が促進されることを示して実証している。そして第5章では上記の7研究を踏まえ、一環構造明示の効果について総合的に考察を加え、包括的テキストの読解過程への示唆を論述している。

 以上、本論文は、読解過程という視点からは従来実証的に論じられることのなかった歴史教科書に焦点をあて、文章記述の構造的特徴から読解過程支援のあり方を明示した点で、独自の知見を示した研究となっており、今後の文章理解研究に重要な貢献をなすものと考えられる。よつて、博士(教育学)の学位論文として十分な水準に達しているものとして評価された。

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