学位論文要旨



No 119815
著者(漢字) 岩切,紀史
著者(英字)
著者(カナ) イワキリ,ノリフミ
標題(和) ドイツ連邦共和国における連立政権に関する憲法的研究
標題(洋)
報告番号 119815
報告番号 甲19815
学位授与日 2005.03.10
学位種別 課程博士
学位種類 博士(法学)
学位記番号 博法第187号
研究科 法学政治学研究科
専攻 公法専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 日比野,勤
 東京大学 教授 高橋,和之
 東京大学 教授 田端,博邦
 東京大学 教授 高橋,進
 東京大学 教授 森田,修
内容要旨 要旨を表示する

1 この研究は、連立政権について、ドイツ連邦共和国(以下ではドイツと表記する)、とくに連邦での実例を対象として憲法的考察を試みたものである。

2 連立政権とは、複数の異なる政党が、共同で政府を形成し、支持する政権である。それは、政府が議会の信任に依存する議院内閣制において成立する。ドイツでは、とくに、連邦議会が連邦首相を選出することから、議会多数派を確保する連立政権が形成される契機があり、実際に、これまでほとんどの期間が連立政権である。

3 ドイツでは、社会の対立軸・政治的争点が複数あり、それに対応して複数の政党が存在している。ドイツの政党はおおまかには左右軸に位置付けることが可能だが、政治的争点によって位置関係が異なり、このことで複数の連立可能性があることになる。

4 連立政権を形成する際には、連立政権の政策・人事について連立交渉が行われるが、その際は、各政党の交渉力が、その結果に大きく影響する。

5 連立交渉の結果、近年では文書としての連立協定が締結される。それは、連立政権の政策、人事、さらには組織・手続を規定する、法的拘束力が無い政治的取り決めである。その当事者は政党・会派であり、政党・会派の構成員、国家機関、国家機関の構成員は当事者ではない。連立協定は様々な理由から次第に詳細で包括的なものになってきており、多くの機能を果たしている。

6 連立政権においては、その調整組織として、とくに連立委員会・連立ラウンドが設置される。それは、連立政権に関連する各局面を調整し、迅速に決定し、その決定を有効に実行するために、構造的に必要なものである。

7 連立政権であることは、国家機関・その構成員にも影響する。まず、議員に対しては、連立委員会・連立ラウンドでの決定に従うように働きかけが行われる。さらに、連立政権においては、それぞれの連立会派が、他の連立会派に対抗して野党会派と多数派を形成することが禁止され、個別の議員にもそのような働きかけが行われる。それぞれについては、会派統制にとどまる限りで許容される。

8 連邦議会については、連立政権では連立委員会・連立ラウンドによって立法過程が侵害されているという批判があるが、そのこと自体は必ずしも当てはまらない。しかし、連立委員会・連立ラウンドによって連邦議会という場が空洞化するとき、この限りで連邦議会が無力化し、問題となる。

9 連邦首相は、いわゆる宰相原則により、法的には強力な地位を持っている。しかし、連立政権においては、連立政党が連邦首相に対して連立委員会・連立ラウンドでの決定に従うように働きかけるため、その政綱権、人事権、組織権全てについて広汎に制約されている。しかし、それでも、連邦首相は、自己の責任で、場合によっては連立政党に反しても決定を行わなければならない。

10 連邦大臣は、いわゆる所轄原則により、法的には強力な地位を持っている。しかし、連立政権においては、連立政党は連邦大臣に対しても働きかけを行い、連邦大臣は大きな制約を受けている。しかし、連邦首相と同様に、連邦大臣も、自己の責任で、場合によっては連立政党に反しても決定を行わなければならない。

11 連邦首相と連邦大臣から構成される連邦内閣も、その権限事項について、連立政党の働きかけによって大きな制約を受けている。さらに、連立政権においては、連邦内閣に関連して、会派委員長の閣議への出席、多数決で決定を行わないこと、連邦内閣の一体性、合議体での審議の確保など、固有の問題が生じる。

12 連邦大統領については、基本法では政治的に中立的存在とされている。しかし、連邦大統領の選出、さらに連邦大統領が連邦首相選出に果たす役割において、連立政権と関連している。

13 連立政権であることは、与野党の権力分立にも影響を与える。まず、単独政権と異なり、与党が複数存在することから、連立与党相互の権力抑制・均衡がある。これは、連立委員会・連立ラウンドによるもの、さらに、議会・政府での行動、また、政務次官・大臣の人事などで行われる。

14 連立政権が所与のとき、野党は与党に対して協調戦略をとることがありうる。また、連立与党の一部と連携する可能性がある。このことで、野党から与党、さらには議会全体から政府への権力抑制・均衡が高まる。

15 ドイツは連邦制国家であり、ラント、さらにはラント政府構成員からなる連邦参議院が強力な権限を持っている。このことから、連邦とラントの連立政権には相互作用がある。近年、ラントの政党システムが多様になってきたことで、その連立政権の組み合わせも多様になってきている。とくに、連邦の政権構成と一致しないラントの連立政権では、連立政党の意見が一致しない場合には、いわゆる連邦参議院条項が重要な役割を果たしている。

16 多党制の連立政権においては、有権者が選挙で政権構成を決定できないことが批判される。しかし、ドイツでは、比例代表制・多党制・連立政権であるものの、選挙前の連立表明と首相候補擁立という慣行が成立したことにより、有権者が選挙で政権の政策と実施主体(連邦首相)を直接的に決定できるようになった。このことに基づいて地位が強まった連邦首相は、強力な政治指導を行うことが可能となった。

17 二大政党制・単独政権における政権交代と異なり、多党制・連立政権での政権交代は、部分的な政権交代が多いという特徴がある。このことは否定的評価もあるが、政党システムによっては政権交代を促進し、さらに、政策の継続性・安定性をもたらすという長所がある。

18 連立政権の日常政策は、連立政党・会派の段階的な調整・決定過程を経て決定される。しかし、連立政党・会派の決定は、国家機関の決定ではない。民主主義の原理からは、国家機関の決定は、国家機関が行わなければならない。

19 連立政権における決定は、排他的・不透明として批判される。しかし、党内・会派内での参加・透明性のみを強調することは、決定の効率を損なう。党内・会派内民主主義の問題は、決定の効率を含めて総合的に検討しなければならない。

20 ドイツでは、これまで、まず地域レベルで反体制政党が連立政権に参加することで、その政党内部への作用があり、議会制民主主義システムに統合されてきた。この過程で政党が相互に連立可能になり、連立選択肢が拡大してきた。すなわち、連立政権であることは、議会制民主主義にとって有益であることになる。

21 以上のことから、単独政権と異なり連立政権であることは、憲法学的にも大きな意味を持つ。よって、本稿におけるドイツの連立政権に関する研究が、我が国における議院内閣制、議会制、政党、さらには統治機構一般のこれまでの研究に新たな視点を提供し、現代の議会制民主主義の理解を深める契機となると考えられる。

以  上

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は、連立政権という視点から統治機構に関わる憲法上の主要な論点を再検討することを通じて、議院内閣制の研究に新たな一面を加えようとしたものである。連立政権は、議院内閣制のもとで、複数の異なる政党が政権を構成するために形成されるものであるが、わが国の憲法学では、連立政権の問題は議院内閣制や政党制などの研究において付随的に検討されるにとどまり、それ自体を独立に取りあげて総合的に論究した研究は見られない。その要因として、わが国では長期間にわたって単独政権が続いてきたこと、議院内閣制を論ずる際に模範とされてきたイギリスでは単独政権が常態であること、連立政権は政治的事象であり、憲法学の研究対象ではないと考えられてきたことなどが挙げられる。しかし、政治的事象が統治機構の現実のありようを大きく規定する以上、憲法学は政治的事象をも検討対象としなければならない。近年はわが国でも連立政権が常態化しており、西欧諸国では連立政権が大勢である。こうした理由から、著者は連立政権に関する憲法学的研究が喫緊の課題であると論じている。その際、著者は研究の素材をドイツ連邦共和国に求める。ドイツ連邦共和国は、1949年の成立以後、現在に至るまで、ほとんどの期間が連立政権であり、豊富な実例が蓄積されており、憲法的研究も行われている。本論文では、ドイツ連邦共和国の具体的実例に即して、連立政権の形成と運営における政治の現実と基本法の規定の関係が動態的に分析され、その基礎のうえに、議院内閣制に関わる原理的諸問題が検討されている。

 本論文は、4編から成る。第一編「連立政権」においては、連立政権を分析するための基礎的諸概念が説明され、ドイツの主要政党の政策・支持層・対立軸、連立の歴史などが概観されたのちに、連立政権の形成と運営の実態が解明される。第二編「連立政権と国家機関」においては、連邦議会・連邦首相・連邦大臣・連邦内閣・連邦大統領の法的地位が連立政権の観点から検討される。第三編「連立政権と権力分立」においては、連立政権のもとで、旧来の権力分立のシステムが意味を失い、新しい権力分立のシステムが機能していることが指摘される。第四編「連立政権と民主主義」においては、選挙の機能を中心に、連立政権と民主主義に関連する諸問題が検討される。以下、各編の内容を紹介する。

 第一編の第1章「連立政権の概要」においては、まず政治学における連立政権の代表的理論が紹介され、つづいてドイツ連邦共和国の政党と政権の歴史が検討される。

 連立政権を構成する政党の組み合わせは主として議席数と政策距離によって規定される。議席数の側面からは、さしあたり、連立政党が一つでも欠けると議席の過半数を失う最小勝利連合、議席の過半数確保に不要な政党も含む過大規模政権、議席の過半数に満たない少数政権が区別される。政権におけるポスト配分の最大化と、政策距離の近さという観点からは、隣接最小勝利連合が志向されると予想されるが、政権の安定性の観点や、対外的・対内的危機への対処や基本法の改正など、その時々に当面する政治的課題の必要性から、より大きな規模の連立政権が形成されることもある。ドイツ連邦共和国では、現在、連邦レベルでは、キリスト教民主・社会同盟(CDU/CSU)、ドイツ社会民主党(SPD)、自由民主党(FDP)、90年連合/緑の党、民主社会党(PDS)が主要な政党であり、たとえば経済政策ではCDU/CSUとFDP、社会政策ではCDU/CSUとSPD、外交政策や文化政策ではSPDとFDPが、それぞれ比較的に近い関係にあるなど、政策距離は争点ごとに異なっているが、これまで、ほとんどの政権は最小勝利連合の連立政権であり、それぞれの時期の重要政策について近い立場の政党によって政権が形成されており、政党の議席数と政策の変化に応じて連立の組み合わせは変化している。著者は、ドイツの連立政権の歴史は規模と政策距離の理論によってほぼ説明することができると主張する。

 第2章「連立政権における現象」においては、連立交渉における政党の交渉力、交渉によって締結される連立協定、連立政権の調整組織として設置される連立委員会・連立ラウンドが検討される。

 連立交渉において、政党の交渉力は基本的には議席数に依存するが、当該政党が過半数獲得に必要不可欠であるか(限界効用地位)、複数の連立選択肢を有するか(かなめ党)という要素も交渉力に影響する。最小勝利連合の政権ではどの連立政党も限界効用地位を有するが、かなめ党の地位は政策距離によって変化する。たとえば、FDPは、1969年にSPDと連立した当時にはかなめ党の地位を有していたが、1982年にCDU/CSUと連立して以降、政策が右傾化し、SPDとの連立可能性がなくなり、かなめ党の地位を失った。現在のシュレーダー政権はSPDと90年連合/緑の党との連立であるが、90年連合/緑の党がSPDとしか連立可能性がないのに対して、SPDはCDU/CSUともFDPとも連立の可能性があり、かなめ党の地位を有しており、議席数における圧倒的優位性と相俟って、非常に強い交渉力を持っていると言える。

 連立協定は政党と会派(議員団)を当事者とする政治的取り決めであり、法的拘束力は有しない。広義においては連立成立後の政権運営のなかで結ばれる取り決めも含まれるが、通例は連立交渉において締結されて公表される文書を指す。政策協定、人事協定、組織・手続協定などから構成されるが、近年は政策協定が質的・量的に拡大している。人事協定においては、各政党に配分される大臣等のポストの数だけではなく、その所轄についても定められる。従来は口頭の約束にとどまっていたが、1998年のシュレーダー政権以降は文書化されて公表されている。組織・手続協定においては、政権運営において連立協定の実行を担保し、連立政党の相互協力を確保するための組織と手続が定められている。文書による詳細な連立協定の締結は、政権運営のなかで行われる個別的・具体的妥協をめぐる政党内・会派内の批判と政党間・会派間の衝突を抑制して、政権を安定化する機能があり、その公表は連立協定の政治的拘束力を強めるとともに、党員・野党・有権者によるコントロールの可能性を高める効果がある。

 連立政権においては政党間・会派間の調整を行う組織が必要であり、ドイツ連邦共和国でも、党首会談・会派委員長会談のほか、政党・会派代表が出席する拡大閣議や、政府と会派の代表を構成員とする連立会談など、様々な調整組織が作られたが、近年は連立委員会・連立ラウンドが形成され、そこにおいて調整が行われている。連立委員会・連立ラウンドは、連立政党の党首・副党首・事務総長や、連立会派の会派委員長・副委員長・事務総長など、政党と会派の幹部により構成される組織であり、首相や有力大臣は幹部として参加する。閣議と異なって、日程が定められておらず、適宜に会合することが可能であり、議事録を作成する必要がなく、秘密が守られ、参加者も限定されるために、自由な議論ができるといったメリットがあり、実質的に連立政権の政治的決定機関として機能している。

 第二編は、第3章「連立政権と連邦議会」、第4章「連立政権と連邦首相」、第5章「連立政権と連邦大臣」、第6章「連立政権と連邦内閣」、第7章「連立政権と連邦大統領」の各章から構成され、各機関と連立政権の関係が検討される。

 連邦議会は、連邦首相の選出や法律の制定など、連立協定の実現にとって重要な役割を果たす国家機関であり、連邦議会議員は、連立協定に従って行動するように、連立政党・会派から働きかけられる。連立協定には、議会の表決においては連立会派が一致した投票行動をとる旨の統一的投票条項が置かれるのが通例である。連立協定に反した行動をとる議員に対して、連立政党・会派は、政党や会派からの除名等の政党・会派構成員としての地位に関する制裁を課することは可能であるが、議員辞職や歳費放棄の義務づけ等の連邦議会議員としての地位に関する制裁を課することは基本法第38条第1項によって許されない。連邦議会議員は政党・会派の働きかけに従うかどうかを自ら決定することができる。

 連邦政府は連邦首相と連邦大臣によって構成される。基本法第65条に基づいて、連邦首相は政治の基本方針である政綱を定め(宰相原則)、連邦大臣は政綱の範囲内で独立に自己の責任において所轄事務を指揮する(所轄原則)。宰相原則は所轄原則に優先するが、首相が大臣の所轄事務に直接介入することはできない。首相の政綱権限は、大臣の人事権(基本法第64条第1項)と、大臣の数と各大臣の所轄事務の範囲を決定する組織権(連邦政府職務規則第9条)によって担保されている。しかし、連立政権においては、政綱の内容は政策協定によって強く規定されており、首相の人事権と組織権も人事協定によって形骸化している。大臣の数と所轄は、各党へ配分される大臣数と担当所轄を含めて、人事協定において定められており、各党に割り当てられた大臣は各党によって決定されるのが慣行であり、副首相などについて特定の人物の名前が協定に明記されることもある。また、政策領域ごとに設置される連立政党・会派の作業グループが、大臣の政策決定を強く規定している。連立協定や作業グループでの合意は首相や大臣への働きかけであって、首相や大臣が法的にこの働きかけに拘束されるわけではないが、実際には連立協定や作業グループでの合意に拘束されている。

 連邦内閣は、連邦首相と連邦大臣から構成される合議体であり(合議制原則)、全ての法律案、政令案、特別な政治的意義をもつ命令案、連邦大臣間の意見の不一致などのほか、「内政、外交、経済、社会、財政または文化的に一般に重要な全ての案件」は、内閣の審議と議決を経なければならないとされており(連邦政府職務規則第15条第1項)、その決定は多数決によって行われ(同規則第24条第2項)、首相と大臣を拘束する(同規則第28条第2項)。こうして、政綱事項であれ所轄事項であれ、国政上の重要事項はほとんどが内閣の審議と決定を必要とすることになるが、そのため、閣議の手続も連立協定の対象とされている。たとえば、閣議において多数決を行わないという規定がしばしば置かれるが、内閣は連立協定の当事者ではないから、多数決排除条項に法的には拘束されない。また、かつて、連立会派の会派委員長が閣議に常に出席するという連立協定が定められたことがあるが、この規定は、閣議への出席者を定める連邦政府職務規則第23条第1項に違反しているのみならず、権力分立を定める基本法第20条第2項にも反していると考えられる。

 ドイツ連邦共和国の連邦大統領は、国民によって直接選挙され議会に対抗しうる強力な憲法上の権限を有していたワイマル共和国の共和国大統領と比較すれば弱い地位にあるが、国家元首であり、連邦首相の候補者を連邦議会に提案する(基本法第63条第1項)など、形式的なものとはいえ、一定の政治的権限を保持しているほか、とくに、連邦議会議員と、連邦議会議員と同数のラント議会が選挙した議員とによって構成される連邦会議において選挙される(第54条)ことなどから、大統領候補者についても、連立交渉において決定されることが多い。なお、CDU/CSUとSPDの大連立政権下の1969年に、CDU/CSUとSPDがそれぞれ大統領候補者を立てて、野党のFDPがSPDの候補者を支持したことが同年の連邦議会選挙後のSPDとFDPの連立政権につながったように、連邦大統領選出の際の協力関係が、それにつづく連立政権の予告になることもある。

 第三編第8章「連立政権と与野党」においては、連立政権と与野党の関係が検討される。

 現代の政党国家のもとでの議院内閣制においては、政府と議会のあいだには権力分立は存在せず、政府・政府を支持する議会会派・政府と政府支持会派を結合する与党と、政府反対会派・野党の対立が、これにとって代わる。ところで、連立政権には与党が複数存在する。すなわち、政府を複数の政党が構成し、議会での政府支持会派を複数の会派が構成するが、こうして政党の競争関係が政権の内部に持ち込まれることによって、連立政権のもとでは単独政権におけるよりも権力の抑制・均衡が強まる可能性がある。特に最小勝利連合においては、全ての連立政党が限界効用地位を有しており、抑制・均衡作用が働くが、とりわけかなめ党は、その動向如何によって政権交代が生じるので、強い抑制・均衡力を持っており、その結果として野党の抑制・均衡力も高まることがあると考えられる。実際にも、ドイツ連邦共和国において、かつてFDPがかなめ党の地位を有していた時代には、連立小政党であるFDPが、政策においても人事においても、連立大政党であるCDU/CSUやSPDに対して相当の抑制作用を果たしたが、現在は連立大政党のSPDがかなめ党であり、90年連立/緑の党の抑制作用は弱く、SPD優位の政権運営が行われている。

 これは、裏を返せば、野党の戦略が多様化することを意味する。野党は、基本的には政権獲得をめざして与党と競争関係に立つが、連立政権がほぼ所与とされる政治状況のもとでは、将来の連立を視野に入れて、争点ごとに、さらには連立政党そのものと協調路線をとることもありうるし、また、政権から離脱した野党はそれまでの連立政権の政策を批判することによって有権者の信頼を失うことを恐れて対立的態度を弱めざるを得ないという側面もある。1959年のゴーデスベルク綱領における大転換の際のSPDのCDU/CSUに対する協調路線への転換は前者の例であり、1966年の大連立の成立にともなって野党になったFDPが従来の連立政権の政策を批判して国民の支持を失ったのは後者の例である。このように、連立政権のもとでは、野党の抑制・均衡力が減少する可能性もある。いずれにせよ、連立政権であることは与野党の権力分立に大きな影響を与えており、これを解明するためには、その動態的分析が不可欠である。

 第9章「連立政権と連邦制」では、連立政権と連邦制の関係が検討される。ドイツ連邦共和国は国家的性格を保持する複数のラントからなる連邦国家であるが、ラントの権限が強力であるうえに、連邦の立法と行政に大きな影響力を有する連邦参議院の議員をラント政府が派遣することから、連邦制は、とくに連邦参議院を媒介にして連邦政府を抑制する作用を果たしうることになり、各政党にとっては、ラントの政権を獲得することが重要な意味を持つ。実際、1969年のSPDとFDPの連立政権以降を見ると、1982年から1991年までの9年間を除けば、ほとんどの期間において連立政党は連邦参議院において多数派を占めておらず、たとえば、コール政権末期には、SPDが連立与党への対抗手段として連邦参議院を利用したために「改革の渋滞」と評される状況が生じ、また、現在のシュレーダー政権は野党(とくにCDU/CSU)と広汎な協調路線をとるなど、連邦制は連邦野党の抑制力を高めている。

 ところで、ドイツの政党は、ラントごとに勢力分布に大きな相違があるうえに、ラント支部の中央からの独立性が比較的強く、ラントにおいて連立政権の形成が自律的に行われ、多様な組み合わせが生まれているが、その結果、ラントと連邦のあいだで相互作用が生じ、ラントでの連立政権の形成が連邦での連立政権の新たな組み合わせの実験としての意味を持ったり、さらには、連邦での連立選択肢を確保するという戦略的意味を持つことがある。現在のSPDと90年連合/緑の党の連立政権の成立には、1995年からのノルトライン=ヴェストファレンでの連立をはじめとする、先行するラントでの多くの連立政権の経験が重要な役割を果たしており、また、FDPは、連邦でのSPDとの連立政権成立後、複数のラントでSPDと連立政権を形成しつつ、1977年にはニーダーザクセンとザールラントにおいてCDU/CSUと連立することで、連邦レベルにおいてSPDに対して有利な戦略的地位を得た。このように、ドイツ連邦共和国における権力分立のありようを理解するには、連立政権と連邦制の関係という視点のもとでの肌理の細かな分析が必要である。

 第四編は、第10章「連立政権と選挙」、第11章「連立政権と政権交代」、第12章「連立政権と国家機関」、第13章「連立政権と党内・会派内民主主義」、第14章「連立政権と議会制民主主義」の各章から構成される。

 第10章「連立政権と選挙」では、連立政権と選挙の関係が検討される。一般に、二大政党制=単独政権においては、有権者は選挙において政権の構成と政策を事実上直接的に決定することができるが(直接民主政)、多党制=連立政権においては、それらの決定は選挙で選ばれる代表者の話し合いに委ねられる(媒介民主政)とされている。ドイツ連邦共和国の連邦議会の選挙制度は小選挙区比例代表併用制であり、議席配分自体は比例代表によるため、小政党も議席を獲得することが可能であるから、多党化し、媒介民主政的に展開する可能性があった。だが、実際には、議席を獲得する政党数が減少したこと、連立相手と連邦首相候補者を選挙時に明らかにする連立表明と首相候補擁立という慣行が成立したことから、直接民主政的な運用が確立した。このようにドイツ連邦共和国においては、比例代表制のもとで、国民の多様な意見を連邦議会に反映しながら、連立表明・首相候補擁立という慣行によって、選挙において政権の構成や政策について有権者が直接決定することができるようになった。

 こうした選挙制度の展開は、連邦首相のリーダーシップにも影響している。連立政権においては首相はリーダーシップを発揮できないとされており、実際、ドイツ連邦共和国においても連邦首相は、政策についても人事についても連立協定を全面的に受けいれざるを得ないことに見られるように、連立政党によって強く制約されている。とりわけ大連立のもとで、キージンガーは政綱権限をほとんど行使することができなかった。しかし、連邦議会選挙が事実上連邦首相を決定する選挙になったことから、首相は選挙を通じて独自の民主的正統性を獲得し、それにもとづいて連立協定の作成において交渉力を持ち、政権の運営においても連立委員会や連立ラウンドで影響力を保つことによって、強力なリーダーシップを発揮している。連立政権であることによる権力の抑制・均衡の制約を受けつつも、強い政治指導力を有しているところに、ドイツの「宰相民主主義」の特徴がある。

 第11章以下では、これまでの分析を踏まえ、党内(会派内)民主主義など、民主主義にかかわる若干の論点が総括的に検討され、最後に、連立政権が議会制民主主義において持つ意義が述べられる。

 民主主義国家においては、政権交代の可能性が存在することが重要である。ここで政権交代は政権を構成する政党の変更を意味するが、連立政権においては、単独政権の場合と異なり、連立を構成する政党の部分的変化であることが多い。実際、ドイツでは1998年までそうであったが、そのような政権交代は、一党優位の連立において政権交代を可能にするとともに、連立政党の一部が政権交代後も政権に残ることから、政策の継続性をもたらしている。

 政党は内部秩序を民主制の原則に合致するよう組織する義務を負うが(基本法第21条第1項)、この党内民主主義の要請は国家の自由な政治過程を確保するために必要であり、会派についても当てはまる。ところで、連立政権においては、とりわけ連立相手の決定は高度に政治的な事項であり、少数の政党幹部と会派指導者によって臨機に秘密裏に行われざるを得ない。こうした事情は、政権の形成における政策協定・人事協定の締結の局面や、政権の運営における連立委員会・連立ラウンドでの決定の局面にも、ある程度当てはまるのであり、そこでは少数の代表者が非公開の場で審議することが必要不可欠である。それゆえ、連立政権は参加性と公開性の点で党内・会派内民主主義の要請と抵触するが、政党幹部や会派幹部は政党内・会派内の選挙によって選出されており、また、決定は党大会・会派総会で報告されて承認される手続になっていて、党員と議員はその責任を問うことができるから、党内・会派内民主主義の原則に反しているとは言えない。むしろ、実際には、連立政権においては決定者が異なる政党に所属するため、単独政権の場合よりも透明性が高まり、コントロール可能性が強まりうるという側面もある。

 ドイツ連邦共和国においては、議会制民主主義に敵対する政党は政党システムから除外することが可能であるが(基本法第21条第2項)、安定した議会制民主主義が成立するためには、反体制的な勢力を議会制民主主義のシステムに統合していくことが必要である。連立政権においては、反体制政党が政権に参加しやすく、そのことを通じて反体制政党が議会制民主主義のシステムに統合されることが期待できる。実際、90年連合/緑の党は、当初は反体制的であったが、ラントのレベルで連立政権を形成することで反体制的性格を弱め、1998年には連邦レベルで連立政権を構成するに至った。旧東ドイツのSED(社会主義統一党)の後継であるPDSも、1998年以降、メクレンブルク=フォーアポメルンとベルリンにおいてSPDと連立政権を構成することで、反体制的政党ではなくなってきており、また逆に、こうして反体制的政党が議会制民主主義のシステムに統合されることによって、連立政権の組み合わせが拡大してきた。連立政権であることは議会制民主主義にとって大きな意義を持っている。

 以上が本論文の要旨である。以下にその評価を述べる。

 本論文の長所として、第1に、憲法学における議院内閣制の研究に連立政権というこれまでにない要素を加えた点が挙げられる。現代の多元的社会においては、多数決民主主義には限界があり、交渉と協調の要素がその意味を増しているが、こうした状況においては、政権内部における交渉と協調を特徴とする連立政権は現代の政治システムの縮図であると言うことができる。従来、わが国の憲法学においても政党に関する研究はあったが、政党の憲法的地位や政党助成などの問題に限定されていた。著者が着目した連立政権の視点は斬新であり、議会制民主主義の理解を深める重要な問題提起となると考えられる。第2に、ドイツの連立政権の形成と運営について、その実例を、連邦のみならず、ラントのレベルまで渉猟した研究は、連立政治について相当の研究蓄積を持つわが国の政治学においても見あたらない、価値のある業績である。政治の具体的現実のダイナミズムを踏まえて展開された著者の主張は、規範的・平面的な議論に終始しがちな憲法学の議論に対して相当の説得力を持っている。また、現実を踏まえていることが、本論文を分かりやすくまた読みやすいものにしていることも評価できる。第3に、連立政権にかかわる諸問題が網羅的にバランス良く取りあげられていることである。そのなかには、連邦制など、これまで論じられることがなかった興味深い論点も含まれている。連立政権という視点から統治機構に関する憲法上の主要な論点を包括的に再検討した本論文が、今後、議院内閣制にかかわる諸問題を論ずる際に無視することのできない議論を提示したことは疑いなく、重要な問題提起として高く評価することができる。

 本論文にも、つぎのような短所を指摘できる。第1に、研究の対象であるドイツに密着するあまり、対象との距離が十分にとれていない憾みがある。著者はドイツの連立政治をほぼ一貫して肯定的に評価しており、集権的決定能力の欠如といった問題はほとんど顧みられていない。連立政治をより多面的に評価するには、たとえばスイスやオランダなどの多極共存型民主主義の国々との比較のなかでドイツを考察することが必要であろう。また、分析に当たって用いられている概念も、しばしばドイツ憲法学の概念がそのまま受けいれられているが、その中には、たとえば権力分立の概念のように、わが国の伝統的用語法と異なるものも含まれており、慎重な配慮が望まれる。第2に、日本の連立政治への具体的示唆が欠けていることである。1993年8月以来、わが国の連立政権も、1年3ヵ月ほどの中断はあるものの、10年以上経過しており、それなりの蓄積があるが、わが国の実例をドイツと対比する作業が行われていれば、より一層研究の意味が増したであろうと惜しまれる。

 以上のように、本論文にも欠陥はあるが、それは本論文の価値を大きく損なうものではない。本論文は、わが国の連立政権の研究に先鞭をつけるものであり、自立した研究者としての著者の高度の能力を示すものであることはもとより、学界の発展に大きく貢献するとくに優秀な作品であると評価できる。したがって、本論文は博士(法学)の学位を授与するに相応しいものと認められる。

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