学位論文要旨



No 119820
著者(漢字) 若山,章信
著者(英字)
著者(カナ) ワカヤマ,アキノブ
標題(和) ダイナミックな身体運動における筋腱複合体の役割 : 肘屈曲における負荷重量と予備緊張の影響
標題(洋)
報告番号 119820
報告番号 甲19820
学位授与日 2005.03.10
学位種別 課程博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 博総合第543号
研究科 総合文化研究科
専攻 広域科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 深代,千之
 東京大学 教授 小林,寛道
 東京大学 助教授 渡會,公治
 東京大学 助教授 金久,博昭
 東京大学 教授 石井,直方
内容要旨 要旨を表示する

緒言

 ヒトの身体運動,特に瞬発的な運動では,筋は一般的に最大下での予備緊張状態から筋収縮を開始する.なぜなら,多くの筋は完全にリラックスした状態ではなく,重力の影響下で身体の姿勢保持や道具の保持のために予め活動(予備緊張)しているからである.例えば,スクワットジャンプの静止姿勢での膝や股関節の伸展筋群,あるいは,砲丸投げの準備動作での砲丸を保持する肩関節伸展筋群などである.

 筋腱複合体のパフォーマンスに対する予備緊張の影響として,正の効果である中枢神経系からの刺激および活動水準の高揚,そして直列弾性要素の貢献,負の効果である筋長の短縮に由来する筋出力の低下等が予想される.しかし,筋の特性研究の中で,予備緊張という概念は定性的には用いられても,その効果を定量した研究は少ない.また,筋腱複合体のパフォーマンスは伸張・短縮といった筋自体の収縮条件からは深く研究されているが,負荷重量の違いが筋腱複合体の特に直列弾性要素の挙動に及ぼす影響も同様に明らかにされているわけではではない.

 本研究の目的は,負荷重量および予備緊張が短縮性肘屈曲運動における仕事とパワーに及ぼす影響を,筋腱複合体(MTC)を収縮要素(CC)と直列弾性要素(SEC)に分けたモデルから検討することである.なお,被験者は,健康な体育系女子大学生10名であった.

1)筋腱複合体の逆ダイナミクスモデル

 本研究では,逆ダイナミクスによるMTC,CCおよびSECの諸変量計算モデルを作成した.なお,主要な肘屈曲筋である上腕二頭筋,上腕筋および腕橈骨筋の3筋の解剖学的データより,1本のMTCモデルを構築した(図1:被験者平均).

2)筋腱複合体に及ぼす負荷重量の影響

 1kgwから5kgwまでの重量負荷について, PT0%MVC(:随意最大張力(MVC )に対する予備緊張割合(PT%),この場合CC不活動状態)から急激な短縮性肘屈曲を行わせ,負荷重量の違いがMTC,CCおよびSECのパワーおよび仕事量に及ぼす影響を検討した.その結果(図2),肘関節60度から90度(CC長変化量平均21.2mm)の間では,重量負荷に関わらずCCパワーおよびSECパワーの絶対値に差はなく,負荷重量との相関関係も認められなかった.また,それぞれのMTCパワーに対する貢献率は,CC:93%およびSEC:7%,MTCの仕事量に対する貢献率はCC:110%とSEC:-10%で,やはり負荷重量の違いによる差はなかった.しかし,MTC,CCとSECのそれぞれの仕事量の絶対値には重量負荷による差が認められ,また,負荷重量の増加に対しMTC,CCおよび再利用されたSEC仕事は有意な正の相関関係を,貯蔵されたSECの仕事は有意な負の相関関係を示した.ただし,再利用される仕事と比べ貯蔵されるSEC仕事の割合が多くなり,今回の動作区間においてはCCの仕事がMTCの仕事に反映されない内的仕事(SECを伸張させる仕事)に消失されていったといえる.ただし,なお,肘屈曲中にSECに蓄えられた弾性エネルギーは約50%が再利用された.

 関節角度が規定された場合,MTC長の変化量には重量負荷による影響はない.そして,SECの伸張・短縮量すなわち弾性エネルギーの貯蔵・放出(再利用)量を決定するのはCCの発揮張力である.したがって,重量負荷が軽ければCCの短縮速度は高まるものの,力-速度関係からCC発揮張力は高まらず,結果としてSECの伸張量(弾性エネルギーの貯蔵量)は少なく,SECの貢献は小さい.一方,負荷重量が重ければ, CCの発揮張力は高まり,SECの伸張量(弾性エネルギーの貯蔵量)は大きいが,CC短縮速度が高まらず(CC発揮張力が下がらず),結果としてSEC短縮量(弾性エネルギーの放出)は少なく,やはりSECの貢献が小さくなる.このことから,CCの発揮パワーが最大速度(負荷ゼロ)と最大張力(速度ゼロ)発現時を下限に,上に凸の2次曲線を描くのと同様に,SECの発揮パワーも2次曲線を描き、負荷重量による差が生じると予想した.しかし,SECパワーだけでなくCCパワーにおいても,2 次回帰での有意な相関関係はみられなかった.この理由として,負荷重量の幅(1kgwから5kgw)が狭かったことが考えられた.幅広く負荷重量を設定できなかった理由は,6kgw以上の負荷重量では挙上できない被験者が複数いたためである.各被験者の最大パワー発揮の至適負荷重量(平均3kgw程度)を保持するトルクは40%MVC程度であり,6kgwの負荷重量は平均80%MVC程度であるが,被験者によっては6kgwが100%MVC近くなり,肘60度屈曲位では関節角度の正弦に比例するモーメントアームが小さくなるため,実際には挙上不能となった.また,前腕部の重量や慣性を考えれば,負荷重量0kgwにあっても発揮張力は0Nにはならず,MTCパワーやSECパワーも0wattとならないことがあげられる.

3)筋腱複合体に及ぼす予備緊張の影響

 予備緊張の影響についてPT0%MVCからPT100%MVCまで,最大パワー発揮の至適負荷において検討した. その結果,これまでに指摘されてきたSECの役割(弾性エネルギーの放出)はMTCパワーに対し短縮開始後のごく初期にのみ正の効果を示し,.CCに対して予備緊張は負の効果を示した(図3黒マーク,CCパワーは負相関にあるもSEC・MTCパワーは正相関) .そして,PT レベルに由来するCCパワーの低下は,張力減衰に起因していた(図4).このように,負の効果が現れる原因として考えられる(1)CCのCC長・CC短縮速度-力関係,(2)運動単位の動員数および動員される運動単位の種類,(3)神経系の抑制,のいずれも等尺性・短縮性の両条件下で否定された.残された要因として,CCの短縮履歴による張力の減衰が考えられた.なお,短縮履歴による張力減衰についてのメカニズムは,現在のところ十分に明らかにされてはいないが,最近の報告では主に2つの説が有力である.一方の説は,ミオシン・アクチンオーバーラップゾーンの歪み等によるサルコメア長変化など,筋の幾何学的変化(geometry changes)である.他方は,Ca++の感受性の低下によるクロスブリッジの連結の乖離等,細胞内の化学的転換(intracellular chemical shifts)である.

 予備緊張の影響がMTCのパフォーマンスに対し正の効果のみとした先行研究に対し, 本研究では負の効果を示した. この理由として,労作計の違いが考えられた. すなわち, 先行研究では等速性筋力測定器が用いられたが,この種の測定器では回転部分の重量と慣性モーメントは非常に小さく,また負荷がかかるまでの「あそび」もあるため, 張力発揮に対し即座に角度変化が起こる. このため,測定速度が高い程,筋の活動水準あるいは張力レベルは高いレベルに達せず,この部分で貯蔵された弾性エネルギーの大部分が放出されてしまう.それに対し,本研究のように重量負荷を用いた短縮性収縮では,負荷となる部分の重量と慣性を加速させるために張力は高いレベルに達する.すなわち,等速性測定器と比べ屈曲開始時のCC 短縮速度は遅く,張力は高いため,弾性エネルギー放出のタイミングが等速性筋力測定器よりも遅延したといえる.

 生体筋の自然な(等張性の)特性については,CC長(又は筋長)とその短縮速度を統一した実験を行うことは極めて困難である.しかし,多くの日常活動やスポーツ活動においては,負荷重量(体重や道具)はあらかじめ決められている.また,姿勢についてもある程度決められた形がある.それゆえ,本研究の結果は予備緊張の発生する自然な条件での筋腱複合体の現象として,張力やパワー,仕事量の減衰が起こることを示唆しているといえる.

Fig 1.Model of MTC and rotating part of the arm.

Fig 2. CC and SEC power contributions for MTC power at the elbow angle of 85 deg.

Fig 3. The relationship between PT level and MTC, CC and SEC power.

Fig 4. CC length and shortening velocity - tension ratio relationships for several PT levels.

審査要旨 要旨を表示する

 重力場における身体運動では、一般に、筋は最大下での予備緊張状態から収縮を開始する。この状況下において、筋腱複合体のパフォーマンスに及ぼす予備緊張の影響として、正の効果である中枢神経系からの刺激および活動水準の高揚、そして直列弾性要素の貢献、負の効果である筋の短縮(筋長の変化)に由来する筋出力の低下等が考えられる。しかし、筋の収縮特性の研究において、これまで予備緊張という概念は定性的に考慮されても、その効果を定量した研究は少ない。また、筋腱複合体のパフォーマンスは伸張・短縮といった筋自体の収縮条件からは深く研究されているが、負荷重量の違いが筋腱複合体の特に直列弾性要素の挙動に及ぼす影響が明らかにされているわけではではない。本論文は、予備緊張および負荷重量が短縮性肘屈曲運動における筋腱複合体(MTC)の仕事とパワーに及ぼす影響を、MTCを収縮要素(CC)と直列弾性要素(SEC)に分けた逆ダイナミクスモデルモデルから検討した研究成果をまとめたものである。論文の構成は、第1章:筋収縮の研究小史、第2章:逆ダイナミクスモデルの構築、第3章〜第5章:実験結果、第6章:総括論議としてまとめられている。

 第3章(実験1)では、1kgwから5kgwまでの重量負荷について、CC不活動状態から急激な短縮性肘屈曲を行わせ、負荷重量の違いがMTC、CCおよびSECのパワーおよび仕事量に及ぼす影響を検討した。その結果、MTCパワーに対するSECの相対的貢献率は、すべての重量負荷において約7%で差が認められなかった。しかし、CCとSECの仕事量の絶対値に関しては、負荷重量の増加に対しMTC・CCおよび再利用されたSECの仕事は正の、貯蔵されたSECの仕事は負の、有意な相関関係を示した。すなわち、負荷重量が大きくなるほど、再利用されるSECの仕事と比べ貯蔵されるSECの仕事の割合が多くなり、CCの仕事がMTCの仕事に反映されない内的仕事(SECを伸張させる仕事)に消失されたといえる。ただし、MTCの仕事量に対する相対的貢献率はCC約110%とSEC約-10%で、やはり負荷重量の違いによる差はなかった。

 第4・5章(実験2・3)では、 最大等尺性収縮の0%〜100%までの予備緊張状態から、最大等尺性収縮および最大パワー発揮負荷での短縮性収縮を行わせ、予備緊張の影響について検討した。等尺性収縮での実験は、予備緊張局面の筋放電スペクトル解析と張力の立ち上がり速度やピーク張力を検討することが目的であり、短縮性収縮での検討は実際の運動で起こり得る現象の究明が目的であった。その結果、これまでに指摘されてきたSECの役割(弾性エネルギーの放出)はMTCのパワーに対し短縮性収縮のごく初期にのみ正の効果があり、逆に、予備緊張はCCに対して負の効果を示した。負の効果が現れる原因として考えられる(1)CCの長さ-力関係、(2)運動単位の動員数および動員される運動単位の種類、(3)神経系の抑制については等尺性・短縮性の両条件で関係なく、CCの短縮履歴による張力の減衰が考えられた。

 本論文では、これまで摘出筋を中心に定量され生体筋(身体運動)においては概念的に用いられてきた筋の予備緊張や、重量負荷の影響について、詳細な逆ダイナミクスモデルを用いることで、より実際の運動に近い条件下で定量したものである。その成果として、単関節レベルでの短縮性収縮においてMTCパワーに対するSECの貢献が、負荷重量にかかわらず7%程度であること、また、予備緊張がCCに対し負の効果(張力、パワー、仕事の減衰)をもたらすという新たな知見を得ている。また、生体筋においてCC長とその短縮速度を統一した実験を行うことは困難であるが、現象論に終始せず、CC長・CC短縮速度-力曲線や運動単位の動員等、生体筋にて非観血的に実施し得る多くの検討を加えた点で評価できる。よって本審査委員会は、本論文は博士(学術)の学位を授与するにふさわしいものと認定する。

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