学位論文要旨



No 119825
著者(漢字) 多代田,いわみ
著者(英字)
著者(カナ) タヨダ,イワミ
標題(和) リルケの「世界内部空間(Weltinnenraum)」について : 〈死者の声〉の理念を中心に
標題(洋)
報告番号 119825
報告番号 甲19825
学位授与日 2005.03.11
学位種別 課程博士
学位種類 博士(文学)
学位記番号 博人社第473号
研究科 人文社会系研究科
専攻 欧米系文化研究専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 平野,嘉彦
 東京大学 教授 松浦,純
 東京大学 教授 重藤,実
 東京大学 助教授 藤井,啓司
 九州大学 教授 浅井,健二郎
内容要旨 要旨を表示する

 本論文の目的は、ライナー・マリア・リルケ(Rilke, Rainer Maria. 1875-1926)の「世界内部空間(Weltinnenraum)」という理念を詩的言語の体系として明確に位置づけること、更にこの体系が人間存在の<声>の表現によって暗示的に具体化されているという仮定に基づき、その特徴について明らかにすることである。

 そのために、全体を二部構成とした。前半第一部では「世界内部空間」が詩的言語の体系として構想されるまでの過程とその特徴を明らかにした。そして後半第二部では、この理念が<声>の表現によって具体化されていく過程を、『ドゥイノの悲歌』(1912/22)(以下『悲歌』と略記)の「第一悲歌」(1912)の主題であり、理念でもある<死者の声>に着目して分析している。

 第一部第1章ではまず、『新詩集』(1907)、『新詩集 別巻』(1908)の作品を取り上げ、詩人がロダンの彫刻作品に範を得て構想した「物(Ding)」の理念の特徴を明らかにした。詩人は、ロダンの彫刻作品のように確固とした存在感を持ち、周囲の空間からも時間からも切り離された、一つの自立した芸術作品としての詩を目指した。その際、表現の中心となるのは視覚表現である。「古代アポロのトルソー」(1908)は、詩人のこの時期の創作の典型である。詩人は芸術神アポロを表現したこの作品を『新詩集 別巻』の巻頭に置くことによって、「物」の理念によって両詩集を創作するという態度を明確に表明している。考察の際には、この作品で「変容(Verwandlung)」という現象が表現されていることに着目した。詩人の意図するところでは、「変容」とは、作品の素材となる個々の対象が、詩人の詩的言語によって、その対象が置かれている時間的な制約を乗り越え真の存在にもたらされる、という過程である。この作品では「変容」が、「物」の理念に従う客観的な視覚表現を中核としながらも、同時に<声>による表現へと変化している。つまり、既に中期の「物」の理念の段階で、後期の「世界内部空間」という詩的言語体系に依拠した<声>の表現が現れ始めているのである。この現象は、後の段階で<声>の理念に「物」の理念が統合される端緒とも考えられるだろう。

 第一部第2章では、『マルテ・ラウリッツ・ブリッゲの手記』(1904-1910)が、視覚を中心とした他の五感表現と回想表現によって、人間存在の生と死の結びついた状態「存在する(existieren, sein)」、「存在(Dasein)」を表現しているために、「世界内部空間」の萌芽となっていることを示した。この作品では、「物」の理念に依拠する段階から、「世界内部空間」を体系化する段階への、移行が起こっている、と考えられる。

 第一部第3章では、「世界内部空間」という詩人に独特の理念的空間を、詩的言語の体系として捉えて、その特徴を分析した。過去の研究では、この空間についての定義は曖昧であり、主に『悲歌』と『オルフォイスへのソネット』(1922)(以下『ソネット』と略記)の思想的内容を解釈するために引用されてきた。本論ではこれまでの研究傾向を概観した上で、回想表現と共感覚表現、なかでも共感覚表現の一つの要素でもある触覚的かつ聴覚的な音声的表現から構成されるものとして「世界内部空間」を考える。そして、これらの手法の組み合わせによって、空間的(共感覚によって身体的な制約を超える)かつ時間的な(回想によって時間的な制約を超える)基軸を持った、自立的な詩的言語の体系が構成されていることを明確に示した。重要な点はこのようにして詩的言語の体系を構想することによって、詩人が、個々の作品としての「物」の実在ではなく、詩人自身を取り巻く「世界内部空間」の実在と、絶え間なく関係を結ぶことが出来るようになったと信じたことである。詩人の目的は、「物」の理念の段階から一貫して、<時間的な制約を超えた真の存在としての詩的言語を創造し、かつその真の存在に自身の生をも完全に従属させること>であり、詩人はこの目的を、「世界内部空間」を実在の領域に重ね合わせて構想することで達成しようとしたのである。純粋に芸術作品に関わるような詩的言語の体系としてではなく、むしろ芸術作品を実在の領域に関わらせて形而上学的な体系を構想することが、主眼とされた。

 以上のような第一部の考察を踏まえた上で、第二部からは、<声>の表現によって「世界内部空間」がどのように具体的に作品中に暗示されているか、という点について考察した。その際に中心としたのは、<死者の声>という理念である。

 まず第二部第1章では『悲歌』の「第一悲歌」(1912)を<声>の表現として分析した。詩人は、『悲歌』において、「世界内部空間」の表現手法のうち特に触覚的かつ聴覚的な「振動」を、人間の<声>として具体化している。<声>は、<生者の声>と<死者の声>の二種類から成る。『悲歌』の嘆きは、<生者の声>が<死者の声>を求めざるを得ないもののその領域には決して達し得ない、というアンビヴァレントな状態から生み出される。詩人は、「第九悲歌」(1922)において「この世(hier)」という語を用いて人間存在の地上的な生の在り方を表現しているが、この語を用いるならば、<「この世(hier)」が「あの世」とつながっていて「世界内部空間」が成立している>という思想を示すために、<生者の声>と<死者の声>の二種類から<声>の表現を構成した、と考えられる。

 更に、この分析を踏まえた上で、<声>の性質そのものについて考察した。「物」の理念が視覚による客観的な構想を重視していたこととは対照的に、<声>は、聴覚的表現が主体と客体との距離を不分明にし、更に、音声言語が主体と世界との双方に即時的かつ即自的に対象を表現するはずである、という前提に基づいている。「世界内部空間」は、<意味するもの>と<意味されるもの>をほとんど一致させ、かつ時間的な差異もないという状態を理想としており、同一的、一元的な性質を持っている。主体と対象との距離を無くすことを目的としている<声>は、この同一的、一元的な性質をより強く具体化する方向に働く。しかしその一方で、『悲歌』の<声>には、この同一化、一元化の方向を絶え間なく異化していく、他者性が含まれている。作品全体にわたって<声>が<呼びかける>―<応える>という応答関係に置かれ、他者に開かれていることが重要である。詩人の意図するところは「世界内部空間」をより効果的に暗示することにあったが、この作品の<声>の可能性はむしろこの空間の同一性を揺るがし、他者へと開いていくことにある。

 第二部第2章では、<死者の声>の性質をより詳しく明らかにするために、「第一悲歌」の三年後に書かれた「ある少年の死によせる鎮魂歌」(1915)(以下「鎮魂歌」と略記)を取り上げた。

 詩人は、「第一悲歌」を完成した後に、「世界内部空間」についての理念的な詩作品や、散文を創作している。つまり、これらの作品は、詩人が、『悲歌』を<死者の声>へ方向付けられた<声>として完成させていく過程で、「世界内部空間」の理念を一度体系化し、整理したものである。この<声>と<死者の声>の関係は、「鎮魂歌」にはっきりとうかがうことができる。「第一悲歌」の場合、詩の表現形式としては<死者の声>の理念に依拠しながら、その主題は生きている人間存在としての嘆きにあり、<声>は基本的に<生者の声>であった。それに対し、この作品では、内容、形式とも完全に一人の<死者の声>によって構成されている。書かれた時期が、「第一悲歌」から三年後であることを考えても、この作品は、「第一悲歌」の<死者の声>の主題を「世界内部空間」という詩的言語体系に依拠した表現として更に展開させたものである。<声>の究極の完成された有り様が<死者の声>であることを明らかにし、また、この作品においても<声>の可能性が他者性にあることを示した。

 第二部第3章では、<生者の声>と<死者の声>から成る<声>の表現がその後どのように展開されたかを、「第九悲歌」(1922)を取り上げて考察した。「第一悲歌」において<生者の声>が<死者の声>の方へと高められていくことが提唱されていたのに対して、ここでは逆に<死者の声>が、<生者の声>の側から肯定されている。この双方によって『悲歌』全体において、<生者の声>と<死者の声>から成る<声>の理念が完成される。

 この「第九悲歌」で詩人は更に、「物」の理念を<声>の理念の中に統合している。「物」は、ロダンの影響を受けて構想された中期の段階とは異なり確固とした芸術作品としての意味においてはもはや捉えられていない。あくまで、「世界内部空間」という詩的言語体系に依拠して表現される詩的表現「本質存在(Wesen)」のうちに、「物」としての表現を統合することが問題とされるのである。

 この段階において、詩人は中期以降の創作を統合し、またその後の創作を<声>によって続けるための完全な基盤を得たことになる。『悲歌』の後も、詩人の創作は、<声>の理念に従って続けられていく。<声>の理念は、最終的に『ソネット』で「オルフォイス」によって「歌(Gesang)」の理念が表現されるに至るまで一貫して保たれ続けた。死者「オルフォイス」の<声>としての「歌」は、<死者の声>としての<声>の理念が完成される最終段階にあたる。

 また、詩人にとっては、「世界内部空間」を<声>によって具体化し、最終的に「歌」の理念として完成するという過程は、詩人自身の創作理念を確立するためのものだけでなく、一人の人間存在としての自己をもそれに統合させていく過程であった。<死者の声>を理念として完成させていく過程は、生者としての詩人自身をこの<死者の声>の理想的な在り方に対して位置づける意味もあったからである。

 以上、第一部、第二部双方の考察を踏まえた上で、本論文では最終的に、「世界内部空間」と<声>の表現によるその具体化は、中期から後期にかけての詩人の創作と詩人としての生の有り様の双方を決定づけており、詩人の創作の根幹を成すものだったと結論付けた。

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は、従来からドイツ近代抒情詩の一頂点をきわめたと目されている詩人ライナー・マリーア・リルケ(Rainer Maria Rilke, 1875-1926 )の、なかんずく中期から後期にさしかかる時期の諸作品をとりあげて、その基本構造の特質を明らかにしようとしたものである。

 『新詩集』(1907)および『新詩集別巻』(1908)に代表されるリルケの中期作品は、通常、詩人が師事したロダンの彫刻作品を規範としている、「事物詩(Dinggedicht)」の理念によって特徴づけられている。しかし、ほぼ時期をおなじくして書かれた小説『マルテの手記』(1910)において、すでにその萌芽がみられるように、「物(Ding)」にかわって、以後、あらゆる「物」を包容すべき「世界内部空間(Weltinnenraum)」の理念が提起されてくるようになる。それは、十年余の歳月をかけて『ドゥイノの悲歌』(1923)が執筆されていく、ちょうどその時期にあたっているが、はたしてこの理念は、『悲歌』のライトモティーフを構成するものである。そのこと自体、ことさら新しい知見ではないが、筆者の強調するところは、生と死の双方の領域を含むといわれる、プルーストに通じる回想の空間でもある、この「世界内部空間」が、あくまで視覚に依拠していた「物」とは様相を異にして、ボードレールの詩『万物照応』にも看取されるような、広義の象徴主義ともいうべき、さまざまな知覚を統合した「共感覚」によって表現されていること、なかでも聴覚の優位に基づいていることである。そうした主張によって、詩人のいうところの「世界内部空間」は、いまや「死者の声」を内実とする同一性の空間として位置づけられることになる。中期から後期にいたるリルケの作品の発展を、部分的に知覚の変容に焦点をあわせて論じた研究は、従来も存在しなかったわけではないが、これほど総合的かつ徹底的に分析した論文は、ドイツ語圏においても例をみない。

 本論文は、細部において、ややもすると強引な論述がみられはするものの、参考文献を博捜しつつ、他方で首尾一貫した論理を構成しえた力量は、十分に評価されるべきものである。以上に鑑みて、本審査委員会は、本論文が博士(文学)の学位に相当するものと判断する。

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