学位論文要旨



No 119829
著者(漢字) 深田,純司
著者(英字)
著者(カナ) フカダ,ジュンジ
標題(和) イネいもち病菌の病原性に関わる遺伝子の構造と機能に関する研究
標題(洋)
報告番号 119829
報告番号 甲19829
学位授与日 2005.03.11
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第2813号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 生産・環境生物学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 難波,成任
 東京大学 教授 白子,幸男
 東京大学 教授 宇垣,正志
 玉川大学 教授 日比,忠明
 茨城大学 教授 阿久津,克己
内容要旨 要旨を表示する

 イネは全世界人口の約半数もの人々にとって主要な作物であり、イネいもち病菌Magnaporthe griseaはそのイネに対して最も甚大な被害を与える病原菌である。また、いもち病菌はイネ科植物における宿主範囲も広く、植物―病原菌間の相互作用を解析する上でそのモデル系ともなっている。いもち病菌の植物への感染行動は、葉面上で感染する数多くの病原菌における典型的な様式をとる。すなわち、葉上に付着した胞子が発芽し、付着器を形成して葉面に接着した後、付着器のメラニン化とその内部液の膨圧の上昇によって、侵入菌糸が突出・分化してイネ表皮を機械的に突き破り、イネ体内に侵入する。このように、イネいもち病菌の病原性には、胞子形成以降に見られる感染器官の形成が大きく関与する。そこで本研究では、イネいもち病菌における病原性の発現を付着器形成時および侵入菌糸形成時に定め、各段階において特異的に発現する遺伝子を、主としてDifferential display法により探索・分離し、各遺伝子全長の構造を解析した後、遺伝子破壊実験によってその機能を解析した。一方、最近、イネいもち病菌の全ゲノムシークエンスが公開され、その情報に基づいて特定の遺伝子を単離することが可能になったため、本研究ではAspergillus nidransの胞子形成に関与することが知られている転写因子遺伝子STUAのホモログ遺伝子をイネいもち病菌より単離して、その構造と病原性に果たす機能について解析した。得られた成果の概要は、以下の通りである。

1.Differential display(DD)法による病原性に関与する遺伝子の探索

 イネいもち病菌における病原性の発現を付着器形成以降侵入菌糸形成までの過程に定め、その段階で特異的に発現する遺伝子を、主としてRT-PCRをベースとしたDD法によって探索した。得られた3種類の特異的cDNA断片をクローニングして部分シークエンスを決定し、さらにこれらをプローブとしてイネいもち病菌のゲノミックライブラリーから対応する各全長遺伝子を単離した後、それらの構造を解析した。こうして得られた遺伝子は、機能不明な遺伝子9418511と6789およびMFS(Major Facilitator Superfamily)transporter様タンパク質遺伝子MFS1の3種である。次いで、各遺伝子について遺伝子破壊によってその欠損株を作製し、各遺伝子の病原性に関わる機能について解析した。

(1)9418511遺伝子および6789遺伝子

 両遺伝子の全塩基配列から予想されるアミノ酸配列からは、相同性の高い既知のタンパク質が見いだされなかったため、各遺伝子産物の機能は不明であった。また、両遺伝子欠損株は、ともに、胞子発芽率、付着器形成率、イネ(Oryza sativa L. japonica品種:コシヒカリ)での病徴のいずれにおいても野生株との差違が見られなかった。従って、両遺伝子は少なくとも病原性には関連しないことが判明した。

(2)MFS1遺伝子

 MFS transporter様タンパク質遺伝子MFS1について、(1)と同様に欠損株を作成して付着器形成率の測定や接種試験を行ったが、野生株との差違は認められなかった。一方、MFS transporterは菌の薬剤耐性に関与している可能性があるため、MFS1欠損株について、カンプトセシン、シクロヘキシミド、DMI剤など全14種類の薬剤に対する薬剤感受性試験を行ったが、野生株と全く同じEC50値を示し、MFS1は本菌の薬剤耐性にも関与していないことが明らかにされた。

2.新規転写因子遺伝子MSTUAの単離とその病原性に関わる機能の解析

 APSES(Asm-1,Phd1,StuA,Efg1,Sok2)タンパク群は,DNA結合ドメインの1つであるbasic Helix-Loop-Helix(bHLH)構造をもつ転写因子であり、真核微生物の形態形成に関与していることが知られている。例えば、A.niduransのStuA(stanted)は分生子形成過程で通常見られるメトレとフィアライドの形成に、Neurospora crassaのAsm-1(ascospore maturation)は子嚢殻形成にそれぞれ関与している。また、Candida albicansのEfg1(enhanced fungal growth)はcAMP-dependent protein kinase(Tpk2)の制御下で偽菌糸形成に関与している。一方、イネいもち病菌は分生子形成過程ではメトレ、フィアライドを形成しないが、cAMP-dependent protein kinase(CpkA)が感染器官の形態形成に関与していることが知られている。このCpkAは付着器形成や植物細胞内での菌糸生長には関与しないものの、付着器内のグリセロールの蓄積および付着器からの侵入菌糸の形成に関与している。

 そこで、イネいもち病菌の感染器官の形態形成におけるStuAホモログの機能を解析することを目的として、まず、イネいもち病菌のゲノムデータベースからA.nidulansのSTUA遺伝子とのホモログ遺伝子MATUAを見いだし、この全長遺伝子クローンをイネいもち病菌のゲノムDNAライブラリーからPCRによって増幅・単離した。MSTUA遺伝子はゲノム中に1コピーだけ存在しており、その構造は、シグナルペプチドをコードしておらず、5'端側に上述のbHLHドメインをコードし、71および58ヌクレオチドの2つのイントロンを含む全長1986ヌクレオチドのORFから成っていた。A.nidulansのStuAとはアミノ酸レベルで50%の相同性が認められた。次いで、相同組み換えによりMSTUA欠損株を2株作出し、その形質を解析した。その結果、MSTUA欠損株では、野生株と比べて胞子や付着器の形態および胞子発芽率には差違が認められず、また、タマネギ表皮細胞での侵入菌糸形成能にも差違はなかったが、固形培地上での菌叢の状態が異なっていた。すなわち、菌糸伸長速度が遅延しており、気中菌糸が少なく、胞子形成数が著しく減少していた。さらに、plastic cover slip上での付着器形成の開始に若干の遅延が見られ、付着器形成後では発芽管のblanching率が上昇していた。病原性試験では、噴霧接種ならびにパンチ接種の両方においてMSTUA欠損株では病徴が殆ど見られず、イネに対する病原性が極端に低下していることが示された。また、MSTUA欠損株の交配試験では、雄性を示す子嚢殻は形成されたもののその形成数は著しく減少しており、形成速度も著しく遅延していた。一方、雌性を示す子嚢殻はまったく形成されず、雌性が完全に失われていることが認められた。以上の結果から、MstuAはイネいもち病菌における菌糸生長、胞子形成、交配性に関与するとともに、イネへの病原性にも深く関わっていることが示された。

 以上、本研究では、イネいもち病菌の病原性に関わる遺伝子を探索し、その構造と機能を明らかにすることを目的として、感染器官特異的に発現している遺伝子をDD法によって探索する方法と、他の菌類で器官形成に関与していることが知られている遺伝子のホモログをイネいもち病菌のゲノムDNAライブラリーから探索する方法とを用いて解析した。その結果、前者では該当する遺伝子は得られなかったが、後者によってイネいもち病菌の病原性に関わる重要な新規遺伝子MSTUAを同定・単離することに成功した。今後、このMSTUAについて、そのイネいもち病菌の情報伝達系における位置づけを解明することで、病原性発現のメカニズムに関するさらに広範な知見が得られるものと期待される。

審査要旨 要旨を表示する

 全世界人口の約半数もの人々にとって主要な作物であるイネに対し、最も甚大な被害を与える病原菌であるイネいもち病菌のイネへの感染行動は、分生胞子の発芽管から分化した付着器を経由して侵入するという典型的な様式をとる。そこで本研究では、イネいもち病菌における病原性の発現を付着器形成時および侵入菌糸形成時に定め、各段階で特異的に発現する遺伝子を、主としてDifferential display法により探索・分離し、各遺伝子全長の構造を解析した後、遺伝子破壊実験によってその機能を解析した。一方、最近、イネいもち病菌の全ゲノムシークエンスが公開され、その情報に基づいて特定の遺伝子を単離することが可能になったため、本研究ではAspergillus nidransの胞子形成に関与することが知られている転写因子遺伝子STUAのホモログ遺伝子をイネいもち病菌より単離して、その構造と病原性に果たす機能について解析した。得られた成果の概要は、以下の通りである。

1.Differential display(DD)法による病原性に関与する遺伝子の探索

 イネいもち病菌における病原性の発現を付着器形成以降侵入菌糸形成までの過程に定め、その段階で特異的に発現する遺伝子を、主としてRT-PCRをベースとしたDD法によって探索した。得られた3種類の特異的cDNA断片をクローニングして部分シークエンスを決定し、これらの配列を基に対応する各全長遺伝子を単離した後、それらの構造を解析した。得られた遺伝子は、機能不明な遺伝子9418511と6789およびMFS(Major Facilitator Superfamily)transporter様タンパク質遺伝子MFS1の3種であった。次いで、各遺伝子について遺伝子破壊によってその欠損株を作製し、各遺伝子の病原性に関わる機能について解析した。その結果、いずれの遺伝子欠損株でも感染器官形成能の低下は見られず、イネ(Oryza sativa L.japonica 品種:コシヒカリ)での病徴において野生株との差違が見られなかった。従って、各遺伝子は少なくとも病原性には関連しないことが判明した。一方、MFS1欠損株について、カンプトセシン、シクロヘキシミド、DMI剤など全14種類の薬剤に対する薬剤感受性試験を行ったが、野生株と全く同じEC50値を示し、MFS1は本菌の薬剤耐性にも関与していないことが明らかにされた。

2.新規転写因子遺伝子MSTUAの単離とその病原性に関わる機能の解析

 APSES(Asm-1,Phd1,StnA,Efg1,Sok2)タンパク群は,DNA結合ドメインの1つであるbasic Helix-Loop-Helix(bHLH)構造をもつ転写因子であり、真核微生物の形態形成に関与していることが知られている。例えば、A.niduransのStuA(stunted)は分生子形成過程で通常見られるメトレとフィアライドの形成に関与している。また、Candida albicansのEfg1(enhanced fungal growth)はcAMP-dependent protein kinase(Tpk2)の制御下で偽菌糸形成に関与している。一方、イネいもち病菌は分生子形成過程ではメトレ、フィアライドを形成しないが、cAMP-dependent protein kinase(CpkA)が感染器官の形態形成に関与していることが知られている。このCpkAは付着器形成や植物細胞内での菌糸生長には関与しないものの、付着器内のグリセロールの蓄積および付着器からの侵入菌糸の形成に関与している。

 そこで、イネいもち病菌の感染器官の形態形成におけるStuAホモログの機能を解析することを目的として、イネいもち病菌のゲノムデータベースからA.nidulansのSTUA遺伝子とのホモログ遺伝子MSTUAを見いだし、その前後の配列を基に遺伝子破壊ベクターを構築した。次いで、相同組み換えによりMSTUA欠損株を2株作出し、その形質を解析した。その結果、MSTUA欠損株では、野生株と比べて胞子や付着器の形態および胞子発芽率には差違が認められず、また、タマネギ表皮細胞での侵入菌糸形成能にも差違はなかったが、固形培地上で菌糸伸長速度が遅延しており、気中菌糸が少なく、胞子形成数が著しく減少していた。病原性試験では、噴霧接種ならびにパンチ接種の両方においてMTSUA欠損株では病徴が殆ど見られず、イネに対する病原性が極端に低下していることが示された。また、MSTUA欠損株の交配試験では、雄性を示す子嚢殻は形成されたもののその形成数は著しく減少しており、形成速度も著しく遅延していた。一方、雌性を示す子嚢殻はまったく形成されず、雌性が完全に失われていることが認められた。以上の結果から、MstuAはイネいもち病菌における菌糸生長、胞子形成、交配性に関与するとともに、イネへの病原性にも深く関わっていることが示された。

 以上、本研究では、イネいもち病菌の病原性に関わる重要な新規遺伝子MSTUAを同定・単離することに成功した。今後、このMSTUAについて、そのイネいもち病菌の情報伝達系における位置づけを解明することで、病原性発現のメカニズムに関するさらに広範な知見が得られるものと期待される。本研究の成果は学術上・応用上の価値もきわめて高く、イネいもち病菌のみならず他の植物病原糸状菌の感染器官形成の関連因子を探索する際においても今後非常に役立つ知見であり、高く評価される。よって審査委員一同は本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めるものである

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