学位論文要旨



No 119832
著者(漢字) 長井,宏憲
著者(英字)
著者(カナ) ナガイ,ヒロノリ
標題(和) 建築外壁材料の性能指向型選定手法に関する研究
標題(洋)
報告番号 119832
報告番号 甲19832
学位授与日 2005.03.15
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第5939号
研究科 工学系研究科
専攻 建築学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 野口,貴文
 東京大学 教授 野城,智也
 東京大学 助教授 平手,小太郎
 東京大学 助教授 松村,秀一
 東京大学 助教授 清家,剛
内容要旨 要旨を表示する

 現在,建築物の設計手法は性能による規定とその実現という新たな課題への対応の途上にあり,建築法規の体系は「性能規定化」を導入するための基盤を整備している.性能規定においては,消費者の要求を的確に拾い上げ,それを実現可能な技術に翻訳することで建築物の品質を保証する体系づくりが必要である.構築される空間に対して目標とすべき性能項目の基準が明確に示され,その予測と検証をおこなうことにより,技術的背景に裏付けられた「性能」という指針が与えられる.建築設計における性能規定化によって,建築物が満たすべき性能とその限界値が提示され,それさえ満足すれば,多様で自由な構法・材料の選定が認められるようになると期待されている.しかし,建築空間に関わる全ての性能について,品質を保証することができる基準・規格として十分に体系化され統合されたシステムの構築は現在なされていない.与えられた条件のもとで要求された機能を満たす最適な構法と材料を選定して,建築物全体や内部空間の性能を実現するためには,その構成材料の保証すべき性能が如何なるものか,組み合わされた材料が性能を発揮するメカニズムはどのようなものかを予測し把握する必要がある.

 本論文の目的は,性能規定型の設計体系において,使用者の要求を建築物の特性と性能限界値として定量化する手法を検討し,設計過程において合理的に建築物の構成材料を選定するための支援システムを構築することである.建築物の構成要素の階層化,建築材料の性能と特性の関係,要求事項の定量的記述などの課題を解決し,複数の材料選定のための基準を満たす最適解を導くための手法を開発することが目的である.したがって,本論文では性能規定化によって構築されるであろう材料選定のあり方を体系的に検証して,多基準最適化問題として記述しなおし,数理的最適化手法として遺伝的アルゴリズムを適用することで最適解の導出をおこなった.選定材料の対象範囲を,多種多様な材料の組み合わせ論として取り扱うことのできる外壁に限定し,その層構成を合理的に組み合わせるシステムを構築した.

 性能を規定する対象となる建築物の構成要素である「もの」の体系は,階層的に表現することができ,それらの組み合わせが建築物全体を構成することになる.各階層において要求される性能には,なんらかの評価基準が与えられるため,性能の種類に応じて階層間を行き来しながら要求を満たしている.その階層間の性能変換のプロセスが性能自体の一つの分類手法となり,性能にも階層的な要素が加えられ,建築物,空間または部位やその構成材料に様々な選定基準が設定されることになる.本論文中では,各種性能評価のための規格や研究成果を検討するとともに,性能規定をより広範に行うために視覚的な性能の指標化における基礎的な試みもおこなった.

 外壁材料の選定では,複数の異なる要求性能に対して,その要求のレベルを最もバランス良く満たす材料の組み合わせを選定することが目的である.このような組み合わせ計画の問題は,有限個の要素からなる実行可能領域のなかで複数の目的関数が最小または最大となる解を見つける問題に変換することができる.その目的関数値を計算し比較することで,最適解を導くことができ,個体群を用いて探索を進めるのことで,各目的に対して色々なバランスでより良い評価値を持つ各個体を,全て同時に残しながら最適化を進められる.しかし,このような多目的最適化問題においては,実行可能領域の指数関数的増加や,多基準によるトレードオフの問題が生じるため,問題の性質と構造に応じた効率的なアルゴリズムを適用する必要がある.広域的・発見的探索に優れている遺伝的アルゴリズムは,個体評価における多目的性を扱うことができるため,本研究における外壁材料の組み合わせ最適化問題において有効である.また,妥当な材料選定をおこなうためには,多基準の要求性能を,各材料の物性値の組み合わせとして予測する関数系が必要となる.本論文では,外壁に要求される基本的な性能のうち,定量的評価の指標が扱いやすく,各種材料の物性データが網羅的に入手できるかどうかを選定の判断基準として,14項目を要求項目として採用した.

 遺伝的アルゴリズムにおける遺伝子型を設計するため,外壁を8つの層の構成材料からなるモデルとし表現し,各材料の種類をあらわす識別子(ID)を遺伝子情報としている.この遺伝子は最終世代まで交差を繰り返し,進化したのち,表現形(Phenotype)である材料の組み合わせとしての壁体に変換される.遺伝子型によって表現された壁の発揮する性能を予測するためには,構成要素となる材料の性能または基本物性をデータベース化して情報を参照できるようにしておく必要がある.実際に流通している外壁を構成する材料について,建材メーカーに無作為に問い合わせることで,塗材・張材,湿式・乾式を問わず様々な種類の材料の資料を参照し,およそ300近くの外装材・下地材・機能材・内装材のデータを得てデータベースを構築した.

 外壁材料のモデル化において,各材料に与えられたID番号のみによる遺伝子の交叉としているため,その材料自体の優劣が遺伝子列に情報として含まれていないという離散的なデータ構造ゆえの問題がある.そのため,ランダムな解検索と比較しても,遺伝的アルゴリズムを適用する効果が現れにくくなる可能性がある.そのため本論文では,離散的なデータの組み合わせから,効率的に多基準の最適解集合へと収束させるために,材料に与えられたIDを,評価基準となる各性能予測関数に対して影響のある物性値の組み合わせの優劣であらかじめ並べ替え,その順位に従って新たにIDを与え直すことで,データベースにおける各材料のIDが,ある性能に対して連続した情報として評価することができるような手法を提案し適用した.交叉終了後に,性能に関係する要素によって順位付けし直したIDを,元のデータベース上で与えられていた材料IDに戻すことで,表現型として矛盾のない状態とする.以上のような,材料IDの性能影響要素による並べ替えを,すべての性能評価項目に対しておこなうことで,あたかも各性能について連続的にデータベースが並んでいるように遺伝子情報が並び替えられることになる.この手法によって,連続的なデータを得ることが困難な外壁材料の組み合わせ最適化問題においても,離散的なデータを連続的に評価することが可能となった.

 この最適化システムにより,要求性能に対して高い評価値をもった解集合を導出することができた.最適解集合内には,材料の組み合わせが実際には施工困難な解も含まれるが,要求された性能を満たす評価値が上位の解については,最終的な選定はシステムの使用者がおこなうことになる.しかし,構造体からの制約条件による性能の変化についてもシステムに関数系として組み込んでゆくことで,より妥当な解が得られると考えられ,材料の層の接合方法についても,その良否または影響因子等を考慮した値をあらかじめ設定しておけば,物理的に不可能な解を除くことができるだろう.進化の過程で制約するのか,材料の組み合わせを制約せずに最適解集団を生成し,最後に何らかの判断基準を適用して選別するのかは,今後の設計支援ツールとしてのシステムの利用法によって柔軟に対応できるようにするべきであると考えられる.また,壁の厚さについて要求との誤差が見られたが,これは今後のデータベースの充実によって改善することができると考えられる.

 要求性能に対して評価の高い解集合を得られたことから,性能評価を連続的におこなうIDによる順位交叉戦略を導入することで,離散的な材料データから各予測関数に対して材料の持つ優劣を遺伝子の進化に形質として引き継ぐことが可能であることが立証された.この最適化システムによる解の導出の効率について考察するために,他分野における多基準最適化で用いられるパレート戦略を採用したアルゴリズムと,全個体群から無作為に同等数の個体を選定して評価した場合の,二つの手法との比較をおこない検証した.遺伝的アルゴリズムによって最適化を図った探索手法では,全個体群からのランダム検索に比べて,平均評価値の平均が初期世代において大きく向上することが確認された.また,その平均評価値の平均は,ランダム検索では少なくとも100世代目まではほぼ変化しないため解集団全体としての評価は向上しないと考えられる.これに対して,パレート最適戦略とID順位戦略を採用した最適化手法では,平均評価値が初期世代の段階で大きく向上し収束した.同様の結果が,各世代における平均評価値の最大値の比較においても確認されたことから,多基準の組み合わせ最適化問題に対して,遺伝的アルゴリズムによる解探索の効率の良さが認められた.

 建築外壁を構成する材料を,複数の要求性能が与えられた中で合理的に選定するという本研究の目的は,遺伝的アルゴリズムを適用した「外壁材料の選定支援システム」において,最適解集合と考えられる解を効率的に導出したことで,その成果が確認された.今後は,要求性能の体系化を進めるとともに,導出解の妥当性をさらに向上させるために,予測関数の精度の向上,施工,構法による性能への影響を最適化システムに含めることが重要である.

審査要旨 要旨を表示する

 長井宏憲氏から提出された「建築外壁材料の性能指向型選定手法に関する研究」は、建築物の設計過程においてその構成材料の合理的な選定を支援することが可能なシステムの構築を目的としたものである。研究の対象範囲を、実際に多種多様な材料の組合せ問題として取り扱うことのできる「外壁」に限定しており、その層構成を合理的に決定できるシステムが提案されている。本論文は、「第1章 序論」「第2章 建築物の性能に関する既往の研究と現状」「第3章 性能規定化のための体系化」「第4章 建築外壁材料の性能」「第5章 外壁材料の多目的最適化手法の提案」「第6章 結論」の6章構成となっている。

 第1章では、本研究の背景が述べられており、多種多様な外壁の構成材料を対象に、複数の明確な要求性能下において、最適な材料・素材の組合せを選定するシステムの構築が必要であることが指摘されている。

 第2章では、建設業界の性能規定化に向けた現状の流れの中で、これまでの性能論に関する議論のレビューがなされ、現在どのような性能項目が設計段階で実際に考慮されているのかについて考察されている。また、建築分野における設計情報の伝達手法として品質管理システムに基づく手法が用いられている事例について、住宅メーカーの生産体制・設計管理における設計品質の導入などに関するヒアリング調査が行われており、性能論的なアプローチの現状が把握されている。さらに、性能規定と仕様規定の長所・短所について的確な分析がなされており、両者の長所を活かす形で性能規定化することが必要となる旨の指摘がなされている。すなわち、性能規定化された設計体系においては、遵守すべき強制基準となるものは要求性能のみとすべきであるが、性能規定化された技術基準に適合するかどうかの立証が困難な事業者等に対して便宜を図るためには例示的な基準が必要であり、技術基準の解釈を一例として公表することは、性能規定の枠内で複数の解釈を可能とするための方針を示すことになるため重要であるという指摘がなされている。

 第3章では、性能論に基づいて建築物を体系的に設計しようとする場合に考慮すべき事項について考察がなされており、要求性能を満たすために建築物の各要素が果たすべき役割を工学的に把握することが重要である旨が指摘されており、建築物に対する要求性能項目を部材性能または材料物性値に変換する方法について考察がなされている。また、各種材料・部材が組合さることによって初めて評価可能な性能のように、建築物の完成後の性能を事前に検証・立証することが困難な性能も存在することに対しての考察もなされており、本論文で提案されている材料選定システムによって性能実現方法の自由度が保証されるためには、各施工方法に応じた適切な性能評価標準試験法の確立が必須であることが指摘されている。

 第4章では、建築に対して要求される性能項目についての考察がなされるとともに、外壁を構成する材料の選定に関わる性能について、様々な規格・指針や既往の研究に関する調査がなされており、安全性・居住性・耐久性・空間の適合性・環境性に対する評価のあり方について考察がなされており、測定項目をいかにして社会的な共通概念に沿い、工学的に妥当な形で表現できるかが今後の課題であると指摘されている。また、居住性能の項目に関しては、視覚的な現象に起因する材料の特性を指標化するための基礎的研究として、外装材料の表層部分における表面形状の解析と光学的特性の把握が行われており、今後は、人間の感性と材料の結びつきが考慮された視覚的性能の評価指標を提案する必要があると考察されている。

 第5章では、複数の要求性能が与えられた条件下で、外壁を構成する多種多様な材料の組合せの中から最適解を探索できる手法の開発がなされている。使用材料の物性値の組合せから外壁の性能を予測できる関数が導き出され、材料の組合せ最適化手法としては遺伝的アルゴリズムが適用されており、多基準最適化問題に対して効率よく高い平均評価値を持った解集団が導出されている。また、離散的なデータを扱う場合においても、各評価順位に応じてデータの並び替えを行った上で世代交叉を実施するという戦略が考案されており、各評価軸に対して材料の持つ優劣を遺伝子の進化に反映可能であることが確認されている。

 第6章では、本論文の結論と今後の課題が要領よくまとめられている。

 以上のように、建築物外壁の構成材料を多目的の要求条件の下で選定できるシステムを構築するという本論文の目的は、遺伝的アルゴリズムを適用した「外壁材料の選定支援システム」によって達成されていると考えられる。

 よって、本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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