学位論文要旨



No 119835
著者(漢字) 中村,征樹
著者(英字)
著者(カナ) ナカムラ,マサキ
標題(和) 近代フランスにおける技術教育の展開 : 技師集団と職人層の技術知の創造と共有をめぐって
標題(洋)
報告番号 119835
報告番号 甲19835
学位授与日 2005.03.15
学位種別 課程博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 博工第5942号
研究科 工学系研究科
専攻 先端学際工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 橋本,毅彦
 東京大学 教授 後藤,晃
 東京大学 教授 馬場,靖憲
 東京大学 教授 廣瀬,通孝
 埼玉大学 助教授 小林,亜子
内容要旨 要旨を表示する

 科学的手法に大きく依拠し、製図法を駆使する近代的な技術知が誕生したのは、18世紀から19世紀前半のフランスでのことだった。それは、技師集団の担う技術的業務の高度化、工業化の進展に伴う製造工程における機械の登場、ギルドの廃止による旧来的な技能形成システムの機能不全などを背景として、技師集団をめぐって高等技術教育機関が整備され、また、職人層や職工長らを対象とした多様な技術教育実践が登場するなど、現場から距離を置いた教室での教育が技能習得の場として浮上してくるなかで、そのような新たな教育空間を舞台として登場したのだった。

 本論文の目的は、18世紀から19世紀前半のフランスにおける技師集団と職人層を対象とした技術教育の展開に焦点をあてながら、近代的な技術知の生成過程とその内実について明らかにすることにある。また、従来の研究では技師集団と職人層は別個の社会集団をなすものとしてこれまで基本的に別々に論じられてきたが、新たな技術知の生成過程において両者のかかわりは一面において本質的ともいえるほどに密接なものであった。したがって本稿では、近代的な技術知の生成過程における技師集団と職人層の関わりについてとりわけ注意を払いながら、その連関を明らかにする。最後に、以上の分析を通して、フランスにおける技術発展のありかたに固有な特質についても検討する。

 本論文は大きく二つの部分からなる。前半(第1章〜第3章)ではおもに、18世紀から19世紀初頭までの技師集団に着目し、彼らをめぐって技術教育制度が整備され、革命期のエコール・ポリテクニクの設立へと結実していく過程を扱う。後半(第4章〜第5章)ではおもに、革命期以降、職人層を対象とした多様な技術教育のありかたが提起され、実践されていく過程を扱う。ただしすでに述べたように、両者の区分は便宜的なものでしかなく、むしろ両者の密接な連関関係を明らかにするところに本論文の狙いがある。実際、後半で職人層を対象とした技術教育実践を取り上げる際にも、フランス革命以降に技師集団の中核をなすエコール・ポリテクニクの関係者やその卒業生たちの担ったイニシアティブに、とくに着目する。

 第1章では、技師の出現と科学との関わりについて概括し、また、「技師」という用語の歴史的含意について確認した。

 第2章では、各種の技師教育機関が1720年以降に設立されていく過程について検討した。そこでは、技師に要請される能力が明示化され標準化されていくなかで、技師に必要とされる実践的な技能のなかに理論的な知識の習得が組み込まれていく様子が明らかになった。その際、重要な役割を担ったのは、技師登用試験の審査官に任命され、あるいは技師教育を委ねられた科学アカデミーの会員たちだった。ただし、技師教育におけるアカデミシャンたちの役割は、技師集団とアカデミシャンたちとのあいだの微妙な権力関係に規定されており、それは、技術知における科学的手法が担う役割をも規定した。高度な数学的ツールを駆使しながら、職業的任務にとりくむという姿勢は、革命前の工兵学校では受け入れられなかったことが確認された。

 第3章では、フランス革命の到来によって政治的な状況が大きく変わるなかで、技師集団とアカデミシャンとの権力関係が変容し、それが、エコール・ポリテクニクの設立へと結実していく過程を明らかにした。ガスパール・モンジュのイニシアティブで制定されたエコール・ポリテクニクの教育プログラムでは、技師の技術的能力を根底から支えるものとして科学的知識が位置づけられ、解析学を駆使し、現代的な製図法の源流である画法幾何学を身に付けた技師の出現が促されることになった。

 しかし他方で、エコール・ポリテクニクという制度的な空間が一旦、成立し、かつてのような技師集団とのあいだの緊張関係が後退すると、実践の現場から乖離しているという批判をうけるほどに、解析学を全面的に駆使し、実践的な技術上の問題よりも、理論的な問題関心に導かれる技師の姿も生まれてくる。その過程は「モンジュの学校」から「ラプラスの学校」への変容と形容されるほどに、ある時期以降のエコール・ポリテクニクを特徴付けるようになったとともに、それに反発し、「モンジュの精神」を継承しようとする卒業生たちをも生み出していくことになった。

 第4章では、モンジュが構想した職人向け技術学校の計画について検討するとともに、それがエコール・ポリテクにおける技師教育と一体のものとして成立していた点について、技師と職人、労働者をつなぐ「共通言語」としての画法幾何学の位置づけに着目して検討した。また、やはり革命期に設立された工芸院を舞台として、職人層を対象とした技術教育が計画され、実施に移されていく過程について検討し、そこでの教育が、職業的実践に役立つ実践的技能を軸に据えて編成され、徒弟見習いに代替するような職業訓練というかたちで実施されたことを確認した。また他方で、19世紀前葉に訪れた技術書の出版ブームに着目し、その具体的な内実について検討した。その結果、技術書の出版ブームが、特定の職業やスタイルに特化された実践的な技術的知識をまとめた「手引き書」によって先導されたこと、そして、そのような「手引き書」が、徒弟見習いを基本とした伝統的な技能習得を前提としたうえで、職人層のあいだに広がる学習への意欲にも後押しされて、伝統的な技能習得を補完するような新しい技術的情報流通のメディアとして登場してきたことを確認した。

 第5章では、1820年代以降に工芸院で実施された産業科学の公開講座に着目し、その構想から実施、普及にいたる過程について検討するとともに、そこで教えられた「産業力学」の成立過程とその特徴について確認した。第4章でみたそれまでの職人向け技術学校や1820年代の技術書出版ブームを先導した「手引き書」が、特定の職業やテクニックに特化された実践的な技術的知識を対象としていたのに対して、産業科学の公開講座では、新しい学問分野としての「産業力学」の立ち上げと結びついたかたちで、機械の時代に対応できるような新しい技能の習得がはかられたことを確認した。

 以上の分析を踏まえて、本論文では以下の結論が導き出された。

 (1)科学的手法に依拠し、製図法を駆使する点において近代的な技術知は特徴付けられるが、両者の関係はかならずしも予定調和的なものではなく、エコール・ポリテクニクの教育カリキュラムをめぐる対立にもあらわれているようにそこには多様な可能性がある。それは、複数の技術知の拮抗というかたちで把握され、その類型を分類し把握することが理解の鍵となる。

 (2)フランスにおいて、上記のような新しいタイプの技術知の生成は、技師集団において先行的にあらわれ、それが革命期以降に職人層へと波及していくという形態をとった。ただしそれは一方通行的なものではなく、技師集団の作り出した技術知も、「産業力学」にみられるように職人層の必要性にこたえるかたちで再編される必要があり、それは翻って技師集団にも影響を及ぼすような双方向的な効果をもたらした。

 (3)技師集団と職人層のあいだで技術知の共有を可能にしたのは、画法幾何学が両者を媒介する「言語」としての役割を担ったことだったが、とりわけ職人層にその習得を促したのは、工業化の進展、とりわけ、精密さを要求する機械の導入だった。

 (4)フランスにおける技術発展において、国家が直接的にイニシアティブを担うのではなく、「ノブレス・オブリージュ」という理念にかられたエリート技術官僚たちの自発的な活動が非常に重要な役割を担った。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は、18世紀から19世紀にかけてのフランスにおける技術教育の歴史的変遷を、特にエリート技術者と職人層との関係に注意を払いながら論じたものである。この時期のフランスは、一方でエコール・ポリテクニクという先進的な高等技術学校を誕生させながら、産業革命においてはイギリスに大きく水をあけられるという事態を招いている。19世紀フランスの技術者の多くは、数学をつかいこなすエリート技術者と、製造現場を熟知する職人層との間でいかなる協力的な関係を新たに作り上げていくかということを一つの大きな課題にしていた。本論文は、このような時代背景を下敷きに、エリート技師層を輩出する技術教育の歴史的変遷と、職人たちへ向けた公開講義や技術書を歴史的に分析したものである。このような課題については、従来技術史や経済史の研究とともに教育史の研究の蓄積があるが、それらの研究ではエリート技術者に焦点が当たる傾向があり、エリート技術者と職人層との関係についてはあまり検討がされてこなかった経緯がある。本論文は、そのような研究上の欠落を埋めるものでもある。

 本論文は大きく二つの部分からなる。前半(第1章〜第3章)ではおもに、18世紀から19世紀初頭までの技師集団に着目し、彼らをめぐって技術教育制度が整備され、革命期のエコール・ポリテクニクの設立へと結実していく過程を扱う。後半(第4章〜第5章)ではおもに、革命期以降、職人層を対象とした多様な技術教育のありかたが提起され、実践されていく過程を扱う。ただしすでに述べたように、両者の区分は便宜的なものでしかなく、むしろ両者の密接な連関関係を明らかにするところに本論文の狙いがある。実際、後半で職人層を対象とした技術教育実践を取り上げる際にも、フランス革命以降に技師集団の中核をなすエコール・ポリテクニクの関係者やその卒業生たちの担ったイニシアティブにとくに着目した。

 第1章では、技師の出現と科学との関わりについて概括し、また、「技師」という用語の歴史的含意について確認した。第2章と第3章では、各種の技師教育機関が1720年以降に設立されていく過程について検討した。そこでは、技師に要請される能力が明示化され標準化されていくなかで、技師に必要とされる実践的な技能のなかに理論的な知識の習得が組み込まれていく様子が明らかにし、またフランス革命の到来によって政治的な状況が大きく変わるなかで、技師集団と科学アカデミーの科学者との権力関係が変容し、それが、エコール・ポリテクニクの設立へと結実していく過程を明らかにした。

 第4章では、モンジュが構想した職人向け技術学校の計画について検討するとともに、それがエコール・ポリテクニクにおける技師教育と一体のものとして成立していた点について、技師と職人、労働者をつなぐ「共通言語」としての画法幾何学の位置づけに着目して検討した。共通言語としての画法幾何学の存在は、技師が生み出す設計図を職人と労働者が正確に読み取り、設計図通りに標準的な製品を製造することの前提条件としてとらえられたのである。また、やはり革命期に設立された工芸院を舞台として、職人層を対象とした技術教育が計画され、実施に移されていく過程について検討した。また他方で、19世紀前葉に訪れた技術書の出版ブームに着目し、その具体的な内実について検討した。

 第5章では、1820年代以降に工芸院で実施された産業科学の公開講座に着目し、その構想から実施、普及にいたる過程について検討するとともに、そこで教えられた「産業力学」の成立過程とその特徴について確認した。さらに、19世紀フランスを特徴付けるクラフト的生産体制と産業力学、工業製図の展開との結びつきとその連関について検討した。

 以上の分析から明らかになったことは、19世紀フランスの技術発展が、多様な技術的シーズ、知的リソース、人的リソース、産業構造、市場、政治体制、技術者集団をとりまく社会秩序や階層構造など、さまざまな要因が絡みあうなかで形成されたことである。それら諸要因の具体的な分析を踏まえ、本論文では以下の結論が導き出された。19世紀フランスの技術発展において、国家の技術官僚養成機関としてのエコール・ポリテクニクがきわめて重要な役割を担った。エコール・ポリテクニクの卒業生や教員など同校の関係者たちは、制度的なレベルでも、また、非制度的なレベルでも、さまざまなかたちでフランスの技術発展、工業振興に力を注いでいった。その結果、技師集団のなかで育まれた画法幾何学や産業力学など多様な技術知が、工業化の時代に応えるものとして、さまざまなかたちで職人層に提示され、波及していった。その一方で、フランスにおける技術発展のあり方は、それ以前に発達していた高級品に依拠した市場と産業構造により大きく影響を受けることになり、これらの画法幾何学や産業力学も、当初指導的技師層によって目論まれたように互換性大量生産へと結実することはなかった。

 よって本論文は博士(学術)の学位請求論文として合格と認められる。

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