学位論文要旨



No 119838
著者(漢字) 飯田,真紀
著者(英字)
著者(カナ) イイダ,マキ
標題(和) 広東語の文末助詞
標題(洋)
報告番号 119838
報告番号 甲19838
学位授与日 2005.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(文学)
学位記番号 博人社第476号
研究科 人文社会系研究科
専攻 アジア文化研究専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 木村,英樹
 東京大学 助教授 大西,克也
 東京大学 助教授 西村,義樹
 東京大学 教授 クリスティーン,ラマール
 東京大学 教授 楊,凱栄
内容要旨 要旨を表示する

 近年、中国語の文法研究においては、広東語を含む中国語諸方言についての研究がますます重視されるようになってきており、研究方法や研究対象も多様化している。しかしながら、中国語諸方言に広く共通して見られる文法カテゴリーである文末助詞については、最も研究レベルの高い標準語(普通話)においてすら、見るべき成果が少なく、活発な議論が行われていない。他方、広東語は文末助詞が特に豊富であり、非常に重要な文法カテゴリーとして位置づけられる。そこで本稿は広東語の文末助詞の意味機能の体系的分析並びに文法体系全体への位置付けを目指し、以下のような構成で議論を行った。

 第1章では文末助詞の包括的分析を試みた先行研究の問題点の指摘を通じて、本稿での問題意識と目的を設定した。すなわち、一つ目の問題点として、文末助詞という文法カテゴリー固有の機能が何であるかが明らかになされていなかった。また、二つ目の問題点としてカテゴリーの体系性が十分に捉えられていなかった。すなわち、シンタグマティックな関係とパラディグマティックな関係によって構成される一つの体系をなしていることが十分に意識されていなかった。そこで本稿ではこれらの問題点を克服すべく、まず文末助詞というカテゴリー全体の固有の機能を明らかにし、そして文末助詞が体系を有するカテゴリーであるという認識のもと下位分類を行い各下位類を体系へ位置付けることを目標として設定した。

 第2章ではまず文末助詞固有の機能を考察した。文末助詞の類全体を通じて見られる特徴は、それが日常会話に専ら出現するということである。このような振る舞いから、文末助詞はそれが付く文(発話)が、発話者たる「私」と発話現場である「今、ここ」を離れては存在しない、非自律的なテクストであるという指標を付ける役割を第一義的に持つと考えた。次に数十個にも上ると言われる文末助詞の形式を、連用規則という統語的振る舞いを根拠に、同化や縮約といった音声的な現象に配慮しつつ、A類・B類・C類・D類の順で生起する4つの類に分類した。4つの下位類はそれぞれが違った意味機能を持っており、文末助詞が付く文(言表内容)の異なる側面に対する作用を司ることが予測される。そして実際に各類の意味機能は次の3章から6章までの各章において述べることになる。

 第3章で論じたA類の文末助詞"住、〓、先、添"はどれも動詞や形容詞など語彙的意味を持つ語から個別に機能拡張ないし文法化を起こしてきた形式で、文末助詞として専ら用いられるわけではなく、他のB・C・D類と比べると類としてのまとまりを欠く。A類にはまた文内部の節や句を構成する成分として生起する振る舞いを持つものがあり、必ずしも文全体と意味関係を持つわけではない。このように、A類は他の類の文末助詞とは振る舞いを異にし、文末助詞体系の中では周辺的な類である。

 A類には類内部での連用の仕方からさらに2類が区別される。統語的に前に位置する"住、〓"はいずれもコトの時間的あり方を示す点で共通する。前者は動詞としては「留まる、住む」という意味を持ち、アスペクト助詞として用いられる場合は「時間の推移とともに終結を迎えようとする動作を留めておく」という動作の形の表現(時間的あり方としては「持続」)を行う。したがって、これらの意味機能を引き継いだ文末助詞としての"住"は、コトを現在あるがままの姿で「留めておく」ように描くという、コトの非完結的な描き方を表す。"〓"は動詞としては「来る」という意味を持つが、文末助詞としての働きには2種類の用法が区別され、コトの時間的あり方を表すのは動詞句の後に出現する"〓"であり、これはコトを既然で完結的な姿で差し出す。統語的に"住"または"〓"よりも後の位置に生起する"先、添"はコトの関係的あり方を示す。「追加する」という動詞に由来する"添"はコトの追加を表す。つまり、当該のコトを既存の別のコトの上に加算的に積み上げることで、背後にある何らかの尺度上で指す目盛りを進ませる意味を持つ。一方、「先の、先に」という意味の形容詞・副詞として使われることもある"先"は、文末助詞として当該のコトが他の何らかのコトよりも時間的に前に位置することを表す。

 第4章ではB類の唯一の構成員であるg-を取り上げた。この形式はモノ化機能を持つ構造助詞"〓"[ge3]が命題目当てに機能拡張したもので、命題をモノ化する働きを持つと考えられる。すなわち、命題の個別性を捨象することにより、命題を一般的で普遍的な性質のものとして提示する機能を持つ。

 第5章ではC類の構成員であるl-とj-を取り上げた。この2つの形式は事態に対する話し手の見立てを表す。文(言表内容)で描かれる事態に対して、l-はそれを「新しい状況」と見立て、j-はそれを「何らかの尺度において相対的に度合いが小さいもの」だと見立てる。このような基本的用法の他に、l-には言表内容をめぐる主体(話し手)の認識状態が「新しい状況」であると見立てる認識変化表示の用法がある。また、j-にも相手の先行発話もしくは当該の自分の発話そのものが「相対的に価値の低いもの」であると位置付ける拡張用法がある。このようなl-とj-の各用法を通じて見られるのはそれぞれ<変化>(l-)や<序列>(j-)の存在を捉えようとする話し手の見立てだと考えられる。

 第6章ではD類に属す形式を取り上げた。D類に属す形式は非常に多く本稿で全て議論することはできないが、文類型への生起状況と音声・音韻的特徴を手がかりにしてさらに下位分類される。まず、平叙文・疑問文・命令文の3種類の文類型の全てに生起するなど振る舞いの点で似たa3とwo3とを比較しながら取り上げた。この二つはいずれも発話を発信し伝達する段階での話し手による発信の仕方を表し分ける。a3は聞き手に発話内容を聴取するよう要請し、wo3は発話内容の伝達により聞き手に認識変化を促すというように、この両者は伝達プロセスにおいて機能分担をしている。a3は発話を話し手の<声>という、情報的価値を持たない言語表現として聞き手に聞き取らせることだけを目指すのに対して、wo3は発話を<情報>として伝達し、聞き手の情報更新を目指すのである。

 次にa3やwo3とそれぞれ音韻的特徴を共有するa4とwo5を取り上げた。この2つは話し手が発話の発信伝達の営みに受け手の立場で関わることを表すもので、発話内容の受け取りプロセスの表し分けを行う。a4は発信者の<声>として聴取される内容が何であるかを示し、wo5は発話伝達プロセスを通じてどのような<情報>を得たかを表すと考えられる。

 次は発信者の立場から<情報>を聞き手に伝達する際に、聞き手の情報に依存するかのような述べ方を表すla1とa1ma3について考察した。la1が聞き手情報へ依存した発話方法を無条件に表示するのと異なり、a1ma1は当該情報の内容が自明なものであるという情報の性格への言及を含む。この類の形式は聞き手の情報保持状態に配慮しながら発話を行う点で前述のa3やwo3とは区別される。

 以上で扱った形式は発話伝達プロセスへの話し手の関与の仕方を表示するものであったが、D類の中のもう一つの大きな下位類として、次に命題の成立をめぐる話し手の認識的態度を表す一群の形式を考察した。gwa3は命題が一定の蓋然性を持って成立するものであるという推測的述べ方を表す。me1は話し手自身の予測とは反する命題についてその成否判断を聞き手に委ねる。一方、ge2は命題が話し手の予測と反して成立するものであることを述べ立てる。これらの形式は認識判断的ムードを表す。他方、命題を現実世界において実現させることをめぐる話し手の態度を表す行為実行的ムードの形式としてle4を位置づけた。

 最後の第7章は本稿の結論に相当し、2章から6章までで議論したA類からD類までを体系の中に位置付けることにより文末助詞という類全体の枠組みを提示した。A類の形式はいずれも文で述べられる事柄的内容の一部をなす。すなわち、文や述語が描くコトのあり方を表し分ける機能を持つ「コト目当て」の形式であり、それ自身、コトとともに文で述べられる事柄的意味の形成に参画するものである。それに対してB類からD類までの各類は、文の事柄的意味を作り上げる成分ではなく、文で述べられる内容(言表内容)に対する発話時の話し手からした様々な主観的態度−−<言表態度>−−を表すものである。その中でB類は文が表す命題を一般的性質のものに変える働きを持つ。一方、C類は主に文が描く事態に対する話し手の見立てを表すのであった。B類が命題の性質そのものを規定する点で客体的・素材的であるのに対して、C類は話し手による見立てという、より主観的・主体的な作用を持つと言えよう。そして、最後尾に位置するD類は話し手が言表内容をどのようなものとして発話の場に差し出そうとしているのか、実際に発話を行う段階における言表内容の表出方法を表し分ける機能を持つ。これと比べるとB類C類はいわば内容的側面に関与するものだと言えよう。したがって、本稿ではB類C類といった表出以前の内容目当ての作用を持つ文末助詞はそれだけで自足的に生起することはなく、何らかの有形(D類)・無形の表出方法を必ず伴うと考える。

 最後に文末助詞と副詞や応答詞・感動詞といったその他の文法的カテゴリーとの接点を模索し、また文末助詞とイントネーションなどの音声・音韻的手段との関わりについて今後の展望を交えながら議論した。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は、広東語の文法カテゴリーの一つである文末助詞を対象に、構文論および談話文法の観点から、意味機能の体系的記述と構文的位置づけを試みたものである。日本語の終助詞にも似て話し手のさまざまなモダリティーを担う文末助詞というカテゴリーは、中国語において汎方言的(pan-dialectal)に存在する文法カテゴリーであり、その内実は意味的にも形態的にも方言ごとに多様な様相を示す。なかでも、香港・広州を中心に中国東南地域で広く話される粤(エツ)方言、いわゆる広東語には、音韻的な変異も含めて数十種にものぼる文末助詞が存在し、方言文法の分野では比較的早くから注目を集めてきた。しかしながら、先行研究のほとんどは羅列的な記述や恣意的な分類に留まり、理論的な評価に堪え得るものがほとんどない。本論文は、先行研究が等閑視してきた、当該形式の意味機能と構文的機能の対応関係を重視するという文法研究の基本に立ち返り、加えて、日本語などの終助詞研究や談話文法に関する近年の成果を踏まえた筆者独自の新たな分析の視点を意欲的に導入し、実証的かつ理論的に広東語文末助詞の体系的な枠組みを明らかにすることに成功している。

 本論文は7章から成り、まず第1章では、主たる関連先行研究の成果が丹念に検証され、未解決の課題や問題点が的確に指摘された上で、それらを克服すべく、本論文の問題認識、理論的コンセプト、考察範囲および目標が提示される。当該の語類が、シンタグマティックな関係とパラディグマティックな関係を軸に、複数の下位類によって相関的・体系的に構成される文法カテゴリーであるという認識が従来の先行研究には欠けていたという筆者の指摘はとりわけ重要であり、この認識こそが本論文の成功を決定づけているとも言える。

 第2章では、本論文が取り上げる19種の常用文末助詞について、1)それらが生起する構文の類型的特徴、2)文末助詞間の統語的な承接(連接)関係、3)文末助詞間の音声的な類縁性などを根拠に、それらが大きく4つの類(A類からD類)にサブ・カテゴライズされる可能性が明らかにされ、文末助詞というカテゴリーのアウトラインが明確に示される。

 第3章から第6章までの四章ではそれぞれA、B、C、Dの四類に関する詳論が展開され、各類に属する具体的な形式の意味機能が、さまざまな構文的および談話論的振る舞いに裏づけられて、対立的かつ有機的に特徴づけられる。A類に属する"住"や"〓"は「コトの時間的なあり方」を示し、"先"や"添"は「コトとコトの関係的なあり方」を示す;B類に属する"〓"は、コトの個別性を捨象し「命題をモノ化する」;C類に属するl- は、「コトを新たな事態と見做す」話し手の<見立て>を示し、j- は「コトを相対的に価値の低い、取るに足りない事態と見做す」話し手の<見立て>を示す等々の特徴づけは、いずれも先行研究を凌駕して新しく、またモダリティー論としての一般性にも富んでいる。さらに、D類に属して対人的なムードを担う一連の形式の意味的対立が、<発言内容の出所が話し手自身であるか否か>、<発話内容が聞き手の知識に依存するものであるか否か>等々の談話的指標に動機づけられているとする指摘も啓発性に富み、かつ妥当性が高く、今後の関連研究の発展に有力な指針を与えるものとして評価される。

 最後に第7章では、上記四類に関して、類間の対立と相関の関係が論じられ、意味的にはA<B<C<Dの序列で、(コト目当てではなく)聞き手目当ての対人的なムードを担う性格が強くなり、また、それに対応して、構文的にも、対人性のより強い類が、文のより外側(右側)の位置に生起するという、意味と構造の相関関係が鮮やかに示される。

 広東語文末助詞のカテゴリーの体系を、構文的な裏づけを以って、初めて明らかにした本論文は、記述と理論の両面において従来の広東語文末助詞研究の水準を大きく上回るものである。広東語以外の方言の関連先行研究に対する目配りが必ずしも十分ではないこと、論述の筆致に洗練の度合いを欠く部分が若干認められることなど、いくつかの改善点を含みはするものの、それらは、中国語の方言文法研究に大きな前進の一歩をもたらした本論文の価値を些かも損なうものではない。よって、審査委員会は本論文が博士(文学)の学位に値するものとの結論に達した。

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