学位論文要旨



No 119839
著者(漢字) 市川,桃子
著者(英字)
著者(カナ) イチカワ,モモコ
標題(和) 中国古典詩における植物描写の研究 : 詩を生む心
標題(洋)
報告番号 119839
報告番号 甲19839
学位授与日 2005.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(文学)
学位記番号 博人社第477号
研究科 人文社会系研究科
専攻 アジア文化研究専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 戸倉,英美
 東京大学 教授 藤井,省三
 東京大学 教授 藤原,克己
 東洋文化研究所 教授 大木,康
 東京大学 名誉教授 田仲,一成
内容要旨 要旨を表示する

 本論は、中国古典詩における植物描写の分析を通じて、詩語と詩人の心との関係について述べるものである。植物詞を追っていくと、言葉そのものに運命があるように感じられることがある。これは、その時代の人々が持つ精神のありように由来するものであろう。このことは本論第一部の研究で特に強く感じたことである。言葉は人の精神の成長と共に豐かになり、また言葉によって人の精神は開発される。このことは、本論の第二部で特に強く感じたことである。人の精神は、言葉の中に強く生き続ける。このことは、本論の第三部で特に強く感じたことである。

 中国文学における植物詞を研究するに当たって、まず『詩經』から唐末までの、全ての花の咲く草と木を集めて時代を追って分析した。その時の研究は概貌を扱うものであったが、この千数百年間にわたる花木花草についての全体的なイメージをつかむことができた。

 その研究を終えたとき、個々の植物について研究してみたいと思った。定型的な詠法の中に消えていった植物もあった。ある時代だけに愛された植物もあった。特別な詩人に会って意味を与えられた植物もあった。花木花草のそれぞれが個性的であった。種々の植物について調べてみたが、本論で主に取り上げたハスの花は、複雑な言葉と性質を持ち、様々な面を見せて、とりわけ魅力的な植物であった。

 第一部「ハスの花を表す五種の詩語」では、ハスの花という言葉が「芙蓉」「蓮花」「荷花」「藕花」「〓〓」と、なぜ五つもあるのだろうか、という疑問から出発して、言葉にも運命というものがあるという感慨を覚え、さらに、言葉が人にとって持つ意味を探った。

 たとえば「蓮花」という言葉は漢代から詩の中に見られるようになった詩語で、漢代ではごく普通に使われ、こののち詩語として多用されるようになる可能性も予測させる言葉であった。しかし、南北朝の初期、仏典が中国語に翻訳されたとき、インド仏教の中で尊崇されていたハスの花は「蓮花」と翻訳され、重要な仏典が「妙法蓮華経」と訳された。唐代にはいると「蓮花」という言葉にはどうしようもなく仏教のイメージがつきまとう。ハスを女性にたとえたり、普通のハス池の風景を描写したりするときにはそのイメージが邪魔をするのである。仏教に出会ったことが、「蓮花」という言葉の意味を大きく変えた。

 またたとえば「荷花」という語はほとんど風景しか表さない。この語は『詩經』に一度現れて以来、長い間姿を消していた。その間に「芙蓉」や「蓮花」という語が使われるようになった。もしも「芙蓉」や「蓮花」という語がなかったら、そのうち「荷花の簪」とか「荷花池」などの言葉が生まれたのかもしれない。しかし、そうした用法ができる余地はすでになく、「荷花」はもっぱら風景描写を担う言葉となったのである。

 ハスの花を表す五つの詩語は、同じ作品に同じような意味で使われることもあるが、また時として、まるで異なる植物を表す言葉のように個性があるのであった。

 翻って考えてみれば、それはこの五つの言葉に独立して与えられた運命や個性ではなく、これらの言葉が通り抜けてきた時代に生きていた人々の精神の総体に由来するものである。その時代に仏教に心を寄せる人々がいた、あるいは遠くの恋人を思って悲しみに沈んでいる女性がいた。そうした一人一人の思いの総体が言葉に個性を与えるのである。

 第二部では、美意識と描写表現の変遷という主題を決めて時系列に植物詞を追った。第一章ではしだいに衰微の美に目覚めていく詩人の心を追う。美しいハスの花は呪術的な力を持つ瑞物として描かれていたが、貴族文化が成熟して行くにつれて、その枯れ衰えた姿に惹かれる衰荷の流れが生まれた。一方でハスの花は詩の中でしばしば美人の形容にも使われてきた。中唐張籍の「江清露白芙蓉死(江清く露白くして芙蓉死す)」の句は新しい美意識を生んだ。美しい娘が美しいままに死んでいく、六朝の終焉に起こった事件を素材にしたこの句は、当時の評判を呼び、多くの佳句を生んだ。それまでも芙蓉を美人にたとえ、その衰微する姿を詠ずる作品はあった。しかしこの言葉がそういう作品の中に拡散していた美意識を一つの焦点に凝縮させて、明らかな観念として提示したのである。「芙蓉死す」という詩語がなければ、人々はそのような観念に気づかないまま過ごしたことだろう。一人の詩人の言葉によって多くの人々が新たな美意識を獲得したのであった。

 第二章「桜桃と朝廷」では、特に盛唐から中唐への移行期に焦点を当て、桜桃詞による描写表現を考察することによって、詩人と朝廷との関わりがこの時代における文学の転換の一つの要因となったことを述べた。桜桃の題詠詩を時代順に並べてみると、盛唐では朝廷が時代の精神の支柱であり、作品には朝廷への尊崇の念が強く現れている様子が見られる。ところが、おそらくは安史の乱の敗北が契機となったのであろうが、中唐の元和年間以降には、作品からその様な気持ちが稀薄になってしまうのである。朝廷の求心力は失われ、それまでに詩を作る際に意識的無意識的に守られていた伝統的な決まりや定型的な詠法からも放たれて、詩人の精神は自由になったようにも、方向を失ったようにも見られる。確実に言えることは、この時期に描写表現が現実に目を向けた細かなものになり、新しい詩語が大量に生まれたことである。このことは桜桃についてだけではなく、ハスについても言える。盛唐まではハスの花と言えば紅い花がほとんどであったが、中唐以降は白いハスの花を好んで描く詩人が現れる。「藕花」という言葉が詩語になったのもこの時期である。さらに、本論を一九九二年に口頭発表して以来、多くの研究者が多くの言葉について同様の方法を用いて研究を行い、同じ方向の結論を導いたことで、盛唐から中唐にかけての描写表現の変化がより確かに証明された。

 第三部は、楽府題「採蓮曲」が各時代に書き継がれていることから、その誕生、発展、飛躍の様子を追った。

 第一章はその誕生の様子を考察した。「採蓮曲」を初めて書いたのは六朝梁の武帝であったが、その誕生までには、素材となる多くの作品があり、かつ武帝に影響を与えた作品群があった。武帝の「採蓮曲」は長い歴史の上に書かれたものである。

 第二章は、盛唐李白による「採蓮曲」の三様の解釈を巡って、六朝梁から盛唐の間に書き継がれた「採蓮曲」を考察した。それによって李白「採蓮曲」の解釈を定め、さらにそれが作者自身の憧憬と絶望を表現していることを指摘した。

 第三章は、十九世紀に李白「採蓮曲」がフランスのエルベ・サン・ドニによってはじめて欧州に紹介されてから、ドイツのグスタフ・マーラーによって交響曲「大地の歌」に組み入れられるまでを考察し、マーラーが李白詩に正しく共鳴していることを述べた。

 これら三章を振り返ってみると、「採蓮曲」という楽府題には、夏の陽光、澄んだ水、若くたおやかな少女たちという、この世の理想とされる美の世界が描かれているのであった。その理想的な美の世界の表現の仕方は時代によって変わるが、命の喜びにあふれた情景はいつの時代にも変わることはなかった。マーラーは李白詩を「大地の歌」に組み入れたときに、題名を「美について」と変える。彼がそこに美の世界の現出を見たからである。

 本論で行った全ての研究を通して、現在を生きている人々に次のようなメッセージを送りたいと思う。人の日々の営み、ハスを採り、笑いあい、恋をする、というように毎日を生きていくことは、その人の死によってこの世から全て消え去ってしまうのではない。「採蓮曲」という楽府題の中には、きらめく夏の陽光、豊かな収穫、若い乙女たち、氏族の繁栄を予感させる恋心などが内包されており、それに感動した人々が書き継いでいくことによって、それらは後世に伝えられていった。その感動は文化を超えて現代のヨーロッパにまで伝えられていった。こうしたことは「採蓮曲」という楽府題に特別に起こった希有な例のように見える。しかし、決してそうではないのである。私たちが日常的に使っている言葉の中には、私たち自身の、そして過去にいた無数の人々の、様々な情景がすり込まれている。私たちが何気なく言葉を口にするとき、意識することはないけれど、私たちはその言葉に内包されている過去の人々の行いや精神としばしば触れ合っているのである。

 第一部で詩語の研究を行ったとき、詩語に個性や運命があるように見えたとしたら、それはその時代の人々が持つ精神の総体に由来するものである。第二部で詩語の軌跡を追ったとき、そこには、その時代における人々の意識の変革が見られたが、言葉はそうした意識の変革を自らの身に引き受けて変化していくのである。第三部では楽府題が美しい世界を内に包みながら時代と文化を超えて継承されていく様子を見た。今回の研究は一つ一つの植物詞による詩の描写を追っていったものであるが、ここで見ることができた現象は全ての詩語、全ての言葉に広げることができる可能性を持っていると思う。

 人々の精神は、人々の意図を超えて、言葉の中に包み込まれ、後世に伝えられていくのである。

審査要旨 要旨を表示する

 本論は、植物描写の分析を通し、中国古典詩を研究するための新たな視点を探求したものである。第一部は、先秦から唐代までの詩において、ハスの花を表現するために、「芙蓉」「蓮花」「荷花」「〓〓」「藕花」という五つの語が使われていることに着目し、それぞれの用法の違いを考察した。その方法は、データ・ベースを駆使してそれぞれの用例を洗い出し、その用法を比喩・実景・宗教関係などに分類した後、時代別の用法の特徴・歴史的変化・詩人別の特徴を考察するというものである。資料の検索が容易になった今日、このような研究で重要なのは、まず何よりも膨大な用例を正確に読解することである。市川氏はこの困難な作業をなし遂げ、多くの興味深い事実を見出した。一例を挙げれば、「蓮花」は漢代においてハスの花全般を指すものだったが、仏典の翻訳に使用されため、唐代には仏教と結びついた語となったこと、「荷花」は『詩経』から用いられていたが、漢魏六朝には、「芙蓉」「蓮花」が一般的となり、六朝後期に再び現れたときは、一面にハスの咲く池のように、風景描写に用いられるものとなったことなどである。このように類似した五つの詩語を網羅的・包括的に比較分析した研究はこれまでに例がなく、多くの有意義な事実を発見した点で、その価値は極めて大きい。

 第二部第一章はハスを描いた詩を材料に、美意識の変遷を考察した。ハスは美女の喩えに用いられるように、美しく目出度い植物であったが、六朝後期より衰残のハスを描くことが始まり、中晩唐に「荷衰え芙蓉死す」という語に代表される新たな美意識が成立したことを、多くの作品を分析して論証した。第二章は桜桃を描いた唐代の詩を比較し、中唐に大きな変化が起こったことを指摘した。この二つの研究は、主題を同じくする詩を通時的に概観し、変化の意味を考察するという手法において、また中唐が中国文学史上重要な時代であることを指摘した点で、大きな意義を持つものである。

 第三部は、ハスの実を採る歌「採蓮曲」に関する多面的な研究である。第一章は「採蓮曲」の成立について、その詩形・用語・主題を先行する歌曲と詳細に比較し、従来の説を覆す新たな見解を提出した。第二章では、従来解釈が分かれていた李白「採蓮曲」の末尾について、新たな解釈を示した。第三章は、李白の「採蓮曲」が、一九世紀、フランス・ドイツの詩人たちによって翻訳され、グスタフ・マーラーの「大地の歌」に取り入れられるまでを、多くの資料を示して論述した。そして「採蓮曲」を詠った李白の精神は、時間と文化の違いを超えてマーラーの作品にも継承されていることを論じた。

 以上のように本論では、中国古典詩の研究に対し様々な手法が試みられ、いずれも大きな成果をあげている。第一部において、詩人別の特徴に対しては比較分析が不十分であることなど、今後の課題も残されてはいるが、中国古典文学の研究を大きく前進させる成果であることは間違いない。よって本審査委員会は本論文が博士(文学)の学位に値するものと判断する。

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