学位論文要旨



No 119841
著者(漢字) 西浦,昌哉
著者(英字)
著者(カナ) ニシウラ,マサヤ
標題(和) ダイニンモーター領域の運動活性
標題(洋)
報告番号 119841
報告番号 甲19841
学位授与日 2005.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 博総合第545号
研究科 総合文化研究科
専攻 広域科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 須藤,和夫
  助教授 奥野,誠
  助教授 豊島,陽子
  助教授 上村,慎治
  助教授 栗栖,源嗣
内容要旨 要旨を表示する

 真核細胞の細胞骨格上には,多岐にわたって非常に重要な役割を果たすモータータンパク質群が存在する.モータータンパク質はATPの加水分解により生じるエネルギーを利用して細胞骨格上を滑り運動するタンパク質である.

 ダイニンスーパーファミリーはモータータンパク質群の一角を成すグループで,鞭毛および繊毛に存在する軸糸ダイニンと細胞質内に存在する細胞質ダイニンの,二つのグループに分けられる.細胞質ダイニンは細胞質内の微小管上をマイナス端に向かって滑り運動するモータータンパク質で,細胞内小胞輸送,細胞分裂時における染色体の分離など,多様な役割を担っている.細胞質ダイニンは重鎖,中間鎖,軽中間鎖および軽鎖の4種のサブユニットから成る巨大な複合体タンパク質である.この内ダイニンの運動機能を司っているのは重鎖である.重鎖は分子量が500kDa以上の巨大なサブユニットで,微小管と相互作用し,ATPを加水分解して力を発生する.また重鎖はホモ二量体を形成する.一次配列から,重鎖はN末端側の尾部領域およびC末端側の頭部領域に大きく分けられる.この内モーター機能を有するのは頭部領域である.ダイニンの重鎖の頭部には,6つのAAA+(ATPases associated with diverse cellular activities)モジュール(N末端側より順にAAA1〜AAA6とする)が存在する.AAA6の下流にはC末端ドメインがあり,これを合わせた7つの球状なドメインによって,リング型の構造が形成されている.AAA1〜AAA4には,ヌクレオチドを結合(もしくは加水分解)する部位があり,その一部を構成する,「Pループ」と呼ばれるコンセンサス配列が存在している.この内AAA1におけるATP加水分解が,滑り運動の力発生に必須となっている.またAAA4とAAA5の間には,逆平行コイルドコイル構造によって細長く突き出た「ストーク」と呼ばれる部分があり,その先端の小さな球状構造が微小管結合部位である.一方尾部領域は「ステム」と呼ばれ,柔軟性の高い構造だと考えられている.近年の軸糸ダイニンを用いた電子顕微鏡解析から,ヌクレオチド結合状態の違いにより,ステムが大きく構造変化することが明らかとなった.この結果から,ダイニン重鎖はATPの加水分解によって起こるステムの構造変化(力の発生)とストーク先端における微小管結合・解離を組み合わせて微小管上を滑り運動する,というモデルが考えられる.しかし,ステムの構造変化について詳細な解析を行った例はない.またAAA1モジュール内のATP加水分解部位とストークの先端は25nm以上離れており,ATP加水分解と微小管結合・解離がどのように連鎖しているのかは,解明すべき大きな課題である.このように,ダイニンは非常にユニークな構造的特徴を持っているが,その運動メカニズムを構造・機能の両面から詳細に解析するためには,組み換え型のダイニン重鎖を大量に発現・精製する実験系が必須である.しかし本研究以前,ダイニンの有力な大量発現系はなく,本格的な生化学的解析が困難であった.よって本研究は,今後期待されるダイニンの詳細な生化学的研究の先駆けとして,運動活性を持つ組み換え型のダイニンを発現・精製できる実験系を得ること,そして得られた組み換え型ダイニンを用いた生化学的解析の二点を目的とした.

1)ダイニンモーター領域の大量発現と運動活性の解析

 組み換え型ダイニンの大量発現系としては,細胞性粘菌を用いた,細胞質ダイニン重鎖におけるC末端側約3分の2,分子量が380kDaとなる断片の大量発現が報告されている.以降この断片を380-kDa断片とする.380-kDa断片はステムの一部,6個のAAAモジュール,ストークおよびC末端ドメインを含んでいる.またこの断片は単量体であり,ATP依存的な微小管結合および解離を行なうことが明らかとなっていたが,ATPase活性や微小管滑り運動活性については,確認されていなかった.

 そこで細胞性粘菌を発現系として,細胞質ダイニン380-kDa断片の大量発現および精製を試みた.380-kDa領域のDNA配列を細胞性粘菌Ax2株のゲノムDNAよりクローニングし,発現用の遺伝子コンストラクトを作製した.N末端にはHis6タグおよびGFPを融合した.得られた発現用プラスミドを細胞性粘菌に導入して形質転換し大量発現を試みた.発現にはテトラサイクリン-off型のプロモーターを用い,テトラサイクリン存在下で目的タンパク質の発現を抑制しつつ増殖させた後,発現を誘導して一過的に380-kDaを大量発現させた.次に発現した380-kDaの精製に取り組み,Ni-NTAカラムおよび精製微小管との共沈降によって,非常に純度の高い380-kDaを得た.次に,得られた380-kDaの運動活性を検討した.GFP抗体によってこの組み換え型ダイニンをガラス表面に特異的に固定し,微小管を結合させた後ATPを投入して運動を開始させ,微小管の滑り運動を測定する実験系を開発した.この測定系を用いて380-kDaの微小管滑り運動を測定したところ,380-kDaは1 mM ATP存在下で微小管を連続的に滑らせ,運動活性が確認された.さらにこの断片のATPase活性を測定したところ,微小管非存在下においては野生型ダイニンに比べて高いATPase活性が確認された.また微小管により非常に大きく活性化された.

 以上の結果から,ダイニン頭部領域の組み換え型タンパク質を細胞性粘菌において大量発現・精製することに成功した.またこの組み換え型ダイニン重鎖が運動活性を持ち,ダイニンの力発生に必要な構造のすべてが,380-kDaの領域に含まれていることが明らかとなった.

2)ダイニンにおける最小のモーター領域

 ダイニンの運動活性に必須な最小限の構造の決定を目的として,380-kDaのN末端およびC末端を欠失させた変異体を作製し,その運動活性を確認した.

 380-kDa断片のN末端側にはステムの一部が含まれているが,もっとも上流の領域は生物種間の相同性が比較的低い.そこで,380-kDaのN末端約75アミノ酸を欠失させた変異体(これを380ΔNとする)を作製し運動活性を確認した.この欠失変異体は微小管滑り運動をせず,運動活性を喪失していた.またATPase活性は,微小管非存在下において380-kDaの10分の1以下に低下し,微小管による活性化は数倍にとどまった.次に,微小管との相互作用を確認するため,AAA1におけるATP結合を阻害した二重変異体(380Δ-N/P1)を作製した.ダイニンはATP非結合状態では微小管と非常に強く結合するので,野生型380-kDaに同様な変異を導入すると,ATP存在下でも微小管に対して非常に強く結合するようになる.380ΔN/P1変異体は380-kDaの場合と同様に微小管に強く結合し,微小管と相互作用することを確認した.以上の結果から,ダイニンのモーター活性において,380-kDaのN末端部分は重要な役割を果たしていることが明らかとなった.以前のダイニンにおける電子顕微鏡解析から,この領域はステムが頭部のリング型構造に巻きつくようにして接触している部分であると推測される.ここが頭部のリング構造と直接相互作用し,頭部の何らかの状態変化に対してスイッチのような役割を果たし,ダイニンのATP加水分解および微小管結合・解離に関わっている可能性が考えられる.今後は,電子顕微鏡解析によって380-kDaのN末端とリング型構造の位置関係を解析すること,あるいは380-kDa断片を用いて部位特異的変異を導入した変異体を作製し,この領域の役割を詳細に解析していく必要がある.

 ダイニン重鎖のC末端ドメインは,頭部のリング型構造の一部を形成している.ほとんどの真核細胞のダイニンが同じ長さのC末端ドメインを持っているのに対し,酵母やアカパンカビなどごく一部の真核細胞の細胞質ダイニンでは,C末端ドメインが3分の1程度の長さしかない.この事に着目し,酵母のC末端に相当する部位より下流の領域を欠失させた変異体(380ΔC)を作製し,その運動活性を確かめた.この欠失変異体は,380-kDaに比べて約半分の速度で微小管滑り運動をした.ATPase活性は,微小管非存在下での活性が野生型380-kDaと同様に大きく,また微小管によって大きく活性化した.次に380ΔNの場合と同様にAAA1のATP結合を阻害した二重変異体(380ΔC/P1)を作製し,微小管との相互作用を確認した.その結果,380ΔC/P1はATP存在下では微小管に強く結合しなかった.このことから380ΔCは,ATP非結合状態における微小管との相互作用が弱くなっていることが明らかとなった.以上の結果から,C末端ドメインを欠失してもモータードメインの運動そのものは維持された.しかしATP加水分解サイクル中の微小管との結合状態が弱くなり,C末端ドメインが微小管との結合を強くする役割を果たしている,という可能性が示唆された.今後は力学測定などにより,ダイニン重鎖の力発生に対するこの領域の役割を詳細に解析していく必要がある.

 以上の欠失変異体による研究から,ダイニンにおいて正常に機能する最小のモーター領域は,380-kDaの領域であると結論付けられた.

審査要旨 要旨を表示する

 微小管上を運動するダイニンは,鞭毛および繊毛に存在する軸糸ダイニンと細胞質内に存在する細胞質ダイニンの,二つのグループに分けられる.細胞質ダイニンは細胞質内の微小管上をマイナス端に向かって滑り運動するモータータンパク質で,細胞内小胞輸送,細胞分裂時における染色体の分離など,多様な役割を担っている.細胞質ダイニンは,ミオシン,キネシンといったモータータンパク質群とは大きく異なる構造を持っている.細胞質ダイニンは重鎖,中間鎖,軽中間鎖および軽鎖の4種のサブユニットにより成る巨大な複合体タンパク質で,各サブユニットをあわせた分子量は1,200 kDaに達する.これらの内ダイニンの運動機能を司っているのは重鎖である.重鎖は分子量が約500 kDaの巨大なサブユニットで,微小管と相互作用し,ATPを加水分解して力を発生する.また重鎖はホモ二量体を形成する.一次配列から,重鎖はN末端側の尾部領域およびC末端側の頭部領域に大きく分けられる.その内モーター機能を有するのは頭部領域である.ダイニンの重鎖の頭部には,6つのAAA+(ATPases associated with diverse cellular activities)モジュール(N末端側より順にAAA1〜AAA6とする)が存在する.またAAA6の下流にはC末端ドメインがあり,これを合わせた7つの球状ドメインによって,リング型の構造が形成されている.このように,ダイニンはミオシンおよびキネシンとは大きく異なる構造的特徴を持っており,その運動メカニズムを解明することは,分子モーターの研究における非常に大きな課題である。しかしこのためには、運動活性を持つ組み換え型のダイニンを発現・精製できる実験系を立ち上げることが必要である.

 細胞性粘菌では,細胞質ダイニンのC末端側約3分の2,分子量が380 kDaとなる断片の大量発現が既に報告されている.以降この断片を380-kDa断片とする.一次配列によると,380-kDa断片にはステムの一部,6個のAAAモジュール,ストークおよびC末端ドメインが含まれている.電子顕微鏡による解析から,この断片は単量体であり,バレル型の頭部およびストークの構造が確認されている.またこの断片は,ATP依存的な微小管結合・解離を行なうこと,ADPバナジン酸を結合した状態で紫外線照射により二つの断片に切断されることから,ATPase活性および滑り運動活性を保持していることが期待された.そこで,本論文提出者は細胞性粘菌を発現系として,細胞質ダイニン380-kDa断片の発現および精製を試みた.380-kDa領域のDNA配列を細胞性粘菌Ax2株よりクローニングし,発現用遺伝子コンストラクトを作製した.目的タンパク質のN末端にはHis6タグおよびGFPを融合した.得られた発現用プラスミドを細胞性粘菌に導入して形質転換し大量発現を試みた.発現にはテトラサイクリン-off型のプロモーターを用い,テトラサイクリン存在下で目的タンパク質の発現を抑制しつつ増殖させた後,発現を誘導して一過的に380-kDaを発現させた.この方法によって380-kDaの大量発現に成功した.次に,発現した380-kDaの精製に取り組み,Ni-NTAカラムおよび精製微小管との共沈降によって,非常に純度の高い380-kDaを得た.次に精製したダイニンの運動活性を検討した.GFP抗体によってこの組み換えダイニンをガラス表面に固定し,微小管を結合させてATPを投入して運動を開始させ,微小管滑り運動を測定する実験系を開発した.この系で380-kDaの微小管滑り運動を測定したところ,380-kDaはATPによって直ちに微小管を連続的に滑らせ,このモーター領域断片タンパク質の運動活性を確認した.またATPase測定を測定したところ,微小管非存在下において380-kDaは高いATP加水分解活性をもち,微小管により非常に大きく活性化されることが明らかとなった.

 こうして本論文提出者は、ダイニン頭部領域の組み換え型タンパク質は細胞性粘菌において大量発現すること,またこの組み換え型ダイニン重鎖が運動活性を持ち,ダイニンの力発生に必要な構造のすべてが380-kDaの領域に含まれていることを明らかにした.

 次に,本論文提出者はダイニンの運動活性に必須な最小限の構造の決定を目標として研究を進めた.380-kDaのN末端およびC末端を欠失させた欠失変異体タンパク質を発現し,その運動活性を確認した.380-kDaのN末端側については,生物種間で相同性が低い約90アミノ酸(8 kDa)を欠失させた断片を作製し運動活性を確認した.この欠失変異体は微小管滑り運動をまったく行わず,運動活性を喪失していた.またATPase活性は微小管非存在下で380-kDaの10分の1以下に低下し,微小管による活性化は数倍にとどまった.以上の結果から,ダイニン頭部のモーター活性において,380-kDaのN末端部分は非常に重要な役割を果たしていることが明らかとなった.C末端側については,酵母やアカパンカビなどごく一部の真核細胞の細胞質ダイニンが,C末端ドメインを他の3分の1程度の長さしか持っていない事に着目し,酵母のC末端に相当する部位までを残した欠失変異体を作製し,運動活性を確かめた.この欠失変異体は,380-kDaに比べて約半分の速度で微小管滑り運動をした.またATPase活性が野生型380-kDaと同様に大きく,微小管によって大きく活性化した.しかし微小管との結合の状態に大きな変化が見られ,野生型にくらべてATP非結合状態(野生型では微小管に強く結合する)における微小管との相互作用が弱くなっていることが明らかとなった.以上の結果から,C末端ドメインを欠失させてもモータードメインの運動そのものは維持された.しかしATPaseサイクル中の微小管との結合状態に対して,C末端ドメインが微小管との結合を強くする役割を果たしている,という可能性が示唆された.

 以上の欠失変異体に対する研究から,本論文提出者は、ダイニンにおいて正常に機能する最小のモーター領域は,380-kDaの領域であると結論付けた.

 このように本博士論文提出者の論文内容はモーター分子研究に組換えダイニンという新たな魅力的な材料を提供するものである。したがって、本審査委員会は博士(学術)の学位を授与するにふさわしいものと認定する。

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