学位論文要旨



No 119846
著者(漢字) 榎木,泰介
著者(英字)
著者(カナ) エノキ,タイスケ
標題(和) 生体内代謝環境に対するモノカルボン酸輸送担体の適応変化
標題(洋)
報告番号 119846
報告番号 甲19846
学位授与日 2005.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 博総合第550号
研究科 総合文化研究科
専攻 広域科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 八田,秀雄
 東京大学 教授 石井,直方
 東京大学 助教授 山田,茂
 東京大学 教授 跡見,順子
 東京大学 助教授 渡會,公治
内容要旨 要旨を表示する

序論

 これまで乳酸は細胞膜を濃度勾配に従って自由拡散すると考えられてきた。しかし乳酸の自由拡散を支持しない研究では、乳酸濃度を急激に高めると細胞膜を透過する乳酸量が飽和すること、pHに依存して乳酸の膜透過量が変化することを報告しており、乳酸の細胞膜移動には特異的な輸送タンパク質が存在する可能性を示唆していた。そして1994年、Garciaらは細胞膜の乳酸輸送に関係するタンパク質のクローニングに成功した。彼らはこの輸送担体がピルビン酸だけではなく主として乳酸を輸送することから、それらの総称であるモノカルボン酸を冠して、モノカルボン酸輸送担体(Monocarboxylate Transporter : MCT)と名付けた。この発見によって乳酸がMCTを介して選択的に細胞内外へ移動することが明確となった。特に乳酸代謝の活発な骨格筋では、産生された乳酸は細胞外へ放出されるだけではなく、細胞内へ取り込まれてエネルギー基質として代謝されることが示唆されている。本研究では、生体に様々な環境変化を与えた場合に、乳酸輸送に関与するMCTがどのような適応変化を示すのかを検討した。このMCTの適応変化から生体における乳酸代謝の調節様式を解明し、糖及び乳酸を中心としたエネルギー代謝を理解することを目的とした。

第1章 STZ投与糖尿病ラットにおけるMCTの適応変化

 第1章では、Streptozotocin(STZ)投与によって1型糖尿病発症ラットを作成し、糖代謝が低下した環境下におけるMCTの適応変化を検討した。4週齢のラットを無作為にControl群、Run群(20 m/min、30分、毎日、トレーニング)、STZ群(糖尿病発症)とSTZ+Run群(糖尿病発症+トレーニング : トレーニング方法はRun群と同じ)に分けた。糖尿病群にはSTZ(50 mg/kg体重)を投与し、投与2日後に安静時の血中グルコース濃度を測定した。この値が20 mmol/lを超えたラットを糖尿病発症群と判断した。4週間の飼育後、各群における後肢骨格筋のMCTの適応変化を検討した。また筋細胞膜(Plasma Membrane)に含まれるMCT(Plasmalemmal MCT)の変化も検討した。糖尿病を発症したラットでは、骨格筋のMCT1とMCT4が共に減少することが確認された。しかしトレーニングによって糖代謝を活性化させたSTZ+Run群では、STZ群と比較してMCTの増加が確認された。また筋細胞膜単離法(Giant Sarcolemmal Vesicle)を用いた研究では、糖尿病ラットにおける筋細胞膜MCTの減少が確認された。これらの結果は筋細胞全体のMCTと同じであった。STZ投与による糖尿病では、インスリンを介するグルコース取り込みが阻害されるので、筋細胞内の糖代謝が低下している。乳酸は糖代謝過程において産生される代謝産物なので、糖代謝が低下すれば乳酸代謝も低下すると考えられる。これらMCTの減少や運動による増加から、MCTの適応変化が解糖系を中心とした糖代謝の活性や、その過程から産生される乳酸量および乳酸代謝と密接な関係があることが示唆された。

第2章 内分泌ホルモン投与によるMCTの適応変化

1節 テストステロン投与におけるMCTと乳酸代謝の適応変化

 第2章では代謝環境を直接操作するのではなく、ホルモン投与によって内分泌的要因から生体内環境を変化させた。7週齢のラットにテストステロン(10 mg/体重100 g)を7日間連続投与することで糖代謝の変化や筋肥大を誘発させた。この環境下で、代謝特性や筋組成の異なる7種類の後肢骨格筋と心筋におけるMCT1とMCT4について、筋細胞全体と筋細胞膜MCTに分けて検討した。加えて筋細胞膜を単離し、14Cで標識した乳酸を用いて、骨格筋における乳酸輸送能力を測定した。テストステロン投与によって後肢骨格筋の筋重量が有意に増加し、またMCT1とMCT4が増加した。さらに乳酸輸送能力は骨格筋(速筋線維群と遅筋線維群)において共に増加し、これは筋細胞膜MCTの増加と密接に関係していた。テストステロンに適応反応して増加したMCTは筋の乳酸輸送能力を亢進させ、乳酸代謝機能を向上させることが示唆された。

2節 コルチコステロン投与におけるMCTと乳酸代謝の適応変化

 第2章2節では7週齢のラットにコルチコステロン(5 mg/体重100 g)を7日間連続投与することで、糖を中心とした代謝の変化や筋萎縮を誘発させた。この環境下においてテストステロン実験と同様に、MCT1とMCT4の適応変化を、筋細胞全体と筋細胞膜MCTに分けて検討した。加えて骨格筋における乳酸輸送能力を検討した。コルチコステロン投与によって、後肢骨格筋の筋重量が有意に減少し、後肢骨格筋におけるMCT1とMCT4が減少した。さらに骨格筋における乳酸輸送能力は減少し、これは筋細胞膜MCTの減少と密接に関係していた。コルチコステロン投与における糖代謝の低下や骨格筋の萎縮は、MCTと筋の乳酸輸送能力を減少させ、乳酸代謝を低下させることが示唆された。

第3章 糖代謝または脂質代謝の活性化とMCTの適応変化

1節 PPAR作用薬投与におけるMCTの適応変化

 第3章では代謝過程の中でも糖代謝と脂質代謝をそれぞれ個別に活性化し、それぞれの代謝環境下におけるMCTの適応変化を検討した。第3章1節では脂質代謝の活性化とMCTの適応変化を検討するために、脂質代謝やそれに関係する酵素、細胞膜輸送タンパク質の発現調節を司る転写活性因子であるPPAR(Peroxisome Proliferator-activated Receptor)の活性薬(PPAR作用薬)を用いた。ラットに2種類のPPAR作用薬(WYとROSI)をそれぞれ投与し、脂質代謝を亢進させた。その効果は、後肢骨格筋における脂質輸送担体の増加によって確認した。このような代謝環境下において、MCT1とMCT4は共に顕著な減少を示した。PPAR作用薬投与によって脂質代謝の亢進と糖質代謝の抑制が報告されているが、糖代謝過程の一部である乳酸代謝も低下することが示唆された。この代謝環境の変化が、乳酸を司るMCTを低下させたと考えられる。さらに脂質と糖は協調してエネルギー代謝のバランスを調節していることが示唆された。

2節 AICAR投与におけるMCTと乳酸代謝の適応変化

 第3章2節では、糖代謝を特に優先的に活性化させ、このような代謝環境下におけるMCTの適応変化と骨格筋における乳酸輸送能力を検討した。さらに筋細胞膜を単離することによって、細胞表面に含まれるMCTを検討した。また第2章と同様の手法によって、糖代謝の活性化にAICAR(5-Aminoimidazole-4-Carboxamide Ribonucleoside)を用いた。AICARは細胞に取り込まれると代謝されてAMPの擬似体(ZMP)となる。すると生体は細胞内AMPが上昇してエネルギー産生の必要があると認識し、エネルギー獲得のために解糖系代謝を中心として代謝を亢進させると認識されている。実験では7週齢のラットにAICAR(1 mg/体重g)を7日間連続で投与した。このAICARの効果は、後肢骨格筋におけるグルコース輸送担体(GLUT4)の増加によって判断した。AICARによる糖代謝活性化の影響がより大きい速筋線維では、筋細胞全体のMCT1、MCT4が共に増加し、細胞膜表面のMCT4も増加した。また乳酸取り込みは、遅筋線維と速筋線維の両方において有意な増加を示した。AICAR投与による解糖系代謝を中心とした糖代謝の活性化は、糖代謝の産物である乳酸の代謝(産生と酸化)を亢進させ、そのよう代謝環境下ではMCTも適応変化して増加することが示唆された。

第4章 総括論議

 第3章の結果から、生体のエネルギー代謝が亢進し、解糖系代謝過程から乳酸が産生されると、MCTはそれを細胞内外へ輸送するために適応して増加することが確認された。逆に第1章のように糖代謝が低下した環境ではMCTが減少することも確認された。加えて第3章1節ではエネルギー産生における脂質代謝の割合が高まることで、糖代謝が抑えられ、結果的に糖から産生される乳酸の代謝が低下したと考えられる。この一連の代謝変化によってMCTも減少したと考えられる。これらのことから、MCTを変化させる因子に乳酸代謝的の変化が影響する可能性が考えられる。生体内におけるエネルギー需要が高まると糖代謝が亢進し、それに順じて乳酸代謝も亢進する。このような代謝環境では、骨格筋の乳酸輸送に関係するMCTも増加することがわかった。また逆にMCTの減少には、糖代謝の低下や抑制が関与することが示唆された。一方、第2章におけるホルモン投与におけるMCTの適応変化から、内分泌による生体内の変化にも対してもMCTは適応変化することが示唆された。第2章で用いたホルモンは、主に筋の肥大と萎縮を誘発することが知られているが、同時にエネルギー代謝にも多くの変化をもたらしている。これらのことから、MCTを変化させる要因として代謝に加えて、内分泌機序や筋そのものの変化も関与する可能性が考えられる。本研究では生体内の様々な環境変化に対してMCTの適応変化を検討したが、その適応変化(タンパク質量の増減)と乳酸輸送能力が対応していることが示唆された。様々な環境に対してMCTが本来の機能(乳酸輸送)を保持しつつ、適応変化していることが明らかとなった。

 本研究では生体内の代謝環境を様々に変化させ、それぞれの代謝環境下におけるMCTの適応変化を検討した。MCTの適応変化を理解することで、様々な代謝環境下における乳酸の代謝経路や代謝運命を理解することが出来ると考えられる。乳酸は糖代謝過程における代謝産物であるから、乳酸の動向を知ることは糖代謝や全体のエネルギー代謝の理解にも関係すると考えられる。本研究では、生体内の代謝環境変化に対するMCTの適応変化を検討することによって、それぞれの生体内環境下における乳酸代謝を理解することが出来た。

審査要旨 要旨を表示する

 これまで乳酸は運動時に糖からできる老廃物で、蓄積されて疲労を起こす原因とされてきた。しかし近年乳酸は糖分解の途中で一時的にできるエネルギー基質であることが明らかになってきている。乳酸の代謝様相として、速筋線維で産生されて遅筋線維や心筋で酸化されることが提唱されている。このような乳酸の代謝においては、乳酸が細胞膜を通過することが必要である。以前は乳酸は細胞膜を濃度勾配に従って自由拡散すると考えられてきた。しかし1994年に細胞膜の乳酸輸送担体がクローニングされて報告された。この輸送担体は乳酸だけでなくピルビン酸だけも輸送することから、モノカルボン酸輸送担体(Monocarboxylate Transporter : MCT)と呼ばれる。特に骨格筋にはMCT1とMCT4が多く存在し、これらは主として乳酸の輸送に関わることが明らかになってきている。本論文では、細胞内外への乳酸輸送を司るMCTの適応変化を、様々な代謝環境下において検討することを目的とした。

 本論文ではまず第1章では、ストレプトゾトシン投与(STZ : 50mg/体重kg)によって糖尿病状態のラットを作成し、糖代謝が低下した環境下におけるMCTの適応変化を検討した。4週齢のラットをControl群、Run群(30分の持久的トレーニング)、STZ群(糖尿病発症)とSTZ+Run群(糖尿病発症+持久的トレーニング)に分けた。糖尿病ラットでは、骨格筋のMCT1とMCT4が共に減少することが確認された。しかしトレーニングによって糖代謝を活性化させたSTZ+Run群では、STZ群と比較してMCTの増加が確認された。また筋細胞膜単離法(Giant Sarcolemmal Vesicle)を用いて、糖尿病ラットにおける細胞膜MCTの減少も確認された。STZ投与による糖尿病では、インスリンを介するグルコース取り込みが阻害され、筋の糖代謝が低下する。これにより乳酸の代謝も低下することから、MCTが減少することが考えられる。一方運動によりインスリンを介さないグルコース取り込みが高まることから、持久的トレーニングは筋の糖利用を高め、そのことが乳酸の代謝も高めて、MCTが増加すると考えられた。

 第2章では、ホルモン投与によってMCTが受ける影響と、それによる乳酸輸送の変化について検討した。第2章1節では7週齢のラットにテストステロン(10mg/体重100g)を7日間連続投与した。この環境下で、代謝特性の異なる7種類の後肢骨格筋と心筋におけるMCT1とMCT4を、筋細胞全体とPlasmalemmal MCTに分けて検討した。テストステロン投与によって下肢骨格筋の筋重量が有意に増加し、後肢骨格筋におけるMCT1とMCT4が共に有意に増加した。また骨格筋の乳酸取り込みも増加した。このようにテストステロン投与は、MCTと筋の乳酸取り込みを亢進させ、乳酸代謝機能を向上させることが示唆された。このことには、筋の代謝変化だけでなく、筋肥大そのものが影響している可能性が考えられた。

 第2章2節では7週齢のラットにコルチコステロン(5mg/体重100g)を7日間連続投与し、MCT1とMCT4の変化を、筋細胞全体とPlasmalemmal MCTに分けて検討し、骨格筋における乳酸取り込みを測定した。コルチコステロン投与によって、後肢骨格筋の筋重量が有意に減少し、それらにおけるMCT1とMCT4がどちらも減少した。一方、乳酸取り込みは骨格筋で減少し、これはPlasmalemmal MCTの減少と密接に関係していた。コルチコステロン投与は、MCTと筋の乳酸取り込みを減少させ、乳酸代謝機能を低下させることが示唆された。

 第3章では糖代謝と脂質代謝をそれぞれ個別に活性化し、それぞれの代謝環境下におけるMCTの適応変化を検討した。第3章1節では脂質代謝やそれに関係する酵素、細胞膜輸送タンパク質の発現調節を司る転写活性因子であるPPAR(Peroxisome Proliferator-activated Receptor)の活性薬であるPPAR作用薬を用いた。ラットに2種類のPPAR作用薬(WYとROSI)をそれぞれ投与した。その効果は、後肢骨格筋における脂質輸送担体の増加によって確認した。この代謝環境下において、MCT1とMCT4は共に有意な減少を示した。PPAR作用薬投与によって脂質代謝の亢進と糖代謝の抑制が報告されていおり、この代謝環境の変化が、乳酸代謝を司るMCTを低下させたと考えられる。

 第3章2節では、解糖系代謝を中心として代謝を亢進させるAICAR(5-Aminoimidazole-4-Carboxamide Ribonucleoside)を投与して、糖代謝の活性化とMCTの変化を検討した。AICAR投与は。実験では7週齢のラットにAICAR(1mg/体重g)を7日間連続で投与した。AICARの効果は、後肢骨格筋におけるグルコース輸送担体(GLUT4)の増加によって判断した。AICARによる糖代謝活性化の影響がより強い解糖系(速筋)筋線維では、筋細胞全体のMCT1、MCT4が共に増加し、細胞膜表面のMCT4も増加した。また乳酸取り込みは、遅筋線維と速筋線維の両方において有意な増加を示した。心筋ではMCT1が増加し、乳酸の取り込みも増加した。AICAR投与による解糖系代謝の活性化は乳酸の代謝(産生と酸化)を亢進させ、MCTも増加することが示唆された。

 第4章の統括論議ではこれらの結果を踏まえて、乳酸の代謝について総合的に論議した。第1章や第3章2節の結果は生体のエネルギー代謝が亢進し、糖代謝が活性化し、そのことから乳酸より多く産生されると、MCTが増加することを示している。逆に第1章のように糖代謝が低下した環境や、第3章1節の脂ように質代謝が高まることで、糖代謝と乳酸代謝が低下すると、おそらくその代謝変化によってMCTも減少したと考えられる。このように糖代謝の変化が乳酸の代謝に影響し、そのことがMCTの増減につながることが示唆された。また第2章では骨格筋そのものの変化もMCTに関係している可能性が示された。そうした骨格筋のMCTの増減に伴って、乳酸の輸送能力も変化することが明らかとなった。

 以上のように本論文では、MCTを中心に新たな検討がなされ、有益な知見が得られており、本審査委員会は博士(学術)の学位を授与するにふさわしいものと認定する。

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