学位論文要旨



No 119850
著者(漢字) 齋藤,慈子
著者(英字)
著者(カナ) サイトウ,アツコ
標題(和) ヒトとヒト以外の霊長類における2色型色覚の有利性 : カラーカモフラージュ図形の弁別から
標題(洋) Advantage of dichromats over trichromats in discrimination of color-camouflaged stimuli in human and non-human primates
報告番号 119850
報告番号 甲19850
学位授与日 2005.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 博総合第554号
研究科 総合文化研究科
専攻 広域科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 長谷川,寿一
 東京大学 教授 繁桝,算男
 東京大学 助教授 丹野,義彦
 東京大学 教授 石浦,章一
 東京大学 助教授 渡辺,雄一郎
内容要旨 要旨を表示する

 一般的に2色型色覚である哺乳類の中で、旧世界霊長類は、赤緑色盲の割合が男性で5〜8%程度に上るヒトを除いて、ほぼ均一的に3色型色覚を有している。これに対して新世界ザルの多くの種では、同種内に色覚の多型が存在する。すなわち、メスの3分の2は3色型色覚となるが、残りのメスと全てのオスは2色型色覚(赤緑色盲)である。これらの種は3色型色覚の生態学的重要性と進化を研究するためだけでなく、ヒトで高頻度にみられる赤緑色盲の進化を理解する上でもよいモデルを提供すると考えられる。これまでのヒト以外の霊長類を対象として色覚と行動の関連を調べた研究は、3色型色覚の有利性を追求したものがほとんどであり、これらの研究結果から、3色型色覚は赤い果実あるいは若葉を検出する上での有利性によって進化してきたということが示唆されている。一方、新世界ザルにおいて2色型色覚が維持されていることの説明として、2色型色覚にも有利な点があるのではないかということが指摘されてきた。しかしこれまでに、2色型色覚の有利性を実験的に示したのは、ヒトを対象に「きめ」の異なる領域の検出課題をおこなった研究だけであり、ヒト以外の霊長類を対象とした研究では、直接的な証拠は挙げられていない。本研究は、新世界ザルの1種であるフサオマキザルと、近年遺伝子分析より色盲・色弱の個体が確認された、カニクイザルとチンパンジーを対象に、カラーカモフラージュされた図形の弁別課題を用いて、2色型色覚の有利性を検討した。色覚タイプは遺伝子型からの特定だけでなく、行動により確認する必要があるため、はじめに遺伝子型判定により色覚タイプを特定された個体のうち、行動による色覚タイプの確認がおこなわれていなかったフサオマキザルとチンパンジーについて、遺伝子型と表現型の対応を確認する実験をおこなった。

 実験1では、色覚の遺伝子型判定の結果がそれぞれの個体の行動と対応するか否かを、石原色覚検査票を模して作成した刺激を用いた弁別課題をおこない検証した。対象は、遺伝子型判定により色覚を特定した、京都大学霊長類研究所と京都大学文学部で飼育されているフサオマキザル(Cebus apella: 2色型色覚:n=4; 3色型色覚:n=2)と、三和化学研究所熊本霊長類パーク(熊本県宇土郡)で飼育されているチンパンジー(Pan troglodytes: 異常3色型色覚:n=1; 3色型色覚:n=4)であった。カニクイザルについてはすでに行動による色覚タイプの確認がなされていたため、実験対象としなかった。被験体の課題は、緑のドットの中にある、茶色いドットの集まりで構成された丸印のある刺激(S+)と、緑のドットのみの刺激(S-)を弁別することであった。刺激の提示にはWGTA(Wisconsin General Test Apparatus:被験体に実際のオブジェクトを提示し、弁別訓練をおこなう装置)を用いた。刺激は5セット用意された(図1)。P100は明るさの違いにより容易にS+とS-を弁別できるものであり、E0は緑と茶がヒト2色型第1異常の混同色である図形であった。これら2つを合成してE50,E25,E12を作成した。被験体はP100、E50で訓練され、その後E0、E25、E12を用いてテストされた。

 その結果、フサオマキザルとチンパンジーの3色型色覚の個体はヒト2色型第1異常にとっての混同色で描かれたE0の刺激を有意に弁別することができたが(2項検定、P <= 0.0547)、フサオマキザルの2色型色覚の個体とチンパンジーの異常3色型の個体は弁別できなかった(2項検定、P > 0.05)(図2)。したがって、遺伝子型判定の結果と行動による色覚タイプの対応が確認された。

 実験2では、カラーカモフラージュ図形の弁別課題により、2色型色覚の有利性を検討した。対象は、実験1により色覚の表現型を確認したフサオマキザル(Cebus apella: 2色型色覚:n=4; 3色型色覚:n=2)とチンパンジー(Pan troglodytes: 異常3色型色覚:n=1; 3色型色覚:n=3)に加え、インドネシア、ボゴール農科大学で飼育されているカニクイザル(Macaca Fascicularis: 2色型色覚:n=2; 3色型色覚:n=2)、さらにヒト(石原色覚検査表により正常と判定された成人12名、同検査により2色型色覚あるいは異常3色型と判定された成人12名)であった。被験体および参加者の課題は円(S+)とそれ以外の三角形、ひし形、四角形(S-)を弁別することであった。これらのパターンを形成する要素は線の向きと太さが背景と異なっており、「きめ」の違いからパターンが見えるようになっていた。円と三角形、ひし形、四角形のうち1つの刺激が、ヒト以外の被験体にはWGTAを用いて、ヒト参加者にはノート型パーソナルコンピュータの液晶画面により提示された。ヒト以外の被験体ははじめ、緑または赤一色で描かれた容易に弁別できる図形で訓練され、その後ヒト2色型第1異常にとって混同色となる赤と緑によってカラーカモフラージュされた図形(図3)を用いてテストされた。テストでは正解数、フサオマキザルとカニクイザルについてはさらに反応時間を記録した。ヒト参加者には緑または赤一色で描かれた図形の提示と、カラーカモフラージュ図形の提示がセッション内でランダムにおこなわれ、反応時間と正解率をコンピュータで記録した。

 フサオマキザル、カニクイザルの2色型色覚の個体、チンパンジーの異常3色型の個体は、カラーカモフラージュされた図形を用いたテスト試行で、有意に正解することができた(2項検定、P < 0.05)。一方3種すべての3色型の個体の正解率は、チャンスレベルと変わらなかった(2項検定、P > 0.26)(図4)。

また反応時間に関しては、各個体でカラーカモフラージュ条件と単色条件で比較をおこなったところ、カニクイザルの3色型の1個体でカモフラージュ条件のほうが単色条件よりも反応時間が長くなったが(t検定、P < 0.05)、それ以外の個体では有意差はみられなかった。一方、ヒトでは正解率において、色覚タイプ、条件(カモフラージュか単色か)による違いはみられなかったのに対し、反応時間を上記2要因で分散分析した結果、色覚タイプの主効果はみられなかったが、条件の主効果と(P < 0.01)条件、色覚タイプの交互作用がみられた(P < 0.05)。そこで単純主効果を調べたところ、正常3色型の参加者でのみ条件による効果がみられた(P < 0.01)。

 これらの結果から、ヒト以外の霊長類3種において、2色型色覚、異常3色型色覚の個体は、3色型色覚の個体が弁別できなかった刺激を弁別でき、ヒト以外の霊長類で初めて2色型色覚の有利性が示されたといえる。この2色型色覚の有利性は、新世界ザルで色覚の多型が進化的に長期維持されていることを説明する、つまり頻度依存選択が働いているということを示唆する。しかし本研究では、2色型色覚の有利性が新世界ザルだけでなく、旧世界ザル、類人猿でも同様に示された。この事実は、新世界と旧世界で2色型色覚の発生頻度が異なるのはなぜかという重要な疑問を提起する。この新世界と旧世界の違いは、食性などの生態学的要因の違いに起因するかもしれない。さらにヒトでも色覚異常の有利性が示された。ヒトでは色覚異常の発生頻度がその他の旧世界霊長類に比べ高いが、ヒトの色覚多型が、新世界ザルと同様、2色型色覚の有利性で説明されるか否かについては、今後の課題である。

図1.石原色覚検査票を模して作成した刺激

図2. 実験1、テスト試行の正解数 (a)フサオマキザル (b)チンパンジー 横軸は個体番号、個体名と遺伝子型判定により特定された色覚タイプ。(*P < 0.05 +P = 0.0547 #は被験体が正解と逆方向の刺激を有意に(P < 0.05)選択したことを示す。)

図3.カラーカモフラージュ図形

図4.実験2、テスト試行の正解数 a)フサオマキザル b)カニクイザル c)チンパンジー 横軸は個体番号、個体名。(*P < 0.05)

図5.実験2におけるヒト反応時間。エラーバーはSDをあらわす。(* P < 0.01)

審査要旨 要旨を表示する

 色覚に関して、哺乳類では2色型色覚(赤緑色盲)が一般的である中で、旧世界霊長類は、赤緑色盲の割合が男性で5〜8%程度に上るヒトを除いて、ほぼすべての個体が3色型色覚を有している。これに対して新世界ザルの多くの種では、同種内に色覚の多型が存在する。すなわち、メスのほぼ3分の2は3色型色覚となるが、残りのメスと全てのオスは2色型色覚である。本論文では、このような多型が維持される機構を解明する手がかりの一つとして、新世界ザルのフサオマキザルと、旧世界霊長類のカニクイザル、チンパンジー及びヒトを対象にして、2色型色覚が3色型色覚よりも有利な条件を探索した。その結果、カラーカモフラージュ図形の弁別において、2色型色覚個体の有利さを示すことができ、その生態学的意義について考察した。

 先行研究で2色型色覚の有利さを実験的に示した例は、ヒトを対象とした「きめ」の異なる領域の検出課題だけであり、ヒト以外の霊長類を対象とした研究では、直接的な証拠は挙げられていない。本研究は、新世界ザルの1種であるフサオマキザルと、近年遺伝子分析より色盲・色弱の個体が確認された、カニクイザルとチンパンジーを対象に、カラーカモフラージュされた図形の弁別課題を用いて、2色型色覚の有利性を検討した。

 色覚タイプは遺伝子型からの特定だけでなく、行動により確認する必要がある。実験1では、遺伝子型判定により色覚タイプを特定された個体のうち、行動による色覚タイプの確認がおこなわれていなかったフサオマキザル(Cebus apella:2色型色覚:n=4;3色型色覚:n=2)とチンパンジー(Pan troglodytes:異常3色型色覚:n=1;3色型色覚:n=4)について、遺伝子型と表現型の対応を確認する実験を行った。課題は、石原色覚検査票を模して作成した刺激を用いた弁別課題であった。被験体の課題は、緑のドットの中にある、茶色いドットの集まりで構成された丸印のある刺激(S+)と、緑のドットのみの刺激(S-)を弁別することであった。刺激の提示にはWGTA(Wisconsin General Test Apparatus:被験体に実際のオブジェクトを提示し、弁別訓練をおこなう装置)を用いた。刺激は5セット用意され、P100は明るさの違いにより容易にS+とS-を弁別できるものであり、E0は緑と茶がヒト2色型第1異常の混同色である図形であった。これら2つを合成してE50,E25,E12を作成した。被験体はP100、E50で訓練され、その後E0、E25、E12を用いてテストされた。その結果、フサオマキザルとチンパンジーの3色型色覚の個体は、ヒト2色型第1異常にとっての混同色で描かれたE0の刺激を有意に弁別することができたが、フサオマキザルの2色型色覚の個体とチンパンジーの異常3色型の個体は弁別できなかった。したがって、遺伝子型判定の結果と行動による色覚タイプの対応が確認された。

 実験2では、カラーカモフラージュ図形の弁別課題により、2色型色覚の有利性を検討した。対象は、実験1により色覚の表現型を確認したフサオマキザル(Cebus apella:2色型色覚:n=4;3色型色覚:n=2)とチンパンジー(Pan troglodytes:異常3色型色覚:n=1;3色型色覚:n=3)に加え、インドネシア、ボゴール農科大学で飼育されているカニクイザル(Macaca Fascicularis:2色型色覚:n=2;3色型色覚:n=2)、さらにヒト(石原色覚検査表により正常と判定された成人12名、同検査により2色型色覚あるいは異常3色型と判定された成人12名)であった。被験体および参加者の課題は円(S+)とそれ以外の三角形、ひし形、四角形(S-)を弁別することであった。これらのパターンを形成する要素は線の向きと太さが背景と異なっており、「きめ」の違いからパターンが見えるようになっていた。ヒト以外の被験体にはWGTAを用いて、ヒト参加者にはノート型パーソナルコンピュータの液晶画面により刺激が提示された。ヒト以外の被験体ははじめ、緑または赤一色で描かれた容易に弁別できる図形で訓練され、その後ヒト2色型第1異常にとって混同色となる赤と緑によってカラーカモフラージュされた図形を用いてテストされた。テストでは正解数、フサオマキザルとカニクイザルについてはさらに反応時間を記録した。ヒト参加者には緑または赤一色で描かれた図形の提示と、カラーカモフラージュ図形の提示がセッション内でランダムにおこなわれ、反応時間と正解率をコンピュータで記録した。フサオマキザル、カニクイザルの2色型色覚の個体、チンパンジーの異常3色型の個体は、カラーカモフラージュされた図形を用いたテスト試行で、有意に正解することができた。一方3種すべての3色型の個体の正解率は、チャンスレベルと変わらなかった。

 反応時間に関しては、各個体でカラーカモフラージュ条件と単色条件で比較をおこなったところ、カニクイザルの3色型の1個体でカモフラージュ条件のほうが単色条件よりも反応時間が長くなったが、それ以外の個体では有意差はみられなかった。一方、ヒトでは正解率において、色覚タイプ、条件による違いはみられなかったのに対し、反応時間を上記2要因で分散分析した結果、色覚タイプの主効果はみられなかったが、条件の主効果と、色覚タイプの交互作用がみられた。そこで単純主効果を調べたところ、正常3色型の参加者でのみ条件による効果がみられた。

 これらの結果から、ヒト以外の霊長類3種において、2色型色覚、異常3色型色覚の個体は、3色型色覚の個体が弁別できなかった刺激を弁別でき、ヒト以外の霊長類で初めて2色型色覚の有利性が示された。2色型色覚の有利さが、どのような生態学的条件と関連するかについては、野外調査を含めた今後の研究課題であるが、採食対象や捕食者の発見での有利さが議論された。

 以上要約した本論文では、1)ヒト以外の霊長類について遺伝子解析から行動測定まで、色覚に関する統合的な研究が行われたこと、2)独創的な提示刺激を開発し、ヒト以外ではじめて2色型個体の3色型個体に対する知覚の優位性を示すことに成功したこと、3)研究結果について、国際学会のシンポジウムで招待講演を行い、注目を集めたことなどが高く評価された。

 したがって、本審査委員会は博士(学術)の学位を授与するにふさわしいものと認定する。

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