No | 119852 | |
著者(漢字) | 千住,淳 | |
著者(英字) | ||
著者(カナ) | センジュウ,アツシ | |
標題(和) | 健常成人・健常児および自閉症児における「自分に向けられた視線」の処理 | |
標題(洋) | Processing of perceived direct gaze in typical adults and children with and without autism. | |
報告番号 | 119852 | |
報告番号 | 甲19852 | |
学位授与日 | 2005.03.24 | |
学位種別 | 課程博士 | |
学位種類 | 博士(学術) | |
学位記番号 | 博総合第556号 | |
研究科 | 総合文化研究科 | |
専攻 | 広域科学専攻 | |
論文審査委員 | ||
内容要旨 | 背景・目的 ヒトの眼は霊長類のなかでも特殊な外部形態を有しているが、なかでも強膜に着色が全く見られないという特徴は、他の霊長類とは質的に異なっており、興味深い。この形態的特徴はヒトの視線方向の知覚を容易にしており、実際のヒトの社会的相互作用において、他者の視線方向が意図や心的状態を理解する上での重要な手がかりとして機能していることとも関連していると考えられる。なかでも特に「自分に向けられた」視線、あるいは知覚されたアイコンタクトは、他者の意図が知覚者自身に向けられていることを意味しており、対人コミュニケーションにおける重要なシグナルであると考えられている。一方、対人相互作用やコミュニケーションに質的な障害を持つ自閉症児では、発達の極めて初期からアイコンタクトが見られない、あるいはアイコンタクトの性質が健常児とは異なっている、という報告もなされている。しかしながら、「自分に向けられた」視線がどのように処理されているのかについてはいまだ様々な議論があり、また自閉症児において「自分に向けられた」視線の処理に障害が見られるのかについての実験的な研究は、これまでにほとんど報告されていない。そこで、本稿では、健常成人は「自分に向けられた」視線をどのように処理しているのか(研究1、2)、健常児と自閉症児との間で「自分に向けられた」視線の処理に違いが見られるのか(研究3、4)の2点について、実験心理学的手法による検討を行った。 研究1 von Gr_nau & Anston (1995)は、視覚探索課題において、「正面向き」の視線は、他の向きの視線よりも速く検出されることを報告している。しかしながら、彼らは顔全体ではなく目の部分のみが刺激として用いているため、より現実場面に近い、実際の顔写真により視線方向を呈示した場合においても、「自分に向けられた」視線による反応の促進が見られるかどうかはわかっていない。そこで、研究1では、健常大学生を対象として、画面上に視線方向のみが異なる一連の顔写真刺激を複数呈示し、その刺激群から特定の視線方向の標的刺激を検出する、という視覚探索課題を用いた3つの実験(実験1〜3)を行い、「自分に向けられた」視線が検出速度に影響を与えるか、またその効果に影響を与える変数について検討した。いずれの実験でも、正面顔の「自分を見ている」視線に特徴的な左右対称性を統制するため、斜め方向を向いた顔刺激が用いられた。実験1では、顔の呈示方向(正立、倒立)を操作したところ、顔が正立呈示された条件では、「よそに向けられた」視線を探索する条件と比較して、「自分に向けられた」視線を探索する条件における反応時間は有意に短かった。一方、顔刺激が倒立呈示された条件では、視線方向は反応時間に影響を及ぼさなかった。さらに、顔刺激の目の部分の上下反転(実験2)、顔刺激の目の部分のみの呈示(実験3)といった操作を行った刺激を用いて実験1と同様な実験を行ったところ、目以外の部分の呈示方向(実験2)や有無(実験3)にかかわらず、目の部分が正立呈示された場合は「自分に向けられた」視線による検出時間の短縮が見らるのに対し、目の部分が倒立呈示された条件において視線方向は検出時間に影響を及ぼさなかった。本研究の結果は、「自分に向けられた」視線が視覚探索課題における検出反応を促進すること、またその「自分に向けられた」視線の効果は目の形態情報、少なくとも目の呈示方向の影響を受けることを示唆している。 研究2 固視点の消去と後続刺激の呈示の間にある程度のインターバル(Gap)をおくことにより、後続刺激への反応が促進されることが知られている。この現象はGap効果と呼ばれており、固視点の消去によりそこからの注意の解き放ちが容易になることの効果を反映していると考えられている。研究2ではこのGap 効果を用い、健常大学生を対象として、顔刺激の視線が「自分に向けられている」という条件が顔からの注意の解き放ちに影響するかどうかを検討するために2つの実験(実験4,5)を行った。研究1同様、正面顔の「自分を見ている」視線に特徴的な左右対称性を統制するため、斜め方向を向いた顔刺激が用いられた。それぞれの実験における各試行では、視線方向の異なる顔刺激が視野中央に呈示され、その500または1,200ミリ秒後に標的が顔刺激の右または左に呈示された。被験者には標的の検出が課された。顔刺激は、Gap条件では標的呈示の250ミリ秒前に消え、Overlap条件では被験者の反応時まで呈示された。その結果、まず通常の顔刺激を用いた実験4では、Overlap条件においてのみ、顔刺激の視線が「自分に向けられた」条件では他の視線方向と比較して反応時間の遅延が見られ、「自分に向けられた」視線からの注意の解き放ちは困難であることが示唆された。また、実験5において顔刺激の目の部分の白黒を反転した刺激を用いた検討を行ったところ、「自分に向けられた」視線による反応時間の遅延は確認されなかった。このことは、「自分に向けられた」視線による反応時間の遅延にも眼の外部形態、とくに強膜と虹彩のコントラストの極性(白い強膜、着色した虹彩)が重要であることが示唆された。 研究3 研究3では、研究1と同様な視覚探索課題を用い、自閉症児および健常児において、健常成人において見られたような「自分に向けられた」視線に対する検出の促進が見られるかどうかについて検討するため2つの実験(実験6,7)を行った。実験6では実験1と同一の刺激が用いられ、自閉症児17名(age: 9:5 _ 14:11, 平均12:5歳)、健常児18名(age: 9:5 _ 14:8, 平均11:10歳)が実験に参加した。結果、健常児は健常成人同様、正立呈示された顔刺激が「自分に向けられた」視線方向であった場合に反応時間の短縮が見られたが、自閉症児においては正立呈示された顔刺激においても視線方向は検出時間に影響しなかった。また、健常成人同様、顔刺激が倒立呈示された条件では、自閉症児、健常児とも、視線方向は検出時間に影響を及ぼさなかった。実験7では、自閉症児13名(age: 9:10 _ 14:11, 平均12:1歳)、健常児18名(age: 9:5 _ 14:11, 平均12:8歳)が実験に参加した。刺激はvon Grunau & Anston (1995) にならい、目の部分を描いた線画刺激が用いられた。この刺激では「自分を向いている」(あるいは「正面向き」の)視線では虹彩が常に眼裂の中央に位置するため左右対称であり、「よそを見ている」視線は左右非対称であった。結果、この条件においては、自閉症児、健常児とも、「自分に向けられた」あるいは「正面向き」の視線に対して有意な反応時間の短縮が見られた。 研究4 研究4では視覚オドボール課題を用い、自閉症児および健常児を対象として、「自分に向けられた」視線が視線方向の弁別に対するかどうかを検討すると共に、弁別課題を遂行中の対象児より事象関連電位(ERP)を記録した(実験8)。自閉症児13名(age: 9:10-14:11, 平均12:1歳)、健常児15名(age: 9:5-14:10, 平均12:1歳)が実験に参加した。対象児には、経時的に呈示される高頻度刺激の系列の中から、時折呈示される2種類の低頻度刺激(標的刺激・妨害刺激)を弁別し、そのうちの一方(標的刺激)に対してのみボタン押しをする、という課題が課された。高頻度刺激、低頻度刺激として、顔写真が用いられた。高頻度刺激の視線方向は下向きであり、低頻度刺激の視線方向は「自分に向けられた」視線、もしくは「よそに向けられた」視線であった。健常児では、標的刺激が「自分に向けられた」視線であった条件において正答率の上昇が見られたが、自閉症児においては標的刺激の視線方向は正答率に影響を及ぼさなかった。ま た、顔刺激呈示に伴って後頭―側頭領域の頭皮上で特徴的に記録された陰性成分(N2)の頂点振幅について解析したところ、N2振幅は定型発達児においては右優位の左右差があり、「自分に向けられた」視線に対して反応を行うときにより強く発現するのに対し、自閉症児でもN2は確認されたものの、健常児とは異なり、その振幅には左右差も視線方向の効果も見られなかった。 総合考察 以上の結果から、健常成人において「自分に向けられた」視線は顔刺激の検出時間を短縮し(研究1)、顔からの注意の解き放ちを困難にする(研究2)ことが示された。これらの結果は、「自分に向けられた」視線が顔への注意に影響を及ぼしている可能性を示唆している。また、「自分に向けられた」視線による上記の効果には、目の部分の呈示方向(研究1)や強膜と虹彩のコントラストの極性(研究2)といった目の外部形態が重要な寄与をしている可能性も示唆されている。 また、自閉症児においては、健常児とは異なり、「自分に向けられた」視線は顔刺激の検出時間(研究3)や視線方向の弁別の正確さ(研究4)には必ずしも影響を及ぼさないことが示された。一方、左右対称性の情報が利用可能な視線刺激を用いた条件では自閉症児においても「自分に向けられた」視線に対する検出反応の促進が見られた(研究3)ことから、自閉症児の「自分に向けられた」視線の処理は完全に障害されているのではないことが示唆された。また、視線認知に関連したERPの頭皮上分布や「自分に向けられた」視線への感度が自閉症児と健常児で異なること(研究4)から、自閉症児の視線処理に関する脳内処理の機序が健常児のそれとは異なる可能性も示唆された。 | |
審査要旨 | 「自分に向けられた」視線は、他者の意図が知覚者自身に向けられていることを意味しており、対人コミュニケーションにおける重要なシグナルである。一方、対人相互作用やコミュニケーションに障害を持つ自閉症児では、発達初期からアイコンタクトが見られない、あるいはアイコンタクトの性質が健常児とは異なっている、と指摘されてきた。しかしながら、「自分に向けられた」視線がどのように処理されているのかについてはいまだ様々な議論があり、自閉症児において「自分に向けられた」視線の処理に実際に障害が見られるのかについての実験的研究は、ほとんど報告されていない。そこで本論文では、健常成人は「自分に向けられた」視線をどのように処理しているのか(研究1、2)、健常児と自閉症児との間で「自分に向けられた」視線の処理に違いが見られるのか(研究3、4)の2点について、実験心理学的手法による検討が行われた。 研究1では、健常大学生を対象として、視線方向のみが異なる一連の顔写真刺激を呈示し、その刺激群から特定の視線方向の標的刺激を検出する、という視覚探索課題を用いた3つの実験を行い、「自分に向けられた」視線が検出速度に影響を与えるか、またどのような変数がその効果に影響を与えるかについて検討した。「自分を見ている」視線に特徴的な正面顔の左右対称性を統制するため、斜め方向を向いた顔刺激が用いられた。実験1では、顔の呈示方向(正立、倒立)を操作したところ、正立呈示では、「よそに向けられた」視線よりも「自分に向けられた」視線を探索する条件で反応時間は有意に短かった。一方、倒立呈示条件では、視線方向は反応時間に影響を及ぼさなかった。さらに、目の部分の上下反転(実験2)、顔刺激の目の部分のみの呈示(実験3)といった操作を行った刺激を用いて実験1と同様な実験を行ったところ、目以外の部分の呈示方向(実験2)や有無(実験3)にかかわらず、目の部分が正立呈示された場合は「自分に向けられた」視線による検出時間の短縮が見られるのに対し、目の部分が倒立呈示された条件において視線方向は検出時間に影響を及ぼさなかった。これらの結果より、「自分に向けられた」視線が視覚探索課題における検出反応を促進すること、またその「自分に向けられた」視線の効果は目の形態情報、少なくとも目の呈示方向の影響を受けることが示唆された。 研究2ではGap 効果(固視点の消去と後続刺激の呈示の間にある程度のインターバル(Gap)をおくことにより、後続刺激への反応が促進されること)を用い、健常大学生を対象として、顔刺激の視線が「自分に向けられている」という条件が顔からの注意の解き放ちに影響するかどうかを検討した。研究1同様、斜め方向を向いた顔刺激が用いられた。各試行では、視線方向の異なる顔刺激が視野中央に呈示され、その500または1,200ミリ秒後に標的が顔刺激の右または左に呈示された。被験者には標的の検出が課された。顔刺激は、Gap条件では標的呈示の250ミリ秒前に消え、Overlap条件では被験者の反応時まで呈示された。結果、通常の顔刺激を用いた実験4では、Overlap条件においてのみ、「自分に向けられた」条件で反応時間の遅延が見られ、「自分に向けられた」視線からの注意の解き放ちは困難であることが示唆された。一方、実験5において顔刺激の目の部分の白黒を反転した刺激を用いた検討を行ったところ、「自分に向けられた」視線による反応時間の遅延は確認されず、「自分に向けられた」視線による反応時間の遅延にも眼の外部形態、とくに強膜と虹彩のコントラストの極性が重要であることが示唆された。 研究3では、研究1と同様な視覚探索課題を用い、自閉症児および健常児において、「自分に向けられた」視線に対する検出の促進が見られるかどうかについて検討した。実験6では実験1と同一の刺激が用いられ、自閉症児17名、健常児18名が実験に参加した。結果、健常児は正立呈示された顔刺激が「自分に向けられた」視線方向であった場合に反応時間が短縮したが、自閉症児においては正立呈示された顔刺激においても視線方向は検出時間に影響しなかった。健常成人同様、倒立呈示条件では、自閉症児、健常児とも、視線方向は検出時間に影響を及ぼさなかった。実験7では、自閉症児13名、健常児18名が実験に参加した。刺激は目の部分を描いた線画刺激が用いられた。この刺激では「自分を向いている」「正面向き」の視線では虹彩が眼裂の中央に位置するため左右対称であり、「よそを見ている」視線は左右非対称であった。結果、自閉症児、健常児とも「自分に向けられた」「正面向き」の視線に対して反応時間の短縮が見られた。 研究4では視覚オドボール課題を用い、自閉症児および健常児を対象として、「自分に向けられた」視線が視線方向の弁別に対するかどうかを検討すると共に、弁別課題を遂行中の対象児より事象関連電位(ERP)を記録した(実験8)。自閉症児13名、健常児15名が実験に参加した。対象児には、経時的に呈示される高頻度刺激の系列の中から、時折呈示される2種類の低頻度刺激(標的刺激・妨害刺激)を弁別し、そのうち標的刺激に対してのみボタン押しをする、という課題が課された。刺激として、顔写真が用いられた。高頻度刺激の視線方向は下向きであり、低頻度刺激の視線方向は「自分に向けられた」視線、もしくは「よそに向けられた」視線であった。健常児では、標的刺激が「自分に向けられた」視線の条件で正答率の上昇が見られたが、自閉症児においては視線方向は正答率に影響を及ぼさなかった。また、顔刺激呈示に伴って後頭-側頭領域の頭皮上で特徴的に記録された陰性成分(N2)の頂点振幅を解析したところ、N2振幅は定型発達児においては右優位の左右差があり、「自分に向けられた」視線に対して反応を行うときにより強く発現するのに対し、自閉症児でもN2は確認されたものの、健常児とは異なり、その振幅には左右差も視線方向の効果も見られなかった。 以上の結果から、健常成人において「自分に向けられた」視線は顔刺激の検出時間を短縮し(研究1)、顔からの注意の解き放ちを困難にする(研究2)ことが示された。これらの結果は、「自分に向けられた」視線が顔への注意に影響を及ぼしている可能性が示された。また、「自分に向けられた」視線によるこの効果には、目の部分の呈示方向(研究1)や強膜と虹彩のコントラストの極性(研究2)といった目の外部形態が重要な寄与をしている可能性も示唆された。 また、自閉症児においては、健常児とは異なり、「自分に向けられた」視線は顔刺激の検出時間(研究3)や視線方向の弁別の正確さ(研究4)には必ずしも影響を及ぼさないことが示された。一方、左右対称性の情報が利用可能な視線刺激を用いた条件では自閉症児においても「自分に向けられた」視線に対する検出反応の促進が見られた(研究3)ことから、自閉症児の「自分に向けられた」視線の処理は完全に障害されているのではないことが示唆された。また、視線認知に関連したERPの頭皮上分布や「自分に向けられた」視線への感度が自閉症児と健常児で異なること(研究4)から、自閉症児の視線処理に関する脳内処理の機序が健常児のそれとは異なる可能性も示唆された。 本研究の意義は、近年研究の進展が著しい「顔認識研究」と「自閉症研究」の二つの分野にまたがる重要な知見を多数、提供した点にある。ヒトの眼は霊長類のなかでも、特殊な外部形態を有しており、なかでも強膜に着色が全く見られないという特徴は、他の霊長類と質的に異なっている。このような形態的特徴は、ヒトの視線方向の知覚を容易にするものであり、実際の社会的相互作用において、視線方向を通じて他者の意図や心的状態を理解する大きな手がかりになっている。本論文が明らかにした視線認知メカニズムに関する基礎的知見は、「自分に向けられた」視線の重要性を通じて、大きな枠組みとしての社会的認知研究にも重要な貢献をしたと評価できる。上に要約した一連の研究は、すでに4編の英文論文として受理、発表されている。また、国際学会、シンポジウム、招待講演も数多く、その成果は国際的に高い評価を受けている(博士取得後のポストドクター研究員として、海外の3大学から招聘の申し入れがあり、Leverhulme Fellowship研究員として採用が決まっている)。 したがって、本審査委員会は博士(学術)の学位を授与するにふさわしいものと認定する。 | |
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