学位論文要旨



No 119855
著者(漢字) 平島,雅也
著者(英字)
著者(カナ) ヒラシマ,マサヤ
標題(和) 高速上肢多関節動作におけるセグメント間ダイナミクスの制御
標題(洋) Control of intersegmental dynamics in fast upper-limb multi-joint movements
報告番号 119855
報告番号 甲19855
学位授与日 2005.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 博総合第559号
研究科 総合文化研究科
専攻 広域科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 大築,立志
 東京大学 教授 石井,直方
 東京大学 助教授 渡會,公治
 東京大学 助教授 深代,千之
 東京大学 助教授 金久,博昭
内容要旨 要旨を表示する

第1章: 緒言

 ヒトの動作は通常複数の関節の運動が複合した多関節動作として行われる。特に、スポーツ動作には高速度の多関節動作が多く含まれており、その制御メカニズムを解明することは、随意運動制御研究の発展および運動指導法の発展に大きく貢献すると考えられる。本研究は、スポーツにおける高速多関節動作の中から投球・打球動作をとりあげ、その制御メカニズムを解明することを目的とする。

 多関節動作には、単関節動作には生じない制御上の問題点が存在する。多関節動作の生成には、筋収縮力や重力だけではなく、隣り合う身体セグメントの相互作用によって生み出される力も関節角度変化に影響を及ぼす。運動制御研究では、これを相互作用トルク(interaction torque)と呼ぶ。これまで相互作用トルクは主に、セグメント間の相互作用によって'受動的'に生じる'負荷'と捉えられ、神経系がそれを補償するメカニズムが主に議論されてきた。しかし、相互作用トルクは動作生成に利用されることも考えられ、神経系が'積極的'に作り出す'補助'と捉えることもできる。補助的な相互作用トルクは、大きな角速度を生み出す際に有利となるため、大きな末端速度が必要とされる投球・打球動作と密接な関係があると考えられる。

 一方、スポーツバイオメカニクスの分野では、投球・打球動作中の各関節の角度、角速度、筋トルク、関節間力などを調べた研究が多数存在するものの、相互作用トルクが関節角度変化に与える影響について検討した研究は非常に少ない。そこで本研究は、相互作用トルクの分析法を投球・打球動作へ応用し、補助的な相互作用トルクの生成及び利用に焦点を当てることによって、その制御メカニズムを追究する。

第2章: 2次元投球動作の制御メカニズム

 相互作用トルクに対する制御方略を解明するために、まず、2次元での上肢のみを用いた投球動作の球速調節メカニズムを動力学的観点から検討した。被験者に上肢だけ(肩、肘、手関節)を用いて的を狙って野球ボールを投げる動作を行わせた。球速条件は遅、中、速の3種類とした。

 その結果、肩関節では、相互作用トルクは動作と逆方向に働いたものの、球速の増加と共に筋トルクを増加させることによって、ボールリリース時の肩関節角速度を増加させた。つまり、肩関節は球速調節を担っていた。

 肘関節では、相互作用トルクは動作と同方向に補助的に働き、球速の増加と共にこれを増加させることによって、リリース時の肘関節角速度を増加させた。つまり、肘関節は球速調節を担っていた。

 手関節では、相互作用トルクは常に動作と逆方向に働き、筋トルクと互いに打ち消し合うことによって、リリース時の手関節の角速度を球速によらず一定に保っていた。つまり、手関節は球速調節ではなく、正確な指制御の基盤を作るという役割を担っていた。

(Journal of Neurophysiology. 89 (4): 1784-1796, 2003)

第3章: 2次元投球動作のコンピュータシミュレーション

 次に、コンピュータシミュレーションを用いて、投球動作中の手関節における相互作用トルクの特徴を筋活動との関係から検討した。その結果、どのような筋活動パターンを入力したとしても、手関節における相互作用トルクは常に動作と逆方向に作用し、手関節で大きな角速度を得るのは困難であることが明らかとなった。すなわち、動力学的に不利な特性を持つ手関節は球速調節を担わなかったと考えられる。逆に、この動力学的特徴は手関節を安定させるという点では有利であり、手関節をまたぐ外在筋による指制御を単純化するという利点が考えられる。

 また、手セグメントが生理学的範囲を超えて長く、しかも安静時の関節角度が60〜90度の場合のシミュレーションを行ったところ、補助的な相互作用トルクが働くことがわかった。この形態的特徴は、肘関節の特徴と似ていることから、肘関節は大きな角速度を得るのに有利な関節であると言える。

 第2、3章の結果をまとめると、ヒトは球速調節の際「運動学的および動力学的に有利な関節を利用する」という仮説を立てることができる。

(Journal of Neurophysiology. 90 (3): 1449-1463, 2003)

第4章: 3次元相互作用トルク算出法の開発

 しかしながら、Debicki (2004) らは、全身を用いた自然な投球動作では、手関節も球速調節に関与することを報告した。もし、先の仮説が正しければ、全身投球動作では手関節にも補助的な相互作用トルクが存在するはずである。しかし、従来の相互作用トルク算出法は2次元動作に限定されたものであり、全身を用いた3次元での投球動作中の相互作用トルクを算出することができなかった。そこで第4章では、3次元動作の相互作用トルク算出法を開発した。

第5章: 全身投球動作の制御メカニズム

 第5章では、3次元動作の相互作用トルク算出法を、全身投球動作へ応用した。被験者は大学野球部員であり、最大球速が90km/hを超える者を熟練者として採用した。第2章と同様、球速調節メカニズムを検討した。その結果、手関節においても補助的相互作用トルクの存在が確認された。被験者は球速の増加と共にこの補助的相互作用トルクを増加させることによって、リリース時の手関節屈曲の角速度を増加させた。また、肘関節伸展、肩関節内旋においても、補助的相互作用トルクが確認され、被験者はこれらを増加させることによって、リリース時の肘関節伸展及び肩関節内旋の角速度を増加させていた。以上より、熟練投球者は「補助的相互作用トルクを増加させることによって、各関節の角速度を増加させる」という方略を採用することが明らかとなった。

第6章: バドミントンスマッシュ動作の制御メカニズム(熟練者)

 手にラケットを握ると、制御対象である腕全体の運動学的及び動力学的特性が変化する。第6章では、第5章で得られた知見が、バドミントンスマッシュ動作にも当てはまるかどうかを検討した。熟練者として大学バドミントン部員を採用した。その結果、手関節屈曲と肩関節内旋においては、全身投球動作と同じく、補助的相互作用トルクが球速を決めるという結果が得られた。一方、肘関節伸展では、一部異なる結果が得られたものの、補助的相互作用トルクを増加させることによって、ピーク角速度を増加させるという点では同じ結果であった。

第7章: バドミントンスマッシュ動作の制御メカニズム(未熟練者)

 第7章では、熟練レベルに応じて、相互作用トルクの制御に違いがあるかどうかを検討するため、バドミントン未熟練者のスマッシュ動作を分析した。その結果、未熟練者は、肘関節伸展においては、補助的相互作用トルクを作り出すことができ、それを増加させることによって、インパクト時の角速度を増加させていた。しかしながら、手関節屈曲と肩関節内旋では、補助的相互作用トルクを作り出すことができず、筋トルクを増加させるという代替方略によってインパクト時の角速度を増加させていた。以上より、熟練レベルを決定づける能力は、「手関節屈曲と肩関節内旋において補助的相互作用トルクを生成し利用する能力」であると結論づけられる。

第8章: バドミントンスマッシュ動作のエネルギー解析

 これまでスポーツバイオメカニクスの分野では、投球・打球動作では近位から遠位に力学的エネルギーを伝達させることが重要であり、その結果として、セグメントの持つエネルギーのピークが近位から遠位の順に現れると考えられてきた。第8章では、この近位遠位連鎖が熟練した制御メカニズムを反映するものであるかを検討するために、バドミントンの熟練者と未熟練者の動作をエネルギーの観点から分析を行った。その結果、熟練者、未熟練者の両方に近位遠位連鎖が確認された。つまり、この現象は熟練制御メカニズムを反映するものではないことが明らかとなった。さらに重要なことには、熟練者のラケットスイートスポットの並進速度はインパクト時まで増加し続けるのに対し、ラケットエネルギーは、インパクトよりも前にピークをむかえ、インパクトにかけて減少した。つまり、エネルギー分析では、インパクト時の大きなラケット速度が生み出されるメカニズムを十分に説明することができないことが明らかとなった。

第9章: 総括論議

 熟練レベルを決定づける能力は、手関節屈曲と肩関節内旋において補助的相互作用トルクを生成し利用する能力であった。第3章や、これまでの上肢リーチング動作の研究によって、手関節、肩関節では、相互作用トルクが所望の動作方向に大きく貢献することはないことがわかっている。それにも関わらず、熟練者が、全身投球動作、バドミントンスマッシュ動作において、この2つの関節で補助的相互作用トルクを生成することができたのは、全身動作でしか得ることのできない運動学的特徴を利用して、各関節の動力学特徴を変化させたからではないかと考えられる。つまり、熟練者は、全身3次元動作特有の動力学的環境を自ら作り出し、その環境に十分に適応している状態にあると言える。

 一方、未熟練者が補助的相互作用トルクを生成し利用することができたのは、肘関節のみであった。肘関節は、補助的相互作用トルクを得るのに有利な形態的特徴を有しており、上肢2次元投球動作や日常的なリーチング動作において、補助的相互作用トルクが利用されている関節である。つまり、未熟練者は、日常的な上肢運動を行うのと同じ方略を用いて、全身3次元動作を遂行していたのである。以上より、熟練者になるためには、日常的上肢運動の動力学的環境から脱却し、全身動作の動力学的環境を自ら作り出し適応する必要があると結論づけられよう。

審査要旨 要旨を表示する

 ヒトの動作は通常複数の関節の運動が複合した多関節動作として行われる.多関節動作には,単関節動作には生じない制御上の問題点が存在する.すなわち,多関節動作の生成には,筋収縮力や重力だけではなく,隣り合う身体セグメントの相互作用によって生み出される相互作用トルク(interaction torque)が関節角度変化に影響を及ぼすことである.上肢による到達運動などを用いた運動制御研究では,これまで相互作用トルクは主にセグメント間の相互作用によって受動的に生じる負荷と捉えられ,神経系によるその補償メカニズムが主に議論されてきた.

 しかし,大きな末端速度が生み出される投球・打球などのスポーツ動作においては,相互作用トルクが,負荷ではなく,補助として作用すれば,大きな角速度を生み出す際に有利となると考えられる.従って,相互作用トルクの制御メカニズムを解明することは,随意運動制御研究の発展および運動指導法の発展に大きく貢献すると考えられる.しかしながら,スポーツバイオメカニクスの分野では,投球・打球動作中の各関節の角度,角速度,筋トルク,関節間力などを調べた研究は多数存在するものの,相互作用トルクが関節角度変化に与える影響について検討した研究は少ない.

 本論文は,以上の観点から,相互作用トルクの分析法を投球・打球動作へ応用し,補助的な相互作用トルクの生成及び利用に焦点を当てることによってその制御メカニズムを追究した申請者の研究を,第1章に先行研究のレビュー,第2章から8章に研究結果を,第9章に総括論議を加えてまとめたものである.

 第2章の研究では,まず上肢のみを用いた2次元投球動作を3種類の球速で行わせた結果,肘関節では,相互作用トルクが動作と同方向に補助的に働き,それを増加させることによってリリース時の肘関節角速度を増加させて球速を増加させるが,手関節では,相互作用トルクは常に動作と逆方向に働き,筋トルクと互いに打ち消し合うことによって,リリース時の手関節の角速度を球速によらず一定に保つことが明らかとなった.

 第3章では,コンピュータシミュレーションを用いて,2次元投球動作の筋活動パターンをどのように操作しても,手関節における相互作用トルクは常に動作と逆方向に作用し,手関節に大きな角速度を与えるのは困難であることを証明した.2章・3章の結果から,2次元投球動作においては,肘関節と肩関節は球速の調節に関与し,手関節は球速調節ではなく正確な指制御の基盤を作るという役割分化が存在することが確認された.

 第4章〜8章は,2次元投球動作におけるこれらの知見を,全身を用いた自然な3次元投球動作に拡張して検討したものである.従来の相互作用トルク算出法は2次元動作に限定されたものであり,全身を用いた3次元での投球動作中の相互作用トルクを算出することができなかったため,第4章では,まず3次元動作の相互作用トルク算出法を独自に開発した.

 第5章の実験では,その3次元動作の相互作用トルク算出法を熟練者の全身投球動作へ適用した結果,肘関節伸展・肩関節内旋に加えて,手関節においても,球速の増加と共にこの補助的相互作用トルクを増加させることによって,リリース時の手関節屈曲の角速度を増加させ,球速を増加させることができるということが明らかとなった.すなわち,熟練投球者は「補助的相互作用トルクを増加させることによって,各関節の角速度を増加させる」という方略を採用していることが明らかとなった.

 また,第6章では,手にラケットを握ることによって腕全体の運動学的及び動力学的特性を変化させ,第5章で得られた知見が当てはまるかどうかを熟練者のバドミントンスマッシュ動作を用いて検討した.その結果,手関節屈曲と肩関節内旋,肘関節伸展においては,全身投球動作と同じく,補助的相互作用トルクが球速を決めるという結果が得られた.

 第7章では,比較のために,バドミントン未熟練者のスマッシュ動作を分析し,未熟練者は,肘関節においては補助的相互作用トルクを作り出すことができるが,手関節屈曲と肩関節内旋では,熟練者のように補助的相互作用トルクを作り出すことができず,筋トルクを増加させるという生体への負担度の大きい代替方略によってインパクト時の角速度を増加させていることが明らかとなった.

 第8章では,バドミントン打球動作を近位セグメントから遠位セグメントへの力学的エネルギー伝達の観点から分析し,この近位遠位エネルギー連鎖は,熟練者と未熟練者で差がなく,熟練度を反映するものではないこと,熟練者のラケットの速度はインパクト時まで増加し続けるのに対し,エネルギーは,インパクトよりも前にピークに達してしまい,インパクトでは減少することなどから,エネルギー分析は,インパクト時の大きなラケット速度生成のメカニズムを十分に説明することができないことを明らかにした.

 第9章では,上記の研究結果を総括し,3次元全身投球・打球動作に熟練するためには,手関節及び肩関節の相互作用トルクを動作方向に貢献させることができない日常動作的上肢運動の動力学的環境を脱却し,自ら補助的相互作用トルクを生成し利用できるような動作方略を習得することが必要であると結論している.

 これらの成果はすべて申請者のオリジナルな発見であり,その一部はすでに2編の国際学術誌に公表されているなど,学術業績として極めて有意義であると認められる.よって,本審査委員会は,本論文は博士(学術)の学位を授与するにふさわしいものと認定する.

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