学位論文要旨



No 119856
著者(漢字) 福家,聡
著者(英字)
著者(カナ) フケ,サトシ
標題(和) Human dopamine transporter遺伝子発現と新規調節候補遺伝子Hesrl に関する研究
標題(洋) Gene expression of human dopamine transporter and its candidate regulator Hesrl
報告番号 119856
報告番号 甲19856
学位授与日 2005.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 博総合第560号
研究科 総合文化研究科
専攻 広域科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 石浦,章一
  教授 馬渕,一誠
  教授 池内,昌彦
  教授 須藤,和夫
  教授 久保田,俊一郎
内容要旨 要旨を表示する

 精神神経疾患、生活習慣病や成人病などは、多くの遺伝子による複合的な現象や、環境等の相互作用によって発症する「多因子性疾患」であると考えられる。近年、SNP(Single Nucleotide Polymorphism)をはじめとする遺伝子多型と多因子性疾患との関連が広く研究されている。多因子性疾患や個人による気質の違いを同種における個体差とみなし、その原因を環境以外に求めるならば、遺伝子多型の存在は無視することはできない。多型の分子機能や個体への影響を明らかにすることで、多因子性表現型のメカニズムを遺伝子の発現量やタンパク質の活性変化など分子レベルの現象によって説明できるのではないかと考えられる。これらの遺伝子多型の中でも、様々な多因子性疾患や気質に関わっているとされるヒトドーパミントランスポーター(DAT1)遺伝子のVNTR(variable number of tandem repeat)多型に注目し、分子レベルでの機能を調べることで生理的意義の解明を目指した。

 中枢神経系において神経伝達を司る物質の代表であるモノアミンのひとつであるドーパミンは、運動機能、認知機能、情動、行動強化における報酬効果、摂食行動、内分泌系の調節などに重要な役割を果たしているとともに、統合失調症(Schizophrenia)、アルコール依存症(alcoholism)、薬物依存症(drug dependence)など多くの多因子性疾患に関係していると考えられている。また、Cloningerによれば、人格傾向の中でも遺伝性が強い気質「新奇性探求」は、ドーパミンとの関わりが深いことが提唱されている。DATは前シナプス膜上に存在し、シナプス間隙のドーパミンを細胞内へと迅速に再吸収することで、細胞間情報伝達を終える。DATはコカイン(cocaine)等の精神作用を持つ薬剤のターゲットであり、これらの薬剤はDATの機能を阻害することで、シナプス間隙のドーパミンを高濃度状態に保ち、その薬理効果を現す。また、パーキンソン病(PD: Parkinson's disease)患者においてDATのタンパク量が低下していることや、注意欠陥・多動性障害(ADHD: attention-deficit hyperactivity disorder)やトゥレット症候群(Tourette's syndrome)、大鬱病(major depression)においては過剰に存在することが知られている。加えて、DATノックアウトマウスでは、シナプス間隙のドーパミン除去遅延による自発的多動や体重減少による死亡の他にも、チロシン水酸化酵素やドーパミン受容体のmRNA量の変化が観察されることから、DAT遺伝子発現そのものが、生体内のドーパミン神経伝達に重要であることが言える。

 DAT1遺伝子の3'非翻訳領域に約40塩基を一単位とした領域が存在し、その反復回数の違いによって多型を形成している。このDAT1遺伝子VNTR多型と、ADHD、パーキンソン病、双極性障害(bipolar disorder)、統合失調症、トゥレット症候群、薬物依存症、アルコール依存症、PTSD(posttraumatic stress disorder)等、ドーパミン神経系と関係する幾つかの多因子性疾患との相関だけでなく、人格傾向においても相関が調べられている。また、近年、DAT1遺伝子VNTR多型の分子機能解析も行われ、in vivoおよびin vitroにおいてVNTR多型が遺伝子発現に影響を持ち、alleleによって差があることがわかりつつある。しかしながら、alleleによる差の傾向に統一された見解が得られていない。

 そこでまず、哺乳類培養細胞株において、DAT1遺伝子VNTR多型の遺伝子発現に対する影響をレポーターアッセイによって検討したところ、alleleによって遺伝子発現量に差があることがわかった。しかしながら、細胞種によって差の傾向が異なることから、VNTR多型の分子機能に影響を与える他の因子(群)の存在が示唆された。これは先行研究や本研究においても確認されたように、ADHDのリスクalleleである10-repeatが、最も大きい遺伝子頻度を示すことからも、DAT1遺伝子のVNTR多型は、生理的な分子機能を持っていると考えられるが、精神神経疾患やヒトの行動・気質において、他の因子の影響を受ける「控えめな因子」であると考えられる。

 DAT1遺伝子VNTR多型は3'非翻訳領域に存在するが、exon15に含まれ、mRNAに転写されるため、長らく翻訳段階やmRNAの安定性に機能していると考えられていた。しかしながら、Michelhaughらによって、DAT1遺伝子VNTR多型を含む領域が、転写段階で機能し、ドーパミン神経細胞における遺伝子発現を活性化していることが示された。加えて、本研究において観察された3'非翻訳領域依存的な遺伝子発現抑制が全てのalleleで観察されることから、VNTR多型領域は、alleleに依存しない分子機能を転写調節の段階で担っていると考えられる。

 そこで、yeast one-hybrid system用いて、VNTR多型(10-repeat)を含む近傍領域に作用し、転写調節に関わるtrans-因子の同定を試みた。HIS3およびLacZレポーター遺伝子による選択の結果、両遺伝子で陽性を示した17クローン中の独立した2つのクローンが、basic helix-loop-helix (bHLH) 型の転写因子であるHesr1(the Hairy/enhancer of split related transcriptional factor 1 with YRPW motif、別名Hey1 / HERP2 / HRT1 / CHF2)遺伝子の予測機能ドメインをすべてコードしていた。また、この活性がDNA結合ドメインであるbHLH依存的であること、ターゲット配列特異的であることから、DAT1遺伝子VNTR多型領域に働くtrans-因子候補として、Hesr1についての解析を行うこととした。

 哺乳類培養細胞におけるルシフェラーゼレポーターアッセイにより、Hesr1はDNAとの結合に必須であるbHLHドメインと、リプレッサー活性を持つOrangeドメイン依存的にDAT1遺伝子発現を抑制することが示唆された。加えて、SH-SY5Y細胞における内在性Hesr1の特異的siRNAによるノックダウンの結果や、HEK293細胞におけるHesr1の発現による内在性DAT1遺伝子発現抑制等の結果から、生体内もしくは細胞内においてHesr1が、DAT1遺伝子発現に影響を与えることが示唆された。更に、内在性の3'非翻訳領域依存性遺伝子発現抑制を示さないHEK293細胞において、Hesr1によるDAT1遺伝子発現抑制は、VNTR多型が示す遺伝子発現量の差に影響を与えることがわかった。これらのことから、Hesr1がVNTR多型やDAT1遺伝子そのものが関わっている多因子性表現型において、より重要な因子であると考えられる。

 また、exon2の3'末端に12塩基の挿入が見られ、bHLHドメイン中のループ領域に4残基の挿入が起こるヒトHesr1のスプライシングバリアントを同定し、これをHesr1-12ntと名付けた。このHesr1-12ntは核に局在するが、培養細胞におけるDAT1遺伝子発現抑制活性はHesr1よりも弱く、yeast one-hybrid systemによってターゲット領域への作用にはbHLHドメインだけでなく、Orangeドメインも重要であることがわかった。これらのことから、Hesr1-12ntは生体内においても独立した機能を持っていることが示唆された。更に、ヒトHesr1遺伝子のSNP候補であるC386Aは、bHLHドメインの第二ヘリックスの高度に保存されたロイシンをメチオニンに置換する。本研究において、このC386A変異により、Hesr1およびHesr1-12ntがDAT1遺伝子発現抑制活性を失うことが示された。このように、Hesr1とHesr1-12ntのDAT1遺伝子発現抑制における活性の違いや、C386AによるHesr1の活性変化から、Hesr1遺伝子発現やスプライシング、活性に影響を与えるような機能的多型は、VNTR多型やDAT1遺伝子そのものが関連する精神神経疾患等において、より重要なリスクファクターである可能性が高い。今後、様々な精神神経疾患について、SNP候補C386Aや他のヒトHesr1遺伝子多型の存在について調べることが必要であろう。

 本研究において、私はDAT1遺伝子のVNTR多型が持つ分子機能をはじめとして、DAT1遺伝子発現と新規調節候補遺伝子Hesr1の関係を調べた。そして、多因子性表現型における新たなリスクファクターと成り得るヒトHesr1遺伝子C386A変異の機能を明らかにした。多因子性表現型の研究には、素因候補遺伝子のスクリーニングや、候補多型と疾患の統計学的相関解析といった従来の方法だけではなく、今後はこのようなアプローチが必要になると考えられる。

審査要旨 要旨を表示する

 この論文は、ヒトドーパミントランスポーター(DAT1)遺伝子発現と、DAT1遺伝子のVNTR(variable number of tandem repeat)多型の関係をスタートとして、DAT1遺伝子発現の新規調節因子の候補であるHesr1を同定し、その関係について詳細に解析した結果をまとめたものである。

 精神神経疾患、生活習慣病や成人病などは、多くの遺伝子による複合的な現象や、環境等の相互作用によって発症する「多因子性疾患」であると考えられる。近年、SNP(Single Nucleotide Polymorphism)をはじめとする遺伝子多型と多因子性疾患との関連が広く研究されているが、これら多型の分子機能や個体への影響を明らかにすることで、多因子性表現型のメカニズムを分子レベルの現象によって説明できると考えられる。これらの遺伝子多型の中でも、様々な多因子性疾患や気質に関わっているとされるDAT1遺伝子のVNTR(variable number of tandem repeat)多型に注目した。DATは前シナプス膜上に存在し、シナプス間隙のドーパミンを細胞内へと迅速に再吸収することで、細胞間情報伝達を終える。DATはコカイン等の精神作用を持つ薬剤のターゲットであり、これらの薬剤はDATの機能を阻害することで、シナプス間隙のドーパミンを高濃度状態に保ち、その薬理効果を現す。また、パーキンソン病患者においてDATのタンパク量が低下していることや、注意欠陥・多動性障害(ADHD: attention-deficit hyperactivity disorder)やトゥレット症候群、大鬱病においては過剰に存在することが知られている。加えて、DATノックアウトマウスでは、シナプス間隙のドーパミン除去遅延による自発的多動や体重減少による死亡の他にも、チロシン水酸化酵素やドーパミン受容体のmRNA量の変化が観察されることから、DAT遺伝子発現そのものが、生体内のドーパミン神経伝達に重要であることが言える。

 DAT1遺伝子の3'非翻訳領域に約40塩基を一単位とした領域が存在し、その反復回数の違いによって多型を形成している。このDAT1遺伝子VNTR多型と、ADHD、パーキンソン病、双極性障害、統合失調症、トゥレット症候群、薬物依存症、アルコール依存症、PTSD(posttraumatic stress disorder)等の多因子性疾患との相関だけでなく、人格傾向の中でも遺伝性が強い気質「新奇性探求」との相関が調べられている。また近年、DAT1遺伝子VNTR多型の分子機能解析も行われ、VNTR多型が遺伝子発現に影響を持ち、alleleによって差があることがわかりつつある。しかしながら、alleleによる差の傾向に統一された見解が得られていない。

 そこでまず、哺乳類培養細胞株を用いたレポーターアッセイによって、DAT1遺伝子VNTR多型の遺伝子発現に対する影響はalleleによって差があることがわかった。しかしながら、細胞内在的な3'非翻訳領域依存的に示す遺伝子発現抑制の有無によって差の傾向が異なることから、VNTR多型の分子機能に影響を与える他の因子(群)の存在が示唆された。ADHDのリスクalleleである10-repeatが、最も大きい遺伝子頻度を示すことからも、このVNTR多型は生理的な分子機能を持っていると考えられるが、多因子性表現型において、他の因子の影響を受ける「控えめな因子」であると考えられる。

 またMichelhaughらによってVNTR多型を含むDAT1遺伝子3'非翻訳領域の一部が、ドーパミン神経細胞における遺伝子発現を転写段階で活性化していることが示されたことと、本研究において観察された3'非翻訳領域依存的な遺伝子発現抑制が全てのalleleで観察されることから、VNTR多型領域はalleleに依存しない分子機能を転写調節の段階で担っていると考えられる。そこでyeast one-hybrid system用いて、VNTR多型(10-repeat)を含む近傍領域に作用し、転写調節に関わるtrans-因子の同定を試みた結果、basic helix-loop-helix (bHLH) 型の転写因子であるHesr1(the Hairy/enhancer of split related transcriptional factor 1 with YRPW motif)遺伝子を候補として得た。また、この活性がDNA結合ドメインであるbHLH依存的であること、ターゲット領域特異的であることから、DAT1遺伝子VNTR多型領域に働くtrans-因子候補として、Hesr1についての更なる解析を行った。

 哺乳類培養細胞におけるルシフェラーゼレポーターアッセイにより、Hesr1はDNAとの結合に必須であるbHLHドメインと、リプレッサー活性を持つOrangeドメイン依存的にDAT1遺伝子発現を抑制することが解った。加えて、SH-SY5Y細胞における内在性Hesr1のRNAiによって遺伝子発現抑制が緩和されることや、HEK293細胞におけるHesr1の発現による内在性DAT1遺伝子発現抑制等の結果から、生体内もしくは細胞内においてHesr1が、DAT1遺伝子発現に影響を与えることが示唆された。更に、HEK293細胞においては、Hesr1によるDAT1遺伝子発現抑制は、VNTR多型が示す遺伝子発現量の差に影響を与えることがわかった。これらのことから、Hesr1がVNTR多型やDAT1遺伝子そのものが関わっている多因子性表現型において、より重要な因子であると考えられる。

 また、exon2の3'末端に12塩基の挿入が見られ、bHLHドメイン中のループ領域に4残基の挿入が起こるヒトHesr1のスプライシングバリアントを同定し、これをHesr1-12ntと名付けた。このHesr1-12ntは、培養細胞におけるDAT1遺伝子発現抑制活性はHesr1よりも弱く、ターゲット領域への作用にはbHLHドメインだけでなく、Orangeドメインも重要であることがわかった。これらのことから、Hesr1-12ntは生体内において独立した機能を持っていることが示唆された。更に、ヒトHesr1遺伝子のSNP候補であるC386Aは、bHLHドメインの第二ヘリックスの保存されたロイシンをメチオニンに置換する。本研究において、このC386A変異により、Hesr1およびHesr1-12ntがDAT1遺伝子発現抑制活性を失うことが示された。このように、Hesr1とHesr1-12ntのDAT1遺伝子発現抑制における活性の違いや、C386AによるHesr1の活性変化から、Hesr1遺伝子発現やスプライシング、活性に影響を与えるような機能的多型は、VNTR多型やDAT1遺伝子そのものが関連する精神神経疾患等において、より重要なリスクファクターである可能性が高い。今後、様々な精神神経疾患について、SNP候補C386Aや他のヒトHesr1遺伝子多型の存在について調べることが必要であろう。

 以上のように、本研究はDAT1遺伝子のVNTR多型が持つ分子機能をはじめとして、DAT1遺伝子発現と新規調節候補遺伝子Hesr1の関係を明らかにしたものである。加えて、多因子性表現型における新たなリスクファクターと成り得るヒトHesr1遺伝子C386A変異の機能を明らかにし、多因子性表現型の研究には、素因候補遺伝子のスクリーニングや、候補多型と疾患の統計学的相関解析といった従来の方法だけではなく、今後はこのようなアプローチが必要になることを示した。従って、本審査委員会は博士(学術)の学位を授与するにふさわしいものと認定する。

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