学位論文要旨



No 119863
著者(漢字) 笹原,和俊
著者(英字)
著者(カナ) ササハラ,カズトシ
標題(和) 鳥の歌文法における多様性と複雑性の進化のシミュレーション研究
標題(洋) Evolution of Complexity and Diversity in Simulated Birdsong Grammars
報告番号 119863
報告番号 甲19863
学位授与日 2005.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 博総合第567号
研究科 総合文化研究科
専攻 広域科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 総合文化研究科広システム助教授 池上,高志
 東京大学 教授 嶋田,正和
 東京大学 助教授 植田,一博
 東京大学 教授 金子,邦彦
 千葉大学 文学部助教授 岡ノ谷,一夫
内容要旨 要旨を表示する

1.導入

 言語システムを理解する有効な方法の1つは、ヒトの言語形式と動物のコミュニケーション形式を比較し、その相同と相違を考察することである。この方法は1960年代、Hocketによって詳細に行われ、言語を特徴づける13個の弁別的素性(design feature)がまとめられた。その後、比較に基づく言語研究は機能やメカニズムの相同、相違に踏み込むかたちで発展し、近年、Hauser, Chomsky, Fitchらによって言語機能(language faculty)の研究として精力的に行われている。彼らの立場では、言語固有の機能は再帰性(recursion)だと考えられている。つまり、有限個の要素を組み合わせて無限の表現を可能にするような「再帰的計算能力」が言語(特に文法)において本質的であり、ヒトと他を別かつ素性だという仮説である。

 では、ヒトはどのようにして進化の過程でこの機能を獲得したのだろうか?これは科学的な取り扱いが難しい問題である。動物のコミュニケーションに目を向けてみると、ヒト以外の種で音素を複雑に組み合わせて信号を作り、自発的にコミュニケーションをしている種は、鯨類と一部の歌鳥のみであるという事実がある。そして、岡ノ谷氏のジュウシマツという歌鳥の実験では、雄の求愛歌は音素の固まり(チャンク)の組み合わせからなり、有限状態文法(FA)で記述できること、複雑な歌が雌の繁殖行動を促進させることなどが知られている。このような文法様構造を伴った前言語的コミュニケーションの進化に着目して言語の前適応を探索することは、再帰性を備えた言語にアプローチするための有効な方法であると考える。

 本論文は、言語の起源や進化を考察するために、動物のコミュニケーションとヒトの言語の機能的相同性に着目してコミュニケーションのモデルを構成し、鳥の歌に見出される文法様構造(歌文法と呼ぶ)がどのように進化するのかを相互作用の観点から論じる。

2.モデル構成

 先述のジュウシマツのコミュニケーションをヒントにして、性淘汰による歌文法の進化のモデルを考える。次の仮定のもとにモデルを構成する。(i)雌には歌のフレーズやリズムに対する生得的な好みがそれぞれある。(ii)求愛歌は雌を惹きつけるための信号なので新奇性が必要である。このような制約のもとで、雌達の多様な選り好みに答えるように雄達の歌文法が複雑になり、さらにそれが選り好みにフィードバックするという循環によって、雄と雌が共進化を遂げたのではないかという仮説を立てた。

 モデルの実装において、雄の歌文法と雌の選り好みを異なるタイプのFA(雄は出力専用のFA、雌は受理専用のFA)で表現した。そして、雄が歌文法(FA)に基づいて出力した歌(時系列)を雌が入力して、自分の好み(FAの形)に応じて受理する(比喩的に"合の手を入れる"と表現する)という形でコミュニケーションを抽象化した(合の手コミュニケーションと呼ぶ)。したがって、ここでは雄と雌のコミュニケーションは非対称なFAの相互作用として表され、雄と雌の多様性はFAの形の多様性として表現される。コミュニケーションの評価はそれぞれの雌が、歌の新規性、合の手の成功度、歌に含まれるチャンクの密度に基づいて行う。したがって、評価は常に雌主導で相対的となる。これらの雄雌からなる人工的な生態系を作り、コミュニケーションの成功度に応じて交配がおこり、次世代の固体に変異が施され、各個体がこの過程を繰り返すようなダイナミクスのシミュレーションを行った。

3.一様空間における歌文法の進化

 初期状態において、ノードが2個のランダムなFAを持つ雄、雌を50個体ずつ用意し、これらを一様な空間に配置して(つまり、狭い空間に全ての雄雌がいる状態で、全ての雄は全ての雌にアクセスできる)シミュレーションを行った。その結果、進化の過程で次のような興味深い特徴が見出された。

(a)3タイプの求愛戦略の出現:

 進化の初期には、簡単で短い歌を多数の雌に歌う戦略が支配的だったが、長い歌を歌う雄が出現すると、複雑で長い歌をごく少数(ほぼ1匹)の雌に歌う戦略が支配的となり、さらに進化の後半では中ぐらいの長さの歌を小数(2,3匹)の雌に歌う戦略が現れた。また、これらの求愛戦略の変化に応じて、歌の評価や成功率などコミュニケーションを特徴付ける種々の量が断続平衡的に変化した。さらに、歌の長さや複雑さの変化を伴った求愛戦略の変遷が、歌の新規性の増大と関係していることが分かった。

(b)合の手コミュニケーションを通じて歌文法が徐々に複雑化:

 歌文法の複雑さをFAの線形度(LI)で特徴付けをして解析したところ、雌が新規性をもつ歌を好む性質を持つ場合、雌達の相対的な評価をもとに、客観的な歌文法の複雑さ(LI)が進化した。そして、歌文法は完全に線形やランダムになることはなかった。このような雌が受理できる程度の歌文法における分岐構造の出現は、性淘汰で進化する複雑さは受け手の認知機構による制約を大きく受けることを示している。また、この進化は歌文法の複雑さが単調に増加する最適化過程ではなく、進化の後半においても多様性が保たれていた。一方、雌の選り好みを表すFAには雄のそれほど大きな変化は見られなかった。

(c)歌文法と雌の選り好みの複雑さ関係:

 雌の選り好みの複雑さ(FAのノード数の多さ)とそれによって引き出される歌文法の複雑さの関係を調べたところ、歌文法FAのノード数と選り好みFAのノード数には正の相関が見られた。一方、歌文法FAのLIと選り好みFAの複雑さに相関は見られなかった。これは、ノード数の少ない比較的単純な選り好みを持つ雌でも、雄の歌文法の複雑さを引き出しうることを示している。すなわち、歌文法の複雑化には個々の雌の複雑さよりも、雌全体の多様性やそれを反映した新規性による制約が大きく寄与すること示す。

4.二次元空間における歌文法の進化

 雄の歌文法と雌の選り好みのより開放的(open-ended)な共進化を考察するために、先のモデルに100×100の格子状空間を取り入れた。この空間は2つのレイヤーからなり、一方に雄が、他方に雌がレイヤー上の全てのセルに配置される。そして、各雄は自分を中心とする正方形状の9個のセル領域(縄張りと呼ぶ)内の雌とのみコミュニケーションができる。先と同様、雌の評価に基づき次世代が生成され、それらは親の縄張りに一旦配置される。全てのコミュニケーションが終了後、各セルにおいて最高得点の個体のみを残す。このような拡張を施した後、先とほぼ同じ条件でシミュレーションを行った。その結果、次のような重要な類似点と相違点が見出された。

(a) 系の全体的な振舞いの類似性と過渡的状態の多様性:

 二次元空間モデルにおいても、系の全体的な振舞いは空間一様モデルと類似していた。例えば、雄の歌の長さが断続的に変化し、それに伴ってコミュニケーションの得点や歌の新規性が増大した。また、ノード数2の単調な選り好みをもつ雌との共進化においても歌文法は複雑化した。これらの共通点は、空間のあるなしにかかわらず非対称FAの共進化の一般的特徴だと言える。また、空間一様モデルが平均場近似として有効に機能することを示している。しかし、空間的住み分けや空間パターンに依存したコミュニケーションの複雑化など、進化の過渡的状態は二次元空間モデルの方がより多様であった。

(b) 空間的な住み分け:

 二次元空間モデルの顕著な特徴として、空間的な住み分け現象が見られた。ある時刻において、ノード数の多いFAをもつ雌と少ないFAを持つ雌が空間を二分して占領し、前者は短い歌を歌う雄と、後者は長い歌を歌う雄とペアなっていた。その空間パターンの違いがコミュニケーションに影響し、ノード数の多い雌はより少ない雌よりも歌の新規性の判定が厳しいことが確認された。このような準安定状態が達成可能なのは、空間があることによって、異なるタイプの鳥が同時刻に存在できるという空間を使った戦略が存在するからである。また、得点分布と雌のFAのノード数の関係を調べたところ、長い歌にはノード数の少ない雌の方がうまくコミュニケーションとれることが示された。長い歌を歌う雄が支配的になるとノード数の多い雌は消滅して、10個程度のノードを持つ雌が支配的となった。

(d) グループのダイナミクス

 空間上の初期位置(緯度)に応じて雄雌各10000個体を10グループに分けて、ダイナミクスを観測したところ、雄と雌の集団ダイナミクスに非対称性が見られた。雌の場合、一度繁栄した雌グループがずっと系を支配しつづける傾向があったのに対して、雄は様々なグループが交代で系を支配した。これは、雄の側から見れば、選り好みには一定のトレンドが存在することを意味する。このトレンドに対して、他の雄よりも新規的な歌を歌えた雄のみが子孫を残せたため、歌文法の複雑化過程には雄同志の競争が寄与することが示された。

5.まとめ

 本論文では、ジュウシマツのコミュニケーションをヒントに、歌文法が進化する様子を「生物学的な制約のもとで非対称なFAが相互作用し合い、時間発展する系」として構成した。そして、そのような系の持つ一般的な性質が、歌鳥のコミュニケーションや歌文法の進化をいかに説明しうるかという視点からシミュレーションを行った。その結果、雌の選り好みの多様性や歌の新規性に対する仮定を認めた場合、雌に複雑な認知機構を仮定しなくてもコミュニケーション自身が進化を駆動する力となって、歌文法が複雑化することが簡潔に示された。この進化のもとでは歌文法の多様性も同時に保たれていた。そして、歌文法の複雑さの変化は、雄の求愛戦略や歌の長さの変遷と密接に関わっている様子が示された。また、二次元の空間の導入により、住み分け現象などの多様な過渡的状態が観察された。本論文の帰結として、新規性を検出する能力は、選り好みの多様性を介して文法様構造の多様化や複雑化の進化的駆動力となりうると結論付けられる。

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は言語の進化を理論的に考えることを中心テーマとし、具体的にはジュウシマツの歌文法の進化を、簡単な数理モデルによるシミュレーションと理論的解析を通じて論じたものである。

 本論文は6章からなる。第1章、2章では、言語の進化に関する諸説を、人以外の動物のコミュニケーションと比較することで論じている。特にチョムスキーらの主張する人の言語における核心としての「再帰性」の考えを簡潔に紹介し、3章以降における有限文法構造を使ったモデル化のつなぎとしている。第3章では、岡ノ谷氏のジュウシマツの鳥文法の進化実験を取り上げ、有限状態オートマトンモデルによる抽象化とシミュレーションの方法を提案している。論文提出者のモデルは岡ノ谷氏の実験を考慮し、オスはオートマトンにしたがって歌を歌うが、メスはオートマトンにより、オスの歌に「合いの手」を入れるだけで歌ったりはしないとした。

 第4章と5章では、コンピュータシミュレーションによる結果が報告されている。第4章では、オスとメスがランダムに出会い、オスはメスにうたを聞かせる。うまく合いの手がはいる歌を歌うオスは、メスに選ばれて子孫を残す。うまく合いの手を入れられたメスはやはり子孫を残すことができる。その結果、相性のいいオスとメスが進化してくる。論文提出者は、このシミュレーションにより、1)オスの文法が岡ノ谷氏の実験が示すように複雑さを増加させること。2)メス自身の合いの手を入れるための複雑さはそれほど重要ではないこと、3)進化のダイナミクスは3つのステージを経ること、を示した。特にこの3つのステージは、i)できるだけたくさんのメスに歌う、ii) 1羽に歌って聞かせる、iii)2ー3羽のメスに歌って聞かせる、という段階的進化プロセスを示しており、興味深い。またオスの歌文法の複雑さはこの最後の段階で減少している。このことは、実際のジュウシマツの歌文法の複雑さが、能力的ではなく性淘汰的に決まる上限があるということを示唆している。

 第5章では、オスとメスを2次元の平面上に住まわせ、近傍の相手としか歌を歌ったり選択しないとする。これは実際の実験で行なうのが難しい仮想実験である。空間の拡張により、「すみわけ」などが見られるのは当然であるが、それに加えて1)オスの歌文法の多様性は、少数のメスの合いの手の仕方で生まれること。2)メスの合いの手のタイミングを決める複雑さは、いったん複雑になってから単純化すること、などが新たに示された。これは、最初にのべた言語の再帰性が、メスの進化においては十分適応的であることを示すものである。

 第6章では、第4、5章の結果を簡潔にまとめ、また今後の言語進化研究における論文提出者の新しい理論モデルについて議論している。

 このように、論文提出者は本論文において、鳥の歌に代表される歌文法の進化における性淘汰の重要性を論じだけでなく、その進化動態がどのようなものであり、どういう形で複雑化が起きるかを詳細に論じている。こうした考察は、言語の起源を進化のダイナミクスから考えていく上で、ガイドラインを与えるものである。特に本モデルは、実際のジュウシマツの歌文法の進化実験をもととしているので、実験への具体的な貢献というものが期待される。例えばメスの合いの手は存在するのか、空間の効果はあるのか、などである。そうした実証的な研究に、理論的な進化シミュレーションが貢献できた重要な論文である。

 したがって、本審査委員会は博士(学術)の学位を授与するにふさわしいものと認定する。

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