No | 119865 | |
著者(漢字) | 平井,真洋 | |
著者(英字) | ||
著者(カナ) | ヒライ,マサヒロ | |
標題(和) | バイオロジカルモーション知覚の神経機序に関する研究 | |
標題(洋) | Study on the neural mechanism for biological motion perception | |
報告番号 | 119865 | |
報告番号 | 甲19865 | |
学位授与日 | 2005.03.24 | |
学位種別 | 課程博士 | |
学位種類 | 博士(学術) | |
学位記番号 | 博総合第569号 | |
研究科 | 総合文化研究科 | |
専攻 | 広域科学専攻 | |
論文審査委員 | ||
内容要旨 | 背景 我々は他者の意図を言語以外の情報からも理解し,それに適応した行動を選択する.こうした能力に関連した神経機序を解明することはコミュニケーションなど高次認知機能のメカニズムを理解する上で非常に重要である.しかしながら,これまでの研究では個々の認知機能に対応する脳部位を空間的に同定することに焦点がおかれ,時間的側面については十分に検討されていないのが現状である.我々人間は他者行為・意図に関する情報を短時間で読み取ることが可能であることを考慮すれば,処理領域の特定だけでなく処理の時間特性,発達的な側面を調べることも重要である. 目的 そこで本研究では,他者行為の知覚処理に関する神経機序の時間的特性,さらには発達的側面を明らかにすることを目的とする.具体的には,他者行為が10 数個の光点運動のみから知覚可能なバイオロジカルモーション(Johannson 1973 .以下,BM )知覚現象に着目し,BM 知覚時の脳活動をヒト成人およびヒト乳児を対象に時間解像度よく計測した. 計測方法 本研究では64 電極脳波計測装置を用いることにより事象関連電位(event-related potential ,以下ERP )計測を行った.ERP は,外的要因および内的要因により誘発される脳活動電位を,頭皮上に装着された電極間の電位差を求めることによりミリ秒単位で計測する手法である.本研究で用いる脳波計測装置は頭皮上への電極の装着が容易であるため,成人のみならず乳児を対象としたERP 計測が可能である(図1B). 実験 本論文では成人を対象とした4 つの実験(実験1〜4)および乳児を対象とした1つの実験(実験2)を行っている. 実験1 ではBM 知覚処理の時間特性について明らかにすることを目的としてERP 計測を行った.成人12 名を対象とし,BM 刺激(図2A)および,コントロール刺激(図2B)を1000msec 間ランダム順に250 回ずつ提示した.コントロール刺激はBM と同じ光点数および速度ベクトルを持つが各光点の初期位置をランダマイズしたスクランブルモーション刺激(以下,SM )である.実験の結果,刺激提示後およそ200ms,240ms 付近に二峰性の陰性成分(N200,N240)が両側後頭部電極(10-20法におけるT5/T6 周辺電極)において見いだされた(図3A).更に右半球では,それぞれの陰性成分の振幅に関して提示刺激間での違いが見られ,BM 条件における振幅がSM 条件よりも有意に増大した(図3A,B).両刺激とも光点数および各光点運動の速度ベクトルは同一であるため,励起された振幅の違いは光点運動の空間構造の違いによるものと解釈でき,特にN200 成分は先行研究により示されている一般的な運動視処理を反映し,N240 はBM 知覚処理を反映する成分であることが考察された.両陰性成分が確認されたT5/T6 電極は上側頭溝(Superior Temporal Sulcus,以下STS. 図1A )付近に位置しており,従来のBM 知覚処理に関する脳機能イメージング研究の結果とも整合性が高い.以上に基づき,実験1ではBM の知覚処理は刺激提示後200ms および240ms 付近において二つの処理過程が関与するとの仮説を新たに示した. 続く実験2 では,実験1 より得られた陰性方向のERP 成分を指標とし,BM 知覚処理の発達的変化に関する神経機構を検討した.これまでにも,乳児を対象としたBM 刺激とSM 刺激に関する弁別実験はいくつか存在するが,いずれも注視時間などの行動指標に基づくものであり,その神経機序については不明であった.本実験は7 名の8 ヶ月児および14 名の成人を対象に,実験1 で用いたBM およびSM 刺激を提示した際のERP 計測を行った.解析では,実験1 においてERP 波形が提示刺激間で異なった200-300ms 区間に注目し,平均電位を求めた.その結果,8 ヶ月児の右半球におけるERP 波形(図4A )は成人(図4C )のものと類似し,平均電位に関しても(図4B )成人と同様に(図4D)BM 条件ではSM 条件よりも有意に大きいことを新たに示した.本実験により得られた結果は先行研究で得られている行動実験による結果と矛盾するものではないことから,BM 知覚は生後8 ヶ月の時点において成人と同様に処理されている可能性が支持された. 実験3 では実験1 により見出された二つの陰性成分がBM のどのような視覚属性により励起されたかを検討した.BM 知覚は複数の光点運動情報からヒト歩行運動の形態を知覚可能な現象であることから,局所的な光点運動(運動情報)と大域的なヒトの形態(形態情報)という2 種類の情報を併せ持つことが考えられる.本実験では運動情報と形態情報のどちらが実験1 で見出された陰性方向の活動を促進させるかを検討するため,各光点の時間的構造あるいは空間的構造をコントロールした刺激を用いた.実験は14 名の被験者を対象とし,提示刺激は実験1 で用いたBM 刺激(図5Aa),SM 刺激(図5Ab),BM 刺激の各フレームの提示順序をスクランブルした刺激(図5Ac), 各光点の空間構造をスクランブルし,かつ各フレームの提示順序をスクランブルした刺激(図5Ad)の4 種類であった.解析では,BM 刺激を提示した際のERP 波形を基準とし,他の条件との差分を検討した.その結果,空間構造をスクランブルした刺激が提示された場合にのみ後頭部における陰性方向の振幅が減少した(図5B).これは局所的な光点の運動情報よりも大域的な形態情報が,後頭部領域(STS 近傍の領域)の活動を促進させる可能性を示唆した.これは実験1 で示した陰性方向の活動は光点の空間構造の処理を反映するとの仮説を支持する結果となった. 実験4 ではBM 知覚処理に関するアテンションの影響を検討した.これまで,BM 知覚処理過程はアテンションによらず自動的な過程であるとの知見が示される一方,アテンションが関与する必要性を示唆する知見も示されている.しかしながらいずれの知見も行動指標に基づくものであり,その神経機序については明らかにされてこなかった.本実験では実験1 により見出されたBM 知覚処理過程を反映すると考えられる第二陰性成分(N240 )を指標とし,その振幅がアテンションによりどのように変化するかを調べた.実験では,BM 知覚処理にアテンションが関与するのであれば第二成分の振幅はアテンションによる影響を受けるが,関与しないのであれば変化が見られない,との作業仮説を立て検証した.提示刺激はBM 刺激(図2A )およびSM 刺激(図2B )についてそれぞれ4 つの矩形と10 点のランダムノイズを重ねた(図6A )ものを用いた.ただし,提示刺激は4 つの矩形のうち一つが90 度回転する場合と全く回転しない場合の2 種類あった.被験者は運動種類弁別タスク(BM/SM を判別)と矩形方向弁別タスク(矩形方向変化/変化なしを判別)の2 種類のタスクを課された.いずれの場合も提示される刺激は同一であり,アテンションを向ける対象のみが異なっていた.13 名の被験者を対象に実験を行った結果,実験1 と同様,刺激提示後200ms,330ms に二峰性の陰性成分(N200,N330 )をT5/T6 周辺電極において見出した.特に後期成分に注目して解析を行った結果,アテンションを光点運動に向けた場合の第二成分の振幅はBM 条件よりSM 条件で小さくなったが,アテンションを矩形に向けた場合はBM 条件とSM 条件の振幅はほぼ同じとなった.つまり,第二成分はアテンションの影響を受けることが判明した. 結論 本研究ではこれまで明らかにされてこなかったBM 知覚時における脳活動の動的な側面に焦点をあて,ERP 計測を行った.一連の実験の結果,BM 知覚処理には少なくとも2 つの処理過程が刺激提示後200-400ms 以内に関与することが示唆された.特に刺激提示後200ms 付近で見出された初期成分は光点の運動視処理を反映し,240〜330ms 付近で見出された後期成分はBM 知覚処理過程,特に光点の空間的な構造処理を反映する可能性が示唆された.更に後期成分はアテンションによる振幅変調を受けることが示され,BM 知覚処理過程にはアテンションが関与する可能性を神経活動のレベルより明らかにした.また,成人で発見したERP 指標を乳児に適用することで,生後8 ヶ月でBM 知覚が成人と類似した様式で処理されていることを明らかにした. 本研究で得られた知見はヒト歩行運動知覚時の脳活動の動的側面を捉えたものであるが,これはヒト運動の一例に過ぎない.また,発達的な側面をより詳細に検討するためには縦断研究などの手法を用いる必要が考えられる.今後は,より高次な情報(意図情報,感情情報など)を含むヒト運動がどのように処理されるか,また乳児の運動発達がBM 知覚にどのように影響を与えるか,更には他の社会知覚処理に関連した成分と今回見出された成分がどのように関連するか,という多角的な観点から,他者行為知覚に関する脳の動的な処理過程について検討していきたい. 図1(A)上側頭溝(Superior Temporal Sulcus,STS )の位置.(B)事象関連電位(ERP )計測の様子. 図2.本研究で用いた提示刺激の最初の4 フレーム.(A)バイオロジカルモーション(BM) 刺激.11 個の光点運動のみからヒト歩行を知覚可能である.(B)スクランブルモーション(SM )刺激.各光点の速度ベクトルは(A)と同一であるが初期位置をランダマイズした刺激.ヒト歩行運動を知覚することには困難が伴う. 図3.(A)実験1 における全被験者のBM 条件およびSM 条件における平均ERP 波形.二峰性の陰性成分(N200,N240 )を両側後頭部T5,T6 電極周辺において検出した.(B)BM 条件からSM 条件の電位差マップ.右後頭部200-300ms においてBM 条件で陰性方向の活動が強く見られた. 図4.実験2 における結果.(A)8 ヶ月群におけるBM 条件およびSM 条件における平均ERP 波形.(B)8 ヶ月群におけるBM 条件およびSM 条件における200-300ms の区間平均電位.(C)成人におけるBM 条件およびSM 条件における平均ERP 波形.(D)成人におけるBM 条件およびSM 条件における200-300ms の区間平均電位. 図5.(A)実験3で提示した4種類の刺激.(a):時空間構造がノーマルな刺激,(b):光点の空間構造をスクランブルしたもの,(c): (a)におけるフレームの提示順序をスクランブルしたもの,(d):光点の空間構造をスクランブルし,かつ各フレームの提示順序をスクランブルしたもの.(B)(a)刺激提示時の脳活動から(b),(c)および(d)刺激提示時の脳活動の差分を求めた電位差マップ.空間構造がスクランブルされた場合(a)-(b)および(a)-(d) にのみ,電位差が後頭部領域において大きいことがわかる. 図6.(A)実験4 で提示した刺激.運動種類弁別タスク時には提示刺激中の光点運動種類(BM/SM )を判別し,矩形方向弁別タスク時には矩形の方向変化の検出を行った.いずれのタスクにおいても提示刺激は同一であった.(B)全被験者のタスク別の平均ERP 波形(後頭部領域のみを図示している). | |
審査要旨 | 本論文は,バイオロジカルモーション知覚の神経機序について,特に時間的な側面に焦点をあてて論じたものである.知覚心理学の分野では,ヒト(あるいは動物)の関節部分につけられた高々十数個の光点を提示しただけで暗闇の中であっても行為者の動作を鮮明に知覚できることが知られている.こうした知覚現象はバイオロジカルモーション知覚と呼ばれ,従来から知覚弁別実験など行動指標を用いた研究が盛んに行われてきた.しかしながら,バイオロジカルモーション知覚が脳内においてどのように成立しているのかについてはいまだ不明な点が多く,神経レベルでのメカニズム解明が待たれている。 こうした背景にあって,本論文では,高密度脳波計を用いた事象関連電位(Event-Related Potential;ERP)を指標とし,一連の実験研究(実験1〜実験4)を行うことで,バイオロジカルモーション知覚の脳内神経メカニズムにアプローチしている.本論文中で一貫して用いられているERP手法は,外的要因および内的要因によって誘発される脳活動電位を,頭皮上に装着された電極間の電位差を求めることによりミリ秒単位で計測するものである.この手法は,複数存在する脳活動計測法の中でも特に時間解像度の点で優れているため,知覚・認知現象の脳内におけるダイナミックな側面をとらえることができる. 実験1ではバイオロジカルモーション知覚の脳内における時間特性を明らかにするため,健常成人12名を対象としたERP計測が行われている.実験で用いられた刺激は歩行運動のバイオロジカルモーション刺激(BM刺激)とコントロール刺激の2種類である。コントロール刺激としては,BM刺激と同じ光点数および速度ベクトルを持つが,各光点の初期位置をランダマイズしたスクランブルモーション刺激(SM刺激)が用いられた。これらの刺激条件間におけるERP波形を比較することでバイオロジカルモーション知覚に特徴的な脳活動を浮き彫りにするのが狙いである.実験の結果,刺激提示後およそ200msと240ms付近をピークとする二峰性の陰性成分(N200,N240)が両側後頭部電極において見いだされた.特に,右半球では,それぞれの陰性成分の振幅に関して刺激条件間で違いが見られ,BM条件における振幅がSM条件よりも有意に大きいことが発見された.両刺激を構成する光点の数および各点の速度ベクトルは同一であるため,刺激条件間における振幅の違いは刺激を構成する光点の空間構造に起因するものと解釈できる。 実験1で発見された陰性成分は,バイオロジカルモーション知覚に対応した生理指標として利用可能であり,従来用いられてきた行動指標と比較すると,より客観的な指標となり得る.更に,ここで発見されたN200,N240の2つの成分が知覚過程における2種類の処理に対応している可能性を示唆できた点でも関連研究に大きく貢献する.後続する実験2から実験4は,これらの点をより明確にするため,精緻な実験計画に基づいて実施されている. 実験2は,実験1で発見されたERP指標を乳児研究に活用したものである.乳児を対象とした認知実験では,成人のそれとは異なり,実験における教示や反応を言語的に行うことができない.このような状況では,特定の知覚・認知現象に対応したERP成分が強力なインデックスとなる.生後8ヶ月児(7名)を対象に実験1と同様の刺激を用いてERP計測を行った結果,右半球におけるERP波形は成人のものと類似し,平均電位に関しても成人と同様にBM刺激条件ではSM刺激条件よりも有意に大きいことが示された.この結果は,生後8ヶ月の時点で既にバイオロジカルモーション知覚が成立していることを示唆している. 実験3では,バイオロジカルモーション知覚が刺激のどのような視覚属性によって成立しているのかについて,BM刺激の時間構造と空間構造に着目して検討している.ここでは,SM刺激(BM刺激を空間的にスクランブルしたもの)に加えて,BM刺激におけるフレーム提示順序を時間的にスクランブルした刺激が用いられた.健常成人14名を対象にしたERP計測実験の結果,空間構造をスクランブルした場合にのみ,ERP陰性成分の振幅が減少することが明らかになった.この結果は,バイオロジカルモーション知覚の成立には時間構造よりも空間構造(光点間の空間的位置関係)が重要な役割を果たしていることを示唆している. 実験4では,バイオロジカルモーション知覚がアテンションの影響を受けるかどうかについて,実験1で発見された2種類のERP成分のうち後期に現れる陰性成分を指標にすることで検討されている.実験では,被験者にBM/SM刺激の弁別課題と矩形図形の方向変化を判断させる課題を課すことによって,同一刺激を用いつつも教示によってどちらの課題を実施するのか(つまり刺激のどこに注意を向けるのか)がコントロールされた.13名の健常成人を対象にした実験の結果,BM(SM)刺激に注意が向けられた際には後期陰性成分の振幅に差が見られたが,矩形方向に注意が向けられた場合には差が見られなかった.この結果は,バイオロジカルモーション知覚は注意の影響を受けるととを示唆している. 以上のように,本論文はバイオロジカルモーション知覚研究に初めてERP手法を導入し,知覚現象に対応した特異的な陰性成分を発見して神経機序解明に大きく貢献した.更に,ERP指標を乳児研究にも適用し,その客観的指標としての有効性を確立した点で高く評価できる.本論文で述べられた実験は全て国際誌に投稿済み(内3件採録,1件条件付採録)であり,別の研究グループによってもここで発見されたERP指標の有効性が確認されている.バイオロジカルモーション知覚は,非言語コミュニケーションや他者の意図理解など知覚研究にとどまらず幅広い研究領域で注目されている.本論文はこれらの研究領域に対してもインパクトを与える可能性がある.したがって,本審査委員会は博士(学術)の学位を授与するにふさわしいものと認定する. | |
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