学位論文要旨



No 119868
著者(漢字) 石原,秀至
著者(英字)
著者(カナ) イシハラ,シュウジ
標題(和) 生命システムにおける情報処理とパターン形成 : 一方向系と反応拡散系のダイナミクスに基づいて
標題(洋) Information Processing and Pattern Formation in Biological systems : Open-flow and Reaction-Diffusion dynamics
報告番号 119868
報告番号 甲19868
学位授与日 2005.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 博総合第572号
研究科 総合文化研究科
専攻 広域科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 金子,邦彦
 東京大学 助教授 佐々,真一
 東京大学 助教授 福島,孝治
 東京大学 助教授 池上,高志
 東京大学 教授 佐野,雅己
内容要旨 要旨を表示する

 本論文では生物が用いている情報処理機構、その機能の現れとしてのパターン形成について、幾つかの視点から研究した結果を述べる。特に一方向系ネットワークに基づいた生物における情報処理機構について調べた(2-4章)。2,3章は一続きの章で、特にDrosophilaの発生過程における遺伝子ネットワークがいかに形態形成において機能するのかを、ネットワークモチーフをもとに議論した。データベースを用いてどれくらい仮説が妥当なのかを吟味した。4章では一般的な一方向ネットワークについて調べ、そのような系がもつ普遍的な不安定性について議論する。5章においては一方向系では不十分な部分を議論するため、反応拡散によるパターン形成を空間スケールの制御という観点から調べた。特に生物がプロポーションをどのように保つかについて述べた。各章のより詳細な内容は以下のとおりである。

 2章Constructing complex responses of gene regulatory networks

 3章Network basis of morphogenesis

 生物内での遺伝子成分の様々な相互作用がどのように機能につながるかを理解することは大きな問題である。ショウジョウバエDrosophilaの発生過程におけるパターン形成と遺伝子ネットワークの構造の関係を調べた。

 近年、細胞中の遺伝子の相互作用ネットワークの性質が調べられ、その中ではネットワークモチーフと呼ばれる特定の小さな部分構造が統計的に有意に多く含まれることが分かってきた[R.Milo,et.al.Science(2002)]。ネットワークモチーフは最小の機能単位として働き、ネットワーク全体の働きを理解するために大きな手がかりになると考えられる。遺伝子制御ネットワークで見られる最も典型的なモチーフとしてFeed-Forward Loop(FFL)がある。これは3つの遺伝子X,Y,Zからなり、XがY,Zを、YがZを制御するモチーフである(図.1左)。我々はデータベースの解析を行いDrosophilaの発生過程における遺伝子制御も多くのFFLを含むことを見出した。しかしながら大腸菌や酵母と比べて直列・並列に相互作用し複雑に絡み合ったものであった。このようなネットワーク構造がどのように発生過程で働くのであろうか?

 一つのFFLでXからZへの直接・間接の二つの制御経路が逆符号の制御を行う場合をincoherent FFL(iFFL)と言う。我々は遺伝子制御のモデルにおいてiFFLの入出力関係、即ちXの発現量に対してのZの応答が一山型であることを見出し、それらが観測される条件を調べた。これらの基礎的な所を押えた上で、モチーフを連結した時にできるネットワークの性質を調べた。iFFLを直列につなげた場合、適当なパラメータの範囲でその応答は二山になる。これは中間で一山をつくり出し、それをもう一度なぞることで出来る。一方並列でつないだ場合も、そのつなぎ方に応じて数山の応答を示す。これらにより、あるX成分の濃度が特定の領域でのみZが発現するという、"concentration detector"が構成される(3章)。

 以上で得られた知見を踏まえ、Drosophilaの発生過程に見られる遺伝子発現の空間パターンが以下のような機構で出来ることを提案した。Drosophilaはその発生過程で幾つかの遺伝子(eve等)が等間隔に発現することで体節化を行う。そのパターン発現の機構は問題であったが、分子生物学の知見により、母親由来の因子、特にビコイド(Bcd)が胚内で頭部から尾部への勾配を形成し位置情報を担っていることがわかった。その位置情報はどのようにして各遺伝子に伝えられているのであろうか?それらは体節構造形成のため細胞中の位置に応じた遺伝子発現を行わなければならない。Bcdの発現量を入力とすると、各遺伝子の発現量はその遺伝子制御ネットワークを通してのBcdへの応答と捉えられる。Bcdは空間的にその発現量を変えるから、FFLsの相互作用によって各遺伝子の発現量は1山型、2山型の空間プロファイルをとり、その空間パターンを説明することが出来る(図1右)。遺伝子ネットワークの中でFFLが実際多く、また相互作用していることからこの機構が働いていると考えられる。我々は実験データをもとにeve遺伝子の発現パターンを再現することができた。また、この機構によればpair-rule遺伝子群のmutation実験も説明することができる。また、分節化過程以外にも例えばホメオティックジーンでFFLが使われていることをデータからしらべた。この機構がいかに動物の形態を多様化させうるか、その進化的役割を議論した。(4章)

 体節構造は動物の形態形成において何よりも重要であり、それはここで見るようにFFLをメインとした一方向ネットワークによる情報処理過程によって達成されるのであろう。これらの結果から、ネットワークモチーフが発生過程においてどのように働いているのか、なぜ多いかが理解できる。

 4章 Magic number 7 ± 2 in networks of threshold dynamics

もっとも基礎的な並行情報処理系として典型的なLayerd Neural Network(LNN)について調べ、その情報処理ダイナミクスの定性的な振る舞いが、並列経路の数が7付近を境に変化することを見出した。情報処理を層に沿ってのダイナミクスであると捉えた時、その情報処理経路が7を越えると経路間の自由度の干渉が強くなり、カオス的になってしまう。その特徴付けをLyapunov指数を用いて行った。このような性質がモデルによらず普遍的であることを、それが表すBool関数の組合せ爆発、また相空間におけるフォールディングプロセスの発生から議論した。最後に一般のニューラルネットワークについても少し触れた。

 5章 Turing pattern with preservation of proportion

Houchmandzadeh et. al.(2002)の実験によるとDrosophila発生過程での遺伝子Hbの発現領域はその上流遺伝子にの揺らぎによらず制御されている。しかもそれは細胞の大きさに応じて発現領域の範囲を調整し、プロポーションを保つような制御である。一方向ネットワーク系だけではDrosophilaの発生過程におけるプロポーションの維持は説明できない。

 この章では、上のモデルに対しての直接のモデリングは行わない。その代わり空間スケールの制御の基礎についてより広く考察を行った。反応拡散系のTuring Patternに基づいたパターン形成において間単なメカニズムでプロポーション制御が可能であることを示す。ここで簡単とは、進化的にも容易に実現できたであろうことを意味する。このことからそのようなsize regulationを行う因子(morphogen)が存在する可能性を指摘した。また、ここで行った考察をもとにHbの発現に関する制御機構について議論した。

図1:(左)Feed-forward Loop(FFL)(右)直列FFLにより作られる空間ストライプ。

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は生命システムにおける情報処理とパターン形成を一方向力学系と反応拡散系に基づいてシミュレーション、生物のデータの解析、そして理論的解析を通して一般的に論じたものである。

 本論文は6章137ページからなる。第1章は導入説明、以下2ー3章では一方向結合を持ったフィードフォワードネットワークの重要性が理論、データ解析から議論される。特に、発生過程における遺伝子ネットワークがいかに形態形成において機能するのかが論じられ、後述するネットワークモチーフ構造の意義が理論的に指摘され、データベースを用いてその妥当性が吟味される。ここまでは一方向ネットワークによる形態形成のコントロールの指摘である。一方、第4章ではその制御が複雑なパタンについて可能かという問題意識のもと、自由度が大きくなると一方向ネットワーク系が、普遍的な不安定性を持つことが示される。そこで第5章においては一方向系では不十分な部分を補うべく、反応拡散系が空間スケールの制御という観点から調べられ、特に比率制御のしくみが提案される。第6章はまとめと展望にあてられている。以下、2ー5章を詳細に説明する。

 生物内での遺伝子成分の様々な相互作用がどのように機能につながるかを理解することは発生過程の理解の上できわめて重要な問題である。第2、3章では、モデル生物として良く調べられているショウジョウバエDrosophilaの発生過程と遺伝子ネットワークの構造の関係が論じられている。近年、細胞中の遺伝子の相互作用ネットワークの性質が調べられ、その中ではネットワークモチーフと呼ばれる特定の部分構造が統計的に有意に多く含まれることがアロンらによって指摘された。ネットワークモチーフは最小の機能単位として働き、ネットワーク全体の働きを理解するための手がかりになると考えられている。本論文では遺伝子制御ネットワークで見られる典型的なモチーフとしてのFeed-Forward Loop(FFL) に注目して議論を進めている。これは3つの遺伝子X,Y,Zからなり、XがY,Zを、YがZを制御するモチーフである。第2章ではデータベースの解析を行いDrosophilaの発生過程における遺伝子制御が多くのFFLを含み、大腸菌や酵母と比べて、それらが複雑に絡み合っていることが示される。第2、3章では、このようなネットワーク構造の機能が理論的に提示される。

 特に、一つのFFLでXからZへの直接・間接の二つの制御経路が逆符号の制御を行う、incoherent FFL(iFFL)に焦点が置かれる。 第2章では遺伝子制御のモデルにおいてiFFLの入出力関係、即ちXの発現量に対してのZの応答が一山型になることが示され、そのための条件が求められる。この基礎的性質をふまえて、iFFLを連結した時にできるネットワークの性質が調べられる。iFFLを直列につなげた場合、適当なパラメータの範囲でその応答は二山になり、一方並列でつないだ場合も、そのつなぎ方に応じて数山の応答を示すことが示される。この結果、あるX成分の濃度が特定の領域でのみZが発現するという、濃度検知機能が構成される。

 以上で得られた知見を踏まえ、第3章ではDrosophilaの発生過程に見られる遺伝子発現の空間パターンが議論される。Drosophilaはその発生過程で幾つかの遺伝子(eve等)が等間隔に発現することで体節化を行う。その際、母親由来の因子、特にビコイド(Bcd)が胚内で頭部から尾部への勾配を形成し位置情報を担うとされている。ここで位置情報をつくり体節構造を形成するためには、細胞中の位置に応じた遺伝子発現が行われねばならない。そこで第2章の議論をふまえて、以下のような機構でのパタン形成が提案されている。まずBcdの発現量を入力とすると、各遺伝子の発現量はその遺伝子制御ネットワークを通してBcdへ応答する。Bcdの濃度勾配に応じて、濃度検知機能を持つiFFLネットワークの相互作用を考えれば、下流の遺伝子の発現量が1山、2山型の空間プロファイルをとる。結果、縞状の発現が現われ、体節化がされる。以上の考えに基づき、さらにDrosophilaの実験データをもとにして、eve遺伝子の発現パターンが再現され、また突然変異実験の結果も説明される。以上の分節化過程以外にもFFLの役割がデータをふまえて論じられている。

 では、FFLのような一方向ネットワークの制御機構は常にうまく働くのであろうか。この疑問に答えるべく、第4章では基礎的な並行情報処理系として、典型的なLayerd NeuralNetwork(LNN)が調べられる。その結果、その情報処理ダイナミクスの定性的な振る舞いが、並列経路の数が7付近を境に変化し、情報処理経路が7を越えると経路間の自由度の干渉が強くなり、オンオフ的情報処理が働かなくなることが示される。そこで生じるカオスの特徴付けがLyapunov 指数を用いて行われる。更に、このような性質がモデルによらず普遍的であることが、それが表すブール関数の組合せ的爆発、また相空間における伸ばしー折れ畳みの発生の観点から議論され、一般に階乗と巾乗のクロスオーバー点として境界の数7が説明される。

 第4章で示された不安定性を考慮すると、発生の問題には一方向ネットワーク系以外の論理も必要である。例えばDrosophilaの発生過程での遺伝子の発現領域は細胞の大きさに応じてその範囲が調整され、比率を保つよう制御されている。この説明には。一方向ネットワーク系だけでは不十分である。そこで、第5章では反応拡散系を用いて空間スケールの制御の基礎についての考察がなされる。具体的には反応拡散系のTuring Pattern形成において、間単なメカニズムで比率制御が可能であることが示されている。

 このように、石原氏は本論文において、一方向ネットワークの情報処理、特にその形態形成への意義を論じている。2ー3章で提案されたFFLの機構は一般的であり、一方、例とした体節構造は動物の形態形成において本質的であるので、この結果は発生過程の制御への重要な新しい視点を与えている。その新しい機構を論じたのみならず、一方向ネットワークによる情報処理過程への普遍的限界をも与えているのは、今後の形態形成の論理を明らかにして行く上で重要な寄与である。もちろん、今後、2、3章の一方向ネットワークの論理と5章のTuringパタンの論理の組み合わせ、それぞれの進化的安定性など発展させるべき問題も残っている。ただしそうした研究は、本論文の成果の上にたっておこなわれていくと考えられる。以上、本論文は発生過程の論理を解明する上で重要な寄与を与えている。

 なお、本論文の第2章、第3章は現在投稿中、第4章はPhys.Rev.Lettに掲載されており、さらに第5章の結果も投稿準備中である。2、3章は柴田達夫、藤本仰一、4、5章は金子邦彦との共同研究であるが、いずれも論文の提出者が主体となって行なったもので、提出者の寄与がほとんどである。

 よって本論文は博士(学術)の学位請求論文として合格と認められる。

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