学位論文要旨



No 119869
著者(漢字) 井町,昌平
著者(英字)
著者(カナ) イマチ,ショウヘイ
標題(和) 規則性ナノ空間反応場による有機反応制御
標題(洋) Organic Reaction Control in Ordered Nanospace
報告番号 119869
報告番号 甲19869
学位授与日 2005.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 博総合第573号
研究科 総合文化研究科
専攻 広域科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 尾中,篤
 東京大学 教授 友田,修司
 東京大学 教授 藤田,誠
 東京大学 助教授 錦織,紳一
 東京大学 助教授 村田,滋
内容要旨 要旨を表示する

 ゼオライトは結晶性のアルミノケイ酸塩の総称で、ナノ空間制御された細孔をもつ。ゼオライトの収着剤または固相反応場としての特徴は、1)結晶性の多孔質構造は均一なナノ空間を提供する、2)親水性、または疎水性の細孔表面は収着する分子を制御する、3)強い静電場の存在は、極性固相反応場として機能する、等があげられる。このようなゼオライトのもつ特徴から、新規な合成反応場を提供できる材料としての活用が大いに期待される。

一方、自己多量化しやすく不安定な化合物は非常に反応性に富み、興味深い挙動を示す場合が多い。しかし、その化合物の取り扱い法としては現在のところ多量化しない低温度で扱う程度の方法しか対処法がなく、反応試薬として用いる場合には、その使用方法が大幅に制限されることが多かった。

 ホルムアルデヒドのような重合しやすい不安定な化合物においても、カルボニル基がゼオライト表面と強く相互作用することで、ゼオライト細孔内に安定に収着される。最も単純なα,β−不飽和アルデヒドのアクロレインも、ホルムアルデヒドと同様に自己重合しやすい化合物であるが、ホルムアルデヒドと同様にゼオライトに安定に収着された。

 さらに、ゼオライトに収着したアクロレインは、細孔内でアクロレイン分子同士の接触が妨げられるため安定化され、同時にゼオライトの静電場の影響で活性化され優れた求電子剤となる。特にアクロレインへの1,4−付加反応は末端にアルデヒド基を残し3炭素増炭できるため、合成化学的に利用価値が高い。しかし、実際にはアクロレインに対し選択的に求核剤が1,4−付加した報告例は少なく、汎用性の高い合成手法の確立が望まれていた。通常、α,β−不飽和アルデヒドに対する求核付加反応は、カルボニル炭素の反応性が高いため1,2−付加が優先する。ところが、ゼオライト内に収着されたアクロレインは、インドールの1,4-付加反応をうけ、選択的に3-インドリルプロパナールを与えた。これは、ゼオライトに配位したアクロレインのカルボニル炭素がゼオライト細孔壁により求核試薬の攻撃から効果的に遮蔽されているためと推察される。また、アクロレインと同様に、ホルムアルデヒドもゼオライトに安定に収着されると活性化をうけ、脂肪族アルデヒドである3-フェニルプロパナールとのダイレクトアルドール反応を引き起こすことを見い出した。

 Diels-Alder反応は反応媒体の効果を最も顕著に示す反応のひとつである。たとえば、親水性媒体中では、疎水的な反応基質が疎水性効果により凝集し、内部圧の上昇を誘起して反応が劇的に加速されることが知られている。これまでに親水的な媒体として水、または過塩素酸リチウム−ジエチルエーテル溶液での反応加速効果が報告されているが、親水的な固体媒体におけるDiels-Alder反応については報告例がない。そこで、親水的ゼオライトを、親水的な媒体として用いた場合のDiels-Alder反応加速効果を調べた。親水的固体媒体のNaYゼオライトに対し、室温付近では不安定である疎水的なシクロペンタジエンは二量化することなく定量的に収着された。しかも、シクロペンタジエンの収着密度の高いゼオライトと収着密度の低いものをつくり分けることができた。13C 固体NMRスペクトルより、細孔内のシクロペンタジエン密度が高い場合は、細孔内での収着分子の運動速度が制限さることが確認された。またゼオライト細孔表面には、シクロペンタジエンを収着するサイトが複数存在することが示された。NaYゼオライトに収着されたシクロペンタジエンに対し、有機溶媒を加えることなく各種の親ジエン分子を作用させたところ、高密度に収着されたシクロペンタジエンは高い反応性を示した。一方、低密度に収着されたシクロペンタジエンや、反応基質が自由に拡散できる液体媒体中では、Diels-Alder反応の促進効果は確認されなかった。これは、シクロペンタジエンを高密度で収着したゼオライトは、水溶液反応の疎水性効果と同様の圧力効果を与えるためシクロペンタジエンと種々の親ジエン剤のDiels-Alder反応に対して高い反応性を示した。

 固体触媒は、原料が同じであっても調製法によりその触媒活性が異なることが多い。この主な要因は、固体触媒の作用が表面構造に由来するためであり、触媒活性種の表面構造が調製法により大きく変化するからである。活性種を担持した触媒においても担体の種類に応じて活性が大きく変化する。これは、活性種の局所構造と凝集状態が、高分散担持された触媒種とバルク状態のものとは異なる構造をとるためである。

 今日では高表面積の担体に金属酸化物やルイス酸を分散担持する手法は、触媒調製の常套手段であり、これによって多くの実用触媒が調製されている。精密有機合成化学において、高い触媒活性を示すだけでなく、高い立体選択性を示す機能的固体触媒の開発が強く求められている。本研究では、シトロネラールの立体選択的分子内カルボニル−エン反応に着目した。カルボニル−エン反応はホモアリルアルコールの優れた合成手法である。特に、(+)−シトロネラールの立体選択的分子内カルボニル−エン反応は、工業的に需要の高い(−)−メントールを合成する際の最も重要な工程である。本反応の触媒として、塩化アルミニウムや、四塩化チタンなどの強いルイス酸を用いた場合の立体選択性は低いが、ハロゲン化亜鉛については良好な立体選択性を示すことが報告されている。触媒の精製、再利用のためには触媒の固定化が望ましく、反応溶液に触媒活性種が溶出しないルイス酸固定化触媒の利用が理想的である。また、バルクの臭化亜鉛と高分散担持させた臭化亜鉛では触媒活性種の表面構造が異なるため、高表面積を有しナノ空間制御された多孔体に担持された臭化亜鉛は、高活性が期待できる。

 メソ多孔性シリカであるHMSに対し臭化亜鉛の担持を試みたところ、反応溶液中に活性成分が溶出しない臭化亜鉛固定化触媒を調製することができた。細孔構造の安定性が触媒活性に大きな影響を与えることも見い出した。新規に開発した臭化亜鉛担持HMS触媒を用いることで、(+)−シトロネラールから高収率で、しかも実用レベルの立体選択性で、(−)−イソプレゴールの生成を達成した。

Figure1.アクロレインに対するインドールの1,4−付加反応

Figure2.3−フェルニプロパナールとホルムアルデヒド収着ゼオライトによるダイレクトアルドール反応

Table 3.シクロエンタジエン収着NaYによるDiels-Alder反応

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は 全4章からなる.第1章は緒言であり,研究の背景や目的が述べられている.第2章は,ゼオライトのもつ固有のナノ細孔空間へ不安定有機分子であるホルムアルデヒドやアクロレインを収着させると,その不安定分子が常温においても,多量化せずに安定に単量体の形で保存されることについて述べている.さらに,ゼオライトに収着した分子は,安定に存在しているだけではなく,芳香族化合物やエノールを与えるカルボニル化合物を加えると,容易に「直接アルドール付加反応」が起こることについて述べている.第3章では,第2章で極性の高いホルムアルデヒドやアクロレイン分子について述べたのに対して,非極性で,しかも二量化しやすいシクロペンタジエン分子も,ゼオライトのナノ細孔へ安定収着されることについて述べている.さらに,その収着シクロペンタジエンが,収着量に応じて,親ジエン試薬とのディールス・アルダー反応性を大きく変えることについて述べている.また,収着シクロペンタジエン分子のゼオライト細孔内での分子運動に関して,固体NMR法を駆使して考察を加えている.第4章は,臭化亜鉛で化学修飾したメソポーラスシリカ材料を開発し,それを固体酸触媒として利用すると,香料として需要が多い(-)-メントールを製造するために必要な(-)-イソプレゴールを,(+)-シトロネラールより高収率且つ高選択性で合成できることについて述べている.第5章で総括が述べられ,ゼオライトのもつナノメートルの規則正しい固体特異反応場では,従来の均一溶液系反応では困難であった種々の不安定分子の反応が,高い反応性と選択性をもって実現することが可能となった成果が纏められている.

 もともと吹管であぶると水蒸気を出すことから,「沸騰する石」という意味の名前が付けられているゼオライトは,均一な細孔構造をもつ材料の代表格であり,現在天然物から人工物まで百数十種類の骨格構造が知られている.その固有のサブナノメートルサイズの細孔構造,イオン交換能,吸着分離能,固体酸・塩基性質などの特徴は,古くから乾燥剤,吸着剤,分子篩,イオン交換体,触媒材料,あるいは種々の添加剤として,学術研究ばかりでなく,産業,さらに日常生活に至るまで,大きな貢献をしてきた.ナノサイエンスに大きな関心が集まっている現在においても,「古くて新しい素材」であるゼオライトは,高機能ナノ空間材料として,様々な角度から眺められている.

 土の成分と同じアルミノケイ酸塩で構成された安全な物質であるゼオライトの触媒材料としての用途は,従来高温条件下で行う石油精製・化学プロセスに重きがおかれていた.一方,有機反応の促進に有効な酸性や塩基性を有し,サブナノ〜ナノメートル領域の均一な細孔空間により,収着できる分子のサイズを選択する,いわゆる分子形状選択性を示す特徴は,高い効率や選択性を要求される精密化学品の合成の際に,より有効に活かされると考えられる.しかし,従来の有機合成化学において,ゼオライトはそれ程注目されることはなかった.本研究は,古くから知られていて汎用品でもあるフォージャサイト型ゼオライトの化学的・物理的特性を巧みに活用して,高付加価値の精密化学品や医薬品の合成の際に利用できる有用な合成法を確立した.

 一方,ゼオライトは,その細孔径がせいぜい1ナノメートル程度であるので,大きなサイズの有機分子には高い触媒作用が望めない.ゼオライトの化学合成は1940年代から始まり,現在までに数多くの種類のものが見出されているが, 1.5ナノメートルを超える孔径のゼオライトは実現されていない.しかし,1990年代に入って,非晶質ではあるが規則性の高い,孔径が2-10ナノメートルのナノ細孔を有する様々なメソポーラス物質が,界面活性剤のミセルを鋳型とする工夫により合成できるようになった.したがって現在では,これらの素材を使い分けることにより,幅広いナノ空間領域での化学現象の追求が可能となっている.

 第2章の「ゼオライトナノ細孔への不安定有機分子(ホルムアルデヒド,アクロレイン)の収着とその反応制御」では,まず,化学反応性が高いが故に不安定で多量化しやすいα,β-不飽和アルデヒドのアクロレインが,フォージャサイト型ゼオライト(NaX,NaY)細孔内に収着させると,安定に単量体として存在することを,固体13C NMR法を用いて初めて見出した.このゼオライト収着アクロレインを,常温で真空排気しても,収着アクロレイン量の減少は全く見られなかった.一方,一般のシリカゲルにもアクロレインは収着するものの,同様の真空排気をすると完全に散逸した.このことよりアクロレインは,ゼオライトのナノ細孔中に存在するナトリウムイオンと強く相互作用した状態で安定収着していると推測した.更に興味深い点は,このゼオライト収着アクロレインにインドールを作用すると,インドールがアクロレインへ選択的に1,4-付加反応を起こすことを見出した.ちなみに,この生成物は,その不安定さ故に,従来の方法では単離することができなかった物質である.さらに,インドールの他にアニソールも選択的に1,4-付加することを確認した.従来の芳香族化合物のフリーデル・クラフツ型のアルキル化反応では,ハロゲン化水素などの廃棄物が生じる,あるいは直鎖状のアルキル化体よりも分岐したアルキル化生成物がより多くできるなどの欠点があった.アクロレインに芳香族化合物を直接付加させる反応は,原子効率100%の無駄を生じない反応様式であり,しかも直鎖状の3炭素を導入することが可能となり,無駄な反応剤を使用しない化学合成(グリーンケミストリー)を可能とする,より次元の高い有機合成反応と評価できる.

 また,ゼオライトに吸着したホルムアルデヒドは,脂肪族アルデヒドとの直接アルドール反応を引き起こし,脱水生成物であるα-メチリデンアルデヒドを与えることを見出した.通常,ホルムアルデヒドへのアルドール付加反応を行うには,カルボニル化合物から発生させたエノラート体を必要とするが,エノラート体を予め調製しなくても,アルドール型付加反応が進むことを見出した点に価値がある.

 第3章の「親水的ゼオライトへのシクロペンタジエンの収着と反応制御」では,第2章で極性分子であるアクロレインに関して,そのナノ空間内で示す特異性を明らかにしたのに対して,非極性のシクロペンタジエン分子がゼオライト細孔内に収着された際の動的挙動や,化学反応性について調べた結果が纏められている.

 まず,固体13C NMR測定法を用いて,ゼオライト細孔内で収着されたシクロペンタジエンが,ゼオライト表面に固定されているのではなく,細孔内の複数の吸着サイトの間を高速で動き回っていることを,シクロペンタジエンの集約密度の異なる試料の測定や,温度可変NMR測定によって明らかにした.

 次に,ゼオライト細孔内に収着したシクロペンタジエンの化学反応性について調べた結果,細孔内に密に収着したシクロペンタジエンほど,オレフィンに対する付加反応の反応性が高められることを見出した.これは,ゼオライト細孔内の極性空間の中で,反応し合うシクロペンタジエンとオレフィンが隙間なく密に存在する状況が作られると,疎水性相互作用によって分子同士が押し合う内部圧力が高められ,外部からの加圧によって反応を促進する状況と同じような効果が生まれて,遷移状態で活性化体積が大きな負の値を示すタイプの反応を促進したと解釈しました.この研究は,ゼオライト固有の親水的ナノ空間が,疎水的有機分子同士が関わる付加反応において,優れた反応場となることを実証している.

 第4章では,ゼオライトよりも細孔の大きさが数倍大きく,同様に規則性の高い細孔構造をもつメソポーラスシリカを素材として,触媒の開発を行っている.具体的には,ルイス酸として有効に働く臭化亜鉛を用いて,メソポーラスシリカの細孔表面を化学修飾して,有機溶媒にルイス酸成分が溶け出さないよう固定された,固体ルイス酸触媒を新規に作り出しました.この固体ルイス酸触媒は,香料として需要の大きな(-)-メントールを作り出すために必要な,中間物質の(-)-イソプレゴールを,選択的に合成する触媒として有効に働くことを明らかにした.

 第5章では論文全体の総括が纏められている.

 以上のように,本論文は,特にゼオライトという身近な物質のもつナノスケールの反応場の特性,すなわちその配位能力や親水性を活かし,不安定分子が安定に保持される状態を動的に解析し,現象を明らかにするだけではなく,実用的な化学合成反応へ展開した点に特色がある.

結び

 本論文中の第4章の一部は大和田紀章氏との共同研究であるが,論文の提出者が主体となって実験,解析を行ったものであり,論文提出者の寄与が十分であると判断する.

 よって本論文は博士(学術)の学位請求論文として合格と認められる.

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