学位論文要旨



No 119870
著者(漢字) 大久保,將史
著者(英字)
著者(カナ) オオクボ,マサシ
標題(和) スピン・電荷・光の相乗効果による多重機能性有機・無機複合錯体の開発研究
標題(洋) Study on Multifunctional Organic-Inorganic Hybrid System Coupled with Spin, Charge and Photon
報告番号 119870
報告番号 甲19870
学位授与日 2005.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 博総合第574号
研究科 総合文化研究科
専攻 広域科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 小島,憲道
 東京大学 教授 菅原,正
 東京大学 教授 鹿児島,誠一
 東京大学 助教授 小川,桂一郎
 東京大学 助教授 松下,信之
内容要旨 要旨を表示する

 近年、機能性を持つ分子(磁性分子、導電性分子、光応答性分子など)を組み合わせ、様々な外部刺激に対して応答性を持つ物質、すなわち高次機能性物質の研究が盛んに行われている。高次機能性物質は、複数の機能性が一つの物質に共存することでそれらの相乗効果による新たな現象の発現が期待されると同時に、将来のデバイスとしての応用が期待される。我々は光による有機・無機複合錯体の物性制御を研究目的とし、具体的には伝導性の電荷移動錯体の対イオンに光応答性分子を用いることでの伝導挙動の光制御、そして、層状磁性材料に有機分子をインターカレートした有機・無機複合錯体における磁性の光制御を目指した。

 1960年代から盛んに行われてきた有機電荷移動錯体の研究は、分子設計の知識を蓄えていくことで金属状態の安定化の方法論を導き出してきた。特に、対イオンとして無機イオンを用いた電荷移動錯体では無機イオンのサイズやネットワーク様式により、構造・電子物性をコントロールできることが分かった。このことは、対イオンとして光応答性物質を導入し、光によりサイズやネットワーク様式を変化させることで、有機電荷移動錯体の電気伝導性を光で制御できる可能性を示唆している。本研究では電荷移動光応答性有機・無機複合錯体を開発することにより、伝導物性の光制御を目指した。導電性有機分子としてはBEDT-TTF (bis(ethylenedithio)tetrathiafulvalene)、光応答性イオンとしてはニトロシルルテニウム錯体を用いた。

 BEDT-TTと[RuCl5(NO)]2-を組み合わせ、電解合成法により図1の構造を持つ(BEDT-TTF)4[RuCl5(NO)]C6H5CNを得た。結晶構造より、BEDT-TTFの硫黄原子と[RuCl5(NO)]2-の酸素原子間に短い分子間接触が見られ、それを通して部分的にBEDT-TTFの電荷がルテニウム錯体のニトロシル基に移動していることが推測され、このことはラマンスペクトル・EPRスペクトルからも確認された。これを基に、拡張ヒュッケル法と強束縛近似模型によるバンド計算を行った結果、フェルミ面の存在が認められ、金属的な伝導挙動を示すことが予想された。しかし、電気伝導度を測定したところ、この物質は半導体(常圧下σr.t.=10-3S・cm-1,ΔE=0.45eV)であった。これは、拡張ヒュッケル法と強束縛近似模型によるバンド計算に反する結果であり、この物質はバンド計算に含まれていないオンサイトクーロン相互作用が強いことが予想された。磁化率の測定により図2に示すような磁化率の温度依存性が得られ、スピン間の相関が確かに強いことが認められた。EPRの詳しい解析により、この物質はモット絶縁体と金属の中間の領域にあることが分かった。

 層状磁性材料に有機分子をインターカレートした有機・無機複合錯体における磁性の光制御という研究目的に対しては、ジアリールエテン誘導体を対イオンとした2次元強磁性材料であるペロブスカイト型化合物ACuCl4(A=カチオン)、LDHs (一般式:Co2(OH)3A・nH2O (A=アニオン))の開発研究を行った。

 ジアリールエテン誘導体は、固体中でもフォトクロミズムを起こす事ができる極めて優れたフォトクロミック材料である。ジアリールエテン誘導体を磁性制御に応用する研究はMatsudaらにより報告されており、彼らはスピンを持つ2つのニトロニルニトロキシドをジアリールエテンで結合させ、相互作用Jを変化させることに成功している。

 2次元磁性材料のペロブスカイト型銅化合物ACuCl4は、協同ヤーンテラー効果により面内で強磁性相互作用を起こす興味深い物質であり、この協同ヤーンテラー効果は対カチオンに対して非常に敏感であることが知られている。このことは、この系にジアリールエテン誘導体を導入した場合、磁性を光で制御できる可能性を示唆している。そこで、ジアリールエテン誘導体カチオンを対カチオンとして用いたペロブスカイト型銅化合物ACuCl4を合成し、その磁気特性を調べた。

 合成は遮光下で1aのメタノール溶液とCuCl2の濃塩酸溶液を混合し、黄緑色 [1a]CuCl4を得た。また、1aのメタノール溶液にUV(337 nm)照射後、CuCl2の濃塩酸溶液と混合し暗紫色[1b]CuCl4を得た。静磁化率を測定したところ、図3のような磁化率の温度依存性を得た。2次元ハイゼンベルグモデルの高温展開式にフィットした結果、 [1a]CuCl4と[1b] CuCl4でそれぞれ、面内強磁性相互作用J/kB = 10.7 K ([1a]CuCl4)、6.9 K ([1b]CuCl4)であることが分かった。面内強磁性相互作用が[1b]CuCl4では弱いことに起因して、低温での交流磁化率の温度依存性から[1a]CuCl4は3.4Kで3次元反強磁性転移するのに対し、[1b]CuCl4は2Kまで転移を示さないことがわかった。[1a]CuCl4の単結晶X線構造解析により、一般的なACuCl4に対して比較的二つの塩が弱い面内強磁性相互作用をする原因として、大きなジアリールエテン誘導体カチオンを用いたことによりCuレイヤーが歪んで協同ヤーンテーラー効果を弱めていることが分かった。

 Co2(OH)3A・nH2O(A:有機アニオン)はイオン交換反応により容易に有機アニオンをインターカレートすることができる。その磁性は、有機分子の交換により強磁性から反強磁性まで制御することができる。このことは、層間の有機分子に光異性化反応を起こす分子を導入することにより、磁性の光制御の可能性を示唆している。そこで、Co-LDHsにジアリールエテン誘導体アニオンを導入した系を合成し、その物性を測定した。

 合成では、Co4(OH)6(2a)・nH2Oを、アニオン交換反応によって緑色粉末として得た。粉末X線回折パターンから面間距離は27.8 Aと見積もられ、層間にジアリールエテン誘導体アニオン2aがインターカレートされていることが推定される。KBrペレット中で313 nmを照射したところペレットは緑色から赤紫色に変化し、またその後に550 nmを照射したところ、ペレットは元の緑色に戻り、固体中で2aのフォトクロミズムが起きている事が示された。この変化に伴い、磁化曲線は図4のようにほぼ可逆的に変化する。このことは、2a→2bのフォトクロミズムにより硬い強磁性体が柔らかい強磁性体にスイッチされることを示している。この機構の解明のためには単結晶による詳細な構造・磁性の解析が必要であると考えられる。

図1 (BEDT-TTF)4[RuCl5(NO)]C6H5CNの結晶構造 (a)a軸方向 (b)c軸方向から見たBEDT-TTF層

図2 (BEDT-TTF)4[RuCl5(NO)]C6H5CNの磁化率の温度依存性

図3 ジアリールエテンの光異性化 (1:NH3+,2:SO3-)

図4 [1a]CuCl4と[1b] CuCl4 の(a) 静磁化率の温度依存性 (b) 交流磁化率の温度依存性(上:X', 下:X'')

図4Co4(OH)6(2a)・nH2Oの磁化曲線

審査要旨 要旨を表示する

 近年、機能性を持つ分子(磁性分子、導電性分子、光応答性分子など)を組み合わせ、様々な外部刺激に対して応答性を持つ高次機能性物質の研究が盛んに行われている。高次機能性物質は、複数の機能性が一つの物質に共存することでそれらの相乗効果による新たな現象の発現が期待されると同時に、将来のデバイスとしての応用が期待される。

本論文は、このような視座に立ち、導電性有機電荷移動錯体の対イオンに光応答性分子を用いることによる伝導挙動の光制御、層状強磁性体に光応答性有機分子をインターカレートした有機・無機複合錯体における強磁性の光制御を目的として様々な有機・無機複合錯体を開発し、その物性を詳細に研究したものである。本論文は4章で構成されている。

 第1章では、本研究の関連分野における重要性と位置づけについて述べている。

 第2章では、導電性有機導体における電気伝導性の光制御を目指し、光応答性分子であるニトロシルルテニウム錯体と、導電性分子であるBEDT-TTF (bis(ethylenedithio)tetrathiafulvalene)で構成される分子性固体について合成を行い、その構造・物性・電子状態を明らかにしている。構造解析の結果から、この系は、BEDT-TTF分子の二量体が互いに直交して配列して層状構造を形成する、1型と呼ばれる構造に属していることを明らかにしている。提出者は、結晶構造からBEDT-TTFの硫黄原子と[RuCl5(NO)]2-の酸素原子間に短い分子間接触を見出し、この分子間接触を通して部分的にBEDT-TTFの電荷がルテニウム錯体のニトロシル基に移動していることを推測し、実際にラマンスペクトル・EPRスペクトルから確認している。これを基に、拡張ヒュッケル法に基づく強束縛近似模型によるバンド計算を行いフェルミ面の存在を確認し、金属的な伝導挙動を予想している。しかし、電気伝導度を測定から、この物質は半導体(常圧下σr.t.=10-3S・cm-1,ΔE=0.45eV)であり、拡張ヒュッケル法に基づくバンド計算に反することから、この物質はバンド計算に含まれていないオンサイトクーロン相互作用が強いことを予想している。そして磁化率の測定により、スピン間の相関が強い2次元ハイゼンベルク型反強磁性体として振舞うことを見出し、交換相互作用の値を決定している。以上のような系統的な物性解析を通して、この系がBEDT-TTFからニトロシル基への部分的な電荷移動を起こしている特異な系であることを結論している。

 第3章では、磁性の光制御を目指し、光応答性有機分子であるジアリールエテンカチオンと、2次元強磁性体であるペロブスカイト型銅錯体を組み合わせた複合錯体について、その構造および磁性を明らかにしている。粉末X線回折パターンにより、ジアリールエテンの閉環体をカウンターイオンに持つ錯体は、開環体のものと比較して、面間距離が0.3A短くなっていることを見出している。磁性に関しては、ジアリールエテンの開環体をカウンターカチオンとする錯体においては、磁化率測定から面内および面間の磁気相互作用がそれぞれ強磁性的および反強磁性的であること、さらに3.4Kで反強磁性転移を起こすことを明らかにしている。閉環体については、面内および面間の磁気相互作用がそれぞれ強磁性的および反強磁性的であることを同様に観測いている一方で、2Kまで反強磁性転移が抑えられることを報告している。提出者は、X線構造解析により開環体の錯体では一般的なペロブスカイト型銅錯体よりもヤーンテラー歪みが大きく、軌道の重なり積分が生じることにより、この系が低い反強磁性転移温度を持つことを結論している。それと同時に構造の類推から、閉環体の錯体においては、さらに歪んだ構造を持つことにより反強磁性転移が抑えられることを推定している。

 第4章では、強磁性の光制御を目指し、光応答性有機分子であるジアリールエテンアニオンと、強磁性材料であるcobalt layered double hydroxides (Co-LDHs)を組み合わせた複合錯体について構造、磁性およびその光応答性を明らかにしている。粉末X線回折パターンから面間距離は27.8 Aと見積もっており、層間にジアリールエテン誘導体アニオンがインターカレートされていることを推定している。またIRスペクトルから、アニオン置換反応により酢酸イオンが完全にジアリールエテンアニオンに交換されていることを明らかにしている。磁性については、磁化率測定からCo-LDHs面内および面間相互作用のいずれも強磁性相互作用であることを明らかにし、また交流磁化率測定から9Kで強磁性転移を起こすことを明らかにしている。また、KBrペレット中で313 nmの紫外光を照射することによりペレットは緑色から赤紫色に変化し、またその後に550 nmの可視光を照射することにより、ペレットは元の緑色に戻り、固体中でジアリールエテンアニオンのフォトクロミズムが起きている事を見出している。またジアリールエテンアニオンのフォトクロミズムに伴う磁化曲線の可逆的な変化、すなわちジアリールエテンアニオンのフォトクロミズムによる硬い強磁性体(高い保磁力)から柔らかい強磁性体(低い保磁力)へのスイッチング機能を報告している。このように提出者は、この系が光異性化反応に伴うハードな磁性体からソフトな磁性体への変化を示す特異な系であることを結論している。

 以上のように、本論文は、光応答性分子と導電性分子、あるいは光応答性分子と強磁性体を組み合わせた有機・無機複合錯体について、その構造、物性および電子状態について詳細な研究を行うことにより、BEDT-TTFからアニオン層への電荷移動や、光異性化反応による磁性の制御という新しい複合物性を見出しており、分子磁性をはじめとする関連分野への波及効果は大きい。なお、本論文中の研究は全ての章にわたって論文提出者が主体となって行ったものであり、論文提出者の寄与が十分であると判断できる。

 よって、本論文は博士(学術)の学位申請論文として合格と認められる。

UTokyo Repositoryリンク