学位論文要旨



No 119875
著者(漢字) 豊田,太郎
著者(英字)
著者(カナ) トヨタ,タロウ
標題(和) ジャイアント・ベシクルの膜ダイナミクスの解析
標題(洋) Analysis on Membrane Dynamics of Giant Vesicles
報告番号 119875
報告番号 甲19875
学位授与日 2005.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 博総合第579号
研究科 総合文化研究科
専攻 広域科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 菅原,正
 東京大学 教授 金子,邦彦
 東京大学 助教授 佐々,真一
 東京大学 助教授 村田,滋
 東京大学 教授 嶋田,正和
内容要旨 要旨を表示する

 両親媒性分子が水中で形成する粒径1μm以上の袋状二分子膜−ジャイアント・ベシクルと呼ぶ−は、構造や大きさの類似性から原始細胞モデルとして注目されている。本研究は、二分子膜内での膜分子の分子変換系(ミクロなレベルの膜ダイナミクス)が仕込まれたジャイアント・ベシクルの見せる形態変化(マクロなレベルの膜ダイナミクス)の解析を通じて、それら階層の異なるダイナミクス間の時間発展を解明することを目的としている(図1)。第1章では、本研究の特色が、「素性のよく知れた基本的な有機分子を用いて、化学反応する膜分子とジャイアント・ベシクルの形態変化との相関を解明するという従来にない視点より、新規解析手法(単一ジャイアント・ベシクルの蛍光計測とジャイアント・ベシクル集団の統計解析)を確立しつつ、その本質に迫る」という点にあることを論じている。

 第2章「脱水縮合反応に伴う反応活性型ジャイアント・ベシクルの示す形態変化」では、膜分子前躯体の膜への混入と、それに引き続く膜内での異種の膜分子生産が引き起こす膜組成の変化が、ジャイアント・ベシクルの形態変化を誘発する系の構築とそのマクロなダイナミクスの顕微鏡観測について記述する(図2)。疎水性部位の末端にベンズアルデヒドを有する一本鎖型の両親媒性分子は、二本鎖型類似分子を混合すると、水中において入れ子構造のジャイアント・ベシクルを形成する。これに両親媒性のアニリン誘導体を添加すると、内部に入れ子状になって封じ込められたベシクルが、外膜をすり抜けて飛び出すダイナミクスを観測することに、世界で初めて成功した(図3)。

 この現象が観測されるのは、水中であっても二分子膜という疎水的な反応場が形成されているために、ベンズアルデヒドを末端にもつ膜分子と、添加した両親媒性アニリン誘導体とが、この環境下で脱水縮合反応を起こし、双頭極性型の両親媒性分子を与えること、さらにそれが引き金になって、膜の不安定化を誘引することによると結論した。

 第3章「ジャイアント・ベシクルの形態変化の蛍光リアルタイム観測」では、第2章の結果を受けて、二分子膜に異種の構成分子(特に単頭極性型と双頭極性型の両親媒性分子)が混入することが引き金となり、ジャイアント・ベシクルが形態変化を起こすメカニズムを明らかにすることを目的として、蛍光両親媒性分子で標識したジャイアント・ベシクルの示すダイナミクスを蛍光顕微鏡を用いて詳細に追跡した。

 また、この研究の目的を達成するために、量子収率が高く、それぞれ異なる蛍光波長の極大値を有する複数のジフルオロボラジアザインダセン誘導体と、それらに対応する蛍光顕微鏡からなる観測プロトコルを確立した。リン脂質蛍光プローブを用いて、入れ子型のリン脂質ジャイアント・ベシクルを蛍光染色し、これに脱水縮合反応の生成物である"双頭極性型の両親媒性分子"を添加すると、入れ子型のジャイアント・ベシクルの膜は外側からbuddingという変形を示すことがわかった。一方、入れ子型リン脂質ジャイアント・ベシクルに、蛍光"界面活性剤"を添加すると、ジャイアント・ベシクルは外膜から順々に蛍光変色を伴って溶解することがわかった。

 さらに、第2章の結果を受けて、蛍光"界面活性剤"と"双頭極性型の両親媒性分子"の混合溶液を、入れ子型ジャイアント・ベシクルへ添加したところ、蛍光変色した外膜から、内部の非侵襲状態のベシクルがすり抜けて飛び出すというbirthingが観測された(図4)。こうした非平衡状態での形態変化の要因に対し、蛍光像解析から、異種の両親媒性分子が二分子膜に混入し浸透してゆく際に生じる「膜の張力変化」と「浸透圧による膜内外の圧力差」に関して考察を展開した。

 第4章「両親媒性のシッフ塩基誘導体の加水分解反応に伴うジャイアント・ベシクルの過渡的な形成」では、化学反応の進行により膜組成が自発的に時間発展するようなジャイアント・ベシクルの形成に成功し、そのダイナミクスについて顕微鏡観測を行った(図5)。

 両親媒性のシッフ塩基誘導体の中でも、シッフ塩基が極性基近くにあり、膜内で加水分解されやすい化合物の水溶液(10 mM)を調製したところ、調製直後より、スモール・ベシクル(粒径数十nm)→ジャイアント・ベシクル(数μm)→オイルエマルジョン(数μm)といった経時的な形態変化を起こすことを見出した(図6)。自発的に現れたジャイアント・ベシクルは、NMRスペクトルの解析の結果シッフ塩基誘導体とその分解生成物であるn-オクチルアニリンが混合した会合体であることがわかった。そこで、それぞれの形態に対応する組成比の混合水溶液を調製したところ、予想される会合体が観測された。一方、調製後1日経過した後の水溶液を10倍濃縮した際は、オイルエマルジョンからジャイアント・ベシクルへと会合体が変化することが、顕微鏡観察により明らかになった。以上より、この時系列に沿った形態変化は、部分的であるが可逆的に進行することが確認された。

 これらの形態変化の要因として、1)加水分解反応によって脂溶性分子が増加するために構造体界面の曲率が変化すること、2)水相中の電解質濃度の増加により構造体界面の電気二重層の厚みが減少し、構造体どうしが会合する、の2点を挙げ考察を行った。

第5章「ベシクルの形状に対する光散乱型フローサイトメーターによる統計解析」では、第4章の結果を受けて、脂質の構造の違いや電気二重層の厚みの変化が、ジャイアント・ベシクル集団に与える影響を調べることを目的として、ジャイアント・ベシクルの大きさや内部構造の分散について、光散乱型フローサイトメーターによる評価方法の確立することを目指した。光学顕微鏡は個々の微粒子の形状評価には優れている一方で、統計的な解析には必ずしも適していないという問題点を有しているからである。

ジャイアント・ベシクルのようなソフトな粒子に光散乱型フローサイトメトリーを適用するには、サンプル溶液のイオン強度、温度、洗浄方法などの種々の条件を最適化する必要があるが、これらの点を解決し、水溶液中のジャイアント・ベシクルのサイズや内部構造に関する分布を統計的に解析するプロトコルを確立した。

一本鎖型の両親媒性分子であるオレイン酸のアルカリ性水溶液(pH 〜 8.5)で形成されるジャイアント・ベシクルを200 nmのメッシュに通し粒径を揃えた試料は、時間が経過するごとに、粒径1μm以上のジャイアント・ベシクルを形成し(図7)、かつベシクル集団の分布の標準尖度と標準歪度も徐々に減少してゆくことをも見出した(図7)。これらの現象について、両親媒性分子の熱力学的会合平衡で示される会合体サイズ分布と比較検証することにより考察を加えた。

 以上、本研究はジャイアント・ベシクルという、生体膜の動的なモデルであり、また人工細胞構築の分野においても注目されている魅力的な分子集合体を対象とし、単一ジャイアント・ベシクル蛍光観測と、ジャイアント・ベシクル集団の統計解析の両面から、その形態変化の計測法を確立した。さらにその方法論を用いて、ミクロな膜ダイナミクスとしての膜分子変換から、マクロな膜ダイナミクスとしての形態変化に至る、階層的ダイナミクスの時間発展を解明する上で重要な知見を得た。

図1 ミクロなダイナミクスとしての膜内での膜分子変換反応が、マクロなダイナミクスであるジャイアント・ベシクルの形態変化を誘発する(a)。一方、マクロな形態変化のモデル実験に対する詳細な解析からミクロな膜分子のダイナミクスを理解する(b)。

図2 膜分子前躯体の膜への混入(a)と、それに引き続く膜内での異種の膜分子への変換(b)。

図3 ベンズアルデヒドを末端にもつ膜分子からなるジャイアント・ベシクルの水溶液に、両親媒性アニリン誘導体を添加したときに観測された入れ子型ジャイアント・ベシクルの形態変化の微分干渉顕微鏡像。サイトPではbirthing、サイトQではseparationと呼ばれる現象が観測された。

図4 蛍光プローブ( )で標識されたリン脂質( )の入れ子型ジャイアント・ベシクルへ蛍光界面活性剤( )と双頭極性型両親媒性分子( )を混入させたときに観測されたbirthing現象の蛍光顕微鏡像とその模式図。

図5 膜構成分子が水の攻撃を受け加水分解され(a)、生成物である電解質が水相へ移動すると共に、脂溶性の生成物が膜に溶け込んで膜の曲率に変調を加える(b)。

図6 (a)両親媒性のシッフ塩基誘導体の水溶液で観測された各自己会合体の顕微鏡像。1st stage:スモール・ベシクル(SV)の電子顕微鏡像。2nd stage:ジャイアント・ベシクル(GV)の微分干渉顕微鏡像。3rd stage:油滴(Oil)の微分干渉顕微鏡像。(b)膜構成分子の分子変換率に応じた自己会合体の形態変化(例えば9/1/1は構成分子1,2,3の水溶液中の組成比を示す)。

図7 濾過処理により調製されたオレイン酸/オレートのラージ・ベシクル(粒径約200 nm)の水溶液中でのジャイアント・ベシクルの形成過程。(a)光散乱型フローサイトメーターによる調製直後(_)と3日後(_)の側方散乱のヒストグラム。(b) ヒストグラム(a)における領域G1内の総和を時間に対してプロットしたグラフ(○)。参照として、同様の実験をリン脂質で行ったときのプロットを●で示した。(c) 3日後に観測されたオレイン酸/オレートのジャイアント・ベシクルの位相差顕微鏡像。

審査要旨 要旨を表示する

 近年、ジャイアント・ベシクルと呼ばれる「両親媒性分子が水中で形成する粒径1μm以上の袋状二分子膜」が、構造や大きさの類似性から原始細胞モデルとして注目されている。本研究は、1)ジャイアント・ベシクルの二分子膜内での分子変換(ミクロなレベルの膜ダイナミクス)が、ジャイアント・ベシクルの形態変化(マクロなレベルの膜ダイナミクス)を引き起こしうる系を構築し、2)そのダイナミクスを蛍光プローブを用いた光学顕微鏡によるリアルタイム観測、および光散乱型フローサイトメーターによる統計的解析を通じて解明し、3)異なる階層間で起こるダイナミクスの時間発展の仕組みを考察することで、物質科学から生命科学にわたる膜ダイナミクスの普遍性を明らかにすることを目的としている。

 第1章では、本研究の特色が、「素性のよく知れた基本的な有機分子を用いて、化学反応する膜分子とジャイアント・ベシクルの形態変化との相関を解明する」という新しい視点より、目的に適した解析手法(単一ジャイアント・ベシクルの蛍光計測とジャイアント・ベシクル集団の統計解析)を確立しつつ、その本質に迫る点にあることを論じている。これまで生体機能の分子論的解析というと、機能性分子を模倣した人工分子を合成し、相同の働きを示すことを確認するというアプローチが主流であったのに対し、本論文は、それとは相補的な構成的アプローチを提示して課題に挑戦している点で、意欲的な試みといえよう。

 第2章「脱水縮合反応に伴う反応活性型ジャイアント・ベシクルの示す形態変化」では、膜分子前躯体がジャイアント・ベシクルの二分子膜へ混入し、膜内で異種の膜分子を生産することで膜組成を変化させ、ジャイアント・ベシクルの形態変化を誘発するという新規な反応系の構築について記述している。さらに、形態変化というマクロなダイナミクスを顕微鏡観測により精査し、疎水性部位の末端に反応部位をもつ両親媒性分子で形成された"入れ子"構造のジャイアント・ベシクルに、膜分子と鍵と鍵穴の関係で選択的に反応し得る両親媒性分子を添加すると、内部に入れ子状になって封じ込められたベシクルが、外膜をすり抜けて飛び出すダイナミクスを観測している。反応性膜分子の設計・合成に関しては、博士研究員との共同研究であるが、位相差顕微鏡を用いたリアルタイム観測システムの立ち上げ、およびそのダイナミクスの観測に関しては、申請者の貢献が大であると認められた。

 第3章「ジャイアント・ベシクルの形態変化の蛍光リアルタイム観測」では、第2章の結果を受けて、二分子膜に異種の両親媒性分子を混入させることが引き起こす多重膜ジャイアント・ベシクルの形態変化について、そのメカニズムを解明するために、それぞれの膜構成分子を蛍光プローブで選択的に標識し、蛍光顕微鏡によるリアルタイム観測を行っている。界面活性剤と脱水縮合反応の生成物である"双頭極性型の両親媒性分子"を共に添加すると、蛍光変色した外膜から、内部の非侵襲状態のベシクルがすり抜けて飛び出すbirthingというダイナミクスの観測に成功しているが、これまで詳細な研究例がなかった多重膜ベシクルのダイナミクスに関し、このように顕著な形態変化の観察に成功したことは、本論文の一つのハイライトといえよう。第二章で見つかったダイナミクスの要因をより一般的な系で再構成し、その本質を解明した構成的研究展開は迫力があり、研究者の問題解決に対する高い能力が見て取れる。申請者はさらに、こうした非平衡状態での形態変化の要因として、異種の両親媒性分子が二分子膜に浸透する際に生じる「膜の張力変化」と「浸透圧による膜内外の圧力差」を指摘している。ジャイアント・ベシクルのダイナミクスを普遍的に理解する上で妥当な考察といえよう。

 第4章「両親媒性のシッフ塩基誘導体の加水分解反応に伴うジャイアント・ベシクルの過渡的な形成」においては、申請者は独自の発想に基づいて、シッフ塩基が極性部に比較的近い位置に組み込まれた両親媒性分子を設計・合成している。この両親媒性分子は、分子設計のねらいの通り、会合体中で徐々に加水分解を受け、それに伴い会合体の形態が、スモール・ベシクル(粒径数十nm)→ジャイアント・ベシクル(数mm)→オイルエマルジョン(数mm)と自発的に時間発展することを発見した。また水溶液の濃度を10倍に濃縮すると、可逆反応であるシッフ塩基への縮合反応が進行して元の膜分子が再生され、ジャイアント・ベシクルが再び出現するという部分的可逆性があることを見出している点は大変興味深い。さらに、これらの形態変化の要因として、1)加水分解反応によって脂溶性分子が増加するために構造体界面の曲率が変化すること、2)水相中の電解質濃度の増加により構造体界面の電気二重層の厚みが減少し、構造体どうしが会合すること、の2点を挙げ、そのダイナミクスを合理的に解釈している。

 第5章「ベシクルの形状に対する光散乱型フローサイトメーターによる統計解析」では、ジャイアント・ベシクルのダイナミクスの本質を理解するには、個々のベシクルのダイナミクスを光学顕微鏡で解析するだけでなく、ジャイアント・ベシクルの集団を対象とし、そのダイナミクスを統計的に解析することの重要性を提起し、このような目的に対し、光散乱型フローサイトメトリーによる評価方法が有用なことを指摘している。この方法は従来細胞の形態分析には多用されてきたが、ベシクルのような構造に不安定性のある試料については、殆ど適応例がなかった。申請者は、フローサイトメトリーの分析法に種々の改良を加え、水溶液中のジャイアント・ベシクルの分布を統計的に解析するプロトコルを確立した。この業績は点は高く評価できよう。

 さらに、自ら確立した手法を用い、リン脂質からなるジャイアント・ベシクルは、時間をおいても生成時の粒形分布が全く変化しないのに対し、オレイン酸のアルカリ性水溶液(pH 〜8.5)で形成されるジャイアント・ベシクルは、時間が経過すると、粒径1mm以上のジャイアント・ベシクルを形成し、かつベシクル集団のサイズ分布が、次第に正規分布に近づくことを見出している。この結果は、脂質の構造の違いや電気二重層の厚みの変化が、ジャイアント・ベシクル集団の分布の動的平衡の有無に大きな影響を及ぼすことを明確に示したものと言える。このような方向性をもった研究の展開に関しては、審査委員より大きな期待が寄せられた。

 以上、ジャイアント・ベシクルという、生体膜の動的なモデルであり、また人工細胞構築の分野においても注目されている魅力的な分子集合体を対象とし、有機合成、計測・物性評価にわたる幅広い研究を展開して得られた成果は、現在活発な研究が展開されている"膜物性ダイナミクス"研究分野の発展に大きく貢献するものと判断される。

 よって、本論文は博士(学術)の学位論文として合格であると認められる。

UTokyo Repositoryリンク