学位論文要旨



No 119877
著者(漢字) 堀田,浩司
著者(英字)
著者(カナ) ホッタ,コウジ
標題(和) 多自由度カオスの半古典量子化
標題(洋)
報告番号 119877
報告番号 甲19877
学位授与日 2005.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 博総合第581号
研究科 総合文化研究科
専攻 広域科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 高塚,和夫
 東京大学 教授 永田,敬
 東京大学 教授 松井,哲男
 東京大学 助教授 染田,清彦
 東京大学 助教授 佐々,真一
内容要旨 要旨を表示する

 カオス領域の半古典エネルギー量子化は、量子-古典対応を考える上での基礎科学的な意味合いにおいて重要であるとともに、多自由度系の量子化の有効理論として実用的にも非常に重要である。例えば、分子の高励起振動状態は多自由度カオスだが、量子力学で純粋に計算することは現在のところ不可能であり、半古典的に計算が可能であるならばその理解に多大な寄与が出来る。カオスの半古典量子化はEinsteinがトーラスの量子化(後にEBK量子条件として整備される)を提案したときよりその困難さが指摘されていた。1970年頃に登場したGutzwillerのPeriodic orbit theoryはカオス領域に無限個ある周期軌道の情報を足し合わせることにより、状態密度の半古典表現が得られることを示し、カオス領域の半古典量子化に新しい世界を開いた。このPeriodic orbit theoryが世に出て以来、様々な研究が行われてきたが、理論が持つ二つの大きな問題は解決されていない。一つは量子化すべき状態密度を表す級数が一般に絶対収束せず発散してしまうということ。もう一つが一般の系では周期軌道を全て見つけるのが難しいという点である。その困難にも関わらず現在までに二自由度系(主にビリアード系で代表される、境界条件がカオス性を引き起こす弾道(バリスティック)系)において部分的な成功を収めた。しかし、それ以外の多自由度系ではこの理論は絶望的である。他の半古典量子化の方法として、周期軌道のような特定の軌道に注目するのではなく、半古典Feynman kernelを用いた自己相関関数を使い、それをFourie. 変換することでエネルギースペクトルを求めるという方法が知られている。これにはroot search とcausti 点で発散するという問題があったが、Millerが提案したInitial Value Representation(IVR) という形式を取ることで回避された。しかし、このIVRも振幅項がカオス領域では指数関数的に増大するという致命的な困難を持つ。90年代にはIVRの形式を特定の系などに特化した様々な派生形式及びその理論的拡張が研究されたが、この振幅項の問題は解決されてはいない。このような状況を踏まえて、カオス領域のエネルギー量子化を考えるには、発散しない理論形式が希求されている。そのために第一章では、以下のような研究を行った。

 (1)IVRで問題となっていた振幅項の問題を回避するべくTakatsukaによって導入された振

幅項のない相関関数(Amplitude-Free quasi-Correlation Function typeI:AFC-I )を数値計算してその有効性を検証した。AFC-Iは折り返し軌道(turn-back orbit)という特殊な軌道のみを使うため振幅項が1のまま保持され、カオス領域にも適応できることが期待される。turn-back性は、初期運動量をゼロにすれば座標の時間反転対称性より保証されるので、周期軌道と違い簡単に生成できる。具体例として二自由度系の修正Henon-Heilesポテンシャルに適用して、量子波束によって求めたエネルギースペクトルと比較した。修正Henon-Heilesは古典系において無限に逃げていくtrajectoryが存在せず、また低エネルギーでは近可積分、高エネルギーでは強カオスを示す系である。その結果、(i)正しいスペクトルが高い精度で得られる、(ii)ただし、ノイズが現れ偽スペクトルが現れる場合があり、強カオスにおいてはそれが顕著となる、というこが分かった。

 (2)AFC-Iにおいてノイズが出てくる原因を探るために、積分変数の停留位相条件をさらに考えると、折り返し軌道の中でもある特定の周期を持つ軌道がもっとも寄与することが分かった。振動積分において停留値を取る軌道以外の打消し合いが収束がうまくいくほど処理されていないために、このノイズがでてくると考えられる。このため周期軌道の情報のみを効率よくサンプリングするようにすればこのノイズが消えると期待できる。しかし、厳密な周期軌道を取ることを課すならば、Periodic orbittheoryと同様の問題が起こってしまう。そこで、厳密な周期軌道ではなく、その周期において元の点の近傍に戻ってくるという条件(弱い周期条件)を課す。停留位相条件はPlanck定数がゼロの時には厳密な周期軌道を要求するが、実際には有限値を取っているため必ずしも厳密な周期軌道ではなくてもよい。AFC-Iにこの条件を課した相関関数をAmplitude-Free quasi-Correlation Functiontype II(AFC-II)と名付ける事とする。AFC-IIを用いて、AFC-Iと同様の系に適用した結果、可積分系、近可積分系、強カオス系の区別無く高精度でエネルギースペクトルを求めることが出来た。図1に強カオスの時の結果として、(a)適用した系のPoincare面、(b)AFC-IIによるエネルギースペクトル(赤線がAFC-IIによるスペクトルで、緑線が量子波束によるスペクトルである)を示した。以上のように、AFCにより可積分系、強カオス系の区別無く半古典量子化が可能となり、多自由度カオスの量子化への新しい道が開けた。

 第二章では、AFC-II に非常に単純な手順で量子論的離散対称性を入れることを行った。量子力学における対称性の議論は、非常に明快であるが、対する半古典論では決して明快ではない。そのため、EBK量子化、Gutzwillerのperiodic orbitsに対称性を組み込む研究がなされている。最近では、Bose-Einstein凝縮などを計算すために経路積分を扱いMDシミュレーションの応用例(セントロイド経路積分など)としてBose/Fermi系の粒子置換を表わす離散対称性を盛り込むものが研究されている。これらの研究に共通していることは、どれもダイナミクスのレベルで対称性をいれているということである。我々はそれらより非常に単純な手順で、AFC-IIに離散対称性を導入する。この手順の特徴は、ダイナミクス自体は通常のまま計算し、自己相関関数を取る時の計算に対称性の効果を盛り込んだことである。量子力学の波動関数に対称性を入れるときの操作を考えるならば、寧ろこちらの方法が自然である。AFC-IIに組み込んだのは、発散する振幅項がない(カオス系でも相関関数が発散しない)ことにより、数値計算での検証がしやすいためである。同様の操作は、他の半古典論(例えばIVR)でも行える。この操作の有効性を調べるために、置換対称性のある系にこの対称性を組み込んだAFC-IIを適用して、エネルギースペクトルを検証した。その結果、置換対称性が上手く反映されていることを示した。図2にその結果を示した(赤線がAFC-IIによるスペクトルで、緑線が量子波束によるスペクトルである)。Boson(置換対称)とFermion(反対称)ではっきりと違いが出ている。これはダイナミクスにおける処理ではなく、相関関数のレベルで、対称性の効果を入れればよいという意味で画期的な結果である。本研究により、半古典理論に新しい路が開けた。

図1:(a)AFC-IIを適用した強カオスでのPoincare面。(b)AFC-IIによるエネルギースペクトル。(赤線:AFC-II、緑線:量子波束)

図2:(a)対称性を組み込んでいない場合。(a)Bosonのエネルギースペクトル。(b)Fermionのエネルギースペクトル。(赤線:AFC-II 、緑線:量子波束)(d)(a)-(c) のAFC-II のスペクトルを重ねたもの。

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は多次元カオスの半古典量子化の理論構築とその数値的検証を扱ったものであり、内容は、2章に分かれている。第1章では、カオスにおける量子化の困難が歴史的および数学的な背景とともに解説された後、振幅項の無い半古典的擬相間関数が提案されており、その強いカオス系に適用されて数値的検証がなされている。この理論は、万能とはいえないものの、従来不可能であったカオスの量子化に成功しており、その単純な理論的構成により、分子振動のように多次元の問題に適用が可能であることが示されている。第2章では、従来半古典力学が不得手としていた量子力学的対称性の単純ではあるが新しい試みが提案され、数値的検証がなされている。対称性を持つ分子の振動スペクトルや置換対称性を持つ同種粒子系の量子スペクトルは、対称性を考慮した理論でなければ正しい値を予言することができないし、スペクトルの帰属もできない。本論文は、この問題に一定の解決策を示しそれが成功していることを明らかにしている。

研究の背景と目的

 カオス領域での半古典的なエネルギー量子化は、Einsteinがトーラスでの量子化(後にEBK 量子条件として整備される)を提案した1917年よりその困難さが指摘されていた。 1970年頃に登場したM. Gutzwiller のPeriodic orbit theory はカオス領域に無限個ある周期軌道の情報を足し合わせることにより、状態密度の半古典表現を得られることを示し、カオス領域の半古典量子化に新しい世界を開いた。このPeriodic orbit theory が世に出て以来、様々な研究が行われてきたが、理論が持つ二つの大きな問題は解決されていない。一つは状態密度を表す級数が一般に収束せず発散してしまうということ。もう一つが一般の系では周期軌道を全て見つけるのが難しいという点である。現在までに2自由度系(主に弾道系)において、さまざまな研究が行われているが、それ以上の多自由度系ではこの理論は絶望的である。他の半古典量子化の方法として、周期軌道のような特定の軌道に注目するのではなく、半古典kernel を用いた自己相関関数を使い、それをFourier 変換することでエネルギースペクトルを求めるという方法が知られている。これは、W.H. Miller が提案したInitial Value Representation (IVR) という形式に基づいている。しかし、このIVR も振幅項がカオス領域では指数関数的に発散するという問題は残ったままである。90年代にはIVR の形式を特定の系などに特化した様々な派生形式が研究されたが、この振幅項の問題は解決されてはいない。このような状況を踏まえて、カオス領域のエネルギー量子化を考えるには、発散しない半古典力学の新しい理論形式が望まれていた。

 また、半古典力学は、通常、骨格となるダイナミクスとして古典力学を用い、その上に量子位相の情報を乗せていくという理論構造をとっているため、どのようして量子力学対称性を取り込むのかが長年の課題であった。従来のほとんど全ての研究は、量子対称性が古典運動に如何に影響を与えてそれを変形させるか、という観点からなされている。これらは理論的に興味深いものの実用的ではなく、新しい方法論の提案が望まれていた。

論文の内容と意義

 第1章、第1節では、上に述べたIVRで問題となっている指数関数的に増大する振幅項の問題を回避するべくTakatsuka によって導入された、振幅項のない相関関数(Amplitude-Free quasi-Correlation Function type I : AFC-I)の検討がなされている。AFC-I は折り返し軌道(Turn-back orbit)という特殊な軌道に注目することにより振幅項が1のままになるので、カオス領域にも適応できることが期待された。折り返し軌道は、初期運動量をゼロにすれば座標の時間反転対称性より保障されるので、周期軌道と違い簡単に生成できる。検討の結果、(i)正しいスペクトルが高い精度で得られる、(ii)ただし、ノイズが現れ偽スペクトルが現れる場合があり、強カオスにおいてはそれが顕著となる、ということを明らかにしている。第2節では、これを受けて、AFC-I においてノイズが出る原因が解析され、折り返し軌道の中でも周期性を持つ軌道の寄与を正しく考慮する必要性が明らかにされた。しかしながら厳密な周期軌道を取ることを課すならば、GutzwillerのPeriodic orbit theoryと同様の陥穽に落ち込んでしまうことは明らかである。そこで、堀田氏は、必ずしも厳密な周期軌道ではなく、その周期において元の点の近傍に戻ってくるという条件(弱い周期条件)を課すことを提案し、こうして構成された擬相関関数をAmplitude-Free quasi-Correlation Function type II (AFC-II) 呼んだ。AFC-II を用いて、AFC-Iと同様の系に適用した結果、可積分系、近可積分系、強カオス系の区別無く高精度でエネルギースペクトルを求めることが明らかにされている。このようにして、強カオス系での半古典量子化に成功しており、量子カオスの研究史上画期的な成果であるといえる。第3節では、さらに数値的検証を進め、理論的の適用限界を明らかにしている。

 第2章では、半古典力学によるエネルギー量子化の理論の枠組みの中に、如何に量子力学的対称性を考慮するかという方法論が提案されている。古典力学と量子力学では対称性の理論構造が異なる上、同種粒子(フェルミ粒子やボース粒子)に適用されるべき置換対称性のように古典論には全く存在しないものもある。しかし、一方で量子エネルギーを計算して実験値を解釈したり予測する研究領域では、対称性を考慮していない理論には意味が無い。こうして、対称性の問題は、半古典力学の中で大きな問題であり続けた。堀田氏は、本学位論文において、簡便に対称性を取り扱う方法論を提案している。実際この方法は、明晰かつ簡単で、数値的検証に良く耐え、量子論で計算した値を見事に再現している。この方法により、半古典論における対称性の研究は飛躍的に進み、この理論がその基準的な役割を占めることになるであろう。

 以上の二点の理論は、簡便性という点で共通しており、分子のダイナミクスのように多次元で複雑な問題にでも適用できるという特徴を持つ。半古典力学、量子カオスのみならず、分子科学に対しても大きな寄与を為すものである。

 なお本論文は,高塚和夫教授との共同研究であるが,論文の提出者が主体となって理論解析を行ったもので,論文提出者の寄与が十分であると判断する。

 以上、本審査委員会は博士(学術)の学位を授与するにふさわしいと認定する。

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