学位論文要旨



No 119881
著者(漢字) 吾郷,智紀
著者(英字)
著者(カナ) アゴウ,トモノリ
標題(和) 近軸光線近似による干渉性シンクロトロン輻射の解析
標題(洋) DYNAMICS OF COHERENT SYNCHROTRON RADIATION BY PARAXIAL APPROXIMATION
報告番号 119881
報告番号 甲19881
学位授与日 2005.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第4610号
研究科 理学系研究科
専攻 物理学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 駒宮,幸男
 東京大学 教授 森,義治
 東京大学 教授 柿崎,明人
 東京大学 助教授 木下,豊彦
 東京大学 助教授 松本,浩
内容要旨 要旨を表示する

 バンチ化された電子は偏向電磁石により軌道が曲げられ、シンクロトロン輻射によりそのエネルギーの一部を失う。高エネルギーにおけるシンクロトロン輻射は低周波からX線にいたる幅広いスペクトルをもつが、この周波数スペクトルのうち、輻射波長がバンチ長と同等または長い波長成分は位相がそろうために干渉性を有する。この長波長、すなわち低周波成分の輻射は「干渉性シンクロトロン輻射(Coherent Synchrotron Radiation:CSR/coherent radiation)」と呼ばれ、バンチを構成する膨大な数の電子からの輻射がほぼ同位相で重なり強めあうためにCSRの輻射強度の増幅率は膨大なものとなる。

 この大強度のCSRを赤外領域の放射光として利用しようとする試みも一部で見られるが、CSRは輻射したバンチ自身に影響を与えるために、ほとんどの加速器において有害であり望ましいものではない。CSRによる最も大きな影響は電子にエネルギー変化を与えることである。CSRにより電子が進行方向に不均一に加速または減速され、バンチのエネルギー分布の幅が広がり、バンチが著しく不安定な状態に陥る可能性がある。

 将来の電子加速器では、利用者の様々な要望により、長さの短いバンチが求められる傾向がある。また、大強度(大電流)のビームへの要望もあり、バンチに含まれる電子の個数も増やしたい。短く、多粒子のバンチは偏向磁石で非常に強度の高いCSRを発生するため、バンチ長・粒子数ともにCSRによって決められる安定性の限界が存在する。つまり、短バンチ・大電流が志向される将来の電子加速器では、CSRの影響が深刻な問題となりうる。したがって、CSRを精確に計算しビームヘの影響を評価することは、短バンチ・大電流が希求される将来の電子、陽電子加速器の設計において必要不可欠であり、極めて重要な課題である。

 ある理想的な状況を仮定すれば、CSRによる粒子のエネルギー変化率の式を導くことができるが、極めて短いバンチで、長さが変化しない場合を除き、実際の加速器でこれらの式を用いて精確にCSRの影響を評価することはできない。したがって、CSRの計算は数値計算に頼らざるを得ない。

 現在既にいくつかのCSR計算コードが存在する。それらは遅延ポテンシャルを時々刻々積分する手法であり、過渡状態のCSRを計算できる。CSRは真空チェンバーの影響を受けるが、その効果は上下に置いた2枚の完全導体平行平板を想定し、鏡像法にもとづくイメージ電荷をバンチと一緒に走らせることで平行平板の効果を演出している。この手法の最大の欠点は遅延ポテンシャルの積分が恒常的に過去への遡及を要するために計算に時間がかかり、のみならず、遮蔽が強い場合には多数のイメージ電荷がつくる場も計算せねばならず、大きな計算となってしまう点である。この手法による数値計算はスーパーコンピューターやPCクラスターなどにより実行されるのが通例である。もうひとつの欠点が左右の壁の効果が考慮されていない点である。

 我々はCSRを計算する新たな手法を考案し、現実的なハイプ形状の真空チェンバーで遮蔽されたCSRを過渡状態で計算することに初めて成功した。本論文はこの新しい手法をまとめたものである。この手法の最も重要な点は電磁波の近軸光線近似(Paraxial Approximation)である。輻射スペクトルのうち、低周波成分であるCSRは非干渉性の高周波成分に比べ広い角度で放出されるが、それでもその角度は進行方向の基準軸に対し0.01radian(数度)程度でしかない。つまり、CSRの大部分は軸のまわりの狭い角度に放出される。そしてCSRは真空パイプ表面での反射のために基準軸から大きく離れることはできず、常に基準軸に対し小さな角度を保ちながら伝播する。要するに、CSRは基準軸の周りを伝播する「近軸光線」とみなせる。近軸光線は正弦波に近いため、激しく振動する正弦波の因子をFourier変換によって剥ぎ取ることで、残りの緩やかな変化をする部分だけ扱えばよい。これにより現在のPCでCSRの電磁場のメッシュ計算が可能になる。

 電磁場E,Bによる記述のおかげで、真空パイプの境界条件を課すことは容易である。既存の計算手法では真空チェンバーの効果は鏡像法に頼っているため、CSRの遮蔽は完全導体の平行平板しか扱うことができなかったが、我々の手法では偏向磁石内の電子の軌道に沿って湾曲したパイプ状の境界にresistive wallを考慮することもできる。つまり、銅など有限の電気抵抗率をもつ材質から成るパイプを境界条件として考慮することも可能である。

 我々の手法を用いたCSRの計算は既存の3つの理論とよく一致し、直線パイプのresistive wall wakefieldもまた理論と極めてよく一致することが示された。つまり、CSRを近軸光線とみなすことができることが証明された。そして、バンチ長が数mmのstorage ringでは、既存のretarded potentialによる手法は平行平板の仮定のために左右の壁の効果が考慮されておらず、CSRによるエネルギー変化の値で46%もの誤差を生ずる。この誤差は無視できる許容範囲を超えており、既存の手法に基づく計算コードはstorage ringのCSRの計算には使えないことが明らかになった。

 我々の新しい手法ではCSRの場を計算する際に、分布が変化しないrigidなGauss分布のバンチを仮定している。しかし、storage ringでは放射減衰によりバンチの電荷分布は時々刻々と変化し、CSRの影響でもバンチ長が変化する。このrigidバンチの仮定は粒子追跡法による計算と我々の手法を組み合わせることで払拭することができる。つまり、マクロ粒子の任意の形状の電荷分布を幅の細いGauss分布の重ね合わせで表現し、任意の分布のバンチが出すCSRを計算することが可能となる。

 本論文では、将来計画されているSuperKEKBどCLICのDamping Ringを挙げて、CSRによって引き起こされる粒子の進行方向の運動への影響も調べた。計算の結果、SuperKEKBにおけるバンチ長3mm,バンチ電流2mAのバンチは現在の設計値では不安定であることが判明した。現在考えうる対策としては、真空パイプを細くしCSRを遮蔽することでその強度を弱めることである。我々の計算では一辺の半分長さが25mmの正方形断面のパイプでCSRの影響がほとんど無くなることが分かった。しかし、細いパイプはresistive wallの航跡場により後続のバンチに悪影響を及ぼす恐れがあるため、この処方がCSRによって引き起こされる不安定性の解決策となりうるか否かは現時点では不明である。この調査は今後の課題である。一方、CLICのdamping ringでは長さ1.3mm、バンチ電荷0.48nCのバンチは安定にringを周回できることが判明した。これはバンチ電荷が小さいためである。そして現在の設計値である一辺の半分の長さが20mmの正方形断面のパイプ(実際には半径20mm)を用いた場合の不安定性の閾値はバンチ電荷が1nCであることも突き止めた。つまり現在のCLIC damping ringの設計値はバンチ電荷について2倍程度の余裕があることが明らかになった。

 本研究によりCSRによって生ずる粒子のエネルギー変化を極めて現実的な状況により計算することが可能となった。しかもCSRの計算時間は通常のPCで数分〜数十分、粒子追跡を実行した場合でも数時間である。本論文ではその手法を紹介し、また、その応用として2つのstorage ringを取り上げ、CSRによる単バンチの縦方向の不安定性の解析をした。本研究で構築した手法は柔軟性に富み、storage ringのみならずFELやERLなど、どのような加速器にも適用できる。したがって、CSRの影響が懸念される将来の電子加速器の設計において、本研究は極めて有用である。実際、本論文で取り上げたCLIC damping ringの安定性解析は、この手法に目をつけたCERNの研究者の依頼により我々が実行したものである。また、我々の手法は基準軸にほぼ平行に伝播する電磁波の計算をするものであるので、我々の手法において真っ直ぐな真空パイプの径を緩やかに変化させることでビームのcollimationの計算にも応用可能である。

 本論文で取り上げたstorage ringの研究では、CSRが関与するビームの縦方向(進行方向)の力学のみを調べた。しかし、実際には粒子は3次元の運動をしており、横方向(水平・垂直)の運動の安定性も解析しなければならない。CSRによる横方向の力Fx、Fyを取り入れて3次元の計算を行い、emittanceの増加を評価することが今後の課題である。

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は6章よりなる。第1章は、イントロダクションであり、干渉性シンクロトロン輻射の物理の概要、短バンチ加速器でのその重要性、過去に如何なる研究がなされたかが記されている。第2章は、干渉性シンクロトロン輻射の理論であり、現存の理論と本論分で用いている近軸光線近似の説明である。第3章は計算アルゴリズムに関しての記述で、シミュレーションの手順とその正当性が示されている。第4章は、数値的な結果に関する記述で、解析的に解ける場合とシミュレーション結果が一致すること、複雑な境界条件の場合もシミュレーションが可能であることが記されている。第5章は、実際の電子貯蔵リングにおけるシミュレーション結果であり、KEKBの可能なアップグレード貯蔵リングとCERNのリニアコライダー将来計画CLICのダンピングリングを仮定したシミュレーションを行い、KEKBのアップグレード加速器では干渉性シンクロトロン輻射によりインスタビリティーが生ずることを指摘した。第6章は結論である。

 従来、干渉性シンクロトロン輻射に関して、境界がない場合及び平行板境界条件の場合のみ解析的計算またはシミュレーションが行われていたが、本論文は実際の加速管に近い境界条件の下で信頼できるシミュレーションにより結果をだすというという画期的な成果をあげた。近軸近似によって計算の能率を上げたことにより、一般のPCでもシミュレーションが可能となった。近軸光線近似のみは横谷馨教授との共同研究であるが、実際の複雑きわまる計算、シミュレーション方法の考案、結果の考察は全て論文提出者の研究である。全体の方法論も整備されており、解析的に解ける自由粒子の場合と2枚の平行板境界条件の場合の計算結果と、本研究のシミュレーション結果との完全なる一致を確認してから複雑な矩形の加速管の場合に進んでいる。矩形の加速管の境界条件で壁の金属の抵抗を考慮した場合には、粒子のエネルギー分布とバンチ幅について、解析的に解ける単純な場合とは輻射の効果が全く異なることが記されている。特に、可能な計画であるKEKBのアップグレードの場合と、CLICのダンピングリングの場合についてシミュレーションを行い、干渉性シンクロトロンの効果はバンチ長が短いだけでなくバンチ当たりの粒子数多いときに、エネルギー分布とバンチ長に対して極めて重大な影響を与えることを示した。加速管壁での輻射の反射は固定端での反射なので位相が逆転することによって干渉がある程度少なくなる。したがって、境界条件を実際に近くして複数回の反射の効果などをシミュレートできたことは極めて重要であり、貯蔵リング加速器の老舗であるSLACやDESYでもこのような現実的なシミュレーションは成されていない。申請者がまさにそれを行ったことは特筆に価する。加速器理論分野での世界の最先端を行く論文である。

審査員全員十分納得する研究結果であり、論文提出者の物理学の知識も博士(理学)をうけるに十分である。

 したがって、博士(理学)の学位を授与できると認める。

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