学位論文要旨



No 119884
著者(漢字) 常見,俊直
著者(英字)
著者(カナ) ツネミ,トシナオ
標題(和) K+→π+π0γ崩壊中の光子直接放射過程の測定
標題(洋) Measurement of Direct Photon Emission in K+→π+π0γ Decay
報告番号 119884
報告番号 甲19884
学位授与日 2005.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第4613号
研究科 理学系研究科
専攻 物理学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 坂本,宏
 東京大学 教授 小林,富雄
 東京大学 教授 西山,樟生
 東京大学 教授 久保野,茂
 東京大学 助教授 櫻井,博儀
内容要旨 要旨を表示する

 K+→π+π0γ崩壊中の直接光子放射過程(DE成分)は、低エネルギー領域での中間子のハドロン相互作用に関して有用な情報を与える。

 DE成分は、QEDの放射補正であるK+→π+π0γ崩壊中のinnerbremsstrahlung(IB成分)に比べて数%しか存在しないことが分かっている。しかし、IB成分とDE成分は運動学的に分離することが可能である。DE成分はさらに「magnetic transition」と「electric transition」の2つからなるとする理論がある。このmagnetic transitionの大きさについて、理論的には、「reducible amplitude」や「direct anomalous amplitude」など多くの可能性が示唆されており、実験的に決定することが不可欠である。

 K+→π+π07の崩壊幅(Γ)は、Wと呼ばれる項を用いると容易に表現することができる。Wは、W2≡〓というように定義される。ここで、p、p+とqは、それぞれK+、π+、γの4元運動量である。またmπ+とmKは、π+とK+の質量である。このWを用いて、K+→π+π07の崩壊幅はIB成分の大きさを括りだすと次のように書ける。

(1)

T+はπ+のK+静止系の運動エネルギー、AはK+→π+π0の崩壊幅である。EとMはK+→π+π0γ中のDE成分の「electric transition」と「magnetic transition」の大きさである。Wによって、IB成分と他の成分の大きさが異なることが分かる。括弧内の一番左の項は、IB成分の大きさである。2番目の項は、DE成分がelectric transitionを持つときのみ現れるInterfbrenceと呼ばれる効果(INT成分)である。また3番目の項はDE成分である。以上、3つのIB成分、DE成分、INT成分はWによって大きさが異なるので、Wを用いることで実験的に分離することが可能である。

 ところで、K+の静止系では、Wは次のように書くことができる。

(2)

ここで、Eγ、Eπ+、Pπ+、COSθπ+γ)は、それぞれ、光子のエネルギー、π+のエネルギー、π+の運動量、π+と光子のなす角度である。これら全ての値は、本研究で用いたBNL-E787検出器で測定することができる。

 BNL-E787検出器は、アメリカ合衆国にあるブルックヘブン国立研究所の陽子加速器AGSの静止K+実験用のK+ビームラインに設置されている。陽子は3.4秒周期で、1.3秒の間ビームラインにもたらされる。白金のproduction targetによりK中間子が生成され、1スピルあたり107個のK+が710MeV/cの運動量をもってBNL-E787検出器に到達する。K+は、BeOでできたdegraderにより減速され、シンチレーションファイバーからなるtargetで静止した後、崩壊する。

 K+→π+π0γ中のπ0はすぐに2つの光子に崩壊するので、検出器ではひとつのπ+と3つの光子を捕らえることになる。π+は、targetを円筒状に囲むドリフトチェンバーで運動量を測定され、さらに外側を囲むプラスティックシンチレータからなるRange Stackでrangeとエネルギーが測定される。また、BNL-E787検出器は、全立体角がphoton検出器で覆われている。photon検出器は、円筒形のBarrel photon detector(BL)と、ビームラインのそばにあるEndCap(EC)とからなる。本研究ではより大きな立体角を持つBLのみを用いて、photonのエネルギーと位置の測定を行い、ECに反応があったイベントは除外した。BLは鉛とシンチレータからなるカロリメータであり、photonエネルギーの約30%がシンチレータ中で測定される。

 次にイベント選択である。π+の運動量の上限133MeV/cをもつK+→π+π0π0崩壊と運動量205MeV/cのK+→π+πo崩壊を避けるため、π+の運動量領域は、140MeV/c<Pπ<180MeV/cを用いた。BNL-E787検出器では、π+についてはエネルギーと運動量、photonについては、エネルギーと位置の測定による方向を測定することが可能である。π+とphotonのこれら測定量について、エネルギー保存則や運動量保存則などの運動学的制限を用いることで、イベントを選択する。それぞれの測定量の分解能で重みをつけることによって、保存則をどれだけ満たしているかを計算する。運動学的制限からのずれを計算し、仮にK+→π+π0γイベントであった場合に、分解能の影響でそのずれが何%の確率で起こりうるかを計算する。本研究では、10%未満の確率であるイベントは除外した。以上が、主なイベント選択手段である。

 モンテカルロシミュレーションによりIB成分とDE成分のイベントを生成した。生成したイベントに対して実験データに課したのと同様なイベント選択を行った。実験データ及びモンテカルロシミュレーションによるWスペクトルを図1に示す。

 実験データのWスペクトラムを最もよく再現するIB成分とDE成分の混合比を求めた。最適な混同比でのWスペクトラムを図2に示す。IB成分の分岐比にQEDによる理論計算を仮定し、求めたIB成分とDE成分の混合比から、DE成分の分岐比を計算した。DE成分の分岐比は、BR(PE)=(3.5±0.6(stat)〓(sys))×10-6という結果を得た。BNL-E787実験で以前行われた結果と結合することにより、BR(PE)=(3.9±0.5(stat)〓(sys))×10-6という結果を得た。これは式1の|M|=(1.9±0.2)×10-7に相当する。DE成分は「reducible amplitude」のみであるとする理論によれば、|M|=1.8×10-7であり、今回得られた結果はよく一致している。

図1:Wスペクトラム。実験データ(左)、モンテカルロシミュレーションによるIB成分(中央)、DE成分(右)

図2:左図はWスペクトラム。点は実験データ。実線はモンテカルロシミュレーションによるIB成分とDE成分でfitを行った結果。点線は、モンテカルロシミュレーションによるIB成分のみでのfitの結果。右図はIB成分でスペクトラムを正規化した場合。点は実験データであり、実線はモンテカルロシミュレーションによるIB成分とDE成分でのfitの結果。

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は6章からなる。第1章はイントロダクションであり、K+→π+π0γ崩壊に関する理論研究の現状およびこれまでにおこなわれてきた実験のレビューに充てられている。理論面では、全体的な傾向はInternal Bremsstrahlung(IB)で説明できるが、直接放射(Direct Emission(DE))過程もカイラル摂動論(Chiral Perturbation Theory(ChPT))等から予測されるように特定の運動学的条件で強調されると考えられている。Wと呼ばれる運動学的変数でみた崩壊確率を詳細に検討することにより、DEの寄与、その中の磁気的遷移成分と電気的遷移成分、IBとの干渉の大きさを決定することが出来る。それらに基づき、ChPTの予測の妥当性や背景に潜む物理について論じることが出来る。一方、過去に行われた実験を見ると1990年くらいまでに行われた実験の結果が10のマイナス5乗台にあるのに対し、最近の実験は10のマイナス6乗台の分岐比を示している。Vector Meson Dominance(VMD)モデルが前者を支持するのに対し、ChPTは後者を再現する。本研究が示す分岐比の値はその点でも興味深い。

 第2章ではE787実験のセットアップ、解析に用いられた検出器についての解説、荷電粒子と光子の検出方法、トリガー条件、データ収集などが述べられている。また、使用されているシミュレーションプログラムについてもコメントがある。E787実験はK+→π+vvを研究課題として建設・運転されてきた実験であるが、その中で本課題がどのように遂行されてきたかが簡潔に示されている。

 第3章ではデータ解析の最初のステップとして事象再構成の手順が詳細に書かれている。本研究ではγ+が一つとγが三つ検出される。比較的限られた粒子で精度良く事象を再現するためにそれぞれの測定精度を高く取る必要がある。エネルギーや運動量の較正の方法が詳細に述べられている。標的中でのエネルギー損失等も一つ一つ丁寧に評価することにより再現性の非常によい事象再構成アルゴリズムが開発された。

 第4章では事象選択のアルゴリズムが説明されている。まず、荷電粒子については中心部薄型チェンバーで運動量測定がなされている。この運動量からレンジスタックと呼ばれる積層型検出器中の飛程が予測される。この予測と、実際のレンジスタックでの飛程は分解能の範囲で一致しなければならない。このような、各検出器信号間のコンシステンシーがチェックされた。続いて、K+→π+π0γ崩壊を仮定して、検出器の分解能の範囲内で運動学的フィッティングをおこなう。運動量の大きさや向きなど合計13個のパラメータについて振り、最適な値を採用する。このときX2検定の大きなものはバックグラウンドとして棄却する。また、最適化されたパラメータで与えた物理量は運動学的に拘束されているため、より真の値に近づく。その結果、その物理量でのS/N比も向上する。結果として20,571サンプルを事象候補として選択した。さらに本章では背景雑音の除去について説明している。希崩壊を扱うため信頼性の高いモンテカルロシミュレーションをおこなうには莫大なCPU時間が必要となるため、ここでは実験データを用いてバックグラウンドを評価する方法をとる。二股法(Bifurcation Method)と呼ばれる方法を採用している。事象選択はいくつものステップでおこなわれる。そのうち、ある特定のバックグラウンド除去に有効なステップを一旦はずす。そうするといずれかの物理量の分布のどこか(信号領域以外)にそのバックグラウンドが現れる。そのスペクトル中のバックグラウンド事象量と信号領域の事象量の比を可能なバックグラウンド混入とする。考え得るバックグラウンド過程について評価した結果、それらはほぼ無視できることがわかった。絶対量の評価は難しいが、系統誤差を実験データそのものから与える手法としては理解できる。

 第5章は結果について述べている。運動学的パラメータWについて分布を得ており、その大きいところ(W>0.5)でIBの予測からの明確なずれを観測している。DEプロセスの寄与は明白であるといえる。また、干渉項はほとんど観測されなかった。この結果はWだけでなくπ+とγの開き角も同時に説明している。DE項の分岐比についても議論しており、(3.5±+0.6(stat)〓(sys))×10-6という値を得ている。これはE787実験の2000年発表のデータを更新するものである。

 第6章は結論としてDE分岐比および磁気的遷移振幅の値を与えている。スペクトル分析からDEを明確に抽出しており、分岐比等について過去のデータを更新している。系統誤差の評価についてはもう少し狭めることが可能と思われるがそれにはさらなる研究が必要である。この時点の結果で学位論文としては十分であると審査委員会は判断した。今後の研究の結果も含めて学術誌へ投稿されると聞いている。

 なお、本研究は米国ブルックヘブン国立研究所E787実験共同研究チームとして実施された実験の解析結果についてのものであるが、この解析においては論文提出者が主体となって解析プログラムの開発、データ解析、誤差の分析等をおこなっており、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

 従って、博士(理学)の学位を授与できると認める。

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