学位論文要旨



No 119885
著者(漢字) 益子,岳史
著者(英字)
著者(カナ) マシコ,タカシ
標題(和) 熱乱流における速度場の時空間構造の研究
標題(洋) A study of the spatiotemporal structure of the velocity field in thermal turbulence
報告番号 119885
報告番号 甲19885
学位授与日 2005.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第4614号
研究科 理学系研究科
専攻 物理学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 高瀬,雄一
 東京大学 教授 松本,洋一郎
 東京大学 助教授 福山,寛
 東京大学 教授 栗田,敬
 東京大学 助教授 江尻,晶
内容要旨 要旨を表示する

 流体を下から温め上から冷やし、その温度差を大きくした時に発生する熱乱流は、様々なスケールで観察される普遍的な現象であるとともに、単純な条件設定の下で現れる複雑な現象の典型例でもあり、古くから物理学の研究対象となってきた。現在に至るまで盛んに研究されており、多くの知見が得られてきたが、未解決のまま残されている問題も多い。未解決問題の多くに対しては、熱乱流速度場の構造を時間的にも空間的にも詳しく把握することが有効なアプローチとなるが、従来の実験では、測定上の難しさのため、特に空間構造の解明は十分に行われてこなかった。本研究は、USV(超音波流速測定法)を用いて熱乱流における瞬時の流速分布を測定するという新しい試みにより、速度場の時空間構造を把握し、諸問題の解決に取り組むものである。なお、本研究では、近年特に注目されている発達した熱乱流を対象とするため、プラントル数Pr(動粘性係数と熱拡散定数の比で定義される無次元数)の小さい液体水銀を作動流体として用いる。低Pr流体は、比較的小さいレイリー数Ra(無次元化された上下の温度差)でも乱流化しやすいという特徴を持っている。以上のような本研究の背景や特徴、目的などが本論文第1章に述べられている。

 次に、測定原理および実験装置の説明が第2章で行われている。本研究で用いるUSVは、流体中に超音波パルスを発信、散乱されて戻ってくるエコーを受信し、そのドップラーシフトの時間変化を検出することによって、超音波ビーム軸方向の流速成分の空間分布を測定する手法である。他の手法に比べてUSVは、非接触測定が可能であること、不透明流体にも適用できること、瞬時の流速分布が測れることなどの特長を持っている。本実験の乱流発生装置は、銅製の上下プレートおよびステンレス製の側壁からなる高さ612mm、直径306mmの円筒形のセルである。このセルを水銀で満たし、上プレートを冷却、下プレートを加熱することで、低Pr流体としては世界最高のRa領域(109<Ra<1011)の発達した熱乱流が実現される。この装置に3本の超音波送受信機X、Y、Zを取り付ける。XおよびYは上プレート直下の水平方向流速分布μ(x)およびv(y)を、Zはセルの中心軸上の垂直方向流速分布w(z)をそれぞれ測定するためのものである。また、超音波散乱体として、水銀と同密度になるように組成調整した金-パラジウム合金(粒径100-200μm)が適当であることを確認し、水銀に混入した。

 ところで、USVを熱乱流測定に適用した例は過去にない。そこで、その適用妥当性を確認するために行った実験が、水銀実験に先立ち第3章で紹介されている。この確認実験は、USVとPIV(粒子画像流速測定法)によって水の熱乱流における流速分布を同時に測定し、両測定結果を比較するという方法で行われた。その結果、流速が極端に小さくUSVにおける離散化誤差が顕在化する場合を除き、両者が良く一致すること(図1に測定結果の一例を示す)、したがって本論文で紹介される水銀実験の結果が信頼できるものであることが確認された。さらに、熱乱流における新手法の有効性を示すことで研究の可能性を大きく拓いたということも、この確認実験の重要な意義として挙げられる。

 この後、水銀実験の結果が紹介されるが、まず巨視的平均流について得られた知見が第4章で述べられている。巨視的平均流とは、ハード乱流と呼ばれる発達した熱乱流において強い揺らぎの中に自発的に発生する大規模な流れの構造であり、その発生メカニズムや熱輸送への影響など、巨視的平均流に関する諸問題の解明は、熱乱流研究における主要なテーマとなっている。図2(a)に測定で得られたw(t,z)の時空間プロットの一例を示す。一見してセルの上(下)半分で正(負)の流速、すなわち上昇(下降)流が優勢であることがわかる。このことは、図3の時間平均した流速分布<w(z)>によっても確認される。このS字型の平均分布は、ほぼセルの中心(z=0)で正負が逆転するという意味で対称的な分布である。一方、同じ時間スケールでの水平方向の平均分布<u(x)>および<v(y)>は、やはりS字型ではあるが正負の逆転位置が中心(z軸)から離れた非対称な分布であった。以上のことから、巨視的平均流の形状として、図4に示すような傾いた楕円形のロール構造が推測された。なお、これと酷似したロール構造が、本実験と同じ形状のセルにおける水の熱乱流で観察されており、この推測を裏付けている。一般に不透明である低Pr流体においては、光学的な流れの可視化ができないため、巨視的平均流の研究は速度や温度の局所的な測定によるものに限られてきたが、本研究では大域的な流速分布を瞬時に測定することによって、その形状を捉えたのである。ところで、図2(a)に見られるように、速度場は決して定常的でなく強い揺らぎを伴っている。そこで、速度場の揺らぎを主成分分析によって詳しく解析した。その結果、u、v、wとも空間スケールの大きな揺動成分ほど揺らぎに大きく寄与していることがわかった。特にw(t,z)について、最も空間スケールが大きく最も揺らぎに寄与する第1主成分の揺動を平均分布に重ねて再構成した速度場を図2(b)に示す。これは、図4で推測した巨視的平均流が不規則に上下振動している様子を表しているものと解釈することができる。この解釈により、流速の確率密度関数の形やその位置による変化など、他の解析結果を矛盾なく説明することができた。さらにu(t,x)とv(t,y)を併せて解析した結果、巨視的平均流の3次元的な動的振る舞いは、数時間程度の時間スケールの範囲内では、単純な回転や反転では記述できない複雑なものであることがわかった。

 続いて、第5章ではエネルギースペクトルE(k)についての新しい成果が紹介されている。セルの中心領域における流速分布の揺動w(z)-<w(z)>から計算されたE(k)を図5に示す。この波数空間におけるスペクトルには、指数関数で特徴付けられる領域が見られるが、フィッティングにより指数-2.15±0.02が得られた。さて、乱流を端的に特徴付けるものは揺動の統計的性質であり、E(k)はその指標の一つである。一様等方乱流ではE(k)〜k-5/3のスペクトルが知られているが、熱乱流に関しては、浮力による異方性が重要となる比較的大きな空間スケール(浮力領域)において、E(k)〜k-11/5(ボルギアーノ・オブコフ則)が成立することが理論的に予測されており、その実験的確認が、熱乱流固有の統計法則を確立するための柱の一つとして求められてきた。図5に示した結果はこの理論予測と良く一致するものである。なお、図2(c)は、この浮力領域に対応する空間スケールの揺動を担う主成分から再構成された速度場であり、浮力領域におけるカスケードダイナミクスを可視化したものと捉えられる。ところで、従来の実験では、局所的な速度の時間変化から周波数空間でのパワースペクトルP(f)を計算し、テイラーの凍結仮説を援用することでP(f)をE(k)と同一視していた。本結果は、熱乱流におけるE(k)を、テイラー仮説を使わずに速度分布から直接計算した世界で最初の例である。なお、本実験でP(f)を計算したところ、その傾きは中心付近(z〜0)では-2.10前後、<w(z)>が最大となる付近(z〜200やz〜250)では-1.75前後というように測定位置によって変化していた(図5右上)。さらに、どの測定位置においてもテイラー仮説のための前提条件が成立しておらず、この仮説を使った議論には十分な信頼性がないことがわかった。したがって、瞬時の流速分布からE(k)を直接計算し、一様等方乱流とは異なる熱乱流固有の統計法則を実験的に確認した本結果は、画期的なものであると言える。

 第6章においては、境界層における速度場の振る舞いについて述べられている。測定点の間隔を小さくして上プレート付近のw(z)を測定したところ、図3右下に示すように、上述の巨視的な上昇流とは逆に<w(z)>が負となる下降流がプレート直下に存在することが見出された。この新しく発見された流速分布反転層の厚さlrevはRaとともに減少することがわかった。さらに、lrevを過去の水銀実験で測定された温度境界層の厚さlTと比較したところ、lrevはlTより大きいが、Ra増加時の減少はlTより急激であることがわかった。このことは、さらに高いRa(〜1012-1013)で両者の大小関係が逆転し、ハード乱流を超える新しい熱乱流状態が実現する可能性を示唆するものである。また、u(x)やv(y)の測定においてプレートに沿ったほぼ等速の流れが観測された。時空間相関関数を用いた解析により、このような流れがプレート直近の水平方向の運動に特徴的なものであることを示した。さらに、w(z)の反転、およびu(x)やv(y)で観察された等速の流れが、プレート表面で発生する熱的構造物の振る舞いに起因するものであることを考察した。高Raの極限でどのような状態が実現するかは熱乱流における最大の問題の一つであるが、その解明のためには境界層の振る舞いを詳しく調べることが必要である。本章で述べた現象は、今後の境界層研究の指針となる先駆的な結果である。

 最後に、第7章に本研究で得られた結果をまとめ、熱乱流に関して新しく意義のある成果が得られたことを指摘し、今後の研究の方向性を示している。

図1:水の熱乱流速度場のUSVとPIVによる同時測定結果。

上段がUSV、下段がPIVの測定結果の時空間プロット。

図2:速度場w(t,z)の時空間プロット。(a)測定結果、(b)大規模で遅い変動、(c)浮力領域の揺動。

図3:平均速度分布<w(z)>。右下は高い空間分解能で得られた上プレート(z=306mm)付近の分布。

図4:巨視的平均流の形状。平均流速分布<u(x)>、<v(y)>、<w(z)>からの推測。

図5:エネルギースペクトルE(k)。

右上はパワースペクトルP(f)(下から順にz〜0,50,100,150,200,250mmのもの)。

審査要旨 要旨を表示する

 熱乱流は非線形、非熱平衡系の典型例として知られているが、未だ解明されていないことが多くある。特に、熱乱流の時空間構造については詳細な測定は行われていない。本研究では、超音波流速測定法という新しい手法を高レイリー数、低プラントル数をもつ、水銀中の発達した熱乱流に応用し、流速分布を瞬時に測定することにより、熱乱流の時空間構造を詳しく調べ、新たな知見を得ている。

 本論文は、"A study of the spatiotemporal structure of the velocity field in thermal turbulence" [和文題目:熱乱流における速度場の時空間構造の研究]と題し、全7章より成る。

 第1章では本研究の主題である熱乱流の説明および先行研究のレビューを行い、本研究の特徴および目的を明確にしている。

 第2章では、本研究で用いた超音波流速測定法の原理が説明され、測定精度の評価が行われている。さらに、本実験で使われた装置、測定条件などが詳述されている。

 超音波流速測定法は、本研究において初めて熱乱流の研究に適用された。このため第3章では、この分野の研究に広く用いられているレーザー照射による粒子画像流速測定法が適用可能な水の熱乱流で同時測定を行い、その有効性を確認している。この結果、熱乱流中の速度場分布測定の新たな可能性が拓けた。

 第4章では測定された平均流速の空間分布に基く種々の解析結果より、用いられたアスペクト比1/2のセルでは、巨視的な流れが傾いた楕円形のロール構造をもつことが推定された。また、速度場の揺らぎは平均流よりも大きいこと、主成分分析によると空間スケールの大きな揺らぎの寄与が大きく、上記ロール構造の上下運動が支配的なモードであることが述べられている。

 第5章では速度場空間分布の直接測定から得られたエネルギースペクトルについて議論されている。これまでの研究では、ある地点で測定した速度場の時間変化から計算される周波数空間のスペクトルを、テイラーの凍結仮説を用いて波数空間のエネルギースペクトルと同一視していたが、今回の実験では揺動振幅が平均流速より大きいためテイラー仮説は成り立たない。本研究では初めて、直接測定した速度場の空間分布より揺動のエネルギースペクトルを導出しており、その意義は大きい。得られたスペクトルは、ボルギアーノ・オブコフ比例則に従い、熱乱流特有のスペクトルをもつことが直接確認された。

 第6章では、境界層における速度分布を詳細に測り、これより境界付近では流れが反転する領域が存在することを明らかにした。この流速反転領域の厚みはレイリー数の増加とともに減少することがわかった。また、この厚みは温度境界層の厚みよりも大きいこと、しかしレイリー数の増加に伴いより速く減少することがわかった。この結果は、より高いレイリー数領域では新たな熱乱流状態が実現する可能性を示唆している。また、セル上部の境界面に沿った一定速度の流れがあることが相関解析により明らかとなり、この境界層で観測された水平方向の流れ、および鉛直速度の反転は上部境界面で生成された熱構造物の動きに起因する可能性が指摘された。

 第7章では、本論文で得られた結果をまとめ、世界的に新しく重要な結果が得られたことを指摘し、今後の研究の方向性が示されている。

 さらに、付録Aに本研究の議論にもちいられた比例則(特に熱乱流状態を特徴づけるヌッセルト数のレイリー数に対する依存性)の導出、付録Bに本研究で用いられた主成分分析法が解説されている。

 以上のように、本論分において論文提出者は、超音波流速測定法という新しい計測方法を用いた水銀中の熱乱流研究において十分な成果を挙げ、乱流物理学に貢献するところが大きい。なお、本論文の第3章は瀬川武彦、佐野雅己との共同研究、第4章から第6章は辻義之、水野孝俊、佐野雅己との共同研究であるが、いずれも論文提出者が主体となって実験、分析および検証を行ったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

 したがって、博士(理学)の学位を授与できると認める。

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