学位論文要旨



No 119891
著者(漢字) 市川,和秀
著者(英字)
著者(カナ) イチカワ,カズヒデ
標題(和) ニュートリノの質量に対する宇宙背景放射からの制限
標題(洋) Cosmic Microwave Background Constraint on Neutrino Masses
報告番号 119891
報告番号 甲19891
学位授与日 2005.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第4620号
研究科 理学系研究科
専攻 物理学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 須藤,靖
 東京大学 助教授 安田,直樹
 東京大学 教授 森,正樹
 東京大学 教授 中畑,雅行
 東京大学 教授 佐藤,勝彦
内容要旨 要旨を表示する

 ニュートリノの質量の絶対値に対する上限は、トリチウムのベータ崩壊実験のスペクトルの端点を調べることで求められている。しかし、この方法で制限を1eV以下に下げることは難しい。代わりに期待できるのは宇宙論的な方法で制限をつけることである。ニュートリノ質量の宇宙論に対する影響は、密度ゆらぎに対するものが大きく、とくにフリーストリーミングによって小さいスケールのゆらぎを消してしまうというものである。物質の密度が小さい宇宙においてはこの影響は特に大きく、銀河クラスターの存在量から得た小スケールのゆらぎの情報を宇宙背景放射(CMB)から観測される大スケールでのゆらぎと比較する方法や、銀河のパワースペクトルの形から小スケールのゆらぎを知る方法によって3世代の合計で数eV程度という上限が得られてきた。

 この他にもニュートリノ質量はCMBの温度ゆらぎに対しては中間的なスケールで特徴的な影響を与える。これは単にゆらぎを消すというよりも、CMBにおけるアコースティック振動や動的ザックス・ヴォルフェ効果への影響を通じて引き起こされる。WMAPによるCMB観測のデータが発表された以降のニュートリノ質量への制限は、2dFGRSの銀河のデータと合わせることによっては0.7eV、SDSSの銀河データとのものは1.7eV(いずれも3世代合計)という上限である。しかし、宇宙論データをいくつか組み合わせて扱うときには、解析結果がどの観測のどのような特徴によって現れたのか、どんな仮定が効いているのかといったことが不明瞭になるという問題がある。よって、CMB(WMAP)データだけでどれだけの制限が与えられるのかを調べるのは非常に重要である。特に、WMAPだけからのニュートリノ質量の制限として、予想の段階ではある程度の制限が与えられると考えられていたが、実際にはゆるい制限しか与えられない(ダークマターが100%ニュートリノでも許される)という解析結果がでており、さらなる解析、考察をする必要がある。また、銀河のデータに関してはバイアスや非線形効果といった不定性が常につきまとうのに対して、CMBのデータは将来計画されているPLANCKの観測によって精度が上がることが保証されているため、CMBのデータだけでニュートリノ質量の制限を調べることは大変意味がある。

 また、ニュートリノ質量に対する上限を求める際には平坦な宇宙を考えることがほとんどであるが、この仮定が制限に影響するかを調べることも重要である。宇宙が平坦に極めて近いことはわかっているが、ある程度の平坦性からのずれは許されているからである。たとえば、2%だけ平坦宇宙からずらしただけでハッブル定数の推定値は平坦な場合の推建値を大きく下回り、全体としてはよいフィットを与えるということもありうるのである。さらに、ニュートリノ質量がCMBに与える影響が曲率の変化による影響によって打ち消され、制限がゆるくなりうる兆候もあるため、より詳細な解析によって是非を調べる必要がある。

 このような背景、動機の下、本論文では宇宙背景放射のデータのみから、ニュートリノ質量の上限が1eV以下であることを示した。宇宙がΛCDMモデルで記述され、初期ゆらぎのスペクトルが断熱的でスケールに対して巾則に従うという標準的な枠組みを仮定した。宇宙背景放射以外の宇宙論的または天体物理的データは使用していない。

 平坦な宇宙を仮定すると、現在のWMAPの観測データによる3世代のニュートリノ質量の和の上限が95%の信頼度で2.0eVであるという結果を得た。これは各世代のニュートリノ質量が同じだとすると、ある世代のニュートリノの質量の上限は0.66eVであることを意味する。また、この制限が平坦性の仮定を外してもほとんど変わらないことを示した。

 この上限が、PLANCKによる次世代の背景放射データでどれくらい改善されるかを見積もり、3世代の和として1.5eV程度までは背景放射のデータのみで上限を下げうることを議論した。これはcosmic varianceのみによる原理的に存在する不定性である。より強い制限を得るための背景放射以外のデータとして、ハッブル定数が下から制限されることが非常に有効であることを指摘した。

 また、なぜ背景放射のみで上記の程度の制限が得られるのかについて議論するため、ニュートリノ質量が背景放射のゆらぎに与える影響を計算し、他の宇宙論的パラメターの変化でニュートリノ質量の影響が打ち消されるかどうかを調べた。この結果、統計的な解析によって得られた制限が直感的、物理的に妥当なものであることが理解された。すなわち、上記の制限の値はニュートリノが再結合(宇宙の晴れ上がり)の時にちょうど非相対論的になり輻射から物質として振る舞うようになる質量に対応している。いいかえると、もしニュートリノ質量がこの制限より大きければ、再結合前にゆらぎを消して重力ポテンシャルを減少させることになる。これはアコースティック振動の強制振動を増加させることになり、最終散乱面に大きな痕跡を残すはずである。WMAPはアコースティック振動を2番目のピークまで正確に観測したため、そのようなシグナルは否定され、上限がついたのである。

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は、全部で6章からなり、第1章は序、第2章が標準宇宙論に関する基礎事項の簡潔なレビュー、第3章は宇宙マイクロ波背景輻射の現象論の記述、第4章で宇宙マイクロ波背景輻射を用いたニュートリノ質量の制限に関する過去の研究の紹介がなされる。第5章が本論文の主要部であり、宇宙マイクロ波背景輻射だけを用いた統計解析の結果とそれによりニュートリノ質量の上限値が得られる物理的理由を議論している。結論は第6章にまとめられ、その後で、本論文で用いた統計解析の方法の有効性と他の方法との比較、宇宙論的摂動論の要約がそれぞれ付録A,付録Bとしてまとめられている。

 ニュートリノの質量の絶対値に対する実験的制限は、トリチウムのベータ崩壊実験のスペクトルの端点を調べることで求められる。しかし、この方法では1eV以下の上限値を得ることは難しい。そのため宇宙論的データを用いてより厳しい制限をつけることが盛んに行われている。実際、大きなニュートリノ質量がある場合には、密度ゆらぎのスペクトルの形を大きく変形させることが知られている。物質の全質量密度の値が小さい宇宙においてはこの影響は特に顕著となり、銀河団の存在量から得た小スケールのゆらぎの情報を宇宙背景放射(CMB)から観測される大スケールでのゆらぎと比較する方法や、銀河のパワースペクトルの形から小スケールのゆらぎを知る方法によって3世代の合計で数eV程度という上限が得られてきた。

 この他にもニュートリノ質量はCMBの温度ゆらぎに対しては中間的なスケールで特徴的な影響を与える。WMAP(Wilkinson Microwave Anisotropy Probe)によるCMB観測のデータを用いたニュートリノ質量への制限は、2dFGRS(2dF Galaxy Redshift Survey)の銀河分布データと合わせることによっては0.7 eV以下、SDSS(Sloan Digital Sky Survey)の銀河データと組み合わせた結果は1.7 eV以下(いずれも3世代合計)という上限値を与えている。しかし、宇宙論データをいくつか組み合わせて扱うときには、解析結果がどの観測のどのような特徴によって現れたのか、どんな仮定が効いているのかといったことが不明瞭になるという問題がある。よって、CMB(WMAP)データだけでどれだけの制限が与えられるのかを調べるのは非常に重要である。しかしながら、CMBだけを用いた場合には、従来あまり強い制限が得られない(具体的には、ダークマターが100%ニュートリノでも許される)とされていた。一方、銀河データを用いる場合には、そのバイアスや非線形効果といった不定性が常につきまとうのに対して、CMBのデータはそのような不定性が混入する余地はほとんどなく、CMBのデータだけでどこまでニュートリノ質量が制限できるかを調べることは重要である。

 このような背景と動機の下、本論文では宇宙背景放射のデータのみを用いた、ニュートリノ質量の上限値を再度詳細に計算した。宇宙項を含むCDMモデルにおいて、初期ゆらぎのスペクトルが断熱的でスケールに対して巾則に従うという標準的な枠組みだけを仮定し、宇宙背景放射以外の宇宙論的・天体物理的データは使用していない。

 平坦な宇宙を仮定すると、現在のWMAPの観測データによる3世代のニュートリノ質量の和の上限が95%の信頼度で2.0 eVであるという結果を得た。これは各世代のニュートリノ質量が同じだとすると、ある世代のニュートリノの質量の上限は0.66 eVであることを意味する。また、この制限が平坦性の仮定を外してもほとんど変わらないことを示した。さらに、上記の制限の値はニュートリノが再結合(宇宙の晴れ上がり)の時にちょうど非相対論的になり輻射から物質として振る舞うようになる質量に対応していることを見出した。もしニュートリノ質量がこの制限より大きければ、再結合前にゆらぎを消して重力ポテンシャルを減少させることになる。これはアコースティック振動の強制振動を増加させることになり、最終散乱面に大きな痕跡を残すはずである。WMAPはアコースティック振動を2番目のピークまで正確に観測したため、そのようなシグナルは否定され、上限がついたわけである。本論文はパラメータ空間を精密に調べつくす統計方法を用いて従来の結果を覆し、CMBのみによってニュートリノ質量に対して強い制限がつけられることを初めて明確に示したという意味で重要なものである。

 なお、本論文の一部は、指導教官である川崎雅裕、及び福来正孝との共同研究であるが、論文提出者が主体となって解析・議論を行ったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

 したがって博士(理学)を授与できると認める。

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