No | 119893 | |
著者(漢字) | 鵜沼,毅也 | |
著者(英字) | ||
著者(カナ) | ウヌマ,タケヤ | |
標題(和) | GaAs量子井戸中のサブバンド間遷移による赤外吸収と電子ラマン散乱 | |
標題(洋) | Infrared absorption and electronic Raman scattering by intersubband transitions in GaAs quantum wells | |
報告番号 | 119893 | |
報告番号 | 甲19893 | |
学位授与日 | 2005.03.24 | |
学位種別 | 課程博士 | |
学位種類 | 博士(理学) | |
学位記番号 | 博理第4622号 | |
研究科 | 理学系研究科 | |
専攻 | 物理学専攻 | |
論文審査委員 | ||
内容要旨 | 半導体ナノ構造におけるサブバンド間遷移は,赤外領域の吸収・発光や可視領域の電子ラマン散乱として観測され,緩和効果や多体効果を顕著に示す興味深い現象である。また,赤外光検出器や量子カスケードレーザーといったデバイスへの応用が成功し,近年非常に注目されているが,これらの性能改善を考える上でも鍵となるような基礎物理的問題が依然として残されている。例えば,サブバンド間吸収の線幅は,これまで様々なGaAs 系量子井戸において調べられてきたが,移動度とは相関をもたないことが実験事実として知られ,謎とされている。サブバンド間電子ラマン散乱は,井戸幅の広い(〜20 nm 以上の) GaAs 系量子井戸に関して多数報告されているが,井戸幅の狭い(〜10 nm 以下の) 量子井戸に関しては極めて限られた報告しかなく,赤外吸収との対応も詳しく調べられていない。 GaAs 量子井戸中のサブバンド間遷移に関する本研究では,サブバンド構造を反映した3 つの基本的現象--光吸収,電気伝導,電子ラマン散乱に現れる共鳴エネルギーやブロードニングの間の関係を明らかにした。その過程で,吸収及び電子ラマンスペクトルの高精度な測定を実現し,吸収線幅の系統的な計算方法を示した。特に,サブバンド間遷移が界面ラフネスから受ける影響は研究全体を通して重要であり,詳細に論じられている。 論文の構成は,研究の背景と意義を述べた第1 章,実験方法や物理的議論の基礎となっている事柄についてまとめた第2 章,サブバンド間赤外吸収計測と電子ラマン散乱計測の方法を説明した第3 章,及び,実験結果と計算結果を示して物理的議論を行った第4 章以降の各章となっている。 第4 章では,Si 変調ドープGaAs 単一量子井戸におけるサブバンド間吸収線幅と移動度の温度依存性に関して,詳細な実験結果を示した上で,界面ラフネス散乱及びフォノン散乱を考慮した理論計算によって定量的な説明を行った。図1 は,顕微フーリエ変換赤外分光計(μ-FTIR) を用いて測定した8-nm GaAs/AlAs 単一量子井戸のサブバンド間吸収スペクトルである。試料を電界効果トランジスター構造に加工してゲート電極による電子濃度制御を行い,空乏状態を参照として電荷蓄積状態の透過スペクトルを評価するという工夫した方法によって,単一量子井戸においてもこのようにサブバンド間吸収を高S/N 比で検出した。4.5 K における線幅(半値全幅) は2Γop =11.1 meV であり,一方,移動度μ に対応する輸送緩和時間によって決まるエネルギーのぼけ(輸送現象のぼけ) は2Γtr =1.2 meV であった。吸収線幅2Γop は輸送現象のぼけ2Γtr と比べて約1 桁大きくなっている。 図2 の丸印は,測定した吸収線幅2Γop 及び輸送現象のぼけ2Γtr の温度依存性である。吸収線幅2Γop は11.1 meV (4.5 K) から14.9 meV (300 K) まで温度と共に緩やかに増大している。これは,輸送現象のぼけ2Γtr が急激に増大する(移動度μ が急激に悪化する) 様子と大きく異なっている。 Ando の理論によると,電子の散乱によるサブバンド間吸収の位相緩和レート2Γop(E) は,面内運動エネルギーE の関数として,サブバンド内散乱からの寄与Γintra(E) とサブバンド間散乱からの寄与Γinter(E) の和で表される。この理論に基づき,低温における吸収線幅の原因として最も可能性の高い界面ラフネス散乱の寄与,及び温度依存性に関係すると考えられるフォノン散乱の寄与を定式化した。GaAs-on-AlAs 界面(AlAs 表面) のラフネスを平均の高さΔ,相関長Λ のGaussian 型相関関数でモデル化すると,界面ラフネス散乱に対して次式が得られる。 ここに,Fmn =√(∂Em/∂L)(∂En/∂L)(En は第n サブバンドの量子化エネルギー,L は 井戸幅),m*は電子の有効質量,q は散乱ベクトルの大きさ,θ は散乱角である。 図2 の曲線は,吸収線幅2Γop と輸送現象のぼけ2Γtr の温度依存性に関する計算結果である。界面ラフネス散乱(IFR;Δ = 0.4nm, Λ=4.3 nm),LO フォノン散乱,及びLA フォノン散乱の寄与を順に加え,破線(IFR のみ),一点鎖線(IFR+LO),実線(IFR+LO+LA) の3 種類で表示している。まず低温では,界面ラフネス散乱が吸収線幅2Γop に対して10.4 meV,輸送現象のぼけ2Γtr に対して0.73 meV といういずれも支配的な寄与をしているが,値は1 桁異なっている。これは,界面ラフネス散乱において,第1 励起サブバンド内散乱の効果が基底サブバンド内散乱の効果よりも遥かに大きいためである(無限バリア近似ではF11 =4F00 となる)。温度が上昇していくと,LO フォノン散乱の寄与は輸送現象のぼけ2Γtr に対して80 K 以上で支配的になるが,吸収線幅2Γop に対しては僅かに増加する程度であり,室温においても1.8 meV に留まっている。これは,LO フォノン散乱において2 つのサブバンド内散乱行列要素が近い値をもち,打ち消し合ってしまうためである。吸収線幅2Γop の値は,室温でも界面ラフネス散乱によってほとんど決まっていることが分かる。このような計算結果は,実験結果と非常によく一致している。 第5 章では,界面ラフネス散乱とフォノン散乱に加え,アロイ散乱及びイオン化不純物散乱の寄与についても定式化を行い,数値計算によって各散乱メカニズムの特徴を詳細に論じた。図3 に,アロイ散乱(AD) を考慮した例として,10-nm InxGa1-xAs/Al0.3Ga0.7As量子井戸における計算結果をIn の割合x の関数として示す。吸収線幅2Γop に対しては,界面ラフネス散乱(IFR; Δ=0.35 nm,Λ=4.0 nm) の寄与は1.6 meV 程度であり,それに比べてアロイ散乱の寄与はx =0.1 のときでも0.3 meV 程度と小さい。一方,輸送現象のぼけ2Γtr に対してもアロイ散乱の寄与は0.3 meV 程度であるが,界面ラフネス散乱の寄与は0.1 meV 程度であるため,移動度μ はx と共に急激に悪化する。このような計算結果は,Campman らの実験結果(丸印) をよく説明している。 第6 章では,初めて観測に成功した,井戸幅の狭い(〜10 nm 以下の) GaAs 単一量子井戸中のサブバンド間電子ラマン散乱について述べた。従来,井戸幅の広い(〜20 nm 以上の) GaAs 量子井戸においては,異なる動的多体効果を含む電荷密度励起(CDE; 平行偏光)及びスピン密度励起(SDE; 垂直偏光) と,動的多体効果を含まない一電子励起(SPE; 両方の偏光) という3 種類のピークが確認されている。入射光と散乱光の偏光関係に関して選択則が存在し,垂直偏光で観測される励起はスピン−軌道相互作用による電子スピンの反転を伴う。一方,井戸幅の狭い量子井戸においては界面ラフネスによるブロードニングの影響が大きいため,測定は困難であるとされてきたが,筆者は入射光の共鳴条件に注意することによってその困難を克服した。 図4 は,12 K における10-nm GaAs/AlAs 単一量子井戸の典型的なサブバンド間電子ラマンスペクトルである。電子濃度が十分高いにもかかわらず,平行/垂直偏光でそれぞれ134.2 /134.0 meV というほぼ同じ位置に1 つのピークのみが現れている。そこで,ピークの帰属を行うために,井戸幅8.5 −18 nm の範囲でラマンスペクトルの特徴の移り変わりを調べ,図5 (a) → 図5 (b) → 図4 という結果を得た。これは,井戸幅が狭くなるにつれてCDE,SDE のピークが小さくなることを意味し,図4 のピークがSPE に帰属されることを示している。また,このピークに関して,高エネルギー側の共鳴端では著しいラマンシフトの増大とラインシェイプの変化が観測され,界面ラフネスによる面内運動量保存則の緩和という観点から定性的に説明されることを示した。 第7 章では,狭い量子井戸におけるサブバンド間吸収と電子ラマン散乱を比較し,その結果から遷移エネルギーに対する動的多体効果を実験的に見積もることができることを指摘した。図6 は,12 K における10-nm GaAs/AlAs 単一量子井戸のサブバンド間吸収スペクトルである。図4 の電子ラマンスペクトルと比較すると,吸収ピークのほうがラマンピークよりも8.0 meV だけ高エネルギー側に現れていることが分かる。吸収ピークの起源は過去の報告においてCDE であることが確認されており,この8.0 meV というエネルギー差は動的多体効果の現れと考えられる。 最後の第8 章では,本研究において得られた知見をまとめ,今後の展望を記した。 図1: 8-nm GaAs/AlAs 単一量子井戸のサブバンド間吸収スペクトル 図2: サブバンド間吸収線幅2Γop 及び輸送現象のぼけ2Γtr (移動度μ) の温度依存性 図3: 10-nm InxGa1-xAs/Al0.3Ga0.7As 量子井戸におけるサブバンド間吸収線幅2Γop 及び輸送現象のぼけ2Γtr (移動度μ) のアロイ組成x 依存性 図4: 10-nm GaAs/AlAs 単一量子井戸のサブバンド間電子ラマンスペクトル 図5: (a) 18-nm,(b) 13.5-nm GaAs/AlAs 単一量子井戸のサブバンド間電子ラマンスペクトル 図6: 10-nm GaAs/AlAs 単一量子井戸のサブバンド間吸収スペクトル(図4 の電子ラマンスペクトルと比較のこと) | |
審査要旨 | 次世代の光・電子デバイス創出を視野に入れて、半導体ナノ構造における電子の量子的性格やそのフォトンとの相互作用が実験・理論の両面から広く研究されている。修士(理学)鵜沼毅也提出の学位請求論文もこの課題に取り組むものであるが、とりわけ、従来よりも狭い井戸幅のGaAs単一量子井戸に着目し、その系でのサブバンド間遷移を赤外吸収や電子ラマン散乱で精密に測定すると共に、移動度の測定結果とも比較しながら、得られた共鳴エネルギー位置や線幅を定量的に理論解析している。 さて、和文で8章からなる本論文の第1章では、半導体量子井戸構造研究の歴史を繙きながら、本研究の対象は井戸幅が10nm以下の未開拓領域で、その目的は高精度の分光測定を基軸にして理論計算とも比較しながら井戸の中の電子の量子力学的運動を理解することであるとされる。 次の第2章では、本研究の主題であるサブバンド間遷移に関連する物理的基礎事項がまとめられる。そして、赤外吸収スペクトルの共鳴エネルギーは単に1体的なサブバンド間隔(1電子励起エネルギー)を表すものではなく、反電場効果によるブルーシフトと励起子効果によるレッドシフトの2つの多体効果も包含することが確認される。また、第3章では、サブバンド間赤外吸収計測と電子ラマン散乱計測の実験手法が試料加工の詳細と共に具体的に報告されている。 第4章と第5章では、8nmの井戸幅を代表例とするGaAs単一量子井戸において測定された赤外吸収のスペクトル線幅が移動度の測定から導かれる幅に比べて低温では一桁程度も大きいことや温度依存性も違うことに着目しつつ、これらの幅を与える緩和機構を統一的、かつ、定量的に決定した経緯が記されている。なお、ここでの理論解析は安藤理論の枠組みを基礎とするもので、光学及び音響フォノン散乱やアロイ散乱、イオン化不純物散乱など、この系で考えられる全ての散乱機構が考慮され、その結果、界面ラフネス散乱が(特に低温では)支配的であることが見出された。物理的には、井戸幅が狭くなると第一励起サブバンドの波動関数が基底サブバンドのそれよりもずっと界面に近づいてくるためと理解される。 サブバンド間電子ラマン散乱は第6章で議論される。20nmよりも広い従来の井戸では、入射光と散乱光の偏光が平行の配置では1電子励起に由来するピークと共に赤外吸収と同じ共鳴エネルギーの電荷密度励起のピークが、それらの偏光が垂直の配置では前者のピークと共にスピン軌道相互作用に起因するスピン密度励起のピークが観測されていた。本研究では入射光の共鳴条件をうまく利用して10nmという狭い井戸でのサブバンド間電子ラマン散乱を世界で初めて観測した。そして、偏光配置によらず、常に1電子励起のピークのみが出現することを見出した。これは界面ラフネス散乱によって井戸面内運動量保存則の緩和が顕著になるためと解釈される。さらに第7章では、こうして得られる1電子励起エネルギーと赤外吸収の共鳴エネルギーとの比較から、多体効果によるエネルギーシフトの値が実験的に決定できるという指摘がなされ、しかも、その実際の値は理論値とよく一致することが確認された。この指摘は多体効果の研究を今後さらに展開していく上でも重要になろう。 最後に第8章では、本研究で得られた結果が要約され、将来の課題が列挙された。なお、本論文の末尾には第2章への補遺として2つ、計算技法に関して1つ、そして、変調ドープ試料の設計に関して1つの合計4つの付録がつけ加えられている。 以上見てきたように、本論文では、狭い井戸幅のGaAs単一量子井戸という未開拓の領域で高精度の分光測定がなされ、その測定で得られた結果は安藤理論の枠組みで統一的に解釈され、定量的にも理論と実験が一致する結果が得られ、そして、界面ラフネスが狭い量子井戸の電子物性に多面的に重要な影響を与えていることが明確にされた。これらの新しい知見は基礎物理学の発展に充分に貢献しているだけでなく、デバイス開発などにも役立つことが期待される。なお、本論文の内容は指導教官である秋山英文助教授らとの共著として3つの雑誌に既載されているが、これら3つの論文の第一著者である論文提出者が主体となって実験、理論計算及び結果の解釈を行ったものであり、論文提出者の寄与が十分であると判断される。また、この件に関して秋山氏ら12名の同意承諾書が提出されている。 したがって、本論文審査委員会は全員一致で博士(理学)の学位を授与できると認める。 | |
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