学位論文要旨



No 119897
著者(漢字) 岡,隆史
著者(英字)
著者(カナ) オカ,タカシ
標題(和) 強電場中の相関電子系の非線形応答
標題(洋) Non-Linear Responses of Correlated Electron Systems in Strong Electric Fields
報告番号 119897
報告番号 甲19897
学位授与日 2005.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第4626号
研究科 理学系研究科
専攻 物理学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 羽田野,直道
 東京大学 教授 内田,慎一
 東京大学 教授 宮野,健次郎
 東京大学 助教授 加藤,岳生
 東京大学 助教授 清水,明
内容要旨 要旨を表示する

 本論文では低次元強相関電子系、特に一次元モット絶縁体の非線形輸送、非線形光応答について理論的に研究した。

 強相関系とは、電子間に強いクーロン相互作用がはたらく物質の総称であり、遷移金属化合物、有機π電子錯体などの物質群が属する。これらの強相関系は、興味深い伝導性や磁性を示すことから、近年、活発な研究がなされてきた。二次元銅酸化物の高温超伝導や一次元物質のスピン電荷分離などはその代表例である。しかし、これまでの研究は基底状態の性質に関するものが中心であり、非平衡状態に関する研究はほとんど行われてこなかった。

 ところが最近になって一次元モット絶縁体の非線形伝導、非線型光応答に関する興味深い実験が報告され始めた。モット絶縁体では電子間斥力の非摂動効果で絶縁体化しており、高温超伝導体の母体物質としても注目を集めている。まず、一次元銅酸化物の非線形I-V特性が計測され(Taguchi et al. Phys. Rev. B 62 )、しきい値を越える巨大電場をかけると絶縁破壊現象が起きることが発見された。また、絶縁破壊で生じた金属的励起状態が電荷移動型絶縁体で観察された(Kumai et al. SCIENCE 284)。一方、光学的性質としては、ハロゲン架橋ニッケル錯体、一次元銅酸化物、等において三次の非線形光学応答が通常の一次元バンド絶縁体と比較して数桁も大きいことが明らかになった(Kishida et al. Nature 405)。これらの発見は基礎科学のみならず、将来の強相関電子系を用いた電子技術の構築という観点からも非常に注目を集めている。ところが、強相関電子系の非線形応答に関する理論的研究はこれまであまり進展してこなかった。その大きな要因として、電子間斥力と電場(F)の二つの非摂動効果を同時に扱うことの困難が挙げられる。これまで輸送問題で大きな役割を果たしてきた線形応答理論、あるいは、単純な摂動計算は不十分である。

  本論文では、1930年代にZenerによって提案され、バンド絶縁体の絶縁破壊を理解する上で重要な役割を果たした量子トンネル効果(Zener tunneling)に注目し、Zener理論のモット絶縁体への拡張を行った。その結果、多体準位間のLandau-Zener遷移によって絶縁破壊が良く説明できることを示した。その過程で、電場下のモット絶縁体ではバンド絶縁体とは異なる、多体電子系特有の現象が起きることが明らかになった。一例として、電子間相互作用が引き起こす緩和現象が挙げられる。このため、一度トンネル効果で励起した電子が周囲の電子と散乱することにより局在化し、電気伝導に寄与しなくなるという絶縁破壊の抑制効果が引き起こされる。この局在現象は、エネルギー空間上で考察するとアンダーソン局在と類似の量子干渉効果の帰結と、とらえられることが分かった。さらに、強電場下のモット絶縁体の光学応答関数を計算することにより、絶縁破壊の光吸収スペクトルへの影響を明らかにした。

 本論文の構成は、以下にようになっている。

第1章 Introduction

第2章 電場中の格子系

第3章 バンド絶縁体における量子トンネル効果と電子輸送

第4章 モット絶縁体の絶縁破壊現象

第5章 外場に駆動された量子系の動力学

第6章 一次元電子系の非線形応答関数

第7章 まとめと今後の課題

 第3章ではバンド絶縁体の絶縁破壊現象を考察し、Zenerの一次元系に対する理論を高次元の分散を持つバンド絶縁体に拡張し、電気伝導度の計算を行う。この拡張を行う際、基底状態のトンネル確率Γ(F)が伝導度と密接に関係していることを見る。またΓ(F)が基底状態の残存確率(survival probability)から計算できることを説明し、一次元tight-bindingモデルを用いた数値計算により結果の妥当性を検討する。

 第4章では一次元モット絶縁体の絶縁破壊現象を解析する。Half-filled Hubbardモデルの基底状態に静電場をかけて基底状態の残存確率を数値的に計算し、その漸近的振る舞いからトンネル確率Γ(F)を見積もる(Fig.1)。計算手法としては時間依存DMRG(密度行列繰り込み群)および厳密対角化法を用いる。その結果、電場をかけた時の振る舞いがおおよそ三つの領域(Fig 1の(A)から(C))に分類できることを示す。(A)では電場が弱く、トンネル効果が起きないため、断熱的な時間発展が行われる。(B)では、電場をかけた当初はトンネル効果が起きるものの、徐々にトンネル効果が抑制されて最後には残存確率が下げ止まる。しかし、さらに電場を強くした(C)ではトンネル効果が非常に強くて(B)で見られた抑制効果を振り切って基底状態は指数関数的に崩壊していく。ここで述べた抑制効果とは、物理的には、励起した電子と周囲の電子の散乱過程により生じる緩和の効果である。

 第5章では第4章で見いだされた緩和現象を、エネルギー準位内の動力学を表す有効モデルを用いて解析する。静電場を時間に依存するAharonov-Bohm位相を用いて表現した場合、絶縁破壊の問題はエネルギー準位の空間の中の拡散現象、すなわち、量子ウォークの問題と等価になることにまず注目する。量子ウォークはランダムウォークの量子版として近年、量子物理、量子情報、さらに確率論の分野で注目を浴びているモデルである。ここでは、波動関数の長時間漸近分布を時間発展の母関数を求めることにより調べる。解析の結果、第4章同様、電場の強さに応じて三つの領域が出現することが明らかになった。そして、緩和現象の原因が異なる遷移経路同士の位相干渉効果であること、そして、中間領域(B)においては動的局在現象が起きることを示す。さらに、(B)、(C)の境界では電場誘起の局在=非局在転移がエネルギー空間内で起きることが示される。

 第6章では絶縁破壊等の非線形効果を応答関数を用いて統一的に解析する。まず、電場変調分光(電場のある時と無い時との線形応答関数の変化から非線形応答を見積もる実験手法)のアイデアを用いて一次元モット絶縁体およびバンド絶縁体の非線形光学応答を見積もる。計算手法としては時間依存DMRGを用いる。その結果、まず、巨大非線形光学応答に関しては、実験結果 (Kishida et al. Nature 405) と整合した形状が得られるが、光学吸収とラマン吸収スペクトルの形状を比較して、両者の縮退からこの結果が説明できることを示す。

 次に、絶縁破壊が光学応答に及ぼす変化を見るために、過渡相関関数(transient correlation function)の計算を行う。その結果、トンネル率の解析同様、やはり、三つの領域(A)-(C)を得る(Fig.3)が、興味深いことに動的局在現象のために絶縁体となっているはずの(B)相で光学伝導率のdc成分が有限(金属的)になっていることが示される。これは、輸送(トンネル電流)と光応答を結びつける非線形応答理論が、量子トンネルがある場合には必ずしも一致しないことを示唆しており興味深い。最後に(A)から(C)までの領域がパラメータ空間(U,F)でどのように出現するかを示す``誘電相図"をFig.4に与える。この相図は実験結果と同程度の絶縁破壊の臨界電場を与える。

Fig 1:Plot of groundstatedecay rate

Fig 2: Plot of asymptotic wave function in energy space

Fig 3: Plot of optical conductivity in finite F

Fig 4: Plot of (F,U) dielectric phase diagram

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は、絶縁体に強電場をかけたときに、量子トンネル効果によってどのように絶縁破壊が起こるかを様々な角度から研究したものです。絶縁体としてはバンド絶縁体とモット絶縁体を考えています。本論文で新しく得られた著しい結論は、モット絶縁体で(絶縁破壊の起こる前の)絶縁相と(絶縁破壊が起きた後の)金属相の中間に、動的局在相とでも呼ぶべき状態があるということです。このような状態は、ランダム行列の理論においてごく最近に示唆されていましたが、実際の物質により対応するモデルでの指摘は初めてです。審査委員会として、この点を高く評価します。

 上の結論を得るために、本論文では様々な解析手法を用いています。特に、取り扱いの難しいモット絶縁体は、

(1)時間依存するゲージを使った厳密対角化の手法

(2)時間依存しないゲージを使った密度行列繰り込み群の手法

(3)トイモデルにおける量子ランダムウォークの解析

(4)光応答の数値計算

のように多角的に解析しています。このような議論の多面性も、評価できる点の一つです。

 以下に、本論文の要旨を章立てに従ってまとめます。本論文はアブストラクトと本文7章および補遺1章からなります。第1章では、本論文の興味の対象となる絶縁破壊についての最近の実験の紹介から始まり、本論文の結論のまとめで終わります。

 第2章では、理論的に解析する基礎となるハバード模型ハミルトニアンを定義しています。特に、強電場の効果を(1)周期境界条件を課した系での時間に依存するゲージと、(2)開放境界条件を課した系での時間に依存しないゲージの2通りで表し、両者が(フロケー形式の意味で)数学的に等価であることを示しています。また、量子トンネル効果のZenerによる基本的扱い方についても概観しています。

 第3章では、時間に依存するゲージを用いてバンド絶縁体の絶縁破壊を扱っています。Zener による従来の取り扱いを拡張した議論をしています。また、数値計算によって絶縁破壊の閾値の存在を具体的に示しています。つまり、バンド絶縁体では通常の絶縁相と金属相しか存在しません。

 第4章では、いよいよモット絶縁体の絶縁破壊を扱っています。時間に依存するゲージの周期境界系を厳密対角化によって短時間の領域で解析した結果と、時間に依存しないゲージの開放系を密度行列繰り込み群によって長時間の領域で解析した結果を示しています。特に後者においては、(A)初期状態である基底状態からほとんど遷移しない領域と、(C)基底状態の存在確率が指数関数的に減衰する領域の中間に、(B)基底状態の存在確率がある程度は減衰するが、途中で減衰が止まる領域が存在することを示しました。これが、本論文の中心的な、高く評価できる成果です。

 第5章では、モット絶縁体の絶縁破壊を、新たな有効モデルの観点から解析しています。モット絶縁体のエネルギー準位の構造を簡単化したモデルで、基底状態からの量子的なランダムウォークを考えています。その結果、この簡単なモデルでも(A)基底状態にランダムウォーカーが留まる領域、(B)ランダムウォーカーが、ある程度は基底状態から逃げるが、ほとんど基底状態付近に局在する領域、(C)ランダムウォーカーが基底状態から完全に逃げてしまう領域の3つがあり、第4章の(A)(B)(C)に対応していることを示しています。このモデルの計算によって、(B)という状態がエネルギー空間における局在に相当していることが示されました。これも新しい知見として評価できます。

 第6章では、モット絶縁体の非線形光学応答を解析しています。物理的状況としては、強電場がかかった絶縁体に電磁波を当てたときの応答です。ここでも、応答関数の振る舞いに第4章の(A)(B)(C)に対応した領域があることが示されています。また、最近の実験に対しても明快な理論的説明を与えています。

 最後に、第7章で再びこの論文の成果をまとめています。補遺では、密度行列繰り込み群について簡単に紹介しています。

 以上のように、本論文は古くて新しい絶縁破壊の問題に、幾つもの視点から多角的にアプローチして独自の結論を得ており、実験に対する示唆にも富んでいます。物性物理学の論文として高く評価できます。

 なお本論文は、青木秀夫氏、今野紀雄氏、有田良太郎氏との共同研究を含んでいますが、いずれも論文提出者が主導した研究であると判断します。以上より、論文提出者に博士(理学)の学位を授与できると認めます。

UTokyo Repositoryリンク