学位論文要旨



No 119903
著者(漢字) 高坂,洋史
著者(英字)
著者(カナ) コウサカ,ヒロシ
標題(和) ショウジョウバエ神経筋結合系における標的選択及びシナプス形成過程の可視化
標題(洋) Live imaging of neuromuscular target recognition and synaptogenesis in Drosophila
報告番号 119903
報告番号 甲19903
学位授与日 2005.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第4632号
研究科 理学系研究科
専攻 物理学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 宮下,保司
 東京大学 教授 桑島,邦博
 東京大学 教授 小林,孝嘉
 東京大学 教授 川戸,佳
 東京大学 教授 三浦,正幸
内容要旨 要旨を表示する

 われわれのからだは、至るところに神経がはり巡らされている。個々の神経細胞は、軸索を伸ばして適切な細胞との間にシナプス構造を形成している。適切な神経配線は、神経系が正しく機能するために必要であり、脳神経系を理解する上で、神経回路網形成のしくみを明らかにすることは重要である。本論文では、ショウジョウバエの神経筋結合系を用いて、神経接続が作られる過程の解析を行なった。

 適切な神経接続が作られるまでにはいくつかの段階がある。まず、神経細胞は軸索を正しい方向へ伸ばす。これは、軸索の先端の成長円錐という構造が、周囲の様々な道案内を頼りに、正しい経路を選択して進んでいくことによる。これが、「軸索誘導過程」である。やがて成長円錐は、シナプスを作るべき細胞(標的細胞)の近傍に達する。ここで成長円錐はいくつかの細胞の中から標的細胞を選び出す。これが、「標的選択過程」である。シナプスを作るべき相手が見つかったあと、シナプス形成を始める。シナプスは単なる接着構造ではなく、効率よく情報伝達するために、タンパク質や膜構造が組織化されている。このシナプス構造の構築が、「シナプス形成過程」である。この3つの過程のうち、本論文では、「標的選択過程」と「シナプス形成過程」の解析をおこなった。

 神経細胞が、標的細胞を選び出しているということはさまざまな組織移植実験から明らかになっていた。分子生物学の進歩により、標的選択に関わる分子(標的認識分子)が同定されて、神経回路形成の遺伝的側面が明らかになってきた。すなわち、個々の標的細胞は、周囲の細胞が発現していないタンパク質を発現することで色分けされており、成長円錐はその色を認識することで適切な細胞を探しあてるというものである。標的認識分子の発現パターンは、神経配線パターンを明快に説明できたが、実際に標的選択が起こる際の標的認識分子の挙動は明らかになっていない。それは、標的選択は、成長円錐と標的細胞との間の非常に動的な過程であり、シナプスが形成されたあとには痕跡が残らないという意味で一過的であるため、解析が困難であったからであると思われる。そこで、本論文の前半では、近年急速に改良された蛍光タンパク質GFPと共焦点レーザー顕微鏡を用いて、動的で一過的な標的選択過程の可視化を行なった。特に、ショウジョウバエ神経筋結合の持つ、標的細胞が大きいという利点を生かして、標的細胞上の標的認識分子の挙動を解析した。標的細胞(筋肉細胞)で、標的認識分子カプリシャス(CAPS)とGFPとの融合タンパク質を発現させたところ、標的細胞の出す突起の先端に濃縮した。このことは、標的選択過程において、標的細胞はその目印を突起の先端に掲げ、積極的に成長円錐との相互作用に向かっていることを示唆する。筋肉細胞の出す突起(「マイオポディア」)が成長円錐と相互作用してシナプス形成に関わることは報告されているが、本論文ではこの突起が標的選択に関わっているというモデルを提起する。実際に突起の先端が成長円錐と接触することがあるかを確かめるために、生きた状態(in vivo)で成長円錐と筋肉細胞の可視化を行なった。標的選択過程において、マイオポディアの先端が成長円錐と接触し、さらにこの接触すべてが安定化するわけではないことを見出した。このことは、マイオポディアと成長円錐との接触の際、何らかの認識が行なわれていることを示唆する。従来は、成長円錐が標的選択の主役であると考えられていたが、本論文では、標的細胞にも積極的な役割があることを提起する。

 シナプス構造は、様々なタンパク質や膜構造の集合体であることが知られ、免疫組織染色法や電子顕微鏡によって構造が詳しく調べられている。また、遺伝学的手法によって、シナプス部に存在するタンパク質の役割が明らかになりつつある。また、シナプスが作られる過程は、培養細胞を用いた系で詳しく解析され、シナプス部に存在することが知られているタンパク質が実際にシナプス形成過程でどのように挙動するかが解明されている。一方、in vivoでシナプス形成がどのように進むかについては、研究が始まったばかりである。これは、シナプスは神経組織内で密に存在し個々のシナプスを区別するのが困難であることと、in vivoで遺伝子を導入することが最近まで困難であったことによると考えられる。そこで、本論文の後半では、in vivoでのシナプス形成過程の可視化を試みた。特に、シナプス後細胞でのタンパク質の分布について解析した。シナプス後膜部の役割として、シナプス前膜との接着を維持することとシナプス後膜内のタンパク質局在を保つことの2つがある。ショウジョウバエ神経筋結合系においては、前者に関わる分子の一つとして、細胞接着分子ファシクリン2(FasII)、後者に関わるものとしてディスクスラージ(Dlg)が同定されている。成熟したシナプスにおいて、FasIIがシナプス前膜と後膜との接着を担い、Dlgがシナプス後膜部の膜タンパク質の局在を支えていることが知られている。しかし、シナプス形成期にこれらの分子がどのように挙動するのかは明らかではない。本論文では、FasII及びDlgと蛍光タンパク質の融合タンパク質を筋肉細胞に発現させ、シナプス形成過程における挙動を観察した。どちらも、標的選択過程においては特に局在を示さないが、シナプスができはじめるとシナプス部に局在する。これは、シナプス構造に重要なタンパク質は、in vivoにおいてシナプス形成の非常に早い段階で既にシナプス部に集積していることを示している。筋肉細胞上のFasIIがシナプス部に局在するしくみを検討したところ、シナプス前膜からの分泌とシナプス前膜のFasIIが関与していて、Dlgは関与していないことが分かった。成熟したシナプスでは、FasIIの局在にDlgが重要であることが報告されている。これらのことは、シナプス形成過程と、成熟したシナプスとでは、タンパク質の局在を支えているしくみが違うことを示唆する。培養細胞でシナプス部へのタンパク質局在が詳しく研究されている。以上の結果は、in vivoのシナプス形成過程におけるタンパク質のシナプス部局在のしくみを示した最初の例である。

 本論文では、標的選択過程とシナプス形成過程について、GFPを用いた可視化で解析を行なった。標的選択過程において、標的細胞の積極的な役割を示唆する結果を得た。また、シナプス形成過程において、シナプス構造に重要なタンパク質がシナプス部に集積する様子をとらえた。これらの結果は、それぞれの過程及び、標的選択過程からシナプス形成過程へ移行するしくみの理解の基礎となると考えられる。

審査要旨 要旨を表示する

この論文では、ショウジョウバエ神経筋シナプスに関して、(1)標的選択過程における、筋肉細胞上の標的選択分子CAPSの挙動と機能、(2)シナプス形成過程における、筋肉細胞上の細胞接着分子FasIIの挙動、について二章に分けて述べられている。

 適切な神経接続が作られるまでにはいくつかの段階がある。軸索先端の成長円錐は、シナプスを作るべき細胞(標的細胞)の近傍に達すると、いくつかの細胞の中から標的細胞を選び出す。これを「標的選択過程」と呼ぶ。シナプスを作るべき相手が見つかったあと、シナプスが形成される。これを「シナプス形成過程」と呼ぶ。本論文では、それぞれの過程について、蛍光タンパク質を用いたイメージングによって解析している。

 標的選択を実現するための一つの戦略として、標的認識分子を用いたものがある。これは、個々の標的細胞が標的認識分子と呼ばれるタンパク質を発現することで色分けされており、成長円錐がその分子を認識することで適切な細胞を探しあてるというものである。標的認識分子の発現パターンは、神経配線パターンを明快に説明できたが、実際に標的選択が起こる際の標的認識分子の挙動は明らかになっていない。そこで、本論文の前半では、蛍光タンパク質GFPと共焦点レーザー顕微鏡を用いて、動的で一過的な標的選択過程の可視化を行なっている。特に、ショウジョウバエ神経筋結合の持つ、標的細胞が大きいという利点を生かして、標的細胞上の標的認識分子の挙動を解析した。標的細胞(筋肉細胞)で、標的認識分子カプリシャス(CAPS)とGFPとの融合タンパク質を発現させたところ、標的細胞の出す突起の先端に濃縮した。このことは、標的選択過程において標的細胞はその目印を突起の先端に掲げ、積極的に成長円錐との相互作用に向かっていることを示唆する。筋肉細胞の出す突起(「マイオポディア」)が成長円錐と相互作用してシナプス形成に関わることは報告されているが、本論文ではこの突起が標的選択に関わっているというモデルを提起した。生きた状態(in vivo)で成長円錐と筋肉細胞の可視化を行なったところ、標的選択過程において、マイオポディアの先端が成長円錐と接触し、さらにこの接触すべてが安定化するわけではないことを見出した。このことは、マイオポディアと成長円錐との接触の際、何らかの認識が行なわれていることを示唆する。従来は、成長円錐が標的選択の主役であると考えられていたが、本論文では、標的細胞にも積極的な役割があることを提起する。

 シナプス構造は、様々なタンパク質や膜構造の集合体であることが知られている。ところが、シナプス構造が形成される過程を経時的に解析した例はまだ少ない。そこで、本論文の後半では、in vivoでのシナプス後細胞におけるタンパク質を可視化することで、シナプス形成過程を解析している。シナプス後膜部にとって、シナプス前膜との接着の維持は重要であり、ショウジョウバエ神経筋結合系において、そのような分子として、細胞接着分子ファシクリン2(FasII)が同定されている。そこで、FasIIと蛍光タンパク質の融合タンパク質を筋肉細胞に発現させ、その挙動を観察した。この融合タンパク質は標的選択過程においては特に局在を示さないが、シナプスができはじめるとシナプス部に局在する。このことは、シナプスの安定性を支える細胞接着分子が、in vivoにおいてシナプス形成の非常に早い段階で既にシナプス部に集積していることを示している。筋肉細胞上のFasIIがシナプス部に局在するしくみを検討したところ、シナプス前膜のFasIIが関与していて、タンパク質局在に関わる分子Dlgは関与していないことが分かった。一方、成熟したシナプスでは、FasIIの局在にDlgが重要であることが報告されている。これらのことは、シナプス形成過程と、成熟したシナプスとでは、タンパク質の局在を支えているしくみが違うことを示唆する。以上の結果は、in vivoのシナプス形成過程におけるタンパク質のシナプス部局在のしくみを示した最初の例である。

 本論文では、標的選択過程とシナプス形成過程について、GFPを用いた可視化で解析を行なった。標的選択過程において、標的細胞の積極的な役割を示唆する結果を得た。また、シナプス形成過程の早い段階で、シナプス構造維持を担うタンパク質が、シナプス部に集積する様子をとらえた。これらの結果は、それぞれの過程及び、標的選択過程からシナプス形成過程へ移行するしくみの理解の基礎となると考えられ、神経接続が作られるしくみの細胞レベル、分子レベルでの解明に多大な寄与をなすものである。

 この論文の第一章は、林茂生博士、櫻井香代子氏、能瀬聡直助教授との共同研究であるが、論文提出者が主体となって研究を行ったもので、提出者の寄与が十分であると認められる。従って審査員一同、博士(理学)の学位を授与するのにふさわしい研究であると判断した。

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