学位論文要旨



No 119910
著者(漢字) 高橋,弘充
著者(英字)
著者(カナ) タカハシ,ヒロミツ
標題(和) X線を用いた弱磁場中性子星への質量降着流の研究
標題(洋) X-ray Study of Mass-Accretion Flows onto Weakly-Magnetized Neutron Stars
報告番号 119910
報告番号 甲19910
学位授与日 2005.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第4639号
研究科 理学系研究科
専攻 物理学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 中村,典雄
 東京大学 助教授 柴田,大
 東京大学 教授 高瀬,雄一
 東京大学 助教授 大橋,正健
 東京大学 助教授 森山,茂栄
内容要旨 要旨を表示する

1 はじめに

 我々の銀河系において、X線の波長でもっとも明るい天体はX線連星である。X線連星は恒星とコンパクト星(ブラックホール、中性子星、白色矮星)から構成され、恒星から放出された物質がコンパクト星に落ちる際に解放される重力エネルギーが放射エネルギー(おもにX線)に変換され輝いている。こうしたX線連星における重力エネルギーから放射エネルギーへの変換過程は、宇宙物理学における長年の研究対象となってきた。その中でも、質量降着率がきわめて高く、物質に働く放射圧が重力に匹敵しているような状況(エディントン限界)におけるX線連星の物理状態は、いまだ十分に解明されていない。とくに放射圧により、降着物質の一部が逆に吹き飛ばされる状況が予想されるものの、その観測的な定量化は、ほとんど手つかずである。

 X線連星のエディントン限界に近い状態を研究するには、弱磁場中性子星と恒星の連星系(LMXB)が最適なターゲットである。中性子星の質量は〜1.4M〓(太陽質量)であり、ブラックホールよりも約1 桁小さく、相対的に低い質量降着率で放射圧が重力に拮抗しはじめる。またブラックホールでは物質がエネルギーを抱えたまま事象の地平線の彼方に消え去ることができるのに対し、中性子星は半径〜10km の表面をもつため、物質は解放した重力エネルギーを放射せずには中性子星表面に降着することはできない。つまりLMXB では、放射圧がより顕著に効くと期待されるのである。

 LMXB の研究は1980 年代から盛んに行われてきたが、その研究手法の多くは、X線フラックスとスペクトルの硬さの相関や時間変動といった現象論的なアプローチに終始していた。本研究ではそれらと一線を画し、日本のグループによって提唱され確立されてきたLMXB を記述する物理的モデル( 欧米で提唱された別のモデルと対比して「東」モデルと呼ばれる; Mitsuda et al. 1984 )を作業仮説として用いる。それを実測されたX線スペクトルと詳しく比較することで、放射圧が効いた状態でのLMXB の物理状態を明らかにするとともに、モデルの発展的な改良を行った。

2 研究手法

 私は、これまでのX線観測衛星の中でもっとも多くLMXB を観測しているRXTE(Rossi X-ray Timing Explorer)衛星の公開データから、コンパクト星が中性子星であることが分かっている18 天体を選び、利用できる全データの解析を行った。選んだデータの全観測回数は. 2500 回、個々の観測は典型的に数時間の継続時間をもち、18 天体を合わせた総観測時間は〜1:26 × 107 秒に達する。LMXB は質量降着率の変化に応じ、さまざまな時間スケール( 数百秒〜数年)でランダムに変動するが、本研究では、個々の観測期間の中での時間変動には注目せず、1 つの観測から1 つの平均スペクトル(3-30 keV )を求め、その定量化を行うことにした。スペクトルを定量化するさいには、理論的な放射モデルを装置の応答関数で畳み込んで予想データを作り、それを実測データとX2 検定で比べるという、この分野の標準的な手法を用いた。さらにモデルに依存しない解析として、スペクトル同士の差や比を求める手法も多用した。

3 データ解析と結果

3.1 質量降着率がエディントン限界以下

光度がエディントン限界(1.4M〓の中性子星の場合、2.1 × 1038 erg s-1 )より十分に低く、重力が支配的な状況では、図1 の例のように、すべてのLMXB のエネルギースペクトルは低温と高温の2 成分で再現された。低温成分は温度〜1.5 keV の多温度黒体放射(MCD)モデルで合い、光学的に厚く幾何学的に薄い標準降着円盤からの放射と解釈できる。また高温成分は温度〜2.5 keV の黒体放射(BB)であり、中性子星表面に降着した物質からの放射であると考えられる。このBB 成分の温度は局所的なエディントン温度にほぼ一致し、またデータから求まるBBの表面積は、中性子星の全表面積の数分の1 であることから、降着円盤が中性子星に接する赤道付近が帯状に光っていると考えられる。この結果は「東」イモデルで提唱されている物理的描像と一致しており、これにより今までにない多数の天体の観測データから、「東」モデルの正当性を検証することができた。

 LMXB の中には、光度がエディントン限界の数分の1 でとどまるものもあり、他方でエディントン限界に近づくものもある。後者では質量降着率の増加につれ、スペクトルの低エネルギー側が大幅に増加するのに対し、高エネルギー側の変動は小さい(図2 左)。これは、MCD 成分の光度が質量降着率に比例して増加しているのに対し、BB 成分は頭打ちになっているからである。この結果は、これまで降着円盤を通って中性子星表面まで降着していた物質(図4 上)が、放射圧が増加するにつれ、降着円盤の最内縁から落ちることができずに吹き出すようになるため(アウトフロー、図4 中)と解釈できる。

3.2 質量降着率がエディントン限界以上

 質量降着率がエディントン限界の臨界値を越えるようになると、前とは逆に、高エネルギー側が激しく変動し(図2 右)、さらにスペクトルは東モデルの2 成分だけでは再現できないことが明らかになった。この原因を調べるため、質量降着率がエディントン限界付近のスペクトルと、その臨界値を越えた状態のスペクトルを比較すると、エネルギー〜 7 keV の帯域に温度〜 1.5 keV のBB で表される新たな成分(BB1)が出現していることが明らかになった(図3)。その結果、この状態のスペクトルには、前よりも温度の低い〜0:7 keV のMCD モデル(降着円盤)と〜2:5 keV のBB モデル(BB2、中性子星表面)というもともとの2 成分に加え、中間のエネルギー帯域に新たに検出されたBB1 の3 成分が存在することが分かった。さらに、天体間の比較から、降着円盤を上方から観測していると考えられる天体では2.5 keV のBB2 成分が検出されるのに対し、円盤の水平方向から観測している天体では、この高温BB がスペクトルから消えさっていることを発見した。

 以上の観測結果を受け、エディントン限界を越え放射圧の影響が大きい状況では、LMXB は次のような物理状態にあると結論できる(図4 下)。( 1)降着円盤の最内縁は自身の放射圧によって膨れ上がり光学的に薄くなっている。MCD 成分として観測される光学的に厚い領域の内縁は、半径の大きい、すなわち温度の低い場所に後退している。( 2)円盤の膨れた領域から、一部の物質は球対称に近い形で中性子星表面に降着し、BB2 成分を放射している。( 3)残りの物質はアウトフローとして吹き出しており、その総量が多いためアウトフロー自身が光学的に厚くなり、BB1 成分として観測される。( 4)アウトフローが完全な球対称ではないため、中性子星表面(BB2 成分)は円盤に平行な方向からだとBB1 成分に隠されるが、円盤上方からは直接に観測することができる。

4 まとめ

本論文では、RXTE 衛星の多天体かつ多数回におよぶ観測データを解析し、弱磁場中性子星(LMXB) における質量降着流の統一描像を構築することに世界で初めて成功した。この結果、質量降着率と降着円盤を見込む角度という2 つのパラメータだけで、質量降着率がエディントン限界の臨界値の〜1/10から数倍におよぶ広い範囲において、LMXB からのX線放射を説明することができるようになった。さらに、質量降着率が高い状態では、多量でかつ普遍的なアウトフローが存在することを確立し、その物理的な特徴も明らかにした。

図1: (上)光度がエディントン限界以下のときのエネルギースペクトルを「東」モデルで再現した例。天体は4U 1608-522 、推定された全放射光度は4 × 1037 erg s-1 で、MCD(降着円盤)とBB(中性子星表面)成分に加え、鉄オンによる輝線の寄与も示してある。(下)観測データとモデルとの残差。

図2: 平均スペクトルに対する1 観測ごとのスペクトルの比。質量降着率がエディントン限界以下(左)とほぼ限界付近(右)の場合。天体はどちらもGX 5-1 。

図3: (左)質量降着率がエディントン限界付近の状態(緑、6)と、その臨界値を越えた状態(赤、7) のスペクトル。(右)そのスペクトル同士の比(7 を6 で割った結果)。これは降着円盤を上方から観測していると考えられているGX 17+2 の結果。

図4: 弱磁場中性子星への質量降着流の模式図。質量降着率がエディントン限界より低い状態(上)、同程度な場合(中)、高い場合(下)。

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は、弱磁場中性子星と恒星で構成されるいわゆる低質量X線連星系(LMXB:Low-Mass X-ray Binary)からのX線スペクトルを測定・解析することによって、LMXBにおけるX線放射機構と恒星から中性子星への質量降着流について研究した結果をまとめたものである。

 LMXBは1962年にその第1号が発見されて以来盛んに研究が行われ、1984年に満田ら日本のグループによって観測データに基づいた物理的モデル(現在では「東モデル」と呼ばれる)が提唱された。このモデルでは、LMXBのX線放射を降着円盤からの多温度黒体放射と中性子星からの黒体放射の2成分によって説明している。論文提出者は、このモデルを出発点として採用し、さまざまな降着率におけるX線スペクトルを用いて、特に放射圧が重力に匹敵するような状況(エディントン限界)での物理状態を解明すべく系統的な解析を行った。使用したX線スペクトルはX線天文衛星RXTE(Rossi X-ray Timing Explorer)によって観測された18個のLMXBのデータであり、観測回数は約2500回で観測時間はのべ約150日に及ぶものである。

 論文提出者はまず、質量降着率が低く光度がエディントン限界より十分に低い場合、すべてのLMXBのエネルギースペクトルが最内縁温度約1.5 keVの多温度黒体放射と温度約2.5 keVの黒体放射の2成分で表現できることを示し、結果として今までにない多くのLMXBに対して「東モデル」が有効であることを示した。次に、質量降着率の増加につれて、2.5 keVの黒体放射成分の光度の増加が降着円盤の多温度黒体放射光度の増加に比べて鈍り、さらにはその光度が飽和あるいは減少し始めることを発見した。これは、これまで降着円盤から中性子星表面に落ちていた物質の一部が、放射圧の増加によって降着円盤の最内縁から落ちずに吹き飛ばされることを示唆するものである。

 さらに、質量降着率が高くなってエディントン限界を越えるような状況では、スペクトルは「東モデル」の2成分だけでは十分に再現できず、温度約1.5 keVの黒体放射で表される新たな放射成分が現れることを示した。その場合、降着円盤の放射は前よりも最内縁半径が大きく温度が1keV以下にまで下がる。これは、放射圧により降着円盤が膨れ上がり、光学的に厚い領域の最内縁が中性子星からより離れた温度の低い場所まで後退していることを示唆している。一方、中性子星からの放射である高温の黒体放射は、検出される天体と検出されない天体があることを明らかにした。これは、放射圧により吹き飛ばされる物質が光学的に厚くなって温度約1.5 keVの黒体放射を形成するとともに、これによって相対的に円盤の水平方向から観測している天体では中性子星表面からの高温の黒体放射が遮られるが、降着円盤を上方から観測している天体では高温の黒体放射成分の一部がそのまま観測されることを示唆するものである。

 本論文は全7章からなる。第1章は序文、第2章は東モデルを含むLMXB研究のレビュー、第3章は天体を観測したRXTE衛星とそれに搭載された測定装置の説明、第4章は観測方法と観測天体の概要、第5章はデータ解析とその結果、第6章は解析結果にもとづいた議論、第7章は本論文の結論が示されている。

 本論文は、RXTE衛星の膨大でかつ多数の天体に渡る観測データを質量降着率をパラメータとして体系的に解析することで、エディントン限界のおよそ1/10から数倍に渡る広い範囲で低質量X線連星系(LMXB)のX線放射機構と質量降着流について統一的描像を与えることに初めて成功している。特に、これまで物理状態の解明が行われていない降着率が高い状態で、これまでのモデルとその発展的な改良によって放射圧の影響による物質の流れの存在とその物理的状態を観測データから明らかにしたことは大きな成果と言える。この論文は他1名との共同研究であるが、論文提出者が主体となってデータ解析や理論的考察を行っており、論文提出者の寄与は十分であると判断する。

 従って、博士(理学)の学位を授与できると認める。

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