学位論文要旨



No 119912
著者(漢字) 高柳,博充
著者(英字)
著者(カナ) タカヤナギ,ヒロミツ
標題(和) NS5ブレイン背景場におけるDブレインの境界状態
標題(洋) Boundary states for rolling D-branes in NS5-background
報告番号 119912
報告番号 甲19912
学位授与日 2005.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第4641号
研究科 理学系研究科
専攻 物理学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 風間,洋一
 東京大学 教授 相原,博昭
 東京大学 助教授 加藤,光裕
 東京大学 助教授 松尾,泰
 東京大学 講師 和田,純夫
内容要旨 要旨を表示する

 時間発展する背景場中での弦理論の研究は、初期宇宙論などへの応用は勿論、我々の量子重力や量子宇宙論に対する概念的な理解が深まる事にも繋がる点で非常に重要な研究テーマである。しかしそのような背景場中での弦理論の直接的な解析,つまり弦の世界面を用いた解析,は非常に困難であるため、多くの場合は有効場の理論での解析に留まっている。その中で(平坦な時空中での)非BPSなDブレインの動的な崩壊過程は、Senが与えた弦の世界面での定式化がきっかけとなり近年詳細に研究された。非BPSなDブレインは開弦のタキオンを含むため不安定で、開弦のタキオン凝縮を起こすことで崩壊するが、その様子は静的なDブレインであるSU(2) "境界状態"(世界面を用いた弦理論中でDブレインを記述するもの)のウィック回転で記述される。

 一方曲がった時空上でのDブレインや弦の時間発展はさらに興味深い問題だが、その中でNS5ブレインへ向かって落ちてゆくDブレインの時間発展、つまりNS5ブレインとDブレインが束縛状態を作る動的な過程は非常に興味深い。というのは、近年のKutasovによるDブレインのDBI有効作用を用いた解析によると、NS5ブレインへ落ちてゆくDブレインの時間発展と前述の非BPSなDブレインの崩壊過程との間に類似性を見出せるからである。具体的には、NS5ブレインとDブレインの間の距離と開弦のタキオンを同一視することで両者の有効作用が一致する。つまり、この落ちてゆくDブレインは開弦タキオン凝縮の幾何的な記述となっていることが期待できる。そしてもしこの幾何的な記述が正しければ、それを用いて開弦のタキオン凝縮の理解がさらに深まることが期待される。しかしタキオンの質量スケールはストリング長の逆数なので、厳密にはタキオンは有効作用で扱えず弦理論で扱わなければならない。そのため、この幾何的な記述が本当に正しいかどうかを世界面を用いた弦理論で確かめる必要がある。

 そこでこの博士論文ではNS5ブレイン背景場中で落ちてゆくDブレインの時間発展をDブレインの境界状態を用いて調べた。NS5ブレイン背景場上の弦理論は5+1次元のミンコフスキー時空とN=2超対称リウビル理論,N=2超対称ミニマルモデルの直積で記述される。今回境界状態を構成する上で非常に重要なのは、この落ちてゆくDブレインも今までに知られている静的なDブレインのウィック回転で記述することができる点である。今回の議論で本質的なのは動径方向と時間方向の二次元方向であるが、Dブレインの古典的な軌道をウィック回転するとヘアピン状のDブレインとなる。ウィック回転後の(ユークリッド)二次元方向はN=2リウビル理論で扱われるが、確かにN=2リウビル理論にはそのような形のブレインが存在していて、"クラス2"ブレインと呼ばれているものがまさにそれであることを発見した。一つの境界状態は理論の一つの表現に相当しているが、このクラス2ブレインはN=2リウビル理論の連続表現に相当している。通常リウビル理論において、境界状態の波動関数は運動量空間で議論されるため一見分かりにくいが、フーリエ変換で位置空間移ると確かに波動関数はヘアピン状のDブレインのある場所にピークを持つ波束となっていることがわかった。さらに古典極限,つまりNS5ブレインの数を無限大とする極限,の下ではこの波動関数の波束が狭まり、デルタ関数となって完全に一致する。

 後はこのクラス2ブレインの(逆)ウィック回転を考えればよい。しかし、このクラス2ブレインの波動関数を単純に運動量空間でウィック回転をすると物理的でないものとなってしまう。というのは、その様にして得られた波動関数は(閉弦の)紫外発散を持つからである。これは位置空間の波動関数に実はヘアピンの位置をしていている階段関数が掛かっている事に起因する。階段関数は解析関数では無いためこれが単純なウィック回転を妨げている。そもそもNS5へ落ちてゆくDブレインはヘアピンDブレインの位置空間でのウィック回転であったので、今回の波動関数も位置空間でウィック回転をするべきである。以上を踏まえて、位置空間での波動関数から階段関数を取り去ってウィック回転したものがNS5に落ちてゆくブレインの波動関数であると提唱した。このように構成した波動関数は確かに落ちてゆくブレインの軌跡にピークを持った波束となっていて、さらにその波動関数を持つ境界状態から構成されるエネルギー運動量テンソルは確かに古典極限で低エネルギー有効作用から得られる結果と一致するので、この提唱は妥当である。提唱された波動関数を逆フーリエ変換で運動量空間に戻すと、運動量空間で単純にウィック回転したものに対して収束因子が掛かったものとなっていて紫外領域での振る舞いを物理的なものとしていることがわかった。

 次に得られた境界状態を用いて、NS5に落ちてゆくDブレインから(制動放射のため)放出される閉弦の分布を調べた。これは非BPSブレインの崩壊に対するLambert, Liu, Maldacenaの同様な解析と比較することで、前述のKutasovの提唱した幾何的な記述の弦理論レベルでの妥当性を調べるのが動機である。Lambert, Liu, Maldacenaの解析は、非BPSブレインの崩壊において放射確率は弦の質量が高くなるに従い指数的に減少するが、閉弦の状態密度が指数関数的に増えるのでそれらが相殺しあった結果、閉弦の放射の分布が高い質量で冪発散するというものであった。この発散は境界状態でDブレインを取り扱う際にはDブレインの質量を無限大と見なしていることに起因していて、崩壊過程でDブレインの持つエネルギーの殆どが高い質量を持った閉弦として放射されるという結論である。一方NS5に落ちてゆくDブレインから放射される閉弦の放射分布も非BPSブレインの崩壊の場合と全く同じ冪で発散をすることが分かった。この結果はKutasovの提唱が弦理論レベルでも妥当であることを示している。

 このように開弦タキオン凝縮の幾何的な記述に対する妥当性に関して肯定的な結果が得られたので、上記のNS5ブレインに落ちてゆくDブレインの解析を定数の電場を含むDブレインの場合に拡張してより一般の場合での幾何的な記述の妥当性について調べた。その際にDブレイン上の定数電場がT双対性の下でローレンツ加速と等価であるという事実は、境界状態を具体的に構成する上でも、得られた結果を物理的かつ直感的に理解をする上でも非常に有用である。実際に先ほど得られた境界状態にローレンツ加速とT双対を施して得られた境界状態の波動関数のピークは電場を含むDブレインの軌跡と一致し、またその境界状態から構成された保存カレントは低エネルギー理論のそれと古典極限で一致することが確かめられた。よってこれはNS5背景場中を落ちてゆく、電場を含むDブレインの境界状態に正しくなっている。

 このようにして得られた境界状態を用いて閉弦の放射分布を再び調べた。非BPSブレインの場合は放射確率が(T双対で移った系では)ローレンツ加速のγ因子の効果でより早く減少するため、放射の分布が高い質量では指数で減衰することが知られているが、NS5に落ちていくDブレインの場合も電場の効果で定性的には同じ振る舞いをすることが確かめられた。しかし定量的には放射分布がNS5ブレインの数に依存する結果となり、厳密な意味での幾何的記述にはなっていないことがわかった。

 ここで素朴におきる疑問は、放射分布はローレンツ不変量なので電場の効果で結果が変わるのは奇妙であるいう点である。その疑問に対しても博士論文で考察を与えた。まず動いているDブレインからは動いている弦が主に放出される。そのため加速方向をコンパクト化してT双対を取るとそのコンパクト化方向に巻きついた弦が主に放出されるという帰結が得られる。つまり前の議論では、この巻きついた弦が(コンパクト化の半径が無限大となって)理論から無くなるので放射分布が電場に依存することがわかる。これは動いているDブレインの系では(T双対性では半径が逆数となるので)コンパクト化の半径が0となってローレンツ対称性が完全に破れていることに相当している。このような考察の下、電場がかかっている方向をコンパクト化した場合にDブレインからの閉弦の放射分布を再評価してみると、確かにその方向に巻きついた閉弦に主に崩壊し、NS5ブレインの数に依存しない元の冪発散をする結果に戻ることが確かめられた。

審査要旨 要旨を表示する

 超弦理論は、重力を含む自然界のすべての力と物質を統一する理論の最有力候補として精力的に研究されてきたが、特に近年の目覚ましい進展により、理論の摂動的な振る舞いのみならず、その基底状態を始めとする理論の根元的な性質を理解する上で不可欠な非摂動的な振る舞いを調べることが可能になってきている。この発展において中心的な役割を果たしているのが、ブレインと呼ばれる拡がりを持った物体である。これらは超弦理論の厳密解であり、古典的極限で超重力理論のソリトン的な解と同定される。ブレインは重力場をはじめとする遠距離場を生み出すダイナミカルな源であるため、それらの場を放出して崩壊したり、またそれらの場を介して他のブレーンと相互作用を行うといった多彩な振る舞いをする。そしてこの動力学を解き明かすことは超弦理論の最も重要な課題の一つになっている。

 ブレインには幾つかの種類があるが、そのうちのDブレインと呼ばれるものについては多くの研究がなされ、その動力学がかなりの程度にわたってわかってきた。特に、ある種のDブレイン(およびその複合系)にはその上に開弦の不安定なタキオンモードが存在し、それが凝縮を起こすことにより、より次元の低いDブレインに崩壊したり、完全に消滅したりする現象が起こることが弦理論の手法で明らかにされている。一方、これとは異なるもう一つの重要なブレインであるNS5ブレインと呼ばれる物体の性質については、解析がより困難であるためあまり良くわかっていない。

 本論文はブレイン間の動力学のこれまでに解析されていない側面を厳密に弦理論に基づいて調べることを目的として、NS5ブレインとDブレインからなる系を考え、(より軽い)Dブレインが重力をはじめとする弦の相互作用によりNS5ブレインに向かって落ちていく動的な過程を、Dブレインの「境界状態」を構成する手法により解析したものである。この過程は上に述べたDブレイン系の不安定性とは起源を異にするが、昨年D. Kutasov により古典的有効作用の枠内で考察され、ブレイン間の距離をDブレインの崩壊におけるタキオン場の期待値に対応させると、両プロセスを司る有効作用が酷似した形をとることが見いだされていた。本論文ではこれを厳密に弦理論のレベルで解析することによって、NS5 ブレインに向かって落ちてゆくDブレインの詳しい状態およびそのときに生ずる閉弦の制動放射の様子を克明に理解することに成功している。さらにDブレイン上に一様な電場が存在する場合にも弦理論的に厳密な取り扱いが可能であり、電場の無い場合に比べて放射率が押さえられることが示された。これらの一連の結果は有効作用を越えた純粋に弦理論レベルにおいて、ごく最近開発された超対称リュービル理論の最新の成果をも駆使して得られたものであり、極めて高いレベルでの興味深い結果である。

 以下、論文の各章の内容の梗概とそれに対する評価を述べる。第1章の序論では、本研究の動機と背景、および主な結果の要旨が述べられている。第2章から第4章は本研究の背景となる重要な事柄についての解説に充てられている。第2章では、Kutasov の有効作用を用いた解析の説明を行い、さらにそれを電場を持ったDブレーンの場合に拡張している。第3章では、後にNS5 ブレイン背景場中のDブレインの境界状態を構成する際に必要なN =2 超対称リュービル場の基礎事項について説明し、さらに第4章でこの理論における境界状態の構成法についての最新の結果を詳述している。

 本研究で得られた新しい成果は第5章から第7章で詳細に展開されている。基本的なアイデアは、第5章で述べられているように、NS5 ブレインに向かって落下していくDブレインの古典軌道をユークリッド空間に解析接続するとヘアピン状のブレインの配位が得られるが、それがNS5ブレイン背景場中の弦理論的な記述の主要部分をなすN =2 超対称リュービル理論のある種の境界状態で記述できることを見抜いた点にある。この同定は非常に自然であるとともに、弦理論での厳密な取り扱いを可能にした要となる着想であり、優れている。第6章では、こうして得られた状態を再度ミンコフスキー時空に解析接続することによって、Dブレインの落下の弦理論的な記述が得られることが示されている。ここで用いられている解析接続は通常の運動量空間でのものではなく、時空中でのものであるところに工夫があり、それによって、確かに古典的な軌道上にピークを持つ正しい波動関数が得られている。さらにこの波動関数を用いて、落下の際に放出される閉弦の放射率が計算され、タキオン凝縮による通常のDブレインの崩壊と同様な振る舞いが得られることが示されている。第7章では、これらの考察をDブレイン上に定数電場が存在する場合に拡張している。電場の効果をT 双対性を用いてローレンツブーストの効果に読み替えることにより厳密な解析に成功しており、ブーストによる時間の遅延効果のために崩壊率が十分に減少するため放射率が有限になるという物理的に非常に興味深い結果が得られている。 最後の第8章では本論文の成果を再度まとめるとともに、それをふまえた将来的な課題について考察されている。

 以上述べてきたように、本研究は、超弦理論の非摂動的な性質の解明に不可欠なDブレインの動的な振る舞いを最新のテクニックを用いて新たな背景場中で考察し、非常に興味深い結果を得ており、博士論文として高く評価できる。

 なお、本論文の第5,6,7章は、中山優、菅原祐二、Kamal L. Panigrahi,およびSoo-Jong Rey 各氏との共同研究に基づくが、論文提出者が主体となって立案解析を行ったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

 従って、博士(理学) の学位を授与できると認める。

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