学位論文要旨



No 119913
著者(漢字) 田中,清尚
著者(英字)
著者(カナ) タナカ,キヨヒサ
標題(和) 希薄ドープ領域からアンダードープ領域にかけてのBi系銅酸化物高温超伝導体の光電子分光による研究
標題(洋) Photoemission study of Bi-cuprate high-Tc superconductors in the lightly-doped to underdoped regions
報告番号 119913
報告番号 甲19913
学位授与日 2005.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第4642号
研究科 理学系研究科
専攻 物理学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 柿崎,明人
 東京大学 助教授 福山,寛
 東京大学 教授 榊原,俊郎
 東京大学 助教授 溝川,貴司
 東京大学 助教授 廣田,和馬
内容要旨 要旨を表示する

高温超伝導体の発見以来、従来のBCS 理論を越える高温超伝導のメカニズムを理解するために多くの研究がなされてきた。高温超伝導では高いTc だけでなく様々な異常な物性を示すことが知られている。特に、高温超伝導体は超伝導の舞台と考えられている二次元のCuO2 面における電子濃度によりその物性を大きく変化させる。ホールがドープされていない母物質では反強磁性モット絶縁体であり、わずかなホールのドープで反強磁性相は消失する。その後、擬ギャップで特徴づけられる「異常」金属相、さらにホールがドープされるとフェルミ液体的な物性の振る舞いをする「通常」金属相となる。ホールのドープに伴うこれらの物性の変化を理解する上で、電子構造を明らかにすることは非常に重要である。

角度分解光電子分光法 (ARPES) は固体の電子のバンド構造を直接観測することができ、電子状態を探る上で非常に強力な実験手法である。Bi 系高温超伝導体、特にBi2Sr2CaCu2O8+δ (Bi2212) はその高い転移温度 (〜95 K) とへき開性の良さからARPES には理想的な物質であり、これまでも超伝導ギャップのd 波対称性、常伝導状態でのギャップなど重要な発見がいくつも報告されてきた。しかしこれまでの実験は、試料作成が困難であったためにBi2Sr2CaCu2O8+δのホール濃度が最適ドープ付近の領域に限られ、広いホール濃度領域にわたる電子状態の系統的な理解には至っていない。近年、Sr サイトをLa で置換するというまったく新しい手法が藤井らによって試みられ、モット絶縁体近傍の希薄ドープ領域からアンダードープ領域にかけての良質なBi2212 単結晶試料が作成可能となった。本論文では、この新しい試料を用いて希薄ドープ領域からアンダードープ領域にかけてのARPES 実験を行うことで、Bi2212 におけるモット絶縁体から超伝導領域までの電子状態の変化を系統的に理解し、その物性を電子状態から解明することを目的とした。以下に本論分における研究結果の概要を示す。

1.ホールドープによる電子状態の変化

キャリアのドープにより、モット絶縁体からどのように超伝導へと電子状態が変化していくのかということは高温超伝導体のみならず物性物理学のもっとも基本的でかつ重要な問題である。われわれは希薄ドープBi2212 のARPES 実験により、運動量空間の (π/2,π/2) においてエネルギー位置がフェルミ準位に最も近づき、 (π,0) に向かって離れていく明瞭な下部ハバードバンド (LHB) を観測した。またホールのドープに伴い、LHB がリジッドバンド的にフェルミ準位に向かってシフトし、 (π/2,π/2) にバンドが到達するとともに超伝導が出現することを見出した。これは化学ポテンシャルがドープと共にシフトしていくことを示唆している。このドープによる電子状態の変化は過去に報告されているCa2-xNaxCuO2Cl2(Na-CCOC) と類似している一方、LHB がアンダードープ領域まで深いエネルギーにとどっているLa2-xSrxCuO4 (LSCO) とは異なっている。また、momentum-distribution-curve (MDC) の解析により、energy-distribution-curve (EDC) では明確な準粒子ピークが観測されないものの、(π/2,π/2) 近傍で化学ポテンシャルをよぎるバンドがあることがわかった。上述したようなLHB のバンド分散とドープによる電子状態の変化により、フェルミ準位でのスペクトル強度は(π/2,π/2) 近傍から成長することになり、運動量空間で「フェルミアーク」の形状を与える。これらの結果は二次元モット絶縁体から連続的にd 波超伝導につながっていく様子を示している。

2.輸送現象との直接の比較

高温超伝導体の希薄ドープ領域は、低温で局在的な輸送現象を示すにもかかわらず、室温では金属的な振る舞い (dρ/dT>0) をすることが近年報告され、その異常な振る舞いから盛んに研究が行われている。希薄ドープからアンダードープ領域では、フェルミ準位での有限な状態は (π/2,π/2) 近傍にしか存在しないため、輸送現象には主に (π/2,π/2) 近傍が寄与することが予想される。従って、われわれは (π/2,π/2) 近傍のARPES スペクトルから散乱確率を直接導き、Drude の式に適用することで電気抵抗率との比較を行った。ここでキャリア数n はホール係数や熱起電力から導かれる面内のホール濃度δと同じであると仮定した。まず、アンダードープ試料ではARPES で電気抵抗率をよく再現できることがわかった。また希薄ドープ試料では、金属的温度領域(T > 100 K )では電気抵抗率をよく再現できるものの、局在的振る舞いを示す低温の領域(T < 50 K) では、ARPES から導かれる散乱確率にほとんど変化がないために電気抵抗率を再現できないことがわかった。一方、フェルミ準位近傍のより詳細な温度変化の測定から、低温に行くにつれて状態密度が減る傾向が観測された。これは低温における輸送現象での局在的振る舞いが、散乱確率の発散によるものではなくギャップが空くことによるものであることを示唆している。このギャップの起源についてはCoulomb ギャップ等が考えられる。

3.系による電子状態の違いとt′の効果

同じCuO2 面を持ちながら、高温超伝導体の系によってなぜTc が異なるのかということは高温超伝導における長年の大きな問題である。われわれは、異なる系における電子状態の違いを明らかにするためBi 系 (Bi2212) とLa 系 (LSCO) の希薄ドープから超伝導までの広いホール濃度範囲のARPES スペクトルの比較を試みた。希薄ドープ領域で観測されるフェルミ面に沿ったバンド幅、 (π,0) でのエネルギー位置、さらにはフェルミ面の形状や化学ポテンシャルのドープ依存の結果は、すべてCuO2 面内の次最近接のホッピングパラメータであるt′がBi2212 のほうがLSCO より大きいと考えることで系統的に説明できることがわかった。このt′は結晶構造により決定されるもので、とくに面外にある頂点酸素による影響を受けやすい。われわれの結果は系による電子状態、さらには物性の違いには頂点酸素の役割が重要であることを示唆している。また最近のモンテカルロ計算により、超伝導のペアリングの相関が、t′が大きいほど大きくなることが報告されている。今後t′とTc の関係の理論的解明が急がれる。また角度積分光電子分光スペクトル (AIPES) と(π,0) でのARPES スペクトルのエネルギー位置が同じであることから、大きな擬ギャップは超交換相互作用Jではなく、t′であらわされるバンド構造によるものであることも明らかになった。

4.化学ポテンシャルの温度変化

近年、内殻準位から見積もられる化学ポテンシャルのホール濃度依存性から、系によるフェルミ準位近傍の状態の違いに関する様々な情報が得られてきた。しかし、それらの実験は一定の温度で測定されたものであり温度依存があるかどうかは明らかでない。Bi2212 は他の高温超伝導体に比べて表面が安定と考えられており、温度変化の測定にも最適である。そこでわれわれは広いホール濃度範囲におけるBi2212 の化学ポテンシャルの温度変化を測定した。結果として、内殻とARPES で対応する非常に大きなシフトを観測した。そのシフトを化学ポテンシャルの温度変化と考えた場合、t-J model や比熱や熱起電力などから見積もられるシフトと同様のホール濃度、温度依存性を示しているものの、その絶対値は大きいことがわかった。今回、内殻準位の温度変化において表面に由来すると考えられるヒステリシス的な振る舞いを観測しており、化学ポテンシャルの定量的な見積もりに関しては今後のさらなる研究を必要とする。またt-J model と内殻準位の比較において、t′を考慮することでより傾向を再現できることを見出した。

このように本研究によって、希薄ドープからアンダードープ領域のBi2212 の電子状態が明らかになり、輸送現象を再現することに成功した。また、高温超伝導体の基本的な電子構造は次最近接のホッピングパラメータであるt′によって特徴づけられているという新しい知見を得ることができた。t′とTc との間の関係はいまだに明らかではないものの今後理論的解明が望まれる。

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は9章からなり、第1章は序論で、Bi系高温超伝導体であるBi2Sr2CaCu2O8+y(Bi2212)系について0.1以下のキャリア(ホール)濃度を持つ多くの試料について電子状態の系統的な解析おこなって超伝導の原因を追求しようとする本論文の目的について述べられている。第2章では研究の背景が述べられ、Bi2212は電子相関効果が重要な役割を示す反強磁性モット絶縁体であり、Bi2212のSrをLaであるいはCaをYで置換した試料を作成してホールを増加させることにより反強磁性が消失し金属的な振る舞いから超伝導を示すようになること、CuO2面がこの物質系の伝導現象を決定付けており面内のCu3d電子間ク?ロン相互作用がそれに大きな影響をあたえること、そのため、ホール濃度の異なるいくつかの試料の電子状態を系統的に解析することによって、この物質系が示す伝導現象の特徴と電子相関の関係を明らかにできることを述べている。

 第3章では角度分解光電子分光の原理と実験法、光電子スペクトルの解析方法、解析によって得られる電子状態の描像について説明している。第4章では、実験で使用したBi2212試料の特徴と放射光を利用する角度分解光電子分光実験について述べられている。とくに、Bi2212試料ではBi-O層の構造変調に起因する超構造が光電子スペクトルにゴーストを生じさせるため、電子状態解析に特別の工夫が必要であったことが記されている。

 第5章は、ホール濃度(δ)が小さい希薄ドープおよびアンダードープの領域にある試料(Bi2LaxSr2-xCaCu2O8+y x = 0.8〜0.6 (δ=0.03-0.06)およびBi2Sr2Ca0.8Y0.2Cu2O8+y (δ=0.075))の角度分解光電子スペクトルを解析し、電子状態のホール濃度依存性について論じている。ホールの増加と共に下部ハバードバンド(LHB)がフェルミ準位に向かってシフトし、2次元モット絶縁体から連続的にd波超伝導体につな上がっていく様子が述べられ、この振る舞いがCa2-xNaxCuO2Cl2 (Na-COOC)と類似していることを指摘している。

 第6章では、CuO2面に平行な電気抵抗率の温度依存性と光電子スペクトルの解析によって得られる電気抵抗率との比較について述べている。光電子スペクトルのフェルミ準位の運動量分布曲線を解析して電子の平均自由行程を求め、Drudeの式を適用して得た電気抵抗率と比較した結果、常伝導状態では両者が一致することを指摘している。

 第7章では、Bi系と同様にCuO2面を持ち超伝導を示すLa2-xSrxCu2O4(LSCO)系との電子状態の比較について述べている。ここでは、希薄ドープから超伝導までの広い範囲の試料Bi2Sr2Ca1-xRxCu2O8+y x = 0.1〜1(R=Er, Pr)およびBi1.2Pb0.8Sr2ErCu2O8について光電子スペクトルを測定してフェルミ準位近傍のピーク位置とそのバンド分散を解析し、Bi系では(π, 0)でのエネルギー位置とフェルミ準位に沿ったバンド分散の幅がLSCO系にくらべて大きく、Cu3d電子の第2、第3隣接原子への移動積分が大きいことを指摘している。

 第8章では、Bi2Sr2-xLaxCaCu2O8+y (x = 0.8〜0.6)、Bi2Sr2Ca0.8Y0.2Cu2O8+yおよびBi2Sr2CaCu2O8+y のX線内殻光電子スペクトルを測定して得られた化学ポテンシャルの温度依存性について述べ、比熱や熱起電力の測定で得られるホール濃度依存性と同じ傾向が見られることを指摘している。

 第9章は、以上の研究結果のまとめについて記述している。

 以上のように本論文は、Bi系高温超伝導体であるBi2212の角度分解光電子スペクトルを解析して、ホール濃度が希薄ドープおよびアンダードープの領域にあるBi系高温超伝導体の電子状態とそのホール濃度依存性を初めて系統的に明らかにすると共に、LSCO系、Na-COOC系とは異なる伝導機構を持つことを示し、超伝導の原因を解明するための新たな知見を与えるものである。

 なお、本論文の第5および6章は吉田鉄平、藤森淳、Z.-X.Shen、藤井武則、寺崎一郎と、第7章は吉田鉄平、藤森淳、D.-H.Yu、Z.-X.Shen、X.-J.Zhou、永崎洋、Z.Hussain、内田慎一、相浦義弘、小野寛太、菅谷剛洋、水野尊文、寺崎一郎と、第8章は吉田鉄平、藤森淳、Z.-X.Shen、藤井武則、寺崎一郎との共同研究であるが、論文提出者が主体となって実験し、結果の解析、検証を行ったもので、本論文が示す研究成果に関して論文提出者の寄与が十分であると判断する。

 したがって、博士(理学)の学位を授与できると認める。

UTokyo Repositoryリンク