学位論文要旨



No 119914
著者(漢字) 田中,邦彦
著者(英字)
著者(カナ) タナカ,クニヒコ
標題(和) ブライトリムを伴う分子雲における中性炭素原子の分布
標題(洋) Distribution of Neutral Carbon Atom in Bright Rimmed Globules
報告番号 119914
報告番号 甲19914
学位授与日 2005.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第4643号
研究科 理学系研究科
専攻 物理学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 満田,和久
 東京大学 助教授 安田,直樹
 東京大学 教授 小林,孝嘉
 東京大学 教授 牧島,一夫
 東京大学 助教授 河野,孝太郎
内容要旨 要旨を表示する

 われわれの銀河系の体積の大部分は、異なる密度、温度および電離状態を持つ多様な層の星間物質で占められている。星間物質の諸相のうち、冷たく高密度な(温度10K,密度102-7cm-3)分子雲領域は星形成の母体どなる領域であり、そのなかでも特に高密度な分子雲コアと呼ばれる領域に対しては、主にミリ波の分子回転輝線による観測が多く行われ、星形成過程の研究が進められてきている。その一方で、星形成にいたる前段階、すなわち希薄な原子ガス層から分子雲が形成されれる過程についてはより多く研究の余地が残されていると言える。

 分子雲、原子ガス相において、元素としての炭素はそれぞれC+イオン、一酸化炭素分子(CO)の形態をとることは観測、理論の両面から極めて確立した事実である。中性炭素原子(C0)はその両者の遷移相をトレーすると考えられている。1990年代以降、中性炭素原子のサブミリ波帯の微細構造輝線([CI])輝線の広域観測によって、多くの分子雲におけるC0の分布が明らかにされてきたが、それらの観測の結果、分子雲に対して観測される[CI]輝線は、光解離領域(PDR)に起源を持つもののほか、分子雲の内部に分布し、化学的に非平衡な状態にあるC0から放射されるものが存在している可能性が示唆されている。後者のC0成分は、分子雲形成の極めて初期に形成され、分子雲が進化するに従って減少していくと考えられている。そのため、C0は分子雲形成過程の有効なプローブであると考えられている。しかし、これらの描像は未だに観測的に十分に確立されたものではない。

 大質量星の周囲に形成されたHII領域の内部には、ブライトリム(Bright Rim)と呼ばれる電離された表面領域を持つ小分子雲(グロビュール)が数多く分布していることが知られている。これらのグロビュールでは電離領域のリムの背後にPDR領域のリム構造が形成されているために、PDR領域に存在している[CI]輝線は同様のリム構造を示す。またグロビュールは電離領域との力学的な相互作用によって、他の分子雲から孤立した比較的単純な形状を持つ。これらのことから、観測される[CI]輝線がPDR起源か否か、その二次元分布によって容易に推定しうるという点で、プライトリムを伴う分子雲はC0の観測による分子雲形成研究にとっては理想的なテストケースを提供しているといえる。

 本学位論文は、多数のグロビュールのサンプルに対して[CI]輝線の観測を行い、グロビュールの、進化に伴うC0分布およびC0/CO比の変遷を追うことによって、分子雲中のC0の描像を確立することを目的とするものである。

 第一の観測は、IC1396領域に対して行われた。同領域は太陽系の比較的近傍に位置し(距離750px)、また多数のグロビュールを含む代表的な領域としてよく知られている。領域中の16のグロビュールを含む約0.5平方度の領域に対して、富士山頂サブミリ波望遠鏡による[CI]3P1-3P0輝線の広域観測を行った。またPatel et al.(1996)によって原始星天体を含むと同定された5つのグロビュールを含む12のグロビュールに対して、C18O=J1-0,SO JN=32-21およびN2H+J=1-0輝線の観測を、野辺山45m望遠鏡を用いで行った。

 観測されたすべてのグロビュールで、[CI]輝線はブライトリムに付随したリム状分布を示さなかった。多くのグロビュールでは、C18Oのピークがブライトリムの背後に位置し、[CI]輝線は紫外線源に対してC18Oピークの更に背後か、あるいは同じ位置にピークを示すことがわかった(図1)。また、観測されたグロビュール中でもっとも大きな質量および大きさを持つグロビュールAおよびEに対して、単純化した三次元PDR、モデルの予測するC0の柱密度と観測結果との比較を行い、望遠鏡の分解能を考慮しても、やはり[CI]のリム構造は形成されていない可能性が高いことを示した。

 また、グロビュール全体で平均したC0/CO比は、原始星天体およびN2H+の輝線が検出される高密度コアの形成されているグロビュールで系統的に高い値を示すことが明らかになった。これらのグロビュール(タイプ2)はその他のグロビュール(タイプ1)と比較して、ビリアル質量一質量比、また内圧・外圧比の観点からみても力学的に発達していることが確認された。すなわち、力学的な進化が進んだグロビュールにおいてはC0/CO比は小さくなっている。

 C0/CO比と進化段階との関係は、標準的な定常PDRモデルの観点からも解釈は可能であるが、少なくともグロビュールEにおいでは、[CI]の二次元分布からは、PDR起源のco柱密度の密度依存性によって説明し得る可能性は否定される。より自然な解釈としては、グロビュールのコア領域に豊富にC0が存在し、PDR起源のC0が示すであろう[CI]リム構造はこれらの付加的な成分によって"覆い隠されている"とするものである。グロビュールが力学的に進化するに従い、内部領域のC0は化学反応によってCOに変化し、C0/CO比の低下の原因となっていると考えられる。

 第二の観測は、オリオン座の北部に位置するλ-Orionis領域中の分子雲であるB30,B35に対して行われた。これらの分子雲はより太陽系に近く(距離450pc)、また、形成されている中小質量の年齢や、分子雲リングの膨張速度から推定される年齢は4-7Myrであり、IC1396領域の年齢(2.5Myr)に比べて古い。

 B30,B35分子雲に対しては、富士山頂サブミリ波望遠鏡による[CI]3P1-3P0輝線のマッピング観測、および野辺山45m望遠鏡によるCOJ=1-0,13COJ=1-0,C18OJ=1-0輝線の観測を行い、C0およびCOの柱密度分布を測定した。その結果、IC1396領域のグロビュールとは異なり、[CI]輝線のピークはC18O輝線のピークに対して紫外線源に近い点に位置していることが明らかになった。局所熱力学平衡(LTE)の仮定に基づいた解析からは、[CI]のピークが励起温度のピークではなく、C0柱密度のピークによって生じていることが確認された(図2)。

 極めて理想化した分子雲の形状を仮定し、標準的な一次元PDRモデルの結果を参照した概算では、[CI]ピーク方向で観測されたC0の柱密度は、PDRに属するC0のみで十分に説明されることが示された。また分子雲表面のうち、O型星からの強い(G0=50)遠紫外線の照射を受けた面のみにC0ピークが現れるという構造も、定常PPRモデルから許される範囲内にあることも示された。これらの結果は、B30およびB35分子雲においては、PDR起源のC0が卓越しており、分子雲内部領域のC0の寄与は比較的小さいことを示している。[CI]が選択的にPDRをトレースしている領域の存在が、分子雲スケールの[CI]の二次元分布に基づいて示されたことはほとんど他に例をみない。

 二つの領域で観測された合計18個のグロビュールに対して、ビリアル質量/質量比および外圧/内圧比と、C0/CO比の比較を行った(図3)。λ-Orionisに見られる[CI]リムを伴う分子雲(タイプ3)は、IC1396領域に属する[CI]リムを伴わない分子雲に比べてC0/CO比が更に低く、また力学的にもより進化の進んだ状態にある可能性がある。

 したがって、C0はPDR領域と、分子雲内部の双方に分布しており、分子雲の進化に従ってC0は以下のように分布が変遷するという描像を構築することができる。希薄な原子ガスが凝縮し、原始的な分子雲が形成された最初期の段階では、C0は分子雲全体に分布し、C0/CO比はきわめて高い。PDR領域では、光解離反応とC+の再結合反応は急速に平衡に達しているが、分子雲内部に分布したC0は分子-分子間の遅い反応によって徐々にCOへと変化する。タイプ1と2に属するグロビュールはこの段階にあると考えられる。約1Myrの時間が経過すると分子雲内部の反応は平衡に近付き、C0の量は極めて小さくなり、PDR領域のC0のリム構造が卓越して観測されるようになる。タイプ3に属するグロビュールはこの進化過程の最終段階に近い状態にあると考えられる。

 これらの一連の観測的研究によって、C0/CO比、C0分布の変化という観点から分子雲の形成・進化の過程に迫り得るということが示された。

(図1)IC1396 領域のグロビュールにおける、C18O(J-=1-0)輝線、[CI]3P1-3P0輝線の積分強度図(左)と、ストリップライン上でのC0の柱密度(N,(C0))とCOの柱密度(N(CO))の分布(右)。ストリップラインは左の図で白い点線で示されている

(図2)B39 分子雲における、C0の柱密度分布(左),COの柱密度分布(中)および両者の比較(右)

(図3) ビリアル質量/LTE質量比に対する、C0/CO比のプロット

審査要旨 要旨を表示する

本論文は5章からなる。第1章はイントロダクションとして、これまでの中性炭素からの電波輝線観測について、特に、本研究の課題である大質量星の周囲に形成されたHII領域内部に存在するブライトリム(Bright Rim)と呼ばれる電離された表面領域を持つ小分子雲(グロビュール)についての観測を中心にまとめられている。第2章では、本論文の主要な観測装置である富士山頂電波望遠鏡について述べ、第3章ではIC1396領域の観測とその結果が、第4章ではλ-オリオン領域中のB30,B35分子雲の観測とその結果が記述されている。最後に第5章で、二つの観測結果をまとめ、それに基づいて、分子雲の進化と中性炭素量の関係について議論している。

我々の銀河系の体積の大部分は、異なる密度、温度および電離状態を持つ多様な層の星間物質で占められている。星間物質の諸相のうち、冷たく高密度な(温度〜10 K,密度=102-7 cm-3)分子雲領域は星形成の母体となる領域である。その中でも高密度な分子雲コアと呼ばれる領域に対して、ミリ波の分子回転輝線等による観測が多数行われ、星形成過程の研究が進められてきた。しかし、星形成にいたる前段階、すなわち希薄な原子ガス層から分子雲が形成されれる過程については未知の部分が多く残されている。分子雲、原子ガス相において元素としての炭素はそれぞれ主に、C+イオン、一酸化炭素分子(CO)の形態をとり、中性炭素原子(C0)はその両者の遷移相をトレースすると考えられている。1990年代以降の中性炭素原子のサブミリ波帯の微細構造輝線([CI])輝線の広域観測によって、多くの分子雲におけるC0の分布がしだいに明らかになってきた。当初は、分子雲に観測される[CI]輝線はCOが紫外線により電離されてできる光解離領域(PDR)に起源を持つものと思われたが、その後の観測により、C0はPDR以外にも分子雲の内部に広く分布することがわかってきた。これは、化学的に非平衡な状態にあるC0から放射される可能性を示唆する。もしそうであれば、C0は分子雲形成過程の有効なプローブであると考えられるが、この描像は未だに観測的に十分に確立されていない。

本論文で、論文提出者は、太陽系の比較的近傍に位置し(距離750 pc)、多数のグロビュールを含む領域としてよく知られているIC1396領域について富士山頂サブミリ波望遠鏡による[CI] 3P1-3P0輝線の広域観測、野辺山45m望遠鏡によるグロビュールのC18O J=1-0,SO JN=32-21およびN2H+ J=1-0輝線の観測を行った。

分子雲の進化の力学的進化、化学的進化の時間尺度は、どちらも〜1 My程度と考えられる。C1396領域の年齢は2.5 Myrと推定されているので、比較実験として、進化の違いが現れると考えられる、年齢4-7 Myrとのλ-Orionis領域中の分子雲であるB30,B35 について、富士山頂サブミリ波望遠鏡による[CI] 3P1-3P0輝線のマッピング観測、および野辺山45m望遠鏡によるCO J=1-0,13CO J=1-0,C18O J=1-0輝線の観測を行った。

論文提出者はこれらの観測について詳細な解析を行い、[CI]放射が分子雲の進化を直接反映することを示す強い観測的証拠を得た。すなわち、(1)グロビュールの表面をイオン化する紫外線源に対するCOおよび[CI}放射の位置関係が、IC1396領域とλ-Orionis領域で異なり、前者は分子雲のコア領域に存在するC0が卓越し、後者ではPDRのC0が優勢であると考えられる、(2) 分子雲全体にわたるC0とCOの存在量の平均比は、分子雲の力学的な進化の度合いを表すパラメータであるビリアル質量-質量比やN2H+ 輝線強度と強く相関し、進化が進むほどC0/COは小さくなる。以上の観測結果は、分子雲形成初期には、C0は分子雲全体に分布し、きわめて高いC0/CO比を持ち、PDR領域では、光解離反応とC+の再結合反応は急速に平衡に達するが、分子雲内部に分布したC0 は分子-分子間の遅い反応によって徐々にC0へと変化する、という分子雲中のC0進化の描像により統一的に説明することができる。

本論文で論文提出者は、IC1396領域およびλ-Orionis領域中の[CI]、CO放射を系統的な観測により、C0が分子雲の進化を反映することを観測的に確立した。これは、星間物質の研究に大きなインパクトがあり、かつ新規性に富むものである。したがって研究内容とその結果は博士(理学)の学位に相応しいものである。

また、本論文の研究は、山本、岡らとの共同研究であるが、論文の主要な成果であるIC1396領域およびλ-Orionis領域の観測、そのデータ処理、観測結果の解釈は論文提出者が独自に行ったものであり、論文提出者の主体性と寄与は博士論文として認めるのに十分であると判断する。

したがって、本論文提出者に博士(理学)の学位を授与できると認める。

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