学位論文要旨



No 119916
著者(漢字) 西,義史
著者(英字)
著者(カナ) ニシ,ヨシフミ
標題(和) 強磁場中の量子ドットの相関電子状態
標題(洋) Correlated Electronic States in Quantum Dots under High Magnetic Fields
報告番号 119916
報告番号 甲19916
学位授与日 2005.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第4645号
研究科 理学系研究科
専攻 物理学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 家,泰弘
 東京大学 教授 内田,慎一
 東京大学 助教授 岡本,徹
 東京大学 助教授 常行,真司
 慶応義塾大学 助教授 江藤,幹雄
内容要旨 要旨を表示する

 電子をド・ブロイ波長程度の微小領域(100nm 程度)に閉じ込めた、いわゆる量子ドットにおいては、量子効果に起因する状態の離散化が起こり、同時に電子と電子の間にはたらく相互作用の効果が重要になってくる。 特に電荷の離散性が顕著に現れてくるため、ドットに取り付けたゲート電極に電圧を印加して静電ポテンシャルを制御することで、内部の電子数を1 個ずつ制御することができる。

 AlGaAs/InGaAs/AlGaAs ヘテロ二重障壁構造を円形に切り出した縦型量子ドットでは、電子数を0 個から数十個まで1個ずつ制御することが可能であり、また、回転対称性の高い放物型閉じ込めポテンシャルが得られる。これらの性質を利用して、少数電子系の磁場中の状態遷移が詳しく調べられている。

 量子ドットに磁場を印加してゆくと、単一電子軌道はランダウ準位に対応したそれぞれのグループを形成する。ある程度の磁場(2〜3T)を印加すると、すべての電子がスピンペアを組んで最低ランダウ準位を占有するが、さらに磁場を強くすると、電子軌道が縮まって電子間のクーロン斥力エネルギーが大きくなるため、電子は空間的に大きな角運動量の高い軌道へと移ってゆく。それに伴い、交換エネルギーを稼ぐためにスピンが揃ってゆき、最終的には完全にスピンが揃った最大密度電子液滴状態(maximum density droplet,MDD)状態へと遷移する。これは2次元のν=1に対応した状態であると考えられている。MDD は比較的安定な状態であるが、さらに強い磁場を印加すると、やはりクーロン斥力が強くなり、さらに角運動量の高い状態へと遷移してゆく。MDD より強磁場側、即ちν<の状態は、これまでに電子数の比較的大きい領域で基底状態エネルギーの磁場変化が観測され、電荷再配置が起こることが知られている。しかし、具体的にどのような電子状態が現れるか、という点に関しては実験的な検証は行われていない。

 理論的には、MDD を越える強磁場領域では、電子はお互いを避けるように古典的安定配置に対応した「格子」を組み、全体として回転・振動しているという、電子分子の描像が成り立つことが示されている。電子分子では、分子形状の回転対称性と振動モードによって角運動量L がパウリ原理の要請を受け、系の全スピンS に応じた、魔法数と呼ばれる特定の値のみが許される。つまり、電子相関が強い状況では、L とS はある特定の組み合わせでしか実現しない。従って、高磁場領域で基底状態遷移が起こる際、L が変化するとそれに伴ってS も変化することが期待される。但し、現実の系ではゼーマン効果があるため、低スピン状態は完全スピン分極の魔法数状態の間に中間状態として現れると考えられる。

 本論文では、強磁場中で電子相関が重要になる領域における、縦型量子ドットの少数電子状態を電気伝導測定によって調べた結果について述べている。実験はすべて希釈冷凍機温度における直流測定で行った。

 実際に相関の強い電子状態がどの程度の磁場で実現されるかは、電子に対する閉じ込めエネルギーhω0 と磁場によるサイクロトロン運動の閉じ込めエネルギーhωc = heB /m * の兼ね合いできまる。すなわち、hω0 が小さくなれば、相対的にhωC の効果が大きくなるため、より低磁場で強相関状態が実現されると考えられる。

 本研究では、従来の典型的な縦型量子ドットに比べて閉じ込めエネルギーが従来の7割弱であるような縦型量子ドットを作成し、磁場中での基底状態の様子を比較した。その結果、従来は5〜6T 程度で観測されていたMDD 状態が、2〜3T で実現することが分かった。また、特に2電子基底状態について、addition エネルギー(1電子基底状態に2個目の電子を付加するのに必要なエネルギー)の磁場変化を調べたところ、MDD を越える6T および7T 付近で新たな基底状態遷移を観測した(図1)。これは、2電子MDD (L,S)=(1,1) が崩壊し、さらに角運動量の高い状態 (2,0) および (3,1) へと遷移してゆくことによるものである。この状態遷移は理論的に予測はされていたが、従来の量子ドットでは強磁場(15T 強)が必要なために観測されなかった。今回は閉じ込めを小さくしたことで、これらの状態遷移が低磁場側へシフトし、観測できるようになった。また、この実験結果は厳密対角化計算によってよく再現される。

 次に、典型的な縦型量子ドットに強磁場(最大で15T)を印加することにより、3電子および5電子のν<1領域について、励起スペクトロスコトピーの手法を用いて基底状態付近を詳しく調べた。3電子では安定なMDD 状態 (3,3/2) が崩壊した後、中間的な状態を介して次の安定状態へと遷移してゆく様子が観測された。厳密対角化計算と比較したところ、この中間状態は、完全スピン分極した安定な魔法数状態の間に現れた、低スピン状態 (5,1/2)であることが同定できた。5電子状態についても、ν<1領域に2つの中間状態を観測した。測定したスペクトルを計算結果と比較し、これらの中間状態を完全分極した安定な魔法数状態(10,5/2) ,(15,5/2),(20,5/2) の間に現れる低スピン状態 (14,3/2) および (18,3/2) 状態と同定した。これらの低スピン状態は先に述べたような電子分子の描像によって直感的に説明することが可能である。

 磁場に応じて角運動量とスピンの組み合わせが変化してゆくという様子は、スピン選択則によって電流が抑制される、いわゆるスピンブロッケードとして観測可能である、ということが理論的に予言されている。すなわち、ある磁場においてN-1 電子基底状態およびN 電子基底状態の全スピンS(N-1)とS(N)について、|S(N-1)-S(N)|>1/2 が成り立つ場合に、スピン選択側がはたらくため、N 番目のクーロン振動ピークが抑制される、という現象である。このスピンブロッケードは、電子相関が重要な役割を果たしており、単に単一電子軌道に電子が順番に詰まってゆく、という描像では理解することはできない。

 本研究では、5電子目のクーロン振動ピークの高さを磁場の関数として測定し、5電子MDD が形成される直前約0.5T の領域で、電流値が10%以下まで急激に減少することを見出した(図3左)。そこでこの領域の励起スペクトルを調べたところ、電流が急激に減少する領域では (7,1/2) および (8,1/2) の最低スピン状態が基底状態となっていることが分かった。4電子MDD は5電子MDD よりも低磁場で形成されるため、S=2 である4電子MDD と5電子低スピン状態S=1/2 が重なって、スピンブロッケードが生じたものと考えられる。ブロッケード領域におけるクーロンダイヤモンド測定結果も、電流の抑制は4電子基底状態が関与していることをはっきり示すものである(図3右)。厳密に量子力学的に定義された状態間に生じるスピンブロッケードの観測はこれが初めてであり、磁場と電子相関によってスピン状態が変化することへの直接的な証拠のひとつと考えられる。

図1. 左: 2 番目の電子のaddition エネルギーの磁場変化。閉じ込めエネルギーはsample A, B,C の順でそれぞれ4.2,3.7,2.8meV と見積もられている。閉じ込めが小さくなるに従って基底状態遷移(▲印)が低磁場側へシフトしている。下図は閉じ込めエネルギー3.5meV の場合の理論計算。右:Sample C の2電子励起スペクトル(上)と対応する理論計算結果。理論図中の(L,S)は基底状態の角運動量L とスピンS の値を示している。

図2. 上段:3電子励起スペクトル(上)と対応する計算結果(下)。基底状態遷移に関与する励起状態(点線でなぞってある)が見えており、理論計算と対応付けられる。MDD 崩壊後に中間的な状態が現れる(AB 間)。電極内部の状態密度に由来する電流ゆらぎも多く見えている。下段左:5電子励起スペクトル(上)と理論計算(下)。挿入図はMDD 崩壊付近の拡大図で、MDD 崩壊後に中間状態が現れる様子が分かる(DE 間)。下段右:5電子励起スペクトルの高磁場側。FG 間に中間状態が現れている。

図3. 左:4電子および5電子目のクーロン振動の磁場依存性。上に凸なカスプは基底状態遷移に対応している(▲)。スピンブロッケードにより、MDD 形成直前でピークの高さが急激に減少している(点線で囲まれた領域)。右:B=5.1T における5電子基底状態付近のクーロンダイヤモンド。中心部の電流が抑制された領域の形状は、電流の抑制が4電子励起状態および5電子基底状態によって引き起こされていることを示している。

審査要旨 要旨を表示する

半導体量子ドットは,クーロンブロッケード効果を利用して,その内部の電子数をゲート電極により1個ずつ制御できるという著しい特徴を持つ.本研究では量子ドットに閉じ込められた少数電子系の強磁場中の相関電子状態をトンネルスペクトロスコピーによって研究している.本研究において用いられている2重障壁円形縦型量子ドットは閉じ込めポテンシャルの対称性が高いため,その中の1電子軌道を正確に計算することができ,少数電子系の多体状態を精密な理論との比較に基づいて研究するのに適した系である.物理としては原子内の少数電子系の多体状態の研究と通ずるところが少なくないことから,量子ドットを人工原子と呼ぶことも多い.

本論文は6章からなる.第1章では研究の背景と動機が述べられている.第2章では量子ドットを通した電子トンネル輸送の基礎的なことがらが述べられ,第3章では量子ドットに磁場を印加したときのFock-Darwin状態や,強い電子相関によって支配される特徴的な強磁場中少数電子系の多体状態についてのこれまでの研究が述べられている.第4章は試料作製の手法や極低温における測定など実験方法に関する諸点が記述されている.第5章は実験結果とそれに関する議論を展開した中核部分である.主要な成果を3つの節に整理した形で述べている.最後の第6章では,本研究で得られた新たな知見のまとめと今後の展望が述べられている.

本研究で得られた主な成果を以下に述べる.

(1) 量子ドットに閉じ込められた少数電子系の基底状態は磁場の増加とともに逐次変化してゆく.各状態は全軌道角運動量Lと全スピン角運動量Sを用いて(L, S)と表される.ある磁場範囲では最大密度液滴(MDD)状態と呼ばれる安定な状態に達する.これは2次元電子系でいうとスピン分離最低ランダウ準位が完全に詰まったν=1の状態に対応するものである.より強磁場ではMDD状態が不安定となってより角運動量の高い新たな状態が実現することが理論的に予測されている.しかしながら,従来の典型的な量子ドットではそのような磁場域に到達することは困難であった.本研究では従来よりも閉じ込めの弱い量子ドットを作製したことによって各状態をより低磁場で実現し,MDD状態よりも強磁場側の転移を観測することに成功した.2電子系について,MDD状態(1,1)から,(2,0)や(3,1)といった状態への遷移が観測された.

(2) MDD状態よりも強磁場側の電子状態については,古典的安定電子配置に対応した「電子分子」の描像が成り立つことが理論計算から示唆され,安定な魔法数状態の存在が予言されている.本研究では3電子および5電子系の強磁場中の状態を励起スペクトルの手法を用いて詳細に調べ,対応するモデルの理論計算と比較を行った.3電子系ではMDD状態(3, 3/2)から(5,1/2)という低スピン状態を経て,(6.3/2)という次のスピン偏極魔法数状態へと移行すること,また5電子系では,MDD状態(10,5/2)から(14,3/2)という低スピン状態を経て(15,5/2)というスピン偏極魔法数状態に移行すること,がそれぞれ見出された.これらの実験結果は,共同研究者らによって行われた厳密対角化による理論計算の結果と互いに補強し合って,少数電子系の多体状態の精密な理解をもたらすものである.

(3) 上記のように強磁場中の少数電子系は(L, S)の異なる基底状態間を遷移する.電子数が1変化するトンネル過程において,始状態と終状態の全スピンの変化が1/2よりも大きい場合,スピン選択則によるトンネルの抑制(スピンブロッケード)が起こる.本研究では5電子系のMDD状態が形成される直前の磁場域において,スピンブロッケードの明瞭な観測に成功した.4電子MDD状態(S=2)と5電子の低スピン状態(S=1/2)がこの磁場域で重なったために生じたものと理解される.スピンブロッケードの報告は以前にもあるが,量子力学的状態が明瞭に理解できるこのような系での観測は初めてである.

以上のように,本研究は半導体量子ドットのトンネルスペクトロスコピーによって強磁場中の少数電子系の相関電子状態を詳細に調べたもので,少数多体系における電子相関効果の現れ方に関して重要な新しい知見を得たものと認められる.本論文の中核をなす研究内容は指導教官らとの共著論文として学術誌に印刷公表ないしは公表予定であるが,実験の遂行および結果の解析の大部分は論文提出者が主体となって行なったものと判断される.したがって,本論文は博士(理学)の学位授与に値するものと認める.

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