学位論文要旨



No 119917
著者(漢字) 早水,裕平
著者(英字)
著者(カナ) ハヤミズ,ユウヘイ
標題(和) 量子細線における高密度電子正孔状態からのレーザー発振
標題(洋) Lasing and high-density electron-hole states in quantum wires
報告番号 119917
報告番号 甲19917
学位授与日 2005.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第4646号
研究科 理学系研究科
専攻 物理学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 島野,亮
 東京大学 教授 家,泰弘
 東京大学 助教授 黒田,寛人
 東京大学 助教授 小形,正男
 東京大学 助教授 常行,真司
内容要旨 要旨を表示する

 量子細線レーザーは先鋭なピークをもつ状態密度の形状から、レーザー特性の改善が期待されてきた。しかし、実際は高密度電子正孔間のクーロン相互作用の影響により、単純な状態密度の議論だけでは、量子細線レーザー特性は理解できない。また、近年量子細線レーザーの発振メカニズムへの注目が集まっている。そこで、本研究では、量子細線レーザーの特性を知る上で重要な量子細線における高密度電子正孔の多体効果の理解と利得発生のメカニズムの解明を目標とする。

 本論文は、3 部構成となっており、第I部(1・2・3 章)は、量子細線レーザーの品質・レーザー発振特性を示した。第II部(4・5・6 章)は、量子細線の発光・吸収スペクトルから、量子細線のレーザー発振メカニズム及び多体効果について議論した。第III部(7・8 章)は、量子細線レーザーの室温動作に向けて、量子細線レーザーの温度特性を示し、温度上昇にともなう量子細線レーザーの利得発生の変化について調べた。また、数値計算を用いて量子細線構造の最適化を行った。

 量子細線の1 次元的な物理現象の観測には、高品質量子細線の作製が必須である。第1 章では、T型量子細線レーザーの作製方法である、へき開再成長法を示し、近年量子細線の高品質化に成功した成長中断アニーリング技術を示した。本研究では上記の新技術を用い、1 本の量子細線からなる、単一量子細線レーザーの開発に初めて成功した。図1 に単一量子細線レーザー構造の断面図を示す。T型量子細線は、6nm・GaAs のArm well と14nm ・Al0.07Ga0.93As のStem well という2 つの量子井戸の交線部分に形成される。下部の等高線は電子の存在確率を示す。上部の等高線は導波路中の光の存在確率を示す。量子細線は、0.5μm×0.111μm の導波路の中心付近に埋め込まれる。単一量子細線レーザーの成功は、作製された量子細線の高品質さを実証するものである。本研究では、高品質単一量子細線レーザーを用いることにより、そのレーザー発振メカニズムの解明、多体効果の理解が可能となった。

 第2章では、量子細線レーザーの分光測定をするために必要な顕微分光技術について説明した。測定方法は大きく分けて、イメージ測定、点励起測定、レーザー発振測定の3つである。顕微分光技術を駆使することにより、以下に示す様々な実験が可能となった。第3章では、顕微分光測定による単一量子細線レーザーの品質評価を行った。図2に点励起測定によって得られた、量子細線の発光スペクトルの空間分布を示す。図中右は、量子細線を25μmの領域で0.5μm間隔で測定点をスキャンさせたときの各点の発光スペクトルである。1.582eV の量子細線の発光ピークは量子細線の自由励起子によるものである。発光線幅1.3meV の単一ピークが広い領域に渡って観測され、10μm以上の長さにわたって、原子的に均一な量子細線が形成されていることがわかった。図3に、単一量子細線レーザーのレーザー発振スペクトルを示す。1.578eV の発振ピークは量子細線からのものであり、高エネルギー側のレーザー発振ピークはそれぞれArm well、Stem well からのものである。量子細線レーザーは、低閾値、シングルモード発振、発振エネルギーの安定という量子井戸レーザーに比べて優れた特性を示した。

 第4章では、量子細線のレーザー発振メカニズム・多体効果に関する背景及びこれまでの報告を紹介した。現在までに、励起子、局在励起子、電子正孔プラズマによる量子細線のレーザー発振が報告され、レーザー発振メカニズム・多体効果に関する議論には決着がついていない。

 第5章では、高品質単一量子細線の発光スペクトルを示し、1次元の多体効果を議論した。図4 は温度30Kで励起強度0.083μWから170μWでの単一量子細線レーザーの発光スペクトルである。弱励起下1.582eV の発光ピークは励起子の基底状態、また点線はそれぞれ励起状態、連続状態からの発光ピークを示す。励起子の2.8meV 低エネルギー側のピークは励起子分子による発光である。また強励起下のブロードな発光は電子正孔プラズマの特徴を示す。以上から量子細線のキャリア状態はキャリア密度増大とともに励起子から電子正孔プラズマへ励起子分子を介して連続的に移り変わることがわかった。さらに、強励起下、▼は電子正孔プラズマのバンド端エネルギーと考えられるが、弱励起でのバンド端である励起子連続状態の発光(点線)と▼は励起強度22μWにおいて不連続である。この結果は、量子細線の多体効果が、従来の励起子モット転移モデルでは説明できないことを示し、新しいモデルの必要性を明らかにした。

 第6章では、利得吸収測定の方法と結果を示し、量子細線レーザーの発振メカニズム及び多体効果について考察した。量子細線の利得吸収測定の手法は本研究でもっとも工夫された点のひとつである。図5下部は、励起強度8.3mW での単一量子細線レーザーからの導波路放出光スペクトルを示す。本研究では、この導波路放出光の縦モードを解析することにより、各モードの利得係数を導いた。図5上部に、導かれた吸収スペクトルを実線で示す。吸収スペクトルは、準平衡状態のTwo band model で解釈され、△はフェルミエネルギー、▲はバンド端エネルギーと考えることができる。これより、量子細線レーザーでは電子正孔プラズマによって利得が発生していることが推測される。図6に幅広いキャリア密度で測定された吸収スペクトル(実線)・発光スペクトル(点線)を示す。最下部には量子細線中にキャリアのないときの吸収スペクトルを示す。これは、1.582eV に励起子の基底状態、高エネルギー側に励起状態の吸収ピークをもつ。励起強度の増大とともに励起子の吸収ピークはエネルギーシフトせずに、強度を弱めながら吸収線幅が大きくなる。また、励起子基底状態よりも高エネルギー側は、キャリア密度の増大とともに、吸収が次第に大きくなり、キャリア密度3.3×105 cm-1以上での利得発生とともに、ピークをもたない吸収帯に変化する。この変化は、キャリア密度の増大とともに、励起子吸収から縮退した電子正孔プラズマの吸収へとスペクトルの特徴が変化していることを示す。よって利得の起源は電子正孔プラズマであると考えられる。

 第7章では、T型量子細線レーザーの発振動作の温度特性を示した。単一量子細線レーザーは60K、20周期量子細線レーザーは150K までの低温領域で発振する。図7に温度5K、80K 、120K での20周期量子細線レーザーの励起強度にともなう吸収スペクトルの変化を示す。温度の上昇とともに、利得ピークは線幅が増大し、利得係数が低下することがわかった。さらに、温度120K では、量子細線による利得ピークに替わって、Arm well の利得ピークが高エネルギー側に現れることがわかり、キャリアの熱分布に起因する利得発生メカニズムの変化が観測された。T型量子細線レーザーの室温動作を実現させるためには、温度上昇にともなうArm well での利得発生の抑制が重要であることがわかった。

 第8章では、T型量子細線レーザー動作温度改善の手段の1つである量子閉じ込めエネルギーの増大に向けて、数値計算により構造の最適化を行った。計算結果から、Arm well を薄く、Stem well を厚くすることによって、より大きな量子閉じ込めエネルギーが得られることがわかった。

 第9章では本研究によって得られた知見をまとめる。

図1:単一量子細線構造

図2:発光スペクトルの空間分布

図3:レーザー発振スペクトル

図4: 発光スペクトル

図5:導波路放出光と吸収スペクトル

図6:吸収スペクトル

図7:吸収スペクトルの温度変化

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は、高品質のT型量子細線を用いてレーザー発振特性、発光、利得吸収スペクトルの測定を行い、1次元高密度電子正孔系の光物性を調べるとともに、いまだ明らかになっていない量子細線レーザーの発振機構の解明を目指したものである。

本論文は全10章からなる。

 第0章は序論であり、半導体低次元構造のレーザーの研究の歴史、研究の目的、本論文の構成が簡潔に述べられている。

 第1章では、高品質量子細線の成長を可能とするへき開再成長と成長中断アニーリングについて述べられている。さらに、単一量子細線レーザー実現のためのレーザー素子構造、有限要素法による導波路モードの計算結果について記されている。

 第2章では、実験手法、特に、微細構造を有する量子細線レーザーの光学応答評価に必須となる顕微分光測定法について記述されている。

 第3章では、本論文において初めて実現された単一量子細線レーザーの発光空間分布測定による品質評価、発振特性が記されている。

 第4章では、半導体中の高密度電子正孔系の多体効果、特に励起子モット転移、バンドギャップ縮小効果の一般論について簡潔に述べられている。さらに、量子細線における高密度励起効果に関する研究背景、これまでの報告例が紹介されている。

 第5章では、単一量子細線の発光スペクトルの励起強度依存性の評価を行っている。高品質の量子細線を用いることで、励起子と励起子分子の発光ピークを明瞭に分離して観測することに成功し、励起子分子の束縛エネルギーを決定している。また、励起強度の増大に伴い、励起子分子発光の低エネルギー側に、電子正孔プラズマからの発光バンドが現れることを見出している。高温30Kでの発光測定から、励起子連続状態のオンセット(バンド端)を観測することに成功し、そのエネルギーがキャリア密度によらず一定であることを見出している。これらの結果は、キャリア濃度の増加に伴うバンドギャップの連続的な減少、バンド端と励起子エネルギーの交差といった従来の励起子モット転移の描像とは異なるものである。

 第6章では、量子細線の高密度励起状態を、発光と利得吸収スペクトルの同時計測により調べた結果が記されている。これより、量子細線のレーザー発振の利得は、電子正孔プラズマに起因するものであることが明らかにされた。レーザー発振の起源が励起子ではなく電子正孔プラズマによることは、高品質T型量子細線の発光測定からも示唆されていたが、本論文の利得スペクトル測定により直接的な検証がなされたといえる。利得スペクトルは、1次元の状態密度を反映せず低エネルギー側に裾を引く形状となることが見出されたが、これは多体クーロン相関の影響によるものと推測されている。また、キャリア密度の増加に伴って、系のとりうる状態が励起子から電子正孔プラズマへと移行していく過程を、吸収スペクトル測定により観測することに成功している。過渡的なキャリア密度領域では、バンドギャップの縮小がみられず、励起子吸収線幅の増大を経由して電子正孔プラズマへと移行する様子が観測された。この結果は、5章の発光測定の結果とも整合し1次元電子正孔系の固有の現象であると解釈されている。

 第7章では、室温量子細線レーザーの実現に向けて、レーザー発振の温度依存性の測定を行っている。高温でのレーザー動作を妨げる要因として、量子細線から隣接する量子井戸層へのキャリア拡散が支配的であることを見出している。

 第8章では、7章の結果を受けて、有限要素法を用いた量子細線励起子の閉じ込めエネルギーの計算を行い、レーザー構造の最適化を行っている。

 第9章では本論文の総括がされている。

 以上を要するに本論文では、高品質の半導体量子細線を用いて発光、利得吸収スペクトルの同時計測を行い、量子細線における電子正孔系の弱励起から強励起下での振舞いを実験的に明らかにし、電子正孔プラズマによるレーザー発振機構を見出したものである。顕微分光の手法を駆使して量子細線という極微小領域での利得吸収測定を実現し、高品質の量子細線構造を用いることで、1次元多体電子正孔系の特徴を捉えた本論文は、物性物理学およびレーザー物理学の発展に寄与するところが大きい。

 なお、本論文第3章の一部は、吉田正裕、渡邉紳一、秋山英文、Loren N. Pfeifer、Ken W. Westとの共同研究であるが、論文提出者が主体となって素子設計、評価を進めたものである。また第5章の一部は吉田正裕、秋山英文、浅野健一、小川哲夫、Loren N. Pfeifer、Ken W. Westとの共同研究であるが、同様に論文提出者が主体となって評価、考察を進めたものであり、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

 したがって、博士(理学)の学位を授与できると認める。

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