学位論文要旨



No 119920
著者(漢字) 丸山,勲
著者(英字)
著者(カナ) マルヤマ,イサオ
標題(和) 量子ドット系におけるファノ・近藤効果の理論的研究
標題(洋) Theory of Fano-Kondo effect in quantum dot systems
報告番号 119920
報告番号 甲19920
学位授与日 2005.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第4649号
研究科 理学系研究科
専攻 物理学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 加藤,岳生
 東京大学 助教授 杉野,修
 東京大学 教授 勝本,信吾
 東京大学 教授 大谷,義近
 東京大学 教授 今田,正俊
内容要旨 要旨を表示する

 本論文において、有限温度密度行列繰り込み群(FT-DMRG)の方法によりゼロ-バイアス下のコンダクタンスを調べ、T型量子ドットにおけるファノ・近藤効果を研究した。以下にその詳細を述べる。

 近年、量子ドット系の輸送現象における近藤効果を実験的に観測することが可能となってきている。横型ドットでは、様々な幾何学的配置の量子ドットが作成されているが、その最も簡単な形状となっているのが埋め込まれた量子ドットである。そのコンダクタンスは高温側で、ゲート電圧の関数として周期的ピーク構造を持つ。これはゲート電圧を走査してドット内の粒子数がちょうど変化し得る状況になった時に電子がドットを通過していくためであり、クーロン振動ピークと呼ばれる。それ以外のゲート電圧ではドット内の粒子数がクーロンエネルギーにより変化しないためコンダクタンスはゼロになっている。しかし、ドット内の粒子数が奇数の場合には低温で近藤効果がおこり、コンダクタンスはユニタリティ極限の2e2/hという値を持つ。これは奇数個の電子が磁性不純物の役割をしているためである。この近藤効果によるユニタリティ極限は最近、実験的にも観測された。一方、T型量子ドットとはリードに横からドットを結合させた幾何学的配置を持つものである。この場合ドットを介さなくても電子が流れていくことが可能であり、一般的にはクーロン振動ピークは変更され、非対称なピーク構造を持つ。これはファノ・ピーク構造と呼ばれファノ非対称パラメーターqで特徴付けられる。このファノ効果は一般的な現象であり、実際、コンダクタンスのファノ・ピークも埋め込まれた量子ドットでも観測されており、さらにアハラノフ・ボームリングに結合した量子ドット系ではそのピーク構造がリングを貫く磁束により変化することも理論・実験の両面で観測されている。また、T型量子ドットでの近藤効果としてはファノ構造の一部であるディップ構造(q=0)が見えている領域での近藤効果が観測されているが、一般的なファノ構造を持つ場合における近藤効果、ファノ・近藤効果はまだ観測されていない。

 T型量子ドットにおけるファノ・近藤効果を調べるために、最も簡単な理論的模型(図1)を用いて研究した。dサイトが量子ドットを表しており、このサイトのみクーロンエネルギーUdを持つ。この模型の特徴は、εOがドットの上のサイトに入っているために、ゲート電圧εdを変化させるとコンダクタンスのピーク構造がファノ形状になることである。これはコンダクタンスの表式がドット部分の局所グリーン関数と、フプノ非対称パラメーターqで書かれる事から理解できる。コンダクタンスがドット部分のグリーン関数と、qで書かれる事はT型量子ドットの模型だけでなく、量子ドットの幅広い模型についても、正しい事が示せる。コンダクタンスの高温、低温での定性的振舞いは単純な解析から求められて、高温領域ではコンダクタンスは二つのファノ的なピーク構造で特徴付けられるが、低温領域になると近藤効果により一つのファノ構造の中にプラトーを持つようになる。これをファノ・近藤プラトーと呼ぶ。中間温度では近藤温度Tk以上の高温領域から、低温領域へのクロスオーバーになる。このようなファノ・近藤効果の理論研究の多くは絶対ゼロ度やクーロンエネルギーが大きい極限に限られており、特にT型量子ドットに対応する模型ではq=0の場合しか考慮されていない。この論文は有限のクーロンエネルギーと有限のファノパラメーターqの場合のコンダクタンスの温度依存性をFT-DMRGの方法を用いて数値的に議論するものである。

 量子ドットなどの不純物系でのFT-DMRGの計算は、左右のリードの部分に対する計算と、その結果を用いた不純物部分の最終的な計算という二段階のステップからなっている。様々な不純物に対しては、例えばゲート電圧を変化させた場合などは、不純物部分の量子転送行列の期待値をとるだけで良い。これが本手法の利点の一つである。さらに、コンダクタンスはFT-DMRGの方法を用いて以下のように計算される。まずFT-DMRGの方法を用いて、温度グリーン関数を計算することが出来る。この温度グリーン関数を数値的解析接続することでω空間のグリーン関数が求められる。解析接続の際には最大エントロピー法とパデ近似を併用している。これらには数値的解析接続特有の困難が表れるものの、状態密度の積分量として定義されるコンダクタンスに関しては数値的に安定な振舞いをすることが解る。このようにグリーン関数をドット部分について計算することで、コンダクタンスを求めることが出来る。本研究で用いたFT-DMRGは、数値繰り込み群(NRG)とは異なり比較的高温部分に限られるため低温領域に到達するためにはパラメタをうまく選ぶ必要がある。このため、まず低温での帯磁率の逆数から見積もられる近藤温度を幅広いパラメタ領域に対して求めた。これは予想されていた概念的な相図を定量的に再現している。その後、適切なパラメタ領域を選ぶことで求めたコンダクタンスから量子ドットでの近藤効果による典型的な振舞いを見ることが出来る。つまり、高温側でのクーロン振動ピークと低温でのユニタリティ極限を本手法の到達可能な温度範囲で見ることが出来る。さらに、この振舞いはコンダクタンスとチャージ及びスピン帯磁率を比較することでより明確に観測することが出来る。

 様々なファノ非対称パラメーターqを持つ亡いる場合の、コンダクタンスにおけるファノ・近藤効果の温度依存性を図2に示す。近藤温度Tkを大きくするために、クーロンエネルギーをドット-リードの結合△dに比べて小さくしたことから、q=-1、-0.8においてのファノ・近藤プラトーは明瞭ではなくなっている。しかし、近藤効果をみるためにピークの重なりが大きい領域を調べるというのは実験でも同じ状況であると考えられる。また、図2を見てもわかるように、0<q<∞の場合には低温領域での振舞いは一見して複雑なものになる。図2とその他のデータを合わせて得た定性的な振舞いの主要な点をまとめると以下のようになる。

・粒子数が0、2の領域のコンダクタンスが収束する温度は比較的高温(T〜△d)だが、粒子数が1の領域では特徴的温度は近藤温度となり、これは指数関数的に小さい。

・低温にいくにつれて、コンダクタンスの極大点、極小点はそれぞれ近付いていく。

q=-1,-0.8の場合には極大点、極小点はそれぞれ二つずつであり、極低温では内側二つは消えて、ファノ・近藤プラトーが形成される。

・ピークのシフトだけでなく、ファノ・ピーク形状の変化も一般のqの場合にはq=0,∞に比べて特徴的になる。

以下では特に3つ目の点、つまり多体効果によるファノ・ピーク形状の変化に注目する。コンダクタンスのピーク構造から多体効果を定量的に評価するために、ファノの関数形を用いてフィッティングを行なった。そこで得られたフィッティングパラメータの内、ファノ非対称パラメーターqTは多体効果を強く反映するものであると言える。比較的高温で、つまり近藤温度が小さ過ぎてその温度領域に到達できない場合でも、フィッティングパラメータの温度依存性を見ることでファノ・近藤効果の前兆現象を捉え得ると考えられる。

 また、補章においては、近藤効果と関連して、強相関電子系での局在モーメントの形成という問題を研究している。不純物アンダーソン模型の研究でアンダーソン自身が行ったハートリー・フォック近似による計算では絶対ゼロ度で磁性・非磁性の相転移が存在する。しかしその後の研究で、いわゆる近藤効果により低温に向かって局在モーメントは消滅することがわかっている。つまり、絶対ゼロ度で磁性状態は存在せず、シングレットの基底状態となっている。ここで対象とする問題は、バルクが金属ではなく、チャージギャップやスピンギャップがある系の場合にこの局在モーメントの形成条件はどのようになるかという問題である。その結果、金属中の磁性不純物が近藤効果により絶対ゼロ度で磁気モーメントが消失してしまう事とは異なり、一次元近藤絶縁体中ではチャージギャップやスピンギャップを反映して磁性状態と非磁性状態が絶対ゼロ度でも安定に存在するという結果が得られる。さらに一次元モット絶縁体中ではスピンがギャップレスであるものの、チャージギャップがあることから、粒子数の異なる相が存在する。さらに一次元近藤絶縁体でも一次元モット絶縁体でも同じように、得られた相境界はUが負の方向にずれるという興味深い結果を得た。

図1:T型量子ドットの理論的模型

図2:横軸をゲート電圧としたコンダクタンスの温度依存性。それぞれq=∞(左上)、q=0(右上)、9=-1(左下)、9=-0.8(右下)に対応。

審査要旨 要旨を表示する

 金属中の磁性不純物問題は典型的な多体問題であり、特に低温領域でおこる伝道電子によって局在スピンが消失する現象、すなわち近藤効果は長年にわたって研究が行われてきた。近年になり、同様の現象が2次元電子系を用いた量子ドット系で生ずることが実験的に示され、新たな視点から注目を集めている。一方で、アハラノフボームリングと量子ドットの複合系において、量子ドットに印加するバイアス電圧の関数としてコンダクタンスを測定した時に、ファノ共鳴と呼ばれる特徴的な共鳴構造が観測されるようになってきた。これは連続スペクトル中に局在エネルギーレベルがコヒーレントに結合することにより生ずる現象である。さらに近藤効果が起こる場合のファノ共鳴の実験も行われつつある。修士(理学)丸山勲提出の学位請求論文では、この近藤効果が生じる状況下でのファノ共鳴(近藤ファノ効果)が理論的に考察された。主にリード線の脇に量子ドットを置いたT形量子ドットと呼ばれる構造を1次元のタイトバインディング模型によってモデル化し、有限温度密度行列繰り込み群の数値計算手法を用いてコンダクタンスなどの評価を行った。

 本論文は英文で6章からなる。第1章ではこれまでの関連する研究と論文の目的について述べられ、第2章では最近の実験結果が紹介されている。第3章では量子ドット系のモデル化が行われ、続く第4章と第5章で有限温度繰り込み群による数値計算の結果がまとめられている。最後の第6章は全体のまとめにあてられている。なお補章にリード部分に相互作用が含まれる場合についての簡単な議論が含まれている。以下では第3章から第5章で述べられている理論的計算とその結果について概説する。

 第3章ではまず量子ドット系のモデルとして、量子ドットを一つのサイト(dサイト)で代表させ、それを一次元鎖の一つのサイト(Oサイト)に結合させる模型を導入した。またこの系のコンダクタンスがOサイトのグリーン関数を用いて定式化されることを述べている。もしdサイトを切り離してOサイトにのみクーロン相互作用を入れた場合は、量子ドット系の近藤効果が議論された当初の模型と一致する。この形状では、近藤効果が生じない領域でコンダクタンスに見られる共鳴構造は通常のローレンツ型となり、ファノパラメータが無限大の極限と対応する。一方、dサイトを結合させた模型では、近藤効果が生じない領域ではファノパラメータがOとなるディップ構造が見られる。本論文では以上の場合に加えて、Oサイトのエネルギー準位を制御することによって、有限のファノパラメータで特徴づけられるファノ共鳴構造が現れることを指摘し、この特徴を積極的に利用してファノ近藤効果を調べている。この点が、従来行われてきた理論計算と異なる点である。この模型の範囲で、ファノパラメータとdサイトのグリーン関数を結ぶ関係式を導いているが、この関係式が近藤ファノ効果の本質を表していると考えられる。

 第4章では有限温度密度行列繰り込み群による数値計算を帯磁率と電荷感受率に関して行っている。低温領域では数値計算が困難になるため、クーロン相互作用がドットとリードの結合の大きさに比べて大きくなり近藤温度が低くなる場合には、近藤効果を議論することができない。以降ではドット・リード結合と同程度のクーロン相互作用をとることによって近藤温度を大きくとった場合を主に考察する方針をとっている。

 第5章では本論文の課題であるコンダクタンスに現れるファノ共鳴構造に焦点があてられる。比較的高温領域では相互作用を大きくしていくと、クーロンブロッケードに起因した二つのファノ構造が明瞭に観測される。この二つのピークは、dサイトの電子占有率によって重み付けされた二つの準位による近似(ズバレフ近似)によりよく説明される。一方、温度Oの極限ではフリーデル和法則によって、dサイトの電子占有率だけでコンダクタンスが決まっている。その結果、全体として一つのファノ共鳴構造が現れ、その中央に近藤プラトーと呼ぶべき平坦な構造が現れることを示した。こうして高温極限と低温の近藤効果が顕著になる極限をおさえた後、二つの極限間のクロスオーバーを数値計算により議論した。高温の二つのファノ構造が、温度を下げるに従って一つのファノ構造へと変化していく様子は印象的である。

 以上のようにこの論文では、典型的な多体効果である近藤効果のもとでコンダクタンスにどのようなファノ共鳴構造が観測されるかを議論した。計算手法に限界がある点や、有限温度でファノパラメータをどのように特徴づければよいかなど、いくつかの問題点を含むものの、コンダクタンスのバイアス電圧依存性に関して定性的ながら初めてファノ共鳴構造における近藤効果の特徴を明らかにした点が評価される。また実験家に対して観測の指針を提供した点も評価される。このように本論文は博士(理学)の学位論文としてふさわしい内容をもつものとして審査員全員が合格と判定した。

 なお本論文の主たる業績は、上田和夫教授らとの共著の形ですでに論文が公表されている。これらの論文では学位申請者が第一著者であり、実際の計算の遂行や解析、解釈などにおいて、学位申請者の寄与が重要であると判断された。

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