学位論文要旨



No 119922
著者(漢字) 宮寺,晴夫
著者(英字)
著者(カナ) ミヤデラ,ハルオ
標題(和) 大立体角軸収束ミュオンチャネルの開発と低エネルギーミュオニウム生成実験
標題(洋) Development of large acceptance axial focusing muon channel, and the generation of low energy muonium
報告番号 119922
報告番号 甲19922
学位授与日 2005.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第4651号
研究科 理学系研究科
専攻 物理学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 山崎,泰規
 東京大学 教授 兵頭,俊夫
 高エネルギー加速器研究機構  横谷,馨
 理化学研究所  後藤,彰
 高エネルギー加速器研究機構  鄭,淳讃
内容要旨 要旨を表示する

 本研究では、高エネルギー加速器研究機構ミュオン科学研究施設にて大立体角軸収束超伝導表面ミュオンチャネル『Dai Omega』の開発を行い、世界最高のミュオン瞬時強度を達成した。またDai Omegaの大強度ミュオンビームを用いて高温タングステンを用いた低エネルギーミュオニウム(Mu:μ+e-)生成実験を行い、TOF測定によるそのエネルギー分布観測を行った。

 表面ミュオンとは、陽子衝突で発生したパイオンが生成標的の表面近傍で崩壊してできるエネルギー4MeVの正ミュオンのことであり、飛程が短く、高輝度で100%スピン偏極している等の特徴があるため、素粒子実験やμSR物性測定等に幅広く応用されている。表面ミュオンを収集し輸送するのがミュオンチャネルの役割であり、従来は四重極電磁石や偏向電磁石を組み合わせたミュオンチャネルが用いられてきたが、ミュオンの収集効率が立体角で〜50msrと限界があった。

 そこで本研究で開発を行った表面ミュオンチャネルDai Omegaでは、4基の大口径(直径80cm)超電導コイルを用いて、従来のミュオンチャネルの20倍を超える大立体角(1300msr)でミュオンを収集することが可能となった。またDai Omegaでは軸対称なコイル磁場を有効に活用し、軸収束輸送という全く新しいビーム輸送方式を採用し、焦点でのミュオンビームの収束性を著しく改善している(ルミノシティ:5×104μ+/cm2s)。ミュオンビームの収集効率と収束性の大幅な改善によって、Dai OmegaではKEK-NMLの僅か5μAの陽子ビームから、瞬時強度で世界最高のミュオンビーム(〜106μ+/s)の発生に成功しており、コイル磁場を用いたミュオンチャネルの優位性を実証することができた。コイル磁場を用いた大立体角ミュオンチャネルは、その後PSI(スイス)のμE4ビームラインが建設され、BNL(米)のMECO実験やRAL(英)のSuper-Superミュオンチャネル、J-PARC(東海村)のSuper Omegaミュオンチャネルが計画されている。

 Dai Omegaミュオンチャネルの開発にあたり、著者が中心となって行った開発研究は以下の3点である:(i)Dai Omegaの設計、(ii)粒子分離器の開発、及び(iii)μSR物性測定検出システムの開発。また、ビームラインの建設やHe冷凍機系の構築にも主体的に関わり、ビームスタディ実験においても著者が中心的な役割を果たした。

 (i) Dai Omegaの設計の際に表面ミュオン生成評価、磁場計算、強度設計、ビーム軌道計算、放射線計算を行った。特に、独自のコードを開発して行ったミュオン軌道シミュレーションで、コイルの配置と電流値を最適化すればコイルの動径方向磁場Brを利用してミュオンの初期角度に起因する位相差を完全に打ち消せるため、初期角度に関係なく多くのミュオンを収束させることが出来ることが分かった。この原理を利用したのがビームの軸収束輸送であり、Dai Omegaではミュオンを大立体角にわたって点光源から点焦点へビーム輸送している 。

 (ii) Dai Omegaのミュオンビーム中には電子・陽電子などが混入しており、実験の際にノイズの原因となっていた。従来のミュオンチャネルでは、磁場と電場を直交させたウィーンフィルターを用いて電子・陽電子の除去を行っていたが、Dai Omegaではミュオン軌道の特異性のためウィーンフィルターを利用することができなかった。そこで本研究では、同軸円筒状の電極間に高電場をかけミュオンと他の粒子間に角度差を付ける電場粒子分離器の開発を行った。Dai Omega内に設置した同軸円筒電極には、パルス状ミュオンと同期させ±60kVの高電圧を100nsで立ち上げている。電場の高速な立ち上げにはファインメットの磁気スイッチングを利用しており、高磁場と高電場が直交した放電の極めて起こりやすい環境下で安定的に電場をかける手法として確立することができた。

 (iii) 表面ミュオンビームはμSR物性測定としての需要が大きく、Dai Omegaの大強度パルス状ミュオンビームは、従来のビーム強度では困難であった生体物質(タンパク質・DNA)への応用が提案されている。しかしDai Omegaのパルスあたり5×104個という大強度のミュオンビームに対応するには検出器を高分割化する必要があり、それには検出器の小型化と実装密度の向上が不可欠であった。そこで私はCalifornia大学Riverside校の田中宏幸博士と共同で、マルチアノード光電子増倍管を用いた高分割μSR検出システムの開発を行い、Dai Omegaに導入した。このシステムは高いミュオン強度によるパイルアップを防ぐため128組の検出器群から構成されており、今後J-PARCの大強度ミュオン施設に導入するμSR物性測定装置の基礎となるものである。なお、光電子増倍管に代わる次世代のμSR検出器として、アバランシェフォトダイオードを用いた新しいμSR検出器の開発を東北大学の中村哲助教授と共同で行った。このμSR検出器は小型で発熱量も低く、半導体内の雪崩増幅を利用するため縦磁場μSR物性測定で用いられる〜2Tの高磁場下でも極めて良好なシグナルが得られている。今後、量産化できれば、光電子増倍管に代わる将来のμSR検出器として最適である。

 本論文の後半部分では、Dai Omegaの大強度表面ビームを利用した低エネルギーミュオニウム生成実験について記述してある。低エネルギーミュオニウム生成法として本研究では高温タングステンからのミュオニウム脱離について詳細な測定を行った。これは、ミュオンを高温のタングステン中に止めると、金属内で熱拡散して表面に到達したミュオンが、熱エネルギー程度のミュオニウムとなって超高真空中へ蒸発して出て来る現象であり、Millsらによって開発された手法である。

 タングステンから放出されるミュオニウムのエネルギーについては、従来はタングステン表面温度を反映したMaxwell分布であるとされてきた。しかしComsaらによる金属表面から脱離する水素分子の角度・エネルギー分布を測定した実験では、金属表面よりも高い亜熱エネルギー水素分子の放出が観測されている。タングステン表面から脱離する水素原子についても、Davisらが放出角度のKnudsenの法則(cosθ分布)からのずれが報告されており、亜熱エネルギー水素分子が放出されている可能性が指摘されている。ミュオニウムは水素原子の軽い同位体であり同様の現象を期待でき、金属中へのミュオンの入射が容易である点や崩壊陽電子を用いてTOF測定が行える等の利点がある。

 本研究では全方位でミュオニウムを効率的に検出できる観測装置の開発を行い、ミュオニウムのエネルギーの測定を行った。測定の結果、タングステン温度よりもエネルギーの高い亜熱エネルギーミュオニウムの存在を発見することができた。亜熱エネルギーミュオニウムのエネルギー・生成効率については、亜熱エネルギー水素分子の実験・理論から類推される複数のモデルでシミュレーションを行い、検証を行った。

 続いて、金属表面からのミュオニウムの脱離効率を上げるため、金属を多孔質化した場合についてミュオニウム発生実験を行った。多孔質タングステンではタングステンと比べて3〜5倍の効率でミュオニウムを発生させることができ、エネルギー分布についてもタングステン表面温度(〜2100K)よりも温度の低いMaxwell分布であることを発見した。この現象は亜熱エネルギーのミュオニウムが観測された先のタングステンの場合と一見矛盾するが、多孔質タングステンではまず亜熱エネルギーミュオニウムが放出され、続いて空隙内での散乱で熱エネルギー程度まで冷却されたものであると理解できる。

 本研究で多孔質タングステンが熱ミュオニウム生成に有効であることを実証できたため、今後、熱ミュオニウムのLambシフト精密測定実験や、熱ミュオニウムの低温水素プラズマを用いた効率的なイオン化を行うことで、超低速ミュオンビームの開発へ応用することが出来る。

図1:Dai Omegaのセットアップ及びミュオンビーム軌道(左)、μSR物性測定用の検出装置(右)。

表1:世界のミュオン施設との比較

図2:タングステン表面から放出されたミュオニウムの時間スペクトラム。

点線:金属表面温度を中心とするMaxwell分布によるシミュレーション。実線:亜熱エネルギーミュオニウムを想定したシミュレーション

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は7章と付録1章からなる。第1章は序論であり、本論文の2つのテーマ、大強度ミュオンビームの生成と、低速ミュオン科学について概観している。第2章は大強度ミュオンビーム生成のための装置Dai Omegaについて、研究の背景、現有装置の概説から始まり、Dai Omegaに用いた超伝導コイル、冷却系、真空系、ミュオン生成標的、シールド、設計に関わる詳細が述べられている。第3章は、低速ミュオニウム生成の基礎になる水素原子やポジトロニウムの物質からの脱離機構、固体内での拡散機構についてこれまでの知見をまとめている。第4章は、低速ミュオニウムの生成法を概観した後、熱したタングステン板から放出されるミュオニウムの運動エネルギーについて議論している。第5章は、低速ミュオンビームの生成、速度分布観測等に必要な実験装置を詳述している。第6章はミュオニウム生成実験の結果とその議論に当てられている。第7章は本論文全体の結論となっている。アペンディックスでは、π、μ粒子の性質、崩壊時のエネルギー分布、将来計画で用いるアバランシェダイオードの検討結果、磁場強度計算法、エネルギー対飛程の関係など、本論文に必要なデータ、あるいは、検討中の事項がまとめられている。以下、本論文の重要な帰結、本審査会の評価について述べる。

 論文申請者は、高エネルギー加速器研究機構ミュオン科学研究施設において、Dai Omegaと呼ばれる大立体角軸収束超伝導表面ミュオンチャネルの開発、特に、Dai Omega本体の設計、組み上げ、動作チェック、粒子分離器の開発、ついで、Dai Omegaを用いたμSR物性測定のための検出システムの開発を進めた。これにより、表面ミュオンを高効率で集め、非常に高い偏極度を持っている大強度ミュオンビームを生成することに成功した。Dai Omegaの設計段階では、独自のコードを開発することにより、正確なミュオン軌道シミュレーションを行い、ミュオンの初期角度に関係なく多くのミュオンを収束させる条件を見いだした。本論文申請者は、従来の4重極電磁石を用いる方式より立体角を20倍大きくする事に成功し、結果として〜4x105μ+/sのミュオンビームを得ている。これはプロトン強度が数10倍に達する他の施設が実現しているミュオン強度とほぼ同程度の世界最大強度のミュオンビームに属する。各国のミュオン施設とも本方式の導入を検討していることからも明らかなように、ミュオン科学分野に明らかなインパクトを与えた研究となっている。さらに、"不純物"として含まれる電子・陽電子を分離できるよう、高磁場中に短時間高電圧を掛ける方式を確立した。同時に、この大強度偏極ミュオンビームを用いた物性研究、生体分子研究を可能にするため、マルチアノード光電子増倍管を用いた高分割μSR検出システムの開発も行っている。

 第2の研究テーマとして高温に熱したタングステン標的からの低エネルギーミュオニウム脱離過程を研究している。特に、ミュオニウムのエネルギー分布をTOF測定により決定し、これまで考えられてきたようなMaxwell分布では必ずしも無く、エネルギーの高い成分の含まれていることを明らかにした。

 さらに、金属表面からのミュオニウムの脱離効率を上げるため、金属を多孔質化した場合についてミュオニウム発生実験を行っている。大変興味深いことに、多孔質タングステンでは平面タングステンと比べて3〜5倍の効率でミュオニウムを発生させることができ、エネルギー分布についても平面状タングステンの様な高エネルギー成分の含まれていないMaxwell分布になっていることを示した。本論文申請者は、この現象を多孔質タングステンの空隙に出てきたミュオニウムが、空隙内壁との多重散乱で熱化されたものと解釈している。本研究は、熱ミュオニウムを用いたLambシフト精密測定や低温水素プラズマとの相互作用による低速ミュオンの効率的生成につながる、興味深い成果であるといえる。

 本論文は各テーマとも主に高エネルギー加速器研究機構ミュオン科学研究施設のメンバーとの共同研究であるが、いずれも論文提出者が主体となって装置の基本設計から、立ち上げ、実験、分析を進めたもので、論文提出者の寄与が十分であると判断される。

 従って、博士(理学)の学位を授与できると認める。

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