学位論文要旨



No 119926
著者(漢字) 石原,大助
著者(英字)
著者(カナ) イシハラ,ダイスケ
標題(和) 赤外線天文衛星ASTRO-F搭載近中間赤外線カメラIRCによる中間赤外線全天サーベイ観測
標題(洋) Mid-infrared all-sky survey with the Infrared Camera (IRC) on-board the ASTRO-F satellite
報告番号 119926
報告番号 甲19926
学位授与日 2005.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第4655号
研究科 理学系研究科
専攻 天文学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 中田,好一
 東京大学 教授 川邊,良平
 東京大学 教授 小林,行泰
 東京大学 助教授 土居,守
 東京大学 助教授 河野,孝太郎
内容要旨 要旨を表示する

 波長6.12μm(9 μm 帯) と14-26μm(20 μm 帯) の2 つの中間赤外線広域帯で、空間分解能9.4" × 9.4 " の全天サーベイ観測が、赤外線天文衛星ASTRO-F 搭載の近・中間赤外線カメラの運用を工夫することで実現できる。本研究では、検出器アレイの全天サーベイ用の動作方法を開発し、この観測方法での星や銀河などの点源の位置とフラックスの決定精度を、計算機と実験によるシミュレーションにて評価した。さらに、フラックス較正に使う予定の標準星群に対し、信頼性を評価するため、すばるによる分光観測を行った。これらの研究によりIRC による全天サーベイ観測が実現可能になった。

 ASTRO-F は2006 年初めの打ち上げを目指す日本初の赤外線観測専用の天文衛星である。1 周100 分の太陽同期極軌道に投入され、その軌道面は1 年で1 周する。観測モードには、サーベイとポインティングの2 種類が予定されている。サーベイ観測では望遠鏡を常に天頂に向け、軌道運動により視野が流れるまま観測を行う。ポインティング観測では、特定の天体を追尾しながら約10 分間の撮像や分光を行う。焦点面には、波長域2-26 μm をカバーする近・中間赤外線カメラ(IRC) と50-200 μm をカバーする遠赤外線サーベイ装置(FIS) の2 つの観測装置を搭載する。IRC はNIR(波長域2-5 μm)、MIR-S(5-12 μm)、MIR-L(12-26 μm) の3 つのカメラから構成される。中間赤外線チャンネルMIR-S とMIR-L では、256×256 素子のSi:As IBC アレイ検出器を7K まで冷却して使用する。最初の半年はFIS によりASTRO-F の主目的の1 つである遠赤外線全天サーベイを行い、その後冷媒の液体ヘリウムが消失するまでの約10 か月間、主にIRC によるポインティング観測を行う予定である。

 しかし、FIS によるサーベイ観測期間中にIRC でも観測を行うことで、衛星のリソースを有効活用しつつ中間赤外域での全天観測が実現できる。サーベイ観測にてIRC の最高ノイズ性能を達成できた場合、5σ の点源検出限界は9 μm 帯で80mJy 、20 μm 帯で130 mJy と見積ることができる(図1)。これは20 年前のIRAS 衛星による12 μm、25μm の全天サーベイ結果より、1 桁深く観測できることを意味し、全く新しい天体の発見が期待できるとともに、星形成から系外銀河までの広い分野に渡って大量の新サンプルを供給することになる。IRAS 銀河においては、60 μm で受かっていても12 μm では見えない物が多かったが、IRC サーベイにより中間赤外域で約1000 個であったサンプルを8000 〜40000 個に増やすと予想される。さらに、FIS サーベイで検出された天体について、位置決定や、中間赤外域の情報を利用した種類同定で貢献できると期待される。

 サーベイ観測時には、サンプリング間隔を全素子を読み出すのにかかる時間(600 ms) より短くするためと、データ発生量を抑えるために、256×256 素子のうち、衛星の進行方向(in-scan 方向) とは垂直(cross-scan 方向) に並んだ1 行256 素子のみを使用する。検出器は電荷蓄積型で使用し、溜まった電荷を非破壊的に読み出す。天体は視野を2.34"/11 ms の速さで横切るため、44 ms 周期のサンプリングを繰り返すことで、in-scan 方向に9.34"、cross-scan 方向に2.34" のグリッドで帯状の領域が観測ができる。そして、衛星-地上間のデータ転送量をさらに節約するため、cross-scan 方向に隣り合った4 素子のデータを1 仮想素子に集約する。素子の見込む視野は2.34" なので、cross-scan方向の素子スケールは9.36" になる(図2)。

 この観測方法では単位露光時間が44 ms と短いため、背景光による光子ノイズの影響は少なく、検出器の読み出し雑音で検出限界が左右される。可能な限り深い検出限界を達成するために、サーベイ観測における読み出しノイズを撮像動作で達成できている性能まで押さえ込むこと、点源の位置とフラックスの決定の精度を確保するために、再現性のある安定した検出器出力を得ることを目標に置き、検出器の特性に基づき最適な動作方法の開発を行った。

 検出器アレイは、受光素子1 つ1 つにソースフォロワが付属した構造で、行と列の2 つの走査回路を操作し画素を次々選択し読み出すことで、全画素を読み出す仕組みである。ただし列と行の走査回路の役割は微妙に異なり、列走査回路は選択した列に属する256 素子をアレイの出力に繋げる役目をするが、行走査回路は選択した行に属する256 素子のソースフォロワをON する役目をする。また、この検出器では、出力のオフセット(FET のゲート-ソース間電圧) に温度依存性があること、暗電流と暗電流起因の雑音が7.5 K を越えると指数関数的に増加すること、が実験より明らかになっている。よってサーベイ観測中に1 行だけを操作し続けると、撮像動作時にはアレイ全体で消費していた電力をその行だけで消費することになるため、その行の温度が上昇し、それに伴うオフセット変動や暗電流の増加が起こると推測できる。また、観測に使用する行以外を操作せずに放置しておくと、飽和し観測中の素子の電位に影響を及ぼすと考えられる。そこで、これらの対策として

・観測に使用しない他の素子にも観測に使用する素子と同じ周期で電力供給とリセットを行う

・観測に使用する行の周囲の数行も素子選択を行う(ただしデータの取得はしない)

という工夫を取り入れることで、1 行への電力集中を回避し、アレイ上の温度勾配と電位を撮像時と同じようにコントロールする動作方法を開発した(図3)。この方法が有効であることを対照実験により確認し、サーベイ用動作時でも撮像動作時と同レベル(<30e-) の低雑音性能と出力の安定性を確保することができた。

 さらに、計算機によるシミュレーションとシミュレーション実験により、この観測方法での点源の位置決定精度とフラックス決定精度を評価した。

 計算機によるシミュレーションでは、銀河面(模様のある背景の上で点源が密集している場合) と、銀河面以外の暗い空(一様な背景光の上で孤立した点源がある場合) の2 種類の条件で、入力した点源の位置とフラックスを正しく検出できるかを調べた。また、データ発生許容量が増え、細かいピクセルスケールで観測できた場合の点源位置決定精度の変化についても調べた。この結果、特に位置決定精度については9.4" 角(ノミナル値) に比べ、4.7" 角(データ量は2 倍) になると2 倍以上改善されるが、2.3" 角(データ量は4 倍) にしてもあまり変わらないことが分かった。これは、PSF(IRC の9 μm 帯ではFWHM=3.2") を十分サンプリングできるかどうかが点像の中心位置決定に効いているためと推測できる。また銀河面では、ピクセルスケールが大きくなるにつれコンヒュージョン(複数点源を分解できずに1 つの明るい点源として検出してしまう) の効果が出ることが明らかになった。

 さらに、検出器の過渡応答や素子内での感度ムラが(あった場合) 点源検出に与える影響を調べるため、実際の観測時と同じ速さでカメラ視野を通りすぎる人工光源を、検出器のスキャン動作で観測する実験を行った。移動点源のフラックスを既に信頼のある撮像動作であらかじめ測定しておき、点源の位置と速度はレーザ測距器で常にモニタすることで、検出するはずのタイミングと明るさを予測できる。この予測と観測結果のずれとその再現性を統計的に評価した。実験は、黄道面より明るい空(80 MJy/sr) で、検出限界よりやや明るい(230 mJy, 1.8Jy) 点源を検出する場合のシミュレーションになったが、光子ノイズから予想される精度の範囲内で位置決定・フラックス決定ができることが実証できた。

 また、IRC の観測でフラックス較正に使用できる新しい標準星を準備するため、すばる望遠鏡の中間赤外線分光装置(COMICS) による分光観測を行った。IRC の指向観測では、IRAS の2000 倍という高感度のため既存の標準星は飽和してしまう。また軌道の制限から、黄極にある星は頻繁に観測できるが、黄道面の星は半年に1 度しか観測機会がない。赤外線観測で使える標準星としては、1992 年頃からCohen 氏らにより構築されてきたネットワークがある。これは、理論計算によるスペクトル(A 型星) や観測スペクトル(K.M 型星) から作成したモデルスペクトル(原型) を源にしている。ネットワークに属する各標準星の予想スペクトルは、その星の可視や近赤外での測光結果を元に、同スペクトル型の原型スペクトルに対して減光効果の適用と、スケーリングをして求めている。このような予想スペクトルが存在し、北黄極に位置し、暗い(9 μm で70-180 mJy) 、K1.5-M0III 型の6 個の星について、実際に波長8-13 μm の範囲で低分散(λ/Δλ 〜250) スペクトルを得ることに成功した。スペクトルの較正には、既存の標準星Vega(A0V) と6Dra(K3II) を使用した。その結果、1 つの星を除き10%の精度で観測スペクトルは予想と一致し、中でもM0III 型星では、モデルスペクトルで考慮されている8 μm 帯のSiO 吸収帯の存在を強く指示する結果になった。これは、ASTRO-F の感度と軌道の要求を満たす赤外線標準星の確保を意味するものであるが、最初の標準星であるVega を使って新しい暗い標準星ネットワークを繋ぐ初めての観測として、標準星ネットワークの有効性の実証にもなった。

 本研究により、星形成から系外銀河まであらゆる分野の天文学に大きく貢献することが期待される、IRC による中間赤外線全天サーベイ観測を、目標とする性能で実行することを可能にした。

図1(左)IRC 全天サーベイでの5σ の点源検出限界と他の広域サーベイの検出限界、検出が期待できる天体例の比較。(右上) 天域のカバー率と(右下) 空間分解能についての、IRC 全天サーベイと他プロジェクトの比較。

図2IRC による全天サーベイ観測の方法図説

図3IRC 全天サーベイ用に開発された検出器の動作方法

審査要旨 要旨を表示する

ASTRO-F 赤外天体観測衛星は2006 年に打ち上げを予定しており、遠赤外および中間赤外での全天サーベイには大きな期待が寄せられている。しかし、中間赤外カメラIRCは静止画像用の装置であり、全天サーベイに必要な流し撮り方式(スキャンモード)には多くの問題が存在した。本論文は、スキャンモードの新方式を提案し、実験・数値シミュレーションによってスキャンモードが可能であることを実証し、さらに標準星の地上観測によりフラックス較正システムを構築したものである。

第1 章イントロダクションではこれまでに試みられた宇宙からの赤外線観測との比較から、残されている多数の未確認赤外天体を同定し、その性質を調べるために中間赤外全天サーベイをより深く行う必要性が強調されている。

第2章では中間赤外域で特徴的なスペクトルを示すTタウリ型星、ベガ型星、スターバースト銀河という3つの研究分野に関する観測可能性の検討を行っている。対象天体の分類法、空間分布、予想赤外等級、期待個数を検討した結果、論文提出者は中間赤外での全天サーベイを行ってこれらの包括的な研究を行うことを主張している。ここで取り上げられた分野はいずれも天文学上重要な意義をもち、全天サーベイの対象として適切であると考えられる。

第3 章ではまず衛星に搭載される3台の赤外カメラIRC の機能が述べられている。論文提出者はこのカメラの暗電流、読み出しノイズ、感度等の温度依存性を実験によって調べた。その結果、中間赤外検出器から安定した出力を得るためには数百mK 精度の温度安定が必要であること、温度が高くなると急激に熱雑音が増加するため検出器を7.5K 以下に保たなければならないことを明らかにした。これは動作温度に対する厳しい制限であり、この問題の解決がスキャンモード撮像の可否を左右する。

第4章は静止画像用に製作されたカメラをスキャンモードでも動かすために行われた開発研究の結果が述べられている。スキャンモードでは、256 × 256 素子のうち衛星の進行方向と垂直の1 行、256 素子のみを使用する。天体は1 素子の視野(2.34 秒角) を11 ミリ秒で横切るが、44 ミリ秒のサンプリング周期をとり、更に隣接する4素子の出力を合算することにより、1仮想素子に9.4 秒角の視野を与えた。室内実験の結果、このような変則的な使用は素子の異常な温度上昇を招くことが判明した。この問題に対し、論文提出者は特殊な読み出し方式を考案して実験し、IRCカメラがスキャンモードで正常な作動をすることを確認した。続いて、シミュレーションと室内実験に基づき、論文提出者はスキャン観測の際の天体位置精度とフラックス精度の予測を行った。

第5章にはフラックス較正を目的として論文提出者等が行った地上観測とその結果が述べられている。IRC カメラは高感度のため従来の標準星では明るすぎて使えない。このため北黄極付近の6つの微弱星をすばる望遠鏡を用いて観測し、標準星ネットを構築した。以上、本論文第4章、第5章は、技術的に困難なスキャンモードの観測システムをハードとソフトの両面に渡って構築したもので、天文学上の意義が高いと判断される。

第6章は論文提出者が中間赤外全天サーベイを行うために開発したIRC カメラの特殊な読み出し方式、中間赤外標準星の地上観測、天体位置精度、測光精度向上の研究成果がまとめられている。

本論文の第4章は和田武彦、尾中敬、松原英雄、片〓宏一、上野宗孝、藤代尚史、金宇征、渡会英教、上水和典、村上浩、松本敏雄、山村一誠との共同研究であるが論文提出者が主体となって解析および考察を行ったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。また、第5章は尾中敬、片〓宏一、宮田隆志、岡本美子、山下卓也、酒向重行、本田充彦、岡田陽子、藤吉拓哉、M.Cohen との共同研究であるが論文提出者が主体となって解析および考察を行ったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。したがって、博士(理学)の学位を授与できると認められる。

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