学位論文要旨



No 119929
著者(漢字) 市来,淨與
著者(英字)
著者(カナ) イチキ,キヨトモ
標題(和) 高次元宇宙理論の観測的示唆について
標題(洋) Observational Implications of Cosmological Theories with an Extra Dimension
報告番号 119929
報告番号 甲19929
学位授与日 2005.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第4658号
研究科 理学系研究科
専攻 天文学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 茂山,俊和
 東京大学 教授 江里口,良治
 東京大学 教授 藤本,眞克
 東京大学 教授 家,正則
 東京大学 教授 岡村,定矩
内容要旨 要旨を表示する

 この博士論文で私は、我々の宇宙が「五次元反ド・ジッター時空(バルク)に埋め込まれた四次元膜(ブレン)である」とする五次元膜宇宙模型について観測的な立場から考察する。この宇宙模型は余剰次元が1つの単純化された模型ではあるが、我々が知覚する四次元宇宙と、今なお構築・探求が続いている統一理論から示唆される十次元、十一次元時空をつなぐものとして近年大きな注目を集めている。本論文の目的は、この五次元膜宇宙理論模型が示唆する宇宙論的な影響を定量的に調べ上げ、現在急速に精密化が進んでいる宇宙の天文学的な観測とを結びつけることにより、具体的な高次元探査、および検出可能性を議論することにある。

 まず第二章において、この宇宙理論では宇宙の膨張則を記述するフリードマン方程式が、余剰次元の存在から導かれる二つの新しい項が加わることで修正されることに着目する。一つは宇宙のエネルギー密度の二乗(ρ2)に比例する項であり、もう一つはスケール因子αに対してα-4で減少していく項である。第二章では、宇宙のスケール因子αに対してα-4で減少していく「暗黒輻射(dark radiation)」と呼ばれる二つ目の項に注目する(一つ目のρ2に比例する項は初期宇宙で重要になる項であり、四章、五章で宇宙背景重力波と絡めて議論する)。この物理量はバルク時空のエネルギー(幾何学)を反映した量である。具体的にはバルク時空のブラックホール質量に対応する量であり、数学的には正負両方の値をとる可能性が考えられる。この物理量の影響は、宇宙の輻射優勢期の膨張則を変化させるということを介して、初期宇宙のさまざまな物理過程に現れると考えられる。私はこの項を含めて初期ビックバン元素合成期に生成される軽元素の量を数値的に計算して現在の観測と比較した。その結果、この項が正の量であった場合には背景の光子の存在量に対して小さな量しか許されないのに対して、もし負の量である場合には、より広い存在量の範囲が許されることを示した。さらには、そのような負の暗黒輻射の効果は、現在観測されているヘリウム(4He)と重水素(D)の間の不一致を解消させる方向へ働くことを明らかにした。また、バルク時空の揺らぎを無視できる極限で暗黒輻射が宇宙マイクロ波背景輻射揺らぎの角度スペクトルに与える影響を調べた。この極限であっても宇宙膨張則の変化を通して、その影響が角度スペクトルに現れることを数値計算により確認することができる。私は実際にこれを実行し、現時点での観測結果と詳細な比較を行った。これらの最終的な結果として、初期ビッグバン元素合成理論が暗黒輻射の量を宇宙の電子陽電子対消滅期直前の背景の光子のエネルギーを基準にして-123%から+11%の範囲へ制限することを示した。この制限と宇宙マイクロ波背景輻射揺らぎからの制限を合わせると、この範囲は-41%から+10.5%へと制限は厳しくなる。

 第三章では、現在の宇宙に存在している暗黒物質が、我々の膜宇宙に束縛された粒子と考えることの、宇宙論的な示唆を考察する。この宇宙模型では、質量を持たない重力子やスカラー粒子は我々の存在する膜宇宙に安定に閉じ込めることが可能となっているが、すべての質量を持った粒子の束縛状態は準安定であり、有限の時間でバルクの次元へ「消滅」することが理論的な先行研究で示されている。そこで私は、冷たい暗黒物質がもっとも短い時間でバルクの次元へ「消滅」することがもっとも可能性が高いことを示し、「消滅する暗黒物質」という新しい仮説を提唱する。この新しいパラダイムヘの宇宙論的な制限は、冷たい暗黒物質がバルク時空でのエネルギーとなって二章で議論された暗黒輻射へと変化することによる膨張則の変化と、宇宙のバリオン密度と暗黒物質密度の比の時間変化を通じて課すことが可能である。私は実際にこれを調査し、この消滅する暗黒物質が95%の信頼度ですべての宇宙論的観測、すなわち、高赤方偏移のI型超新星、銀河団の質量光度比および銀河団の高温度ガス質量比の赤方偏移変化、さらに宇宙マイクロ波背景輻射揺らぎからの制限と無矛盾であることを示した。暗黒物質の存在時間Γ-1の最尤値を含む2σの信頼領域は、15[Gyr]<Γ-1<80[Gyr]であった。この有限の寿命を示唆する結果は統計的には十分に有意であるとは現時点では言えないが、将来の精密化された観測により確定されれば、高次元宇宙模型の最初の観測的証拠となる可能性を持ったものである。この研究に際しては、その定式化の困難のため、バルク時空の揺らぎは無視できるという極限で解析を行った。消滅する暗黒物質と、その消滅によって生じる二章で論じた暗黒輻射を四次元の物理量と近似することにより、揺らぎを含めた理論の近似的な構築が可能となる。この揺らぎの理論と観測的な制限についてはAppendixで議論される。

 後半の二つの章では、膜宇宙模型での未解決の難問として残されている宇宙線型揺らぎの成長理論の構築を目指し、インフレーション期に生成された宇宙背景重力波の伝播問題を考える。この困難は、宇宙模型が高次元時空で構築されていることと密接に関係している。すなわち、我々の宇宙の密度揺らぎをはじめとする様々な種類の揺らぎの時間発展を追うためには、その揺らぎと結びついたバルク時空の揺らぎも一緒に追わねばならない。このため、我々の宇宙の三次元空間の揺らぎをフーリエ分解した後でも複雑な連立偏微分方程式系を時間依存した境界条件の下で解くという問題となり、その複雑さから現在でも未解決の問題である。私はここで、宇宙の密度揺らぎとは関係なく進化する宇宙背景重力波に着目した。その理由は、宇宙背景重力波の問題においても、バルク時空の揺らぎを一緒に追わねばならないという本質は同じであるが、我々の膜宇宙に存在する物質との結合が弱い分問題が幾分単純なものとなるからである。

 具体的には、第四章において膜宇宙模型の因果構造を宇宙背景重力波の境界条件を明らかにするために考察した。先行研究でしばしば用いられているガウス法線座標系では、バルク時空の有限な距離で重力波の方程式が特異となり、これが問題の大きな困難の一つであった。私は、この特異点が先行研究により既に存在が示されていた膜宇宙模型の「縫い目特異点」に対応することを示した。またこの因果構造の考察に基き、ヌル座標を導入することにより、この特異性を回避しつつ発展方程式を解く数値計算法を開発した。またこの手法は密度揺らぎの理論にも適用できるものである。

 さらに実際にこの手法に基づいて数値計算を実行し、現在の宇宙での背景重力波のスペクトルを見積もった。ここで私が新しく明らかにしたことは、低エネルギーで我々の宇宙に閉じ込められているはずの重力波が、ρ2の項が卓越する初期宇宙においては高次元の重力波モードと結合することにより、バルク時空へ逃げていくことである。結果として得られたエネルギースペクトルは、数値計算のために仮定したバルクの曲率半径(l〓1[mm])に対応した現在での振動数より高周波側(f>fAds〓10-4[Hz])で、標準宇宙模型の予言するものと異なる可能性があることを明らかにした。この結果は膜宇宙模型での最も信頼できる制限を与えるものの一つとなるものである。

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は、6 章からなり、第1 章は導入部で、現在の標準宇宙モデルが成功をおさめている点と問題点について言及した後、本論文の主要テーマである高次元膜宇宙模型の歴史的背景、数学的なモデル構築、および本論文の概要と目的について述べられている。

 第2 章では、余剰次元の存在から導かれる「暗黒輻射」と呼ばれる新しいエネルギー項に着目している。この項は宇宙のスケール因子a に対してa-4 で減少していく。この物理量はバルク時空のエネルギー(曲率)を反映した量であり、数学的には正負両方の値をとりうる。論文提出者はこの項を含めて初期ビックバン元素合成期に生成される軽元素の量、および宇宙マイクロ波背景輻射揺らぎを数値的に計算して現在の観測と比較することにより、この項が正の量であった場合には小さな量しか許されないのに対して、もし負の量である場合には、より広い存在量の範囲が許されることを示した。さらには、そのような負の暗黒輻射の効果は、現在観測されているヘリウム(4He) と重水素(D) の間の不一致を解消させる方向へ働くことを明らかにした。

 第3 章では、現在の宇宙に存在している暗黒物質が、我々の膜宇宙に束縛された粒子と考えることの、宇宙論的な示唆を考察している。先行研究により、質量を持った全ての粒子の束縛状態は準安定であることが明らかにされていたが、論文提出者は冷たい暗黒物質がもっとも短い時間でバルクの次元へ「消滅」することがもっとも可能性が高いことを示し、「消滅する暗黒物質」という新しい仮説を提唱した。論文提出者は、宇宙の膨張則の変化と、バリオン密度と暗黒物質密度の比の時間変化を通じて、この新しいパラダイムへの宇宙論的な制限を課すことが可能であるとし、実際に95% の信頼度ですべての宇宙論観測と無矛盾であることを示した。暗黒物質の存在時間Γ1 の最尤値を含む2σ の信頼領域は、15[Gyr]< Γ1 <80[Gyr] であった。この有限の寿命を示唆する結果は統計的には十分に有意であるとは現時点では言えないが、将来の精密化された観測により、高次元宇宙模型の観測的検証が可能になると期待される。

 第4 章では、宇宙背景重力波の境界条件を明らかにするために膜宇宙模型の因果構造を考察している。先行研究でしばしば用いられているガウス法線座標系では、バルク時空の有限な距離で重力波の方程式が特異点を持ち、大きな困難の一つであった。論文提出者は、この特異点が先行研究により既に存在が示されていた膜宇宙模型の「縫い目特異点」に対応することを示した。またこの因果構造の考察に基き、ヌル座標を導入することにより、この特異性を回避しつつ発展方程式を解く数値計算法を開発した。

 第5 章では、第4 章で構築した手法に基づいて数値計算を実行し、現在の宇宙での背景重力波のスペクトルを見積もった。論文提出者が新しく明らかにしたことは、ρ2 の項が卓越する初期宇宙においては、低エネルギーで我々の膜宇宙に閉じ込められているはずの重力波が高次元の重力波モードと結合することによりバルク時空へ逃げていくことである。結果として得られたエネルギースペクトルは、バルク時空の曲率半径に対応した現在での振動数より高周波側で、標準宇宙模型の予言するものより弱くなる可能性があることを明らかにした。この結果は膜宇宙模型での最も信頼できる制限を与えるものの一つとなるものである。第6 章では、膜宇宙模型の現時点での天文観測からの制限と、今後の展望についてまとめを行い、最後に詳細精密な天文観測が高次元を覗く新しい窓となると期待して、本文を結んでいる。

 本研究の特色は、

 1.力の統一理論として芽生えつつある高次元宇宙モデルが、豊富な天文観測からの制限を満たすような宇宙モデルであるかどうかを、詳細に考察した点、

 2.高次元宇宙モデルでの宇宙論的摂動論という難問に対し、新しい座標系を持ち込むというアイデアを提案し定式化した。さらに、問題解決のために必要な数値計算コードの開発を通じて定量的な議論を初めて可能にした点にある。

 以上のように、本論文は、高次元宇宙論モデルの天文学的な検証可能性に関する新しい知見が得られていて、高く評価できる。

 なお、本論文の第2,3 章は梶野敏貴、八尋正信、Grant J. Mathews 、Peter M. Garnavich 、折戸学との共同研究であり、第4,5 章は中村康二との共同研究である。また、Appendix A は大栗真宗、高橋慶太郎との共同研究である。しかし、その多くは論文提出者を第一論文提出者とする論文としてまとめて出版されており、論文提出者の寄与は十分であると判断できる。

 したがって、博士(理学)の学位を授与できると認める。

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