学位論文要旨



No 119944
著者(漢字) 黒田,潤一郎
著者(英字)
著者(カナ) クロダ,ジュンイチロウ
標題(和) 白亜紀黒色頁岩のアナトミー : 超高解像度地球化学分析による海洋無酸素イベント2の古環境に関する考察
標題(洋) Anatomy of Cretaceous black shales : paleoceanography of Oceanic Anoxic Event-2 based on lamina-scale geochemical analyses
報告番号 119944
報告番号 甲19944
学位授与日 2005.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第4673号
研究科 理学系研究科
専攻 地球惑星科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 多田,隆治
 東北大学 教授 海保,邦夫
 海洋研究開発機構 グループリーダー 大河内,直彦
 Ocean Research Institute Professor Coffin,Millard F
 東京大学 教授 徳山,英一
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1.はじめに

 白亜紀の海洋無酸素イベント(OAE)は、有機質黒色頁岩が短期間(〜106年)で汎世界的に堆積するイベントであり、地球史における特異な環境イベントとして注目されている。筆者はCenomanian/Turonian境界のOAE (以下OAE-2と略記)にテチス海西部の遠洋域で堆積したBonarelli層に注目して高解像度サンプリングおよびさまざまな化学分析をおこない、古環境の変遷やその原因となるメカニズムについて多くの新しい知見を得た。Bonarelli層は明暗色互層の発達した厚さ約1mの地層で、平均堆積速度は約1.3m my-1とされ、OAE-2の期間は約80万年と見積もられている[1]。

2.Bonarelli層における堆積物の分布パターン(第二章)

 本研究では、Bonarelli層に含まれる主要な堆積物である生物源シリカ、炭酸カルシウム、黄鉄鉱の分布パターンを10μm解像度の元素マップをもとに復元し、1.5mm間隔で測定した全有機炭素量(TOC)の変動と比較した[2]。その結果、明暗色互層に対応した堆積物組成の変動を知り得た。暗色層は有機物や黄鉄鉱に富み、TOCが26%に達する。一方、明色層は生物源シリカに富み、一部で炭酸カルシウムが豊富になる。明暗色互層に対応したTOCと生物源シリカの変動は数mm〜3cm程度、時間にして103〜104年規模で繰り返す特徴を持ち、異なる二つの海洋環境セッティングがこの時間スケールで繰り返し出現したことを示唆している。また、Bonarelli層には明暗色を通して数百μm〜数mmのラミナが保存されており、OAE-2を通して底層、少なくとも堆積物-水境界より下位は恒常的に還元状態であったことを示す。

3.OAE-2における海洋環境の復元(第三章)

 次に、脂質化合物や窒素・有機炭素同位体比から有機物の起源生物について考察をおこなった。暗色層の脂質化合物は、原核生物の分子化石である炭素数30以上のホパノイドを豊富に含む。特にホパン酸(C31、C32)は全脂質量に匹敵する濃度(〜120ug g-1C)で含まれていた。また、暗色層の全窒素同位体比(δ15Nbulk) -1〜-3‰と非常に低い値を示した。暗色層の窒素はTOCと明瞭な相関を示すことから有機窒素とみなすことができるので、軽いδ15Nbulkは窒素固定生物の寄与が大きいことを示している。色素化合物の誘導体であるジオポルフィリンの分析結果(Kashiyama et al, in prep.)を踏まえると、Bonarelli層の暗色層にはシアノバクテリアに由来する有機物が豊富に含まれており、彼らが主要な基礎生産者であったと結論づけることができる。また、一部の暗色層では絶対嫌気性の光合成細菌である緑色硫黄細菌の色素(イソレニエラテン)の誘導体と考えられるトリメチルアリールイソプレノイドが認められ、暗色層の堆積時には酸化還元境界が透光帯下部にまで達するphotic zone anoxiaとなっていたことが示唆される。この化合物はBonarelli層の基底部の暗色層で豊富に認められ、OAE-2開始時にはすでに海洋がphotic zone anoxiaになっていたことを示す。一方、明色層はホパノイドに枯渇し、高いδ15Nbulk(〜3‰)を持ち、生物源シリカや炭酸カルシウムに富む。これらのことから、明色層堆積期には珪藻や円石藻などの真核藻類が主要な基礎生産者であったと解釈される。全有機炭素同位体比(δ13Corg)を1.5mm間隔で連続的に測定した結果、Bonarelli層の中〜上部では暗色層のδ13Corgが明色層のδ13Corgよりも約3‰高い値を持つことが明らかになった。これは明色層と暗色層とで異なるタイプの光合成生物が寄与している、つまり基礎生産者が違っていたことを反映している。

 以上の結果から、OAE-2における海洋環境の詳細な復元が可能となった。まず、暗色層の堆積期には、水柱の大部分が還元的になった。最下部の層準の堆積時には、還元水塊が透光帯下部にまで達し、緑色硫黄細菌が出現した。このような環境では真核生物の活動が規制され、シアノバクテリアが主要な基礎生産者になる。水柱での有機物の分解速度が低下し、有機物に富む堆積物が形成された。一方、明色層の堆積時には酸化還元境界は海洋の深部に降下し、水柱の大部分が酸化的になった。表層では真核藻類が主要な基礎生産者となり、水柱での有機物の分解が促進され、その結果生物源シリカや炭酸カルシウムに富む明色層が堆積した。この二つの環境セッティングが103〜104年規模で繰り返すことで、Bonarelli層の明暗色互層が形成された。暗色層はBonarelli層中部で優勢になることから、OAE-2の中期には還元的海洋環境が比較的長期間出現したことを示している。

4.OAE-2の成因に関する考察(第四章・第五章)

 最後にOAE-2の発生メカニズムについて考察をおこなった。1.5mm間隔で測定したδ13Corg記録には、OAE-2の開始時に約3‰の負のシフトが認められる。δ13Corgは下位の石灰岩中で約-24‰であったのが、OAE-2の開始と同時に-27‰にシフトし、その後徐々に増加する。基底から35cmの層準で-23‰に達し、その上位ではほぼ一定になる。平均堆積速度1.3m my-1を仮定すると、負のシフトの後、-23‰に達するまでに約30〜35万年要したことになる。現在の海洋における炭素の滞留時間が10万年規模であることから、この大局的なδ13Corgの変動は、海洋の炭素同位体比の変動を反映している可能性がる。Bonarelli層の脂質化合物のδ13Cを測定したところ、多くの化合物はδ13Corgとほぼ平行な変動を示し、さまざまな生物に同様の炭素同位体比の変動が記録されていることが判明した。以上のことから、筆者はδ13Corgの大局的変動は海洋の炭素リザバーの同位体比の変動(OAEの開始と同時に急激に負にシフトし、その後約30〜35万年かけて回復して、定常状態に戻る)を示していると解釈した。海洋炭素リザバーの同位体比が負にシフトする原因として、二つのシナリオが考えられる。一つは大規模な火山活動にともなう脱ガスにより大気海洋系への炭素流入が急増し、炭素循環の収支バランスが崩壊したというシナリオで、もう一つは低い同位体比をもつメタンが大量に放出されたというシナリオである。前者は、OAEの時期が巨大火成岩区(LIPs)の活動時期に近いこと(OAE-2の場合、カリビアンプラトーとマダガスカル洪水玄武岩)[3]、マントル起源物質の供給が増加したことを示すストロンチウム同位体比の負のシフトがOAEの時期に認められること[4]などから、OAEの成因として注目されてきた。しかし、OAEの開始と火山活動の直接的関連を示す証拠は得られておらず、仮説の域を脱していない。本研究では、アルミノ珪酸塩中に含まれる鉛の同位体比を測定し、OAE-2開始時において堆積物の供給源に変動があったかどうかについて検討した。OAE-2開始時に大量のCO2を供給するような大規模な火山活動が起きたとすれば、その信号が鉛同位体比に現れることが予想される。鉛は4種の同位体を持ち、マグマの性質ごとに特徴的な同位体比をもつことから、物質の供給源の変動をより細に知ることができる。鉛同位体比を測定し、鉛、トリウム、ウランの定量をおこなって年代効果を補正した結果、OAE-2開始時において有意な鉛同位体比のシフトが認められた。このシフトは208Pb/204Pb比で特に顕著で、いずれの同位体比も前記のLIPsの岩石に特有な同位体比の方向にシフトしている。この結果は、OAE-2の開始時にLIPsの岩石に特徴的な鉛同位体比をもつ物質の供給が増加したことを示し、大規模な火山活動がOAEの開始時に起きたことを示す興味深い記録である。現段階ではカリビアンプラトーとマダガスカル洪水玄武岩のいずれの活動によるものかを特定するには至っていないが、LIPsの活動がOAEの引き金になっていることを示す有力な証拠を得た。おそらく大規模な火山活動によって大量の揮発性物質(CO2、SO2、H2Sなど)が地球内部から供給され、大気海洋の化学組成が大きく変化したことが予想される。これにより、地球表層環境が大きく変化してOAEが出現したのであろう。

参考文献[1]Ohkouchi N., Kawamura K., Kajiwara Y., Wada E., Okada M., Kanamatsu T.and Taira A.(1999)Geology27, 535-538.[2]Kuroda J., Ohkouchi N., Ishii T., Tokuyama H. and Taira A.(2004)Geochim. Cosmochim. Acta, in press.[3]Eldholm O.and Coffin M.F.(2000)Geophysical Monograph 121, 309-326.[4]Bralower T.J., Fullager P.D., Paull C.K., Dwyer G.S. and Leckie R.M.(1997)Geol.Soc.Am.Bull.109, 1421-1442.
審査要旨 要旨を表示する

 本論文は、白亜紀の海洋無酸素イベントにおいて堆積した有機質黒色頁岩について、今までにない高時間解像度で、さまざまな地球化学指標の変動を詳細に復元することで、このイベントにともなう古環境変動の復元を試み、その古海洋学的意義を議論した論文である。論文は全部で五章からなり、第一章が序論、第二章から第四章が各論、第五章が結論という構成になっている。

 第一章ではまず、白亜紀の海洋無酸素イベントについて、黒色頁岩の時空分布など概要を説明したうえで、有機物が海底堆積物に豊富に保存されるプロセスとして注目されてきた海洋無酸素モデルと生物生産モデルの論争が、有機物の質に関する評価を無視して展開されているという問題点を指摘している。更に、提唱されている現世アナログ堆積物と黒色頁岩の間に大きな化学的相違があることを指摘して、黒色頁岩を全く異なる堆積物と捉え、さまざまな化学指標を用いた詳細なキャラクタリゼーションが必要であると主張している。さらに、今回注目した層厚1mの黒色頁岩(イタリア中部)の概要と、これが堆積した当時の堆積環境についても説明がなされている。

 第二章では、黒色頁岩層の岩石薄片について、主要元素の二次元分布を10μmグリッドでマッピングし、これをもとに堆積物コンポーネントの変動パターンをこれまでにない解像度で復元する手法について記載されている。これらの変動パターンと、1.5mm間隔で測定した有機炭素濃度の変動を比較した結果、黒色頁岩に発達する明暗色互層に対応して堆積物組成が変動する―例えば暗色層で有機炭素や黄鉄鉱が豊富になり、明色層で生物源シリカや炭酸カルシウムが豊富になる―といった傾向が認められる事を指摘し、さらに、明色層や暗色層内において、数100μm規模の微細なラミナが認められることから、堆積時に生物擾乱を受けておらず、海洋深部が定常的に無酸素環境であったと解釈している。

 第三章では、第二章で化学的特徴が明らかになった試料をもとに、有機化合物の分析をおこない、有機物の起源生物について検討している。また、全有機炭素や全岩窒素同位体組成を加味し、黒色頁岩堆積時の海洋生態の変遷について考察している。黒色頁岩の暗色層はホパノイドを豊富に含み、軽い窒素同位体比(-3〜0‰)を示すといったことから、シアノバクテリアが主要な基礎生産者であったことを指摘している。一方、明色層にはホパノイドが含まれず、窒素同位体比が高く(〜3‰)、生物源シリカや炭酸カルシウムが豊富に含まれることから、珪藻や円石藻などの藻類が主要な基礎生産者であったと解釈している。これにより、明色層と暗色層の堆積期には基礎生産者が大きく異なっていたことを初めて系統的に明らかにした。

 第四章では、1.5mm間隔で測定した全有機炭素同位体比の超高解像度変動記録と珪酸塩の鉛同位体組成から黒色頁岩の成因について考察をおこなっている。分析の結果、黒色頁岩堆積層基底部に全有機炭素同位体比が負にシフトし、また同時期に鉛同位体比にもシフトを認めた。この負のシフトは、その後の回復に要する時間が海洋の溶存無機炭素の平均滞留時間の数倍であること、またさまざまな化合物の炭素同位体比にも同様に記録されていること、他地域の黒色頁岩にも似たような変動が認められることなどから、全球規模で海洋の溶存無機炭素同位体組成が負にシフトしたことを反映している可能性が高いと解釈している。一方、鉛同位体比の変動はこの時期に噴出した洪水玄武岩の鉛同位体比の方向にシフトしており、黒色頁岩の堆積が開始する時期に洪水玄武岩由来の珪酸塩鉱物の供給が相対的に増加したことを示唆し、炭素同位体比の負のシフトは、大規模火山活動に伴う脱ガスにより大気海洋系に大量の二酸化炭素が供給されたことが原因と考えている。本成果は、黒色頁岩堆積開始時に大規模火山活動が起きたことを初めて示唆し、海洋無酸素イベントが地球内部の変動と密接に関連している可能性を提唱したという点で極めて画期的である。

 そして、第五章では、これらの各論から得られた結論とその相互関係を簡潔にまとめている。

 審査委員会では、本論文を、堆積学的側面、有機地球化学的側面、古生物学的側面、固体地球科学的側面から、総合的に審査を行った。そして、i)高空間解像度の無機化学分析法を確立して、シリカ、炭酸塩などの生物起源物質と有機物の変動様式の相互関係を調べて、いくつかの堆積モードが存在する事を示した点、ii)その結果に基づき有機化合物の詳細な分析を行って、それらの堆積モードが、海洋表層環境やそれに伴う生物生産者の変化の結果起こった物である事を突き止めた点、iii)そうした変化が、洪水玄武岩の大規模噴出に伴って起こった可能性を示した点、で極めて独創性が高く、白亜紀の海洋無酸素イベントについての理解を著しく進めたと高く評価した。

 なお、本論文の第二章は大河内直彦、石井輝秋、徳山英一、平朝彦との共同研究であるが、論文提出者が主体となって分析および議論をおこなったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断した。

 上記の点を総合的に審査した結果、本論文は、有機、無機地球科学および古海洋学の発展に大きく寄与する物であり、博士(理学)の学位に十分値すると結論した。

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