学位論文要旨



No 119951
著者(漢字) 野牧,秀隆
著者(英字)
著者(カナ) ノマキ,ヒデタカ
標題(和) 底生生物群集による沈降有機物消費過程 : 深海底現場培養実験
標題(洋) The fate and degradation processes of phytodetritus by benthic communities : in situ 13C-tracer experiments
報告番号 119951
報告番号 甲19951
学位授与日 2005.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第4680号
研究科 理学系研究科
専攻 地球惑星科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 小池,勲夫
 東京大学 助教授 茅根,創
 海洋研究開発機構 PD 北里,洋
 海洋研究開発機構 グループリーダー 大河内,直彦
 東京大学 教授 徳山,英一
内容要旨 要旨を表示する

1)目的

 海洋表層で植物プランクトンにより生産された有機物の一部は、水塊中を沈降し、堆積物表層で分解・無機化されて堆積物中へと埋没していく。海底表層での有機物消費過程の解明は、海洋における有機物循環を知る上でも、海洋堆積物を用いた古環境解析を行う上でも不可欠である。深海底生生物は、そのエネルギー源の多くを、水塊中を沈降してくる植物プランクトン起源の有機物に依存していると考えられており、有機物消費過程を理解する上では、底生生物による消費を考慮することが重要である。底生生物の中でも、底生有孔虫は深海底で大きなバイオマスを持ち、エネルギー源の多くを沈降有機物に依存していると考えられており、有機物消費過程に重要な役割を果たしている可能性がある。そこで本研究では、13Cで標識した有機物を有機物源として用いた深海底現場培養実験を行い、底生生物、特に底生有孔虫が沈降有機物消費過程において果たす役割を明らかにする。

2)方法

 実験は相模湾中央部(水深1450m, N35° 00, E139°22.5)の定点において、A)底生有孔虫による有機炭素摂取量・摂取様式を測定するためのバルク有機物分析実験を3回、B)添加された有機物の摂取後の変質過程を調べるための脂質分析実験を1回、の計4回行った。

A)バルク有機物分析

 13Cで標識し培養した単細胞藻類Dunaliella tertiolecta、珪藻Chaetoceros sociale、バクテリアVibrioalginolyticus(それぞれδ13C=830〜5550‰ VPDB)を、現場培養装置(内径5cm)で覆われた堆積物表層に散布し、0〜21日までの期間深海底に静置し、底生生物に取り込ませた。その後装置を回収し堆積物を深さ5cmまで切り分け、そこから拾い出した底生生物と堆積物サンプルを、塩酸による脱炭酸処理の後に元素分析計-質量分析計で分析し、有機炭素量および炭素同位体比の測定を行った。

B)脂質分析実験

 13Cで標識し培養したD.tertiolectaを、同様に現場培養装置内(内径8.2cm)に散布し、0〜6日間培養を行った。その後同様に採取したサンプルから、有機溶媒により脂質化合物を抽出、精製し、ガスクロマトグラフ-質量分析計を用いて脂質の同定・定量を、ガスクロマトグラフ-燃焼-質量分析計を用いて化合物ごとの炭素同位体比測定を行った。

3)結果と考察

A)バルク有機物分析

 標識された藻類は、4〜6日で堆積物の深度5cmまで混合され、深部に生息する生物にも短期間で利用可能な状態になることが確認された。また、堆積物中の13C-標識有機炭素量は時間の経過とともに減少し、2日間で0.3gCm-2 の添加有機炭素(添加量のほぼ30%)が無機化もしくはより深部へと移動していることがわかる。底生有孔虫による藻類の取り込みは種によって大きく異なり、概ねUvigerina akitaensisなどのshallow infaunal species(主に酸化層内に生息)ほど素早く大量に摂取し、バイオマスの30%に当たる藻類を2日以内に摂取していた。一部の有孔虫種を除き、底生有孔虫は堆積物中の藻類を選択的に摂取しており、その摂取量は有孔虫種全体で2.9mgCm-2d-1であった。これはカイアシ類、ゴカイなど多細胞生物による摂取量(1.1mgCm-2d-1)を大きく上回り、底生有孔虫による沈降有機物摂取が深海生態系で大きな役割を果たすことが示された。

 一方、藻類とバクテリアの摂取様式の結果から、底生有孔虫の有機物摂取様式として、藻類を選択的に摂取する種(U.akitaensis, Bolivina spissa, Bolivina pacifica)、藻類を選択的に摂取するが堆積物も無作為に摂取する種(Bulimina aculeata, Globobulimina affinis, Textularia kattegatensis)、堆積物を無作為に摂取する種(Chilostomella ovoidea, Cyclammina cancellata)、の3つを認定した。それぞれの有機物摂取様式ごとに、沈降有機物の消費において重要な役割を果たすもの、沈降有機物の供給には反応せず堆積物中の有機物のみを消費するもの、など、堆積物表層の有機物消費過程において異なった役割を果たしている。また、藻類を選択的に摂取する有孔虫種は、相模湾深海底における個体数・生息深度に季節変動を持つことがわかり、これらの種を用いて表層の古生産量が推定できる可能性が示された。

 底生有孔虫類による堆積物中の有機炭素の摂取量は8.2mgCm-2d-1となり、底生有孔虫は沈降有機炭素を上回る量の有機炭素を堆積物中から摂取していることが示された。また、沈降有機・堆積物中の有機物の摂取量を合わせた有孔虫各種の有機炭素摂取量は、室内呼吸量測定実験により得られた炭素無機化量の傾向とほぼ一致した。

B)脂質分析

 添加された藻類を起源とする有機炭素は、6日間の培養期間終了後でも約50%が表層堆積物0-5cmに存在していた。しかし、その内に占める藻類起源の脂質成分(フィトール、脂肪酸)の割合は、実験開始から培養終了までに6.2%から0.05%まで減少しており、藻類起源の有機物が短期間で他の化合物に変質していたことがわかる。一方、添加した藻類には含まれない、バクテリア由来の脂肪酸(anteiso-C17)への13Cの取り込みが、培養4日目をピークとして見られた。このことは、藻類起源の炭素が堆積物中でバクテリアにより同化されていたことを示す。バクテリアによる摂取量は、培養2日目で底生有孔虫による摂取量の1〜3倍となり、短期間での沈降有機物の消費過程においては特に、底生有孔虫と並んでバクテリアも中心的な役割を果たしていることが示された。ここで、堆積物中および有孔虫細胞内での主要な脂肪酸(C16:0, C18:0, C18:1)の減少速度を比較した結果、底生有孔虫細胞内での脂肪酸減少速度は堆積物中の1.2〜20倍となった。底生有孔虫による沈降有機物の摂取は、堆積物中での沈降有機物消費、特に脂肪酸の分解を促進していることを示唆する。

 一方、底生有孔虫から抽出されたstigmasterol、23, 24-dimethylcholesta-5, 22E-dien-3β-olなどのステロールが培養4日目までに13Cで標識されていた。これは、底生有孔虫が摂取・消費した藻類由来の有機炭素を用いてステロールの生合成を行ったことを示す。しかし、ステロールの合成量を計算すると、有孔虫のステロール全体に占める割合としては小さかった(<1%)。底生有孔虫は高い呼吸速度を持つことから、摂取した有機炭素の一部が自らの体細胞の生合成に用いられ、大部分は呼吸により無機化されていると考えられる。

4)深海底における沈降有機物消費過程のまとめ

 堆積物表層に供給された沈降有機物は、数日間で堆積物の深度5cmまで混合され、底生生物群集全体に利用可能になる。また、新鮮な沈降有機物の添加が、堆積物中のバクテリアの活性化を引き起こしている。

 底生有孔虫の沈降有機物摂取様式、摂取量は種により大きく異なっている。このことから、深海生態系を理解する上でも、底生有孔虫種を用いた古環境解析を行う際にも、種による違いを考慮することが重要である。

 底生有孔虫により摂取された脂肪酸は、堆積物中での分解速度を上回る速度で分解されており、底生有孔虫による摂取が堆積物中での沈降有機物の分解を促進していることを示す。それら摂取した有機炭素のほとんどは呼吸により無機化されているが、一部は自らのステロールなどの生合成に用いられる。

 相模湾中央部における、生物による沈降有機物消費の大部分はバクテリアと底生有孔虫が重要な役割を果たし、TOCフラックスの約7.5%を消費している。また、底生有孔虫は水深にかかわらず沈降有機物摂取速度が高く、有孔虫の種組成とバイオマスが、海底における有機物消費をコントロールしている。

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は、相模湾深海底における沈降有機物の消費・変質過程において、底生生物群集、その中でも特に底生有孔虫が果たす役割について、安定同位体13Cでラベルした植物プランクトンやバクテリアを用いた現場実験などにより明らかにしたものである。

 本論文は全六章からなり、第一章では底生生物による沈降有機物の消費・変質過程について底生の有孔虫の生態を含めてこれまでの研究のレビューがなされている。第二章では底生有孔虫による沈降有機物の摂取速度を種別に調べ種による差異について論じた。第三章では底生生物による異なる有機物源の利用状況について、第四章では底生有孔虫の呼吸による有機炭素無機化速度について、第五章では沈降有機物の海底における変質過程について、第六章では沈降有機物消費過程における生物群ごとの貢献度について論述されている。

 第一章は、序論で深海底への有機物供給の研究の歴史と、その中でも植物プランクトン起源の沈降有機物に対する底生生物群集の摂取・成長・繁殖という応答について述べている。これらの生物的応答を知ることが、深海生物の生態を理解することのみならず、海洋における有機物循環や堆積物中の有機物の起源などを理解する上で重要であることが示されている。

 第二章は、13Cで標識した藻類を用いた、深海底現場培養実験について述べている。この研究により、底生有孔虫による沈降有機物の摂取は同じく底生の多細胞生物よりも速度・量ともに大きいことが示された。同時に、底生有孔虫による有機物摂取速度は種間で大きく異なることが初めて示された。

 第三章は、13Cで標識した藻類、バクテリアを用いた深海底現場実験についで述べている。この研究の結果、いくつかの底生有孔虫種は堆積物に含まれる有機物の中から藻類を非常に選択的に摂取することが初めて示された。また、相模湾の底生有孔虫の有機物摂取様式に、草食、日和見食、堆積物食の3タイプが存在することを示した。

 第四章は、実験室内で底生有孔虫を単離飼育し、底生有孔虫の呼吸速度を決定し、堆積物に供給される有機物の無機加速度を論じている。これまで底生有孔虫の呼吸速度は、堆積物中での生息深度分布と関連があることが推測されてきたが、無関係であることが明らかになった。また、種ごとの有機物無機加速度と有機物摂取速度には相関があることを示した。

 第五章は、13Cで標識した藻類を用いた深海底現場培養実験のサンプルを、化合物レベルで分析した結果について述べている。深海底に散布された藻類に含まれる脂質化合物は、数日単位で他の化合物へと素早く変質されており、その分解速度は、底生有孔虫細胞内のほうが堆積物中よりも速いことが示された。底生有孔虫による摂取が、深海底における沈降有機物の変質を促進していることを初めて実験的に明らかにした。分解された13C脂質化合物の炭素は、堆積物中ではバクテリアに特異的な脂肪酸に取り込まれており、数日単位でのバクテリアの活性化・増殖が起きていることが示された。一方、底生有孔虫は、摂取した有機物起源の炭素の一部をステロールの生合成に用いているものの、多くは呼吸により無機化されていることが示唆された。

 第六章は、二〜五章の結果を踏まえ、相模湾深海底における沈降有機物消費過程において、有孔虫、バクテリア、多細胞生物の役割を、ほかの海域の結果と比較して議論している。有機物消費量そのものとしては、どの海域でもバクテリアが優占しているが、底生有孔虫は単位バイオマス辺りの摂取量が大きいことを示した。また底生有孔虫は摂取した有機物の変質・無機化速度が速いことから、有孔虫のバイオマスとその種組成が、その海域における沈降有機物消費過程を支配していることを指摘し、海洋における有機物消費過程における底生有孔虫の重要性を結論付けている。

 以上の研究結果は、深海における底生有孔虫の生態に関して多くの興味深い知見を与えたのみならず、底生有孔虫の深海底における炭素循環を定量的に評価したものとして生物海洋学あるいは海洋の物質循環の解明における大きな貢献であると評価出来る。なお、本論文第二章は、Petra HEINZ、中塚 武、嶋永 元裕、北里 洋との共同研究であるが、論文提出者が主体となって分析および検証を行ったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

 したがって、博士(理学)の学位を授与できると認める。

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