学位論文要旨



No 119952
著者(漢字) 青木,伸行
著者(英字)
著者(カナ) アオキ,ノブユキ
標題(和) 大気中CF4とKrの定量および大気化学研究への応用
標題(洋) Determination of Atmospheric CF4 and Kr, and its Application to the Study of Atmospheric Chemistry
報告番号 119952
報告番号 甲19952
学位授与日 2005.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第4681号
研究科 理学系研究科
専攻 化学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 巻出,義紘
 東京大学 教授 梅澤,喜夫
 東京大学 教授 西原,寛
 東京大学 教授 長尾,敬介
 東京大学 教授 近藤,豊
内容要旨 要旨を表示する

 人間活動からの放出によって大気中濃度が増加しているCF4は、1997年12月に採択された京都議定書において、地球温暖化物質として新たな規制対象物質に加えられた。しかし、大気中CF4の測定は、非常に難しく、精度も悪いことから、あまり行われておらず、大気中における挙動が明らかになっていなかった。そこで、その挙動を明らかにするため、大気中CF4を高精度に測定する方法について研究を行った。

 CF4はMS以外に適当な検出器がなく、GC/MSを使用して測定されるが、大気中濃度がpptv(ppt=10-12)レベルと非常に低いため、試料を濃縮してからGC/MSに導入する必要がある。しかし、CF4と大気主成分の物理的性質は近く、濃縮過程における大気主成分の除去が大きな問題となっていた。また、濃縮段階で除去できずに残った大気主成分はGCカラムでも十分に分離できないことから、GC/MSにおける精度を上げられない原因にもなっていた。そのため、まず、大気主成分を効率よく除去できる大気試料濃縮装置の開発を行った。種々検討の結果、製作した大気試料濃縮装置を図1に示す。従来の濃縮過程(捕集、クライオフォーカシング)に精製過程を加え(捕集、精製、クライオフォーカシング)、液体窒素で冷却した精製カラムII(ガラスビーズ)で目的成分のみを捕集し、捕集過程で十分に除去できない妨害成分(特にO2)を通過させて除いた。こうした操作により、妨害成分である大気主成分がほぼ除去することに成功したため、測定感度が上がり、測定試料量が従来の1/10程度に向上した。

 しかし、測定精度は多少の向上が見られたものの目的に十分な精度は得られなかった。そこで、他にもCF4の妨害成分となる大気成分が存在していないか確認したところ、KrがCF4とほぼ同じ保持時間に溶出していることが分かった。希ガスであるKrは不活性で極性も無く、CF4と近い物理的性質を持つ。そこで、逆にこのCF4と近い性質をもつKrを用いれば、CF4の測定値のばらつきを補正できるのではないかと考え、分析装置における両者の挙動を調べた。図2は同一試料を一週間繰り返し測定したときのCF4とKrのピーク面積および両者の比である。CF4とKrのピーク面積はばらつきが大きく日による感度変化も見られるのに対し、CF4/80Kr比は一定となっていることが分かった。この結果から、CF4のばらつきをKrによって規格化することで、大気中CF4の高精度な測定を実現することを試みた。Krには6つの安定同位体(78Kr(0.355%),80Kr(2.286%),82Kr(11.59%),83Kr(11.50%),84Kr(56.99%),86Kr(17.28%))があるが、測定には定量に適する80Krを使用した。一方、Krは大気中において発生源も消滅過程もなく、均一に存在し、同位体比の変動も経年変化もない。したがって、大気試料にはすべて同濃度のKrが含まれており、CF4の規格化のみならず、内部標準としても用いることが可能ではないかと考えた。

 検討の結果、大気中のKr を内部標準にする新しい定量法(CF4/Kr法)によって、高精度な大気中CF4の定量が可能となったが、以下に、そのCF4/Kr法の濃度算出式は次式のようになる。

CF4濃度=CF4/Kr比(大気試料)/CF4/Kr比(標準試料)×CF4/Kr比濃度法(標準試料)×大気中Kr濃度

 このCF4/Kr法の特徴は、測定値にCF4/Krの比を用いるため、標準試料中のCF4/Kr濃度比と大気中Kr濃度からCF4濃度を決定することである。したがって、標準試料の絶対濃度は必要がなく、高濃度で精度よく調製した標準試料を、適当に希釈するだけで信頼性の高い標準試料を調製できる。ただし、標準試料の調製において、一つだけ問題があった。それは、空気から分離して製造されるKr標準ガスにCF4が不純物として含まれていることである。Kr標準ガスからCF4を完全に取り除くことは困難であるため、別に不純物としてのCF4濃度を定量し、調製した標準試料中のCF4濃度を補正した。また、CF4/Kr法の定量には重量充填法により調製された標準試料を用いているが、不純物濃度の補正を加えると標準試料の精度は±1%程度になった。

 濃度決定に必要なもう一方の大気中Kr濃度には、当初、文献値を使用したが、CF4/Kr法で定量した値と、CF4標準試料と大気試料の濃度比から定量する従来法の値に数%の違いが生じた。この原因を詳細に調べた結果、大気中Kr濃度と同濃度に調製したKr標準試料と大気試料のKrピーク面積の値との間に数%の差が見られることや大気中Kr濃度の文献値の元々の出典が50年近く前のデータであることから、大気中Kr濃度の文献値に問題があるのではないかと考えた。そこで、CF4測定装置の測定条件を大気中Krの高精度測定用に設定し直して、新たに大気中Kr濃度の定量を行った。定量に用いたKr標準試料も重量充填法によって調製されたものである。その結果得られた大気中Kr濃度は、従来の値より約4%低い1.099±0.004ppmvであることが明らかになった。

 次に、このようにして開発したCF4/Kr法を用いて、研究室に保存してある1980年〜2003年の南北両半球の対流圏バックグラウンド大気試料約200試料と数種類(フライト)の成層圏大気試料の分析を行った。

 図3は対流圏大気試料のCF4の分析結果と最も新しいKhalilらの文献値(2003)を示したものである。対流圏におけるCF4濃度は、1980年以降、南北両半球とも増加しているが、年増加量は次第に小さくなっている。また、これまで、測定精度の問題から観測できなかった南北半球の濃度差も、本測定により、はっきりと測定されている。本観測値は、Khalilらの観測値に比べると、ばらつきが少なく、良い精度で測定されていることが明らかであるが、絶対濃度に数%の違いがある。しかし、Khalilらの絶対濃度には大きい誤差があるのことを自ら報告しているのに対し、本研究の絶対濃度は重量充填法により調製された標準試料から決定されており、従来法によってもその値を確認しているため、はるかに信頼性は高い。

 つぎに、詳細に得られた対流圏濃度から、1ボックスモデルを用いて、地表におけるCF4の年間放出量を計算した。大気中CF4は自然界からも放出されるが、その放出量は微量であるため、近年の濃度増加は人為起源からの放出によって起こっていると考えられる。観測値から求めたCF4の年間放出量は年々減少しているが、これは主な放出源であるアルミニウム精錬過程での放出の減少に基づくと考えられる。

 図4は1988、1994、2000年の三陸上空で採取された成層圏大気試料を分析した結果である。成層圏大気試料は宇宙科学研究所三陸大気球観測所(39oN,142oE)上空において大気球搭載クライオジェニックサンプラーによって採取されたものである。

 三陸上空の成層圏においてCF4混合比は、20km前後から23kmくらいまでに急激に減少し、その後35kmまでほぼ一定であった。一般に、熱帯地域で成層圏に侵入した対流圏大気は下層ほど速く高緯度へ輸送されると言われていることから、この23kmまでの混合比の急激な減少は輸送速度の違いから生じていると考えられる。さらに、成層圏では垂直方向の大気の混合が少ないため、成層圏に消滅過程のないCF4などの高度分布にはもとの対流圏濃度が反映される。そのため、その高度分布と対流圏濃度の経年変動を比較することにより、各高度の大気の古さ(Age)を計算することができる。CF4の観測値から求めたAgeは、圏界面から23km まで高度にともない急激に大きくなり、それ以上ではほぼ一定の値(約4年)を示した。

 さらに、このAgeを用いて、成層圏オゾン層破壊物質であり、対流圏濃度が増加しているハイドロクロロフルオロカーボン(HCFC-22、HCFC-142b)の成層圏における分解量を見積もった。Ageと対流圏濃度から、成層圏流入時の対流圏混合比を求め、その値と、同じ成層圏大気試料から得ているHCFC-22とHCFC-142bの高度分布を比較し、分解量を見積もった。その結果、成層圏においてHCFC-22およびHCFC-142bは対流圏濃度の約半分近くまで分解されていることが明らかになった。

 以上のように、本研究において、大気中CF4の高精度な測定が可能になり、成層圏大気循環のトレーサーとしても利用が可能になった。

図1.大気中CF4 濃度測定装置の概略図

図2.同一試料を一週間繰り返し測定した時のCF4、80Krのピーク面積とCF4/80Kr比

図3.対流圏大気中におけるCF4濃度の経年変動

図4.成層圏におけるCF4の高度分布

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は、全8章からなる。第一章は、イントロダクションとして、研究対象とした大気中CF4の発生源や近年の動向について記述してある。化学的にきわめて安定で、大気中において全く消滅過程がなく5万年ときわめて長い寿命を持つ四フッ化炭素(CF4)は、強力な地球温暖化ガスであり、アルミニウム製錬過程および半導体エッチングガスとしての使用によって、近年大気中濃度が増加しており、地球温暖化防止京都議定書(1997年)によって新たな規制対象物質に加えられた。しかし、その大気中濃度測定はきわめて困難であり、これまで精度の高い観測が行われていない。

 このため、第二章では、新たに装置を製作して、CF4の大気中濃度高精度測定法を開発した経緯と結果を記述している。測定の妨害となる大気主成分を除去した後、GC/MSに導入した。まず大気の主成分である窒素、酸素、アルゴンを十分に除去できる濃縮装置を開発し、測定試料量を1/10に削減することには成功した。他機関による測定結果よりは優れていたが、それでも、大気中の動向を調べるには測定精度が十分ではなかった。そこで、さらにCF4の測定の妨害成分となる大気中成分を調べたところ、クリプトン(Kr)がCF4にきわめて近い挙動を示し、GCカラムからほぼ同じ時間に溶出することが明らかになった。希ガスであるKrは不活性な性質を持ち、極性も無く、物理的性質がCF4に似ており、CF4と完全に分離することが非常に難しい。逆に、性質が類似したこのKrを利用してCF4測定の不安定さを補正することを試みた。

 同一試料を繰り返し測定してCF4とKr、およびCF4/Kr比の変動を詳細に調べると、CF4とKrのピークが不安定に変動してもCF4/Krのピーク比はほとんど変化せず一定の値を示した。また大気中においてKrにはその濃度を変動させる放出源および消滅過程が無いことから、全地球上で均一に分布し、かつ濃度変動も同位体比変動もないと考えられている。したがって試料中のCF4/Kr比と、CF4/Kr濃度比の明らかな標準試料のCF4/Kr比の測定から、大気中のCF4濃度が、以下のように正確に求められることを示した。

大気中CF4濃度=(大気試料のCF4/Krピーク比)/(標準試料のCF4/Krピーク比)×(標準試料のCF4/Kr濃度比)×(大気中Kr濃度)

この標準試料中のCF4とKrの濃度比は1%以下の誤差で調製されており、大気中Kr濃度の絶対値がCF4の定量の確度に大きな影響を及ぼす。

 当初、大気中Kr濃度として1.14ppmvの文献値を採用したが、従来法で求めたCF4の濃度値との間に数%の違いが見られた。この相違について詳細に検討した結果、50年前の古いデータが引用されているKr濃度の文献値が正しくない可能性が示唆された。

 したがって、第三章では、従来、見直しされることのなかった大気中のKr濃度を、大気分析装置を設定し直し、いくつかの標準試料を調製して、各種大気試料を分析した。その結果、大気中のKr濃度は、従来の文献値より4%程度低い1.099ppmvであることを示した。これは、各種のデータブックや便覧に広く引用されている古い文献値が全面的に改定される画期的なデータであり、その意義は大きい。

 第四章では、測定に使用した各種大気試料の採取方法について記してある。対流圏試料は、真空排気した容器に大気圧まで空気を導入するグラブサンプリング法で北海道および南極昭和基地で採取した。成層圏大気試料は、液体ヘリウムによって空気を固化するクライオジェニックサンプリング法によって日本三陸、スウェーデン・キルナ、南極昭和基地等で採取された。

 第五章では、過去20年以上にわたって巻出研究室で採取され保存されている対流圏大気試料を新たに開発したCF4/Kr比法を用いて分析し、南北両半球中における長期の大気中CF4濃度変動を高精度高確度で詳細に明らかにした。対流圏において南北両半球とも年々増加傾向にあるが、近年その増加傾向が20年前に比べ緩和していることが明らかになった。これまで精度の悪さから検出できなかった南北両半球の濃度差も初めて明らかにした。対流圏濃度変動から年間放出量を算出することも、これまでの測定精度では困難であったが、新たな方法で詳細な濃度変動が得られたことから、CF4の年間放出量を計算し、統計資料に基づいた推定放出量との比較も行った。CF4の年間放出量は年々減少傾向にあり、推定放出量ともよく一致することを明らかにした。

 第六章では、これまでに東北大学や宇宙科学研究所と共同で採取されて保存されている日本の三陸上空、スウェーデン・キルナ、南極昭和基地上空での成層圏大気試料の分析から、多くの化合物の高度分布および経年変化を得て、大気の循環および大気中成分の挙動について解析した。CF4は三陸上空において混合比が高度20-23kmで急激に減少し、それ以上の高度ではほとんど均一な混合比を示した。成層圏において消滅過程の無いCF4の高度分布は対流圏から成層圏への大気の輸送過程のみに支配されるため、このような混合比の減少は各高度における大気の輸送速度の差を示していると考えられる。成層圏におけるCF4の高度分布と対流圏濃度の経年変動の比較により、成層圏大気の各高度における滞留時間(Age)を求めた。成層圏滞留時間は、22kmまでで4年と長くなり、それ以上の高度ではあまり変動が見られなかった。この変動の少ない23-35kmの成層圏滞留時間を平均した値は4.3年となった。

 第七章では、前章で求められた成層圏における大気のAgeを利用して、成層圏オゾン層破壊物質であるハロカーボン類が大気中において分解される挙動を解析した。

 第八章は、研究全体の成果をまとめている。

 なお、本論文における新分析法は指導教官の示唆に基づくものであるが、装置の製作から測定および解析は、論文提出者が主体となって行ったものであり、論文提出者の寄与が十分である。

 したがって、博士(理学)の学位を授与できると認める。

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