学位論文要旨



No 119954
著者(漢字) 奥津,浩史
著者(英字)
著者(カナ) オクツ,ヒロシ
標題(和) レーザープラズマ中の多電子原子・イオンの電子構造
標題(洋) Electronic structure of multi-electron atoms and atomic ions in laser plasma
報告番号 119954
報告番号 甲19954
学位授与日 2005.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第4683号
研究科 理学系研究科
専攻 化学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 山内,薫
 東京大学 教授 岩澤,康裕
 東京大学 教授 濱口,宏夫
 東京大学 教授 太田,俊明
 東京大学 教授 柳下,明
内容要旨 要旨を表示する

I.序

 強レーザー光を固体表面やクラスターに集光することによって、レーザープラズマと呼ばれる高温(0.1〜1keV)かつ高密度(1022〜1025cm-3)のプラズマが生成することが知られている。近年、このようなレーザープラズマは、レーザー核融合を実現するための媒質として、あるいは、高強度のX線、電子線、イオン線源として注目を集めている。このような高温・高圧の特異なプラズマ環境下においては、荷電粒子間の強い相互作用によって、原子の電子構造は孤立原子の状態から大きく変化する。実際、近年、レーザープラズマ中の多価原子イオンからの発光スペクトルにおいて、遷移エネルギーが低エネルギー側に数eVシフトする現象が観測され、原子の電子状態がプラズマ環境下において大きな摂動を受けることが認識されるようになり、機構の解明が求められている。

 プラズマ中における原子の電子状態は、これまで、多体摂動論、SCF confined atomic model、あるいは、super-configuration methodを用いて計算が行われてきた。しかし、これらの方法は一電子近似に基づく方法であるため、複数の電子配置が寄与する、電子相関が大きな状態を記述することは困難である。本研究では、プラズマの効果を有効ポテンシャルとして多電子ハミルトニアンに取り入れることによって、電子相関を適切に取り入れた配置間相互作用(CI)法に基づく量子化学計算を可能にした。そして、このモデルを用いて、レーザープラズマ中における電子構造を明らかにすることを目指した。

II.プラズマ中の原子の電子状態計算:相対論的Debye遮蔽モデル本研究で用いたハミルトニアンを式(1)に示す。

H=-1/2{N 〓 i=1}▽2i-{N 〓 i=1}Z/ri exp(-μri)+N 〓 i.>j 1/rij exp(-μrij) (1)

Nは電子数、Zは核電荷を表す。式(1)においては、プラズマ中におけるクーロンポテンシャルの遮蔽の効果を表現するために、核-電子の引力ポテンシャルおよび電子間の反発ポテンシャルを、遮蔽されたクーロン型ポテンシャル(湯川ポテンシャル)によって置き換えている。μはDebye遮蔽定数と呼ばれ、プラズマの温度Teと密度neを用いて、

μ=√e2ne/εokTe (2)

と表される。すなわち、プラズマのパラメータであるTeとne、原子種を指定するZとNを与えることによって、プラズマ環境下における原子の電子状態を計算することができる。電子相関効果に加え、相対論効果を考慮するために、2次のDouglas-Kroll変換に基づく定式化を式(1)に導入することで新たに開発した「相対論的Debye遮蔽モデル」を用いて計算を行った。湯川型ポテンシャルに束縛された「非クーロン場中での電子分布」を適切に表現するために、ユニバーサル基底関数法に基づく自由度の高いガウス型基底関数系を用い、2電子系については完全CI法、3電子以上の系については多参照CI法を用いて計算を行った。

 上記のモデルを用いて、実測されているレーザープラズマ中におけるAr16+の(3p)1P-(1s)1S遷移の計算を行った。実験条件から見積もられるDebye遮蔽定数μとそれに対応する孤立原子の遷移エネルギーからのシフト量をプロットした結果、本モデルによる計算値が実測値の傾向をよく再現することが明らかとなった。すなわち、本モデルは、プラズマ中における電子状態の変化を適切に表現していることが示された。

III.中性原子の電子構造

 遮蔽定数μをパラメータとして、典型的なレーザープラズマの条件である0≦μ≦0.16の範囲において、He, Li, Beの準位エネルギーおよび振動子強度の計算を行った。図1に、Liの励起エネルギーをμの関数としてプロットした図を示す。図1が示すように、基底状態からの励起エネルギーは、全ての準位について減少すること、すなわち、発光スペクトルにおいて低エネルギー側へのシフト(red shift)が観測されることが示された。これは、核電荷の遮蔽によって電子分布が広がり、準位間隔が減少したためであると考えられる。また、μの増加とともに、高エネルギーの状態が次々とイオン化限界に収束し、束縛状態の数が減少していく現象が見られた。この結果は、レーザープラズマ中においては、リュードベリ状態からの発光スペクトルが観測されないという実験事実と符合する。HeおよびBeの場合にも同様の準位エネルギー構造の変化が起こることが示された。

 図2に、He,Li,Beのそれぞれの場合について、基底状態からの第一許容遷移、すなわち、Heの(1s)1S-(2p)1P遷移、Liの(2s)2S-(2p)2P 遷移、Beの(2s)1S-(2p)1P遷移の振動子強度の計算結果を示す。振動子強度は、遷移エネルギーと遷移モーメントの行列要素の自乗を用いて、

Tξ(b, a)=2(Eb-Ea)|<Ψb||N〓i=1ξi|Ψa>|2 (3)

と表される。ξ(ξ=x, y, z)は各電子の座標、Ψa, ΨbはCI波動関数を表す。図2が示すように、HeとBeの遷移の振動子強度はμの増加とともに減少するのに対し、Liの振動子強度は増加することが示された。振動子強度の遷移エネルギー部分は、全ての原子において共通に減少する傾向を持つため、振動子強度に見られるHe,BeとLiの相反する傾向は、式(3)の遷移モーメントの大きさのμ依存性によって説明される。

 この遷移モーメントのμ依存性を説明するために、μ=0.0, 0.10, 0.15の場合について、各電子状態の動径電子密度分布を図3に示した。まず、Heの場合には、(1s)1S基底状態の動径電子密度分布はμの増加に対してほとんど変化を示さないのに対し、(2p)1P励起状態では、動径電子密度分布はより広範囲のrに分布を持ち、μの増加とともに広がる傾向を示す。このため、Heの場合には、(1s)1S状態と(2p)1P状態の電子分布の重なりがμの増加とともに減少し、遷移モーメントは減少する傾向を持つ。

 一方、Liの場合には、(2s)2S基底状態と(2p)2P励起状態の最外殻電子はともに同じ主量子数を持つため、電子密度分布は大きな重なりを持つ。図3(c), (d)に示すように、これらの電子密度分布はμの増加とともに広がるため、式(3)の遷移モーメント部分の座標の期待値は大きくなり、遷移モーメントは増大する。この遷移モーメントの増加が励起エネルギーの減少よりも大きな寄与をするため、Liの場合は振動子強度が増加する。

 また、Beの場合は、Liと同様、(2s)1S基底状態と(2p)1P励起状態の最外殻電子は同じ主量子数を持つため、電子分布は大きな重なりを持つ。しかし図3(e), (f)に示すように、Beの電子分布はより大きな核電荷のために収縮し、μの増加に伴う分布の広がりがLiよりも小さい。このためBeの場合には、遷移モーメントが増加する割合が励起エネルギーの減少する割合より小さいために、振動子強度は減少する傾向を示すことになる。

 さらに、最外殻電子の主量子数の関与を調べるために、Li(2s)2S-(3p)2P遷移の振動子強度の計算を行ったところ、μの増加に伴い急激な減少が見られた。最外殻電子の主量子数の異なる状態間の遷移では同じ状態間の遷移に比べ振動子強度の減少傾向が強まることが示された。

IV.多価イオンの電子構造

 2電子系He様多価イオン(Z=2〜10)の第一許容遷移(2p)1P-(1s)1S及び3電子系Li様多価イオン(Z=3〜10)の第一許容遷移(2p)2P-(2s)2Sの励起エネルギーをμの関数としてプロットしたものをそれぞれ図4,図5に示す。μ依存性を見やすくするため各励起エネルギーはZ2でスケールされている。

 2電子系He様多価イオンの場合、μの増加に伴い励起エネルギーは全て減少傾向を示している。これは、核電荷の遮蔽に伴い、電子分布が広がり、準位間隔が減少するためと考えられる。また、3電子系Li様多価イオンの場合、μの増加に伴い、中性原子(Z=3)および一価イオン(Z=4)の励起エネルギーは減少を示すのに対し、Z〓5の多価イオンにおいては、増加する傾向が見出された。すなわちこの結果は、プラズマ中のLi様多価イオン原子からの発光スペクトルにおいてはblue shiftが観測され得ることを示している。

 このblue shiftを起こす原因は、次のように説明される。多価イオンにおいては、電子密度分布が核付近に収縮しているために、中性原子に見られるような、電子分布の広がりに伴う準位間隔の減少は小さい。一方、最外殻電子である2p電子と2s電子では、式(1)の湯川ポテンシャルによって表される核電荷の遮蔽効果の影響が異なる。すなわち、2s電子は原子核付近に分布を持つために遮蔽効果を受けにくいのに対し、核の位置に節がある2p電子は遮蔽効果を受けやすい。そのために、2sと2p状態の準位間隔が、μの増加と伴に増加すると考えられる。

 さらに、4電子系Be様多価イオンの(2p)1P-(2s)1S遷移についても計算を進めた結果、3電子系の場合と同様にZの増加に伴いred shift からblue shiftへ変化する傾向があることが示された。このことは、プラズマ中のN3+がred shiftを示し、O4+がblue shiftを示すという近年の観測結果と関連するものと考えられる。

 本研究で導入された相対論的Debye遮蔽モデルによって、電子相関および相対論効果を取り入れたレーザープラズマ中の原子・原子イオンの電子状態計算が初めて可能となった。

図1.Liの励起エネルギー

図2.He,Li,Beの第一許容遷移の振動子強度

図3.He,Li,Beの動径電子密度分布

図4.He様多価イオンの(2p)2P-(1s)1S遷移の励起エネルギー

図5.Li様多価イオンの(2p)2P-(2s)2S遷移の励起エネルギー

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は4章からなる。第1章は、イントロダクションであり、以下の3つの観点から本研究の意義及び過去の研究の展開について概説している。第一に、強レーザー光の出現により、レーザープラズマと呼ばれる高温かつ高密度のプラズマが生成可能となり、その特異な環境下に存在する原子、イオンの量子構造が新たな研究対象として捉えられるようになってきたという経緯を述べている。第二に、本研究の問題提起のきっかけとなった原子、イオンのスペクトルシフトの観測実験について、過去に行われた研究の歴史を紹介している。そして、最後に、理論の側面として、プラズマ中の原子に関する理論計算の手法がいかに発展してきたか、主な手法を紹介しつつ、本モデルの概要と妥当性について述べている。

 第2章は、レーザープラズマ中における多電子原子の電子構造を、電子相関を考慮した量子化学計算により解明した点について述べている。まず、デバイ遮蔽モデルを導入し、有効ポテンシャルとして遮蔽されたクーロンポテンシャルを用い、ハミルトニアンを構築している。さらに、ユニバーサル基底関数法に基づく自由度の高い基底関数系の構築を新規に行っている。He,Li原子についてのエネルギー構造の計算を行い、イオン化エネルギーの低下によるリュ-ドベリ状態の消失、励起状態のエネルギーの低下などの実験事実が良く説明できることを指摘している。次に、振動子強度の計算を行い、He原子の第一許容遷移とLi原子の第二許容遷移については遮蔽により振動子強度が減少するのに対し、Li原子の第一許容遷移では増加する傾向を示すこと、および、その原因を動径密度分布の変化から理解することができるという点を述べている。

 以上、非クーロン場において、多参照配置間相互作用法による計算を行い、一般の3電子系原子以上まで拡張可能な方法論を開発したことが紹介されている。

 第3章では、前章で構築した「デバイ遮蔽モデル」を多価イオンにまで広く適用するため、相対論効果を考慮したモデルの構築を行っている。その結果、Al12+のLyα(1s)1S-(2p)1P遷移、およびAr16+のHeβ(1s)1S-(3p)1P遷移の遷移エネルギーについて、実験で観測されているスペクトルシフトを定量的に説明できることを示している。

 以上、レーザープラズマ中の多価イオンについて、プラズマ環境のような非クーロン場で記述されるポテンシャル中で、相対論効果と電子相関を考慮した量子化学計算を行い、実験事実を定量的に説明することに成功している。

 第4章は本論文全体のまとめであり、電子相関を厳密に取り扱った計算の結果、実測のスペクトルシフトを説明できる点から、スペクトルシフトという現象の本質が遮蔽効果にあるという点を主張している。また、当該研究の今後の展望について述べている。

 なお、本論文第2章,第3章は、佐甲徳栄・山内 薫との共同研究であるが、論文提出者が主体となって解析及び考察等の研究を推進したものであり、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

 したがって、博士(理学)の学位を授与できると認める。

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