学位論文要旨



No 119956
著者(漢字) 本郷,やよい
著者(英字)
著者(カナ) ホンゴウ,ヤヨイ
標題(和) 太平洋の希土類元素に関する地球化学的研究
標題(洋) Geochemical studies of Rare Earth Elements in the Pacific
報告番号 119956
報告番号 甲19956
学位授与日 2005.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第4685号
研究科 理学系研究科
専攻 化学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 蒲生,俊敬
 東京大学 教授 梅澤,喜夫
 東京大学 教授 野津,憲治
 東京大学 助教授 中井,俊一
 東京農工大学 教授 赤木,右
内容要旨 要旨を表示する

 本研究はランタニド系列元素にイットリウムを加えた希土類元素(Rare Earth Elements;以下REE)希土類元素の分布を太平洋全体において詳細に調べ、その結果について海洋地球化学的考察を行ったものである。これは誘導結合プラズマ質量分析法(ICP-MS)を用いた全REEの高精度分析と、白鳳丸KH-99-3次(1999年6-7月)、KH-00-3次(2000年5-8月)、KH-01-3次(2001年11月-2002年3月)、KH-03-1次(2003年6-8月)、KH-04-3次(2004年6-8月)の5つの研究航海における太平洋の広範囲なデータ集積により初めて可能となった研究である。

 1.北太平洋表層の希土類元素濃度分布とその支配要因に関する研究、2.太平洋全体の表層の希土類元素濃度分布とその支配要因に関する研究、3.太平洋における水塊の鉛直構造と希土類元素のトレーサーとしての利用に関する研究について議論をした。また分析については選択性吸着樹脂を用いた希土類元素のフロー抽出法の開発について述べている。この抽出法を用いて、4.高濃度の塩類を含む沖縄トラフの熱水性沈殿物、シロウリガイ殻の希土類元素濃度と組成を明らかにし、熱水系の希土類元素挙動に関する考察も行っている。

 太平洋海水試料の希土類元素の分析法はZhang and Nozaki (1996)、Alibo and Nozaki(1999)を適用し、pH1.7に調整した1Lの海水試料から、リン酸エステルを用いた溶媒抽出法により希土類元素を500-800倍濃縮、脱塩した後、ICP-MSで定量した。抽出操作の元素回収率はIn内標準について95%以上である。また、測定ブランク値、定量下限、繰り返し精度は、例えばNdについてはそれぞれ0.14p mol/kg、0.07p mol/kg、0.88%であった。本研究では2pmol/kgという外洋表層海水のNd濃度としてはこれまでの報告例中で最も低い測定値を得たが、Ndの分析精度、定量下限等はこの結果に十分な信頼性を与えている。また、Ndを含むすべてのREEについて、海水の濃度分析値としては過去の報告例のなかでは最も精度が高い結果であるといえる。

 本研究の議論の主要な内容を紹介する。まず、太平洋表層のREE濃度分布は北太平洋高緯度域、南太平洋高緯度域および沿岸域で高く、北太平洋亜熱帯から赤道域、南半球中緯度から赤道域にかけて低くなる傾向がCe以外のREEに共通して見られることを明らかにした。Ndの場合、図1に示すように表層濃度は高濃度域>10pmol/kgから低濃度域<5pmol/kgまで変動した。このREE表層濃度分布を支配する要因について議論した。主な支配要因として考えられるA:沈降粒子による吸着除去(scavenging)、B:大気由来の鉱物粒子の供給、C:沿岸域からの水平供給、D:鉛直混合による下層からの供給のうち、いずれが最も重要であるかを比較、検討した。

 要因Aについて、生物生産は亜寒帯と沿岸部で高く太平洋中央部では低いことから、粒子除去が分布を支配する場合、REEの表層濃度は亜寒帯と沿岸部で低く、中央部で高くなるはずである。しかし、観測された表層濃度分布はこれと逆の傾向を示したことから、要因Aの重要性は低いと考えられた。要因Bについて、最も表層濃度が高い北太平洋西部亜寒帯域におけるNdダスト供給フラックスを最大38nmolNd/m2/yrと見積もった(Uematsu et al.(2003)の結果に基づく)。これは要因Dにあたる下層からのNd鉛直供給フラックス91-665nmol Nd/m2/yr(Martin et al.(1986)の方法に基づく)に比べ半分以下である。西部亜寒帯同様、表層REE濃度の高い東部亜寒帯表層水(EPSUW)と東部北太平洋中央水(ENPCW)の沿岸付近では、REEの表層濃度の変化が沿岸に起源を持つMnと類似することから、要因C(水平供給)の影響が強いと考えられた。よって、西部亜寒帯域の高い表層濃度は、要因Cと要因Dによる支配を強く受けていると考えられる。また、南太平洋高緯度域、赤道付近ペルー沖の高い濃度は要因Dの影響を反映していると考えられ、REEの表層濃度分布は栄養塩に似た下層からの鉛直供給を反映し、かつ沿岸域では沿岸からの供給の影響を受けて濃度が高くなることを明らかにした。

 また、表層水の重希土類元素(Yb/Lu、Er/Lu)の比は水塊ごとに特徴があり、緯度に対する系統的な変化を示すことがわかった。Er/Lu 比-Yb/Lu比ダイアグラムを用いて起源となる物質と表面海水の元素組成の比較を行った(図2)。その結果、濃度の低い赤道周辺および低緯度域では、両比が高く、高緯度域では両比が低い元素の組成となった。低い比の値は鉛直混合により供給される深層海水と近く、一方、高い比の値はパプアニューギニア周辺のリン酸塩風化物(Hannigan and Sholkovitz(2001))の値に近い。これは元素の濃度が低かった赤道周辺低緯度域でも沿岸域からの水平供給が元素の主な供給源であることを示唆する。以上のことから、太平洋全体として表層濃度分布は鉛直混合による下層からの供給を反映し、高緯度域で濃度が高く、低緯度域で濃度が低い傾向を示し、沿岸付近では沿岸供給によって濃度上昇が起きていると結論付けられた。さらに、濃度の低い赤道〜亜熱帯域の表層海水は水平供給により輸送された希土類元素の組成を反映しているといえる。

 次に、南太平洋に位置する、南緯54度から赤道まで4つの観測点について、南太平洋における主要な水塊、南極底層水(AABW)、南極中層水(AAIW)の広がりを希土類元素トレーサーを用いて追跡できるかどうかを検討した。

 まず、T-Sダイアグラムを用いて、最も高緯度にある観測点SO-18についてAABW、AAIWの影響を最もよく捉えた深度を特定した。その深度付近の希土類元素分析値より、水塊の端成分となるAABW、AAIWそれぞれの希土類元組成を定義した。また、SO-18にはAABW、AAIW以外にも下層周極底層水(LCDW)の存在が確認された。それぞれの希土類元素組成は希土類元素パターンで表わされた(図3)。

 水塊端成分の南太平洋への広がりをみるために、元素比Ho/Er比をトレーサーとして用いた。Ho、Erとも粒子除去を受けにくい重希土類元素であることと、鉛直的な比の変動幅が誤差に比べて十分大きいことから、この比を採用した。Hoとイオン半径が最も近いYに対するHo/Er比のダイアグラムから、南太平洋のSO-5 (20oS)、SO-10 (47oS) の中深層水が水塊端成分AABW、AAIWの混合によって生じることを確認した (図4 a)。つまり、20oSまではAABW、AAIWの広がりと混合が水塊構造を支配していることを確認した。また、SO-18 (54oS)はAABWとAAIWのみの混合では水塊の元素組成が説明できない。そこで下層周極底層水(LCDW)を加え3成分混合を適用すると、元素比を再現することが可能となった (図4b)。

 本研究では、太平洋の希土類元素組成が水塊により固有であること、水塊の輸送過程で元素組成が保存されることなどを初めて明らかにし、南太平洋の広い範囲に渡って、希土類元素が水塊のトレーサーとして有効であることを示した。

図1 太平洋表層のNd濃度分布

図2 Yb/Lu - Er/Luダイアグラム

図3 SO-18NPDWパターンと水塊端成分

図4 a SO-5、SO-10の元素組成と端成分混合曲線

図4 b SO-18の元素組成と端成分混合曲線

審査要旨 要旨を表示する

 本研究は,海水中の希土類元素(Rare Earth Elements,以下REEsと略す)の高感度分析法の完成度を高めるとともに,様々な海域での試料採取と化学分析を精力的に実施し,REEs濃度分布を詳細に明らかにして,それらの分布を支配する要因について地球化学的な考察を行っている。太平洋のほぼ全域にわたる広範な海域において高精度REEsデータを取得したのは世界で初めてのことであり,グローバルな視点からなされた詳細な地球化学的考察は過去に例のないものである。

 本論文の主体は4章からなる(引用文献や謝辞の章を除く)。第1章はイントロダクションで,本研究で着目したREEsの地球化学的特徴,特に海洋におけるREEs研究の意義とこれまでの研究例についてまとめ,本研究の新規性・重要性・独創性などについて記載されている。第2章は本研究で用いられた分析化学的手法,すなわち海水試料のサンプリング,船上での前処理,および陸上研究室におけるICP-MSを用いたREEs分析の方法と分析精度について記載されている。従来行われてきた分析手法を単に踏襲しただけでなく,選択吸着樹脂を用いた海水中のREEs濃縮法について新たに検討を加えることで,分析手法の完成度を高めている。第3章は、本研究で得られた結果とその考察の部分で,本論文の中核に相当する。以下の4つのテーマ(1.北太平洋表層のREEs濃度分布とその支配要因,2.太平洋全域にわたる表層REEs濃度分布とその支配要因,3.太平洋における水塊の鉛直構造と水塊トレーサーとしてREEsの活用,および4.固相抽出法を用いた沖縄トラフ熱水沈殿物とシロウリガイ殻中のREEs)について,それぞれ独立した議論が展開されている。また第4章は,本論文全体の結論である。

 第3章では,太平洋におけるREEsの挙動について,大きく二つの視点から考察を進めている。一つはREEsの水平分布という視点,もう一つは,鉛直分布(表層から海底直上まで)という視点である。前者に関しては,太平洋表層のREEs濃度が,高緯度域および沿岸部で高く,低緯度域では低いことを初めて明らかにした。このことから,1)沿岸からのREEs供給が太平洋表層水のREEs濃度分布を支配していること,および2)沿岸供給の影響が少ない外洋域に見られる緯度帯による濃度差は,鉛直混合(湧昇)による下層からのREEs供給が海域によって異なる,という二つの重要な結論を得ている。さらに論文提出者は,重希土類元素比を利用して,3)上記のような表層へのREEs供給は局所的現象であること,を立証している。これら表層水に関する3つの結論は,海洋学的に重要かつ独創性の高いもので,今後の海洋研究に大きなインパクトを与えるものと考えられる。

 第3章におけるもう一つの視点,すなわちREEsの鉛直分布に注目することからも,論文申請者は多くの重要な結論を得ている。例えば,太平洋赤道海域において,海水の水温,塩分,溶存酸素など通常のトレーサーでは判別できなかった南極中層水(南極海由来の水塊の一つ)の影響を捉えることに成功した。また南太平洋の南緯47度および20度における鉛直水塊構造が,南極底層水と南極中層水との混合によって支配されていることをREEsの濃度とパターンを用いて説明することに成功した。このように水塊トレーサーとしてのREEsの有効性を太平洋において実証したのは本研究が初めてであり,今後他の化学トレーサーとも組み合わせることによって,グローバルな海洋循環解明の有力手段として活用されることが期待される。

 本論文第3章は,野崎義行,ディア・ソット・アリボ,小畑元との共同研究であるが,論文提出者が主体となって分析及び考察を行ったもので,論文提出者の寄与が十分であると判断する。

 以上のように,本論文提出者は海洋のREEs分布のもつ有効性に注目し,長期にわたる研究航海を通じて獲得した多くのデータから斬新な地球化学的結論を引き出したことは,きわめて高く評価される。本研究は,海洋の物質循環の解明を格段に進展させるのみならず,地球環境の総合的理解と将来予測にとっても大きく貢献するものである。したがって,博士(理学)の学位を授与でき

ると認める。

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