学位論文要旨



No 119965
著者(漢字) 佐々,匡昭
著者(英字)
著者(カナ) ササ,マサアキ
標題(和) 中性ジチオラト遷移金属錯体を用いた単一成分分子性伝導体の合成、構造および物性
標題(洋) Syntheses,Structures and Physical Properties of Single-component Molecular Conductors based on Transition Metal Dithiolato Complexes
報告番号 119965
報告番号 甲19965
学位授与日 2005.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第4694号
研究科 理学系研究科
専攻 化学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 小林,昭子
 東京大学 教授 西原,寛
 東京大学 教授 塩谷,光彦
 東京大学 助教授 田島,裕之
 東京大学 助教授 森,初果
内容要旨 要旨を表示する

(1)序論

 一般に分子は電子構造的に閉じた孤立性の強い系であり、naphthaleneやanthraceneのような単一成分からできた分子性結晶は典型的な絶縁体である。しかしながら、近年、中性遷移金属錯体[Ni(tmdt)2](tmdt=trimethylene tetrathiafulvalenedithiolate)が極低温まで安定な三次元単一成分分子金属であることが報告された。さらにde Haas van Alphen効果の観測により[Ni(tmdt)2]はFermi面をもつ金属であることも証明された。また、伝導性と磁性を共存させる為に磁性金属原子を導入した中性錯体の研究も盛んである。例えば金属性を持ち高温で反強磁性相転移をする[Au(tmdt)2]や高伝導性で常磁性を示す[Cu(dmdt)2](dmdt=dimethyltetrathiafulvalenedithiolate)は非常に興味深い系である。このように、単一成分系の分子性伝導体の開発は新規物質開発において、重要な物質群である。

 本研究では、新しい単一成分分子性伝導体を開発する試みとして、[M(hfdt)2][hfdt=bis(trifluoromethyl)tetrathiafulvalenedithiolate,M=Ni,Au]について、合成、結晶構造解析、電気抵抗、磁化率の測定を行なった。またバンド計算から、電子構造および物性について考察を行なった。さらに[Ni(tsfdt)2](tsfdt=tetraselena fulvalenedithiolate)および[Ni(mpdt)2](mpdt=methypyrrotetrathiafulvalenedithiolate)を新たに合成しそれらの伝導性と磁性を調べた。

(2)トリフルオロメチル基を有する中性ジチオラト錯体[M(hfdt)2](M=Ni,Au)の合成、構造、物性

 単一成分分子性伝導体の開発研究では、良質で大きな単結晶を得る事が極めて重要である。結晶構造なしに物性を理解する事は困難であり、新たな結晶構造の知見を得る事は、新規物質開発の第一歩である。中心金属に関しては、Niの2価およびAuの3価はどちらもd8電子状態であり、ジチオラト遷移金属錯体において、中性ニッケルおよび金錯体を得る為には電解酸化によりNi錯体は2電子酸化、Au錯体は1電子酸化をうける必要がある。つまり中性状態の金錯体には対を作らない奇数電子が存在し、興味深い物性が期待される。トリフルオロメチル基の導入により電解酸化前駆体である(nBu4N)2[Ni(hfdt)2]の溶解性が向上し、その結果、良質な中性錯体単結晶の作成が可能となった。[Ni(hfdt)2]および[Au(hfdt)2]の結晶構造は、どちらもそれぞれの分子が積層した構造であるが、TTF末端に導入したトリフルオロメチル基によって、分断された積層構造となっていた。また[Au(hfdt)2]は一分子周期の積層構造をもつ[Ni(hfdt)2]とは異なり、分子が二量化した積層構造をもつ。[Ni(hfdt)2]については単結晶試料を用い、[Au(hfdt)2]については加圧成型試料を用い電気抵抗の温度依存性を測定した。[Ni(hfdt)2]および[Au(hfdt)2]の室温電気伝導度、活性化エネルギーはそれぞれ1.6x10-3S・cm-1Ea=0.14eVそして3.2x10-3S・cm-1Ea=0.12eVで、どちらも半導体的挙動を示した。加圧成型試料の測定にもかかわらず、[Au(hfdt)2]は[Ni(hfdt)2]単結晶と同程度の室温電気伝導度を示した。[Au(hfdt)2]では[Ni(hfdt)2]に比べ多数の分子間S…S接触が存在しているので、単結晶試料の測定ならば[Au(hfdt)2]は[Ni(hfdt)2]よりもさらに高い伝導性が期待される。SQUIDを用いた静磁化率の測定結果からは、どちらの錯体も非磁性であることがわかった。特に[Au(hfdt)2]の非磁性は二量化したことで、お互いの電子スピンが打ち消し合った結果であると考えられる。また[Ni(hfdt)2]については第一原理バンド計算により求めたHOMOバンドとLUMOバンドを用いた部分電荷密度図を作成した。得られた電荷密度分布図はトリフルオロメチル基の部分で電荷密度が低くなっており、結晶構造で述べた分断された積層構造となっている。このことは、[Ni(hfdt)2]の電子構造が二次元的である事を示唆している。本研究により結晶中の分子配列により電気伝導性の次元性を制御する系を構築する事ができた。

(3)TSF骨格を有するジチオラト錯体(Me4N)n[Ni(hfdt)2](n=0,1)の合成、構造、物性

 分子性伝導体の開発における分子設計において、分子間での相互作用はその物性と大きく関係している。特に電気伝導性の場合、分子間での相互作用が大きくなるという事は、より大きなフェルミ面が得られ、従ってより高い伝導性が期待される。これまでの研究から、硫黄原子より原子半径の大きなセレン原子を分子内に導入した分子は伝導性錯体を作る上で、結晶中で分子間の横方向の相互作用が強化され、一次元金属で起るパイエル転移も抑制され、金属状態の安定化や多次元的な電子構造の構築などに有用であることが明らかにされている。そこで本研究では、TSF(tetraselenafulvarene)骨格を有する(nBu4N)[Ni(tsfdt)2]および中性錯体[Ni(tsfdt)2]の合成を行った。(nBu4N)[Ni(tsfdt)2]の単結晶中には、単位格子中には結晶学的に独立な[Ni(tsfdt)2]-が3つとnBu4N+が3つ存在していた。それぞれの錯体は個々にnBu4N+を挟みながらサンドイッチ状にa軸方向に積み重なっていた。錯体横方向には多数のカルコゲン接触が確認できた。積み重なる方向には、嵩高なnBu4N+が存在するため短いカルコゲン接触は存在しなかった。中性錯体[Ni(tsfdt)2]の結晶構造は、大型放射光施設SPring-8での粉末X線回折実験で得られた回折パターンから、構造が既知の硫黄類縁体である[Ni(dt)2](dt=tetrathiafulvalenedithiolate)とは同形でない事がわかった。中性錯体[Ni(tsfdt)2](粉末試料)の静磁化率の温度依存性をSQUIDを用いて10kOeの磁場下で、300Kから2Kまで測定した。パスカル定数を用いて算出した反磁性項(-3.2x10-4emu・mol-1)を使って補正を行い、低温部の磁化率の増加を常磁性不純物(S=1/2として,3%)として差し引いた。反磁性成分補正後の静磁化率は室温で3.8x10-4emu・mol-1であり、測定最低温部までその磁化率挙動に温度依存性はほとんどみられなかった。中性錯体[Ni(tsfdt)2]の加圧成型試料の電気抵抗の温度依存性を、四端子法により室温から4.2Kまで測定した。電気抵抗は40K付近までなだらかに増加(Ea=13meV)し、室温電気伝導度は38Scm-1であった。これらの結果より[Ni(tsfdt)2]は本質的に金属であると考えられる。室温での伝導度は通常の中性錯体に比べてかなり高いことからセレン原子の導入により金属性の高い中性錯体が得られたと考えている。

(4)メチルピロール環を有するテトラチアフルバレンジチオラト配位子の合成

 TTF骨格にピロール環が縮合した配位子、mpdtを合成した。この配位子は、π共役系がTTF骨格の外側にさらに拡張されており、分子間のオンサイトクーロン反発が小さくなることから良伝導性の中性錯体が得られる事が期待できる。メチルピロール環を有するニッケル錯体の合成を行ない同定した。またピロール環の窒素原子からアルキル鎖を長くする事による分子修飾もでき、末端のアルキル鎖を制御する事により、溶解性の中性金属錯体が得られる可能性がある。

(5)まとめ

 本研究では、中性ジチオラト金属錯体からなる種々の単一成分分子性伝導体を合成し、それらの構造と伝導性および磁性を調べた。[Ni(hfdt)2]および[Au(hfdt)2]は、末端のトリフルオロメチル基により積層構造が分断する新しい分子配列をもつ単一成分分子性伝導体であった。hfdt基を有するジチオラト錯体では、単結晶だけでなく、蒸着フィルムの作成も期待される。[Ni(tsfdt)2]は、TSF骨格を導入した配位子を有する初めての単一成分分子性伝導体であり、本質的には金属であると考えられる。分子配列の制御やカルコゲン原子の置換による伝導性の向上は、今後の新規物性を示す分子の開発の為の指針となるものである。

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は5章からなる。第1章は序論であり、これまでの分子性伝導体、特に金属錯体伝導体の研究の歴史と、本論文の概要について記載している。一般に分子は電子的に閉じた孤立性の強い系であり、単一成分からできた分子性結晶は典型的な絶縁体である。序論ではドナー分子が主体となった分子性伝導体の紹介から、分子性伝導体の伝導機構について、フロンティアー分子軌道HOMO、LUMOに基づく考察を行って、単一成分分子性伝導体の分子設計を導く経緯について解説している。また最初の中性単一分子性金属[Ni(tmdt)2](tmdt=trimethyleneterathiafulvalenedithiolate)に始まり、最近注目されている金錯体までを紹介し、本研究の位置づけを行っている。

 第2章では、極性の大きな置換基を末端に導入することで、錯体分子の溶解性の向上による良質結晶作成をねらい、トリフルオロメチル基をTTF(tetrathiafulvalene)骨格に導入した中性ジチオラト金属錯体[M(hfdt)2](hfdt=bis(trifluoromethyl)tetrathiafulvalenedithiolate,M=Ni,Au)の合成を行いそれらの磁気測定および電気伝導度測定を行っている。当初の期待どおり、電解前駆体の溶解性が向上し良質の結晶を得ることができた。[M(hfdt)2](M=Ni,Au)の結晶構造は、どちらもそれぞれ分子が積層した構造を形成するが、TTF末端に導入したトリフルオロメチル基によって、積層構造は分断される。第一原理バンド計算より求めたHOMOバンドとLUMOバンドを用いた部分電荷密度分布図を作成したところ、トリフルオロメチル基の部分で電荷密度が極めて低くなっており、結晶構造で述べたように、分断された積層構造の形成がフッ素原子を分子末端に持つ系の特徴であることを示している。加圧成形試料を用いた[Au(hfdt)2]の伝導度は二量化した積層構造にもかかわらず[Ni(hfdt)2]単結晶と同程度の室温電気伝導度を示した。静磁化率の測定から、どちらも非磁性であることがわかった。本研究により、TTF末端に導入したトリフルオロメチル基は、積層構造を分断することがわかったので、結晶中での分子配列をトリフルオロメチル基により制御し、電気伝導性の次元性を制御することが可能であることが明らかとなった。

 第3章では、結晶中での分子間の相互作用の強化をねらい、セレン原子をイオウ原子の代わりに配位子に一部導入した、TSF(tetraselenafulvalene)骨格を有する初めての遷移金属錯体の合成に成功したことを述べている。("Bu4N)[Ni(tsfdt)2]の構造を単結晶X線構造解析により明らかにした。[Ni(tsfdt)2](tsfdt=tetraselenafulvalenedithiolate)の結晶構造が既知の[Ni(dt)2]の構造とは放射光を用いた粉末X線回折より同型でないことを明らかにした。伝導度は室温で38Scm-1と中性錯体としてはかなり高く、活性化エネルギーは35meVである。セレン原子の導入により伝導度の向上がみられている。磁化率は3.8×10-4emu mol-1で低温まで金属常磁性的な振る舞いがみられた。

 第4章では、南オデンセ大学のJan Becher教授と共同でTTF骨格にメチルピロール環を縮合させたmpdt(mpdt=methylpyrroletetrathiafulvalenedithiolate)配位子の合成を行い、金属錯体の合成を検討している。この配位子は、非常に平面性が高い分子であり、中性錯体は結晶中で、密な充填構造をとりやすいと考えられる。TTF骨格の外側のピロール環はπ共役系を広げる。更に分子の末端のアルキル鎖の長さを制御することにより、膜を構築することも期待できることが述べられている。

 第5章は本論文の総括である。[M(hfdt)2](M=Ni,Au)は末端のトリフルオロメチル基により積層構造が分断された新しい分子配列を持つ単一分子性伝導体であり、hfdt基を有するジチオラト錯体では、単結晶だけでなく、蒸着フィルムの作成も期待されることが述べられている。

 本論文で述べられた分子配列の制御やカルコゲン原子の置換による伝導性の向上は、今後の新規物性を示す単一分子性伝導体開発のための、指針となるものと考えられる。従って本研究の分子物質開発研究への寄与は顕著であると考える。

 なお、本論文は小林昭子、藤原絵美子、小林速男、岡野芳則、藤原秀紀、石橋章司、寺倉清之等と共同研究であるが、論文提出者が主体となって実験、解析、考察を行ったものであり、論文提出者の寄与が十分であると判断する。従って、博士(理学)の学位を授できると認める。

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