学位論文要旨



No 119967
著者(漢字) 志田,健
著者(英字)
著者(カナ) シダ,タケシ
標題(和) 有機合成モデルのNMR解析および分子力場計算による海産ポリ環状エーテルの立体構造解析
標題(洋) Stereostructural Studies on Marine Polycyclic Ethers by NMR Analyses of Synthetic Models and Force Field Calculations
報告番号 119967
報告番号 甲19967
学位授与日 2005.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第4696号
研究科 理学系研究科
専攻 化学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 橘,和夫
 東京大学 教授 奈良坂,紘一
 東京大学 教授 川島,隆幸
 東京大学 助教授 岩田,耕一
 東京大学 助教授 磯部,寛之
 東京大学 教授 松永,茂樹
内容要旨 要旨を表示する

 ブレベトキシンやシガトキシンに代表される海産ポリ環状エーテルは、特異な分子構造と極めて強力な生理活性を有することから注目を集めている。これらの分子構造中に見られる中員環エーテルは、比較的フレキシブルな立体配座から生理活性発現に重要な働きをしていると推論されている。そこで本申請者は、こめような海産ポリ環状エーテルの分子レベルでの活性発現機構の解明とこれらをモチーフとした生体機能分子の合理的設計を目的に、天然物そのものでは困難な中員環エーテル部分の詳細な立体構造解析を有機合成したモデル化合物のNMR解析と分子力場計算の併用により行った。

ブレベトキシンBの(G)HI環部モデル

 部分構造モデルによる天然物の立体構造解析は、化合物の鎖状部分の相対立体配置決定に適用されてきた。本研究では、この方法論が中員環を含む縮環系でも適用可能かを検証するために、まずブレベトキシンBの(G)HI環部モデル1aを合成した。1aのNMRを測定したところ、H環上の1Hおよび13Cの化学シフト値が天然物当該部分のそれを再現した。このことは当モデル化合物が天然物当該部分と同じ空間的・電子的環境にあること、すなわちこの中員環が同じ立体配座をとっていることを示しており、こうした部分構造モデルを用いた天然物の詳細な立体配座解析が可能であると判断した。また、1aのジアステレオマー1bは天然物とは有意に異なるNMR化学シフト値を示し、本法による天然物の立体配置決定も可能であると考えられた。

Brevetoxin B

イエッソトキシンの(F)GH環部モデル

 さらに部分構造モデルの有用性を検証するため、イエッソトキシンの(F)GH環部モデル2aとそのC26位エピマー2bを合成し、このうち天然物に提唱された立体配置を有する2aのみが天然物当該部分とよく一致したNMR化学シフト値を与えた。これにより、イエッソトキシンC26位の立体配置が確認されたとともに、本法の有用性が改めて示された。

Yessotoxin

ブレベトキシンAの(F')GH環部モデルおよびFGH環部モデル

Brevetoxin

 1aと同様に合成したブレベトキシンAの(F')GH環部モデル3では、室温(20℃)で13CNMRシグナルの広幅化が観測された。これは8員環エーテルの遅い配座交換によるものと考え、測定温度を-90℃に下げたところ、2つの配座に由来する2組のシグナルが観測された。広幅化した20℃での化学シフト値はこの両者の加重平均であることより、2つの立体配座の存在比は20℃で83:17と算出でき、これはエネルギー差(△G)3.9kJ/molに相当する。

 さらに温度可変NMRにより、C28シグナルのコアレセス温度(Tc)-20℃が得られ、その温度での配座交換速度が約3000s-1、すなわち活性化エネルギー約45kJ/molが見積もられた。

 次に各種力場(MM2*、MM3*、AMBER*、OPLS*、MMFF)を用いた計算での配座探索により、両立体配座の3次元構造解析を行った。その結果、8員環エーテル部分の安定配座として50kJ/mol以内にcrownおよびboat-chairの2つの立体配座が見出された。これら立体配座の水素間スピン結合定数の予測値と、加重平均化された実測値との比較は、主要配座はcrownであり、準安定配座はboat-chairであることを支持していた。

 一方、上記の計算結果ではいずれの力場を用いてもboat-chairがcrownよりも2.0〜12.0kJ/mol安定であり、分子力場計算のみによる立体配座解析の限界を示している。

 また、同様にして合成した(F')GH環部モデルのデスメチル体5の室温での13CNMRシグナルの広幅化は観測されず、crownが主要配座であった。この違いから3の核間メチル基はcrown配座の不安定化に寄与していると考えられる。

 ところで、3は天然物当該部分のNMR化学シフト値を再現せず、このモデルの立体配座が天然物当該部分のそれと異なることを示していた。ここで、天然物の13C化学シフト値が準安定配座のものにより近いことから天然物当該部分の主要立体配座はboat-chairであると推定した。このことを検証するために、化学構造を天然物当該部分により近づけたFGH環部モデル4を合成した。その結果4は天然物当該部分の1Hおよび13CNMR化学シフト値をよく再現し、水素間スピン結合定数を用いた立体配座解析の結果、先の予測通り当該部分はboat-chairが主要配座であった。これにより、縮環先の環サイズが隣の環の配座に影響する場合があることが分かった。

シガトキシンのHIJ環部モデル

 2000年、名古屋大学の磯部らにより、シガトキシンのHIJ環部モデル6の合成と立体配座解析が報告された。このモデル化合物は対称な化合物であるにも拘わらず13CNMRにおいて14本のシグナルを与え、これが非対称なboat-chair配座鏡像体相互の遅い交換に由来すると説明された。本発表者は上述したブレベトキシンAの(F')GH環部モデル3の動的NMR解析の結果より本報告に疑問を持ち、この報告とは別ルートで同じモデル化合物を合成し、これとは異なる結論を得た。

Ciguatoxin

 今回合成した化合物6は、発表者の予想通り、その対称性に応じた8本の13CNMRシグナルを与えた。このことより当初合成された本化合物は報告とは異なる化学構造を持つと思われる。また、水素間スピン結合定数を用いた立体配座解析により、I環部の立体配座は天然物の構造決定の際提唱されていたcrownが主要配座であることが明らかとなった。

ガンビエル酸のBC環部モデル

 ガンビエル酸AのC12位の立体配置は、隣接する11位水素とのスピン結合定数が5Hzであること、およびガンビエル酸Bでは12位メチル基と11位水素の間にNOEが観測されないという消極的根拠によりそれぞれ11,12-シス、11,12-トランスと報告された。上に述べた方法を用いてこの問題に決着を付けるべく、これらそれぞれの構造候補であるBC環部モデル7a、7b、8a、8bの合成を行った。合成したモデル化合物と天然のガンビエル酸の当該部分とのNMR化学シフト値の比較によりガンビエル酸A、Bとも11,12-トランスであることを示した。

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は、ポリ環状エーテル化学構造を有する海産毒に共通して見られる中員環エーテルの立体配座に関し、その部分構造モデルを合成してこれを詳細な立体構造解析に用いることの有効性について報告したものであり、序論、本論1〜5章と結論の各章、および実験の部により構成されている。実験の部ではそこでの詳細な記述により、読者による追試と用いた化合物の同定がすべて可能となっている。

 序論では、中員環エーテルの可変立体配座が、この構造を分子中央部に含む海産ポリ環状エーテルの強力な毒性発現に重要な関与をしている可能性について、これまで報告されているその実験的根拠とともに背景として述べられており、本研究で行なったこの部分に関する詳細な立体構造解析の意義付けがなされている。また、合成した天然物部分構造モデルを用いる立体構造解析が天然物そのもので行なう場合に比べて有利な点、この観点から本法がこれまで鎖状部分の相対立体配置決定に用いられてきた経緯、そして本研究はその環状構造への適用拡張を目指すものであるという位置づけが、その潜在的問題点とともに明確に述べられている。

 本論文第1章では、実際にこの類の天然物であるブレベトキシンBの中員環モデル化合物を合成し、水素および炭素13核磁気共鳴(NMR)における化学シフトが天然物とよい一致を示すことで、合成モデルによる立体構造解析の妥当性を見出している。続く第2章では、第1章で示された中員環エーテル部分構造モデルを用いる構造解析の妥当性・有用性をイエッソトキシンC26位の相対立体配置確定を通じて証明している。

 第3章ではC-13NMRにより観測されたトランス縮環8員環エーテルの遅い立体配座相互変換に関して詳細に記述されている。これまでにH-1NMRによる9員環エーテルでの同様な現象は報告されていたが、8員環エーテルに関しては本研究結果が初めての知見であり、この結果ブレベトキシンAの8員環部がこれまで提唱されていた9員環部と協調して、本天然物分子全体の遅い配座交換に寄与していることを示唆している。同章ではまた、縮環部の置換基および隣接する環の員数による配座の存在比への影響が述べられており、モデル化合物の化学シフトが天然物とよい一致を見ない場合での改良モデル設計での指針も得ている。

 前章で得られた結果から、第4章では名古屋大学のグループにより報告されたシガトキシンHIJ8員環部合成モデルの立体配座解析に疑問を生じた結果、同化合物を別ルートで合成し報告とは異なるNMRデータを得ることでこの誤りを明らかにしている。続く第5章では、本方法論をこれまで曖昧であったガンビエル酸C12位の立体配置決定に適用し、この決着を付けている。

 以上本論文の研究内容は、未だ解明されていない海産ポリ環状エーテル分子の毒性発現機構解明を分子全体の「形」で迫ろうとするものであり、ここで築かれた手法を基にしてこのアプローチによる研究を推進すること、及び従来行われてきた他の研究手法で得られる結果を併せることで、こうしたポリ環状エーテル海産毒分子によるその標的とされる膜タンパク質の認識および機能介入の一般的機構解明に繋がる可能性を持つ。なお本研究は、論文提出者の研究室で以前より行なわれてきた研究に基づくものであるが、研究課題の発案、モデル化合物の設計、合成経路設定と実施、およびそれらのNMR解析、これらの分子に関する分子力場計算、そして得られた実験結果の考察はすべて申請者自らによって行なわれたものであり、その寄与に関しての疑いの余地はない。

 よって、本論文提出者である志田健は、博士(理学)の学位を授与される資格があるものと認める。

UTokyo Repositoryリンク