学位論文要旨



No 119970
著者(漢字) 田原,一邦
著者(英字)
著者(カナ) タハラ,カズクニ
標題(和) [10]シクロフェナセンおよび縮環コラニュレン誘導体の合成,構造と性質
標題(洋) Synthesis, Structure and Properties of [10]Cyclophenacene and Fused Corannulene Derivatives
報告番号 119970
報告番号 甲19970
学位授与日 2005.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第4699号
研究科 理学系研究科
専攻 化学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 中村,栄一
 東京大学 教授 川島,隆幸
 東京大学 教授 塩谷,光彦
 東京大学 教授 西原,寛
 東京大学 助教授 小川,桂一郎
内容要旨 要旨を表示する

 高歪み芳香族分子は,π電子共役系に起因する特異な性質を有し,またフラーレンの部分構造に相当することから近年注目を集め,盛んに合成が行われている.しかしながら環状芳香族分子[10]シクロフェナセン(A)の合成例はこれまで無く,その構造,性質は知られていない.本論文では,[60]フラーレンのπ電子共役系を縮小し,環状芳香族分子シクロフェナセンおよび縮環コラニュレン誘導体が初めて合成された.また,その構造および性質を初めて明らかにした.六章よりなる本論文の各章の内容を以下に要約する.

 第一章では本研究以前または同時に行われた歪んだ縮環芳香族分子の合成例およびそれら化合物の性質についてまとめた.また,本研究の目的について述べた.縮環コラニュレン(B)などのボウル型芳香族分子が数多く合成されているのに対し,環状縮環芳香族分子はいくつかの合成検討が行われているが,これまで知られていない.そのため,環状π電子共役系の構造と芳香族性は理論研究によって予想されたのみである.

 一方,近年フラーレンのπ電子共役系を縮小し,新たな縮環芳香族分子が合成されている.[60]フラーレンの球状のπ電子共役系は環状芳香族分子[10]シクロフェナセンを含むことから,位置選択的な化学修飾により環状芳香族分子の合成が可能であると期待される.

 第二章では環状の芳香族分子[10]シクロフェナセン誘導体(1)およびジベンゾフユーズドコラニュレン誘導体(2)の合成,構造と性質について述べた.メチル五重付加体(3)のシクロペンタジエンに対するシアノ基の導入と,五重付加体への付加反応を行う際のジシクロヘキシルジアザジエンのフェニル銅試薬への添加が鍵となり化合物1と2の合成に至った.

 [10]シクロフェナセン誘導体1とジベンゾ縮環コラニュレン誘導体2はそれぞれ,560nmと450nmに極大を有する黄色(量子収率,Φ=0.10)および青色(Φ=0.03)の発光を示した.化合物1のパラジウム錯体のX線結晶構造解析より,40π電子共役系は結合交替が減少した非局在化構造であることを実験的にはじめて明らかにした.さらに,有機基を水素に置換した1のモデル化合物(C60H12)において密度半関数法を用い,NICS(Nucleus Independent Chemical Shift)計算を行った.シクロフェナセンの各六員環は芳香環に特徴的な反磁性環電流に起因する遮蔽効果を有していた(NICS=-11.46〜-11.58).また,モデル化合物C40H20(A)の六員環も同様に遮蔽効果を有していることが明らかとなった(NICS=-8.62).構造化学的,磁気化学的特徴よりシクロフェナセンが芳香族性を有することが明らかとなった.

 第三章では,合成した[10]シクロフェナセンの構造をもとに量子化学計算の手法を用いて,アームチェア型カーボンナノチューブの構造や化学反応性がチューブの長さに依存して,三回周期で変化することを明らかにした.C40H20,C70H20,C100H20はπ電子共役系全体に結合交替がみられるケクレ構造,C50H20,C80H20,C110H20はチューブ末端に二重結合を持つ不完全なクラー構造,C60H20,C90H20,C120H20は完全なクラー構造であることが示された.また,構造の周期性に伴い各六員環の芳香族性(NICS値)およびHOMO-LUMOギャップも周期的に変化することが明らかとなった.これらの事実より有限長カーボンナノチューブの化学反応性がチューブ長により変化することを示した.

 第四章では1及び2をシクロペンタジエニル型配位子とした,新規複核金属錯体の合成とその性質について述べた.

 第四章前半では複核鉄錯体の合成と鉄原子間にフラーレン骨格のπ電子共役系を介した電気的な相互作用が存在することを述べた.配位子1及び2から,上下非対称な有機基を持つ複核金属錯体が合成された.配位子1は[(C5H5)Fe(CO)2]2とベンゾニトリル中で反応し,複核鉄錯体4を与えた.同様に2から5も合成された.複核鉄錯体4と5のサイクリックボルタモグラム測定から,シクロペンタジエニルを取り囲む有機基の電子的影響により分子内の二つの鉄は異なる電位で酸化されることが明らかとなった.

 続いてD5d対称を有する複核鉄錯体6とC2ν対称を有する複核鉄錯体7がバッキーフェロセン(Fe[C60Me5][C5H5])より,メチル銅試薬による付加反応および[(C5H5)Fe(CO)2]2との反応により二段階で合成された.これら複核鉄錯体6および7の微分パルスボルタモグラム測定において,分子内の二個の鉄原子は異なる電位で酸化された.すなわち鉄原子間にフラーレン骨格上のπ電子共役系を介した電子的な相互作用が存在することが明らかとなった.また化学酸化により4および6のカチオン性錯体が得られることが分かった.

 第四章後半では,鉄以外の金属(パラジウム8,ロジウム9,ルテニウム10と11)や幅広い有機基を持った化合物が合成された.本研究において合成した分子が新たな機能性分子の基本骨格として十分な多様性を有していることが示された.

 第五章では新たなアリール六重付加型[70]フラーレン12が有機銅試薬の付加反応により[70]フラーレンより一段階で得られることを述べた.ピリジンを溶媒として用いることでアリール六重付加体の合成に至った.アリール六重付加型[70]フラーレンの[70]フラーレン骨格に残された62π電子共役系には二つのインデン部位を含むことがX線結晶構造解析により明らかとなった.このインデン部位を配位子として用い,複核ルテニウム錯体13を合成した.複核ルテニウム錯体のX線結晶構造解析からルテニウム原子と[70]フラーレン骨格のπ電子共役系は直接共役していることが明らかとなった.

 第六章では以上検討したフラーレンの化学修飾による新規π電子共役系の創製について総括し,結論を述べた.本論文の結論として以下に述べるような事を導いた.本研究ではこれまで困難とされたフラーレンの位置選択的な化学修飾を行い,新たな芳香族分子,[10]シクロフェナセンおよび縮環コラニュレン誘導体の合成に初めて成功した.また,合成した分子の構造と性質を明らかにし,環状分子[10]シクロフェンセンが芳香族性を持つことを明らかにした.

 合成した分子の二つのシクロペンタジエン部位へ金属フラグメントを導入し,様々な複核遷移金属錯体を合成した.複核鉄錯体の電気化学的性質より,二つの鉄はπ電子共役系を介し電子的に相互作用していることが分かった.フラーレン骨格を介した金属間の相互作用を初めて明らかにした.

 また,[60]フラーレンへ用いた化学修飾法を[70]フラーレンへ適用し,新たなπ電子共役系を有する[70]フラーレン六重付加体の合成に至った.また六重付加体の二つのインデン部位を用いて,金属とπ電子共役系が直接共役している複核遷移金属錯体が得られることが分かった.

 本論文においてフラーレンのπ電子共役系を縮小し,新たな歪んだ縮環芳香族分子を創成する方法論を示した.また,合成した分子を元に新たな複核錯体が合成可能であることを示した.これら複核錯体の金属は電気的に相互作用しており,分子レベルのコネクションとして使用できると考えられる.これら手法を用いた高次フラーレンやカーボンナノチューブの化学修飾が期待される.

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は,六章から構成されており,環状芳香族分子およびボウル型芳香族分子の合成研究について述べられている.第一章では本研究以前または同時に行われた歪んだ縮環芳香族分子の合成例およびそれら化合物の性質について述べられている.本研究では環状縮環芳香族分子の合成と基礎的な性質解明を目的としている.

 第二章では環状の芳香族分子[10]シクロフェナセン誘導体およびジベンゾフューズドコラニュレン誘導体の合成,構造と性質について述べられている.メチル五重付加体のシクロペンタジエンに対するシアノ基を導入と,五重付加体への付加反応を行う際のジシクロヘキシルジアザジエンのフェニル銅試薬への添加が鍵となり目的化合物の合成に至った.平面化合物を原料として合成困難な分子が,フラーレンを利用し合成が実現されている点で注目に値する.[10]シクロフェナセン誘導体とジベンゾフューズドコラニュレン誘導体はそれぞれ,560nmと450nmに極大を有する黄色(量子収率,Φ=0.10)および青色(Φ=0.03)の発光を示した.合成した分子が新たな発色団となる点で興味深い.パラジウム錯体のX線結晶構造解析より,40π電子共役系は結合交替が減少した非局在化した構造であることが実験的にはじめて明らかにされている.有機基を水素に置換したモデル化合物(C60H12)において密度半関数法を用い,NICS(Nucleus Independent Chemical Shift)計算が行われ,シクロフェナセンの各六員環は芳香環に特徴的な反磁性環電流に起因する遮蔽効果を有することが明らかにされている(NICS=-11.46〜-11.58).構造化学的,磁気化学的性質よりシクロフェナセンが芳香族性を有することを明らかにしている.

 第三章では,合成した[10]シクロフェナセンの構造をもとに量子化学計算の手法により,アームチェア型カーボンナノチューブの構造や化学反応性がチューブの長さに依存して,三回周期で変化することが明らかにされている.C40H20,C70H20,C100H20はπ電子共役系全体に結合交替がみられるケクレ構造,C50H20,C80H20,C110H20はチューブ末端に二重結合を持つ不完全なクラー構造,C60H20,C90H20,C120H20は完全なクラー構造であることが示された.また,構造の周期性に伴い各六員環の芳香族性およびHOMO-LUMOギャップも周期的に変化することが明らかにされている.これら事実は有限長カーボンナノチューブの化学反応性がチューブ長により変化する事を示唆するものである.

 第四章では第二章において合成された分子をシクロペンタジエニル型配位子とした,新規複核金属錯体の合成とその性質について述べられている.第四章前半では複核鉄錯体の合成と鉄原子間にフラーレン骨格のπ電子共役系を介した電気的な相互作用が存在することが明らかにされている.鉄原子間にフラーレン骨格上のπ電子共役系を介した電子的な相互作用が存在する事が見いだされたことは,興味深い.第四章後半では,鉄以外の金属(パラジウム,ロジウム,ルテニウム)や幅広い有機基を持った複核錯体が合成された.本研究において合成した分子が新たな機能性分子の基本骨格として十分な多様性を有していることが示された.

 第五章では新たなアリール六重付加型[70]フラーレンが有機銅試薬の付加反応により[70]フラーレンより一段階で得られることを見いだしている.アリール六重付加型[70]フラーレンの[70]フラーレン骨格に残された62π電子共役系には二つのインデン部位を含むことをX線結晶構造解析により明らかにしている.インデン部位を用い,複核ルテニウム錯体が合成されている.複核ルテニウム錯体のX線結晶構造解析からルテニウム原子と[70]フラーレン骨格のπ電子共役系は直接共役していることを明らかにしている.

 最後の第六章では,新たな歪んだ縮環芳香族分子を創製しその性質を明らかにするという観点から,本論文のまとめと今後の展望について述べられている.

 本研究は,新反応開発から新規化合物の開拓に到る幅広い分野の化学研究に多くの知見を与えた.したがって,博士(理学)を授与できると認める.

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