学位論文要旨



No 119974
著者(漢字) 畠山,琢次
著者(英字)
著者(カナ) ハタケヤマ,タクジ
標題(和) 亜鉛エナミドのオレフィンへの付加反応
標題(洋) Addition Reactions of Zinc Enamides to Olefins
報告番号 119974
報告番号 甲19974
学位授与日 2005.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第4703号
研究科 理学系研究科
専攻 化学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 中村,栄一
 東京大学 教授 奈良坂,紘一
 東京大学 教授 川島,隆幸
 東京大学 助教授 市川,淳士
 東京大学 助教授 尾中,篤
内容要旨 要旨を表示する

 入手容易な小分子から高付加価値分子を作り出すことが有機合成の本質であり,炭素‐炭素結合生成反応はその基盤となる.金属エノラートのオレフィンへの付加反応は,化学工業の基幹物質である不飽和炭化水素類を,直接的かつ効率的に有機分子の骨格構築に利用できる魅力的な炭素‐炭素結合生成反応である.加えて,生成する有機金属活性種を用いた逐次的な結合生成を行えるため,多様性に富んだ炭素骨格の構築へと応用が可能である(式1).しかし.これまでにあまり報告例がなく開発が遅れている.その理由として,オレフィンはπ軌道が分極しておらず,LUMOのエネルギーも高いため,カルバニオンの付加を受けにくいことが挙げられる.また,出発物質のエノラートアニオンに比べ不安定なカルバニオンが生成するために,熱力学的にも不利と考えられる.

X;O,NR,M+;counter metal cation,E+;electrophile

 本論文は,潜在的に有用でありながら開発が遅れてきた金属エノラートのオレフィンへの付加反応に関する,実験的及び理論的検討について述べている.検討の中で,金属エノラート窒素類縁体である亜鉛エナミドがオレフィン類に対し高い付加活性を示すことを見出し,その窒素上の置換基を最適化することで,高活性亜鉛エナミドの創製と,付加により生じる立体化学の制御を実現している.また,オレフィン基質としてアルケニルホウ酸エステルを用いることで,3-4連続不斉炭素中心を立体選択的に構築する手法も確立された.これらは本論文2-4章に手法別に述べられている.以下,本論文の各章の内容を要約する

 第1章ではオレフィンに対する有機金属化合物の付加,即ちオレフィンカルボメタル化反応について,基本概念を述べている.そして,これまでに報告された反応例をオレフィン基質ごとに分類し,それぞれの反応原理と合成的特徴を概説している.後半部分では金属エノラートのオレフィンへの付加反応について述べている.ここでは,等電子な反応である金属エノラートのカルボニル化合物への付加(アルドール反応)と比較することで,本研究の意義を明確にしている.

 第2章では,オレフィンに対し高活性な亜鉛エナミドの創製とそれを用いたケトンのα-アルキル化反応の開発について述べている.近年,中村らにより,金属エノラートの窒素類縁体である亜鉛化ヒドラゾン1がエチレンへ付加することが見出されており,この知見に基づいて,種々の亜鉛エナミドの単純オレフィンへの付加が検討された.亜鉛エナミドは対応するイミンから塩基による脱プロトン,塩化亜鉛による金属交換,アルキルリチウムの作用による配位子交換の3段階で簡便に調製される.窒素上にシクロヘキシル基を有する亜鉛エナミド2は室温で不安定で,分解してしまうが,フェニル基を有する亜鉛エナミド3,2-メトキシエチル基を有する亜鉛エナミド4は加熱条件下でも安定で,単純オレフィンに付加活性を示した(右図).さらに,エナミド3のフェニル基上の,2,4位にメチル基を導入することで活性が飛躍的に向上する.密度汎関数計算により,2つのメチル基の電子供与性により,エナミドの求核性が高まること,2位のメチル基とエナミド側鎖との立体障害により,亜鉛エナミドが不安定化することが高活性の要因であると明らかになった.

 ここで見出されたN-2,4-ジメチルフェニル亜鉛エナミド5はエチレン,プロペンに対して常圧下で良好に付加し,1−オクテンやイソブテンなどこれまで使用困難であったにオレフィン基質に対しも十分な反応性を示した.付加反応は,オレフィンの多置換の炭素に位置選択的に進行し,分岐型の生成物のみを与えるため,従来のリチウムエナミドのハロゲン化アルキルによる捕捉では困難な,2級,3級のアルキル基の導入が容易に行える(右図7).付加により生成したγ-亜鉛化イミンはβーブロモスチレンや2-シクロヘキセン-1-オン等の求電子剤による捕捉が可能であり,逐次的に炭素-炭素生成と官能基の導入が行えるのが本手法の特徴である(右図8,9).

 次に,反応機構の解明を目指し,本反応の経路に関して密度汎関数計算が行われた.その結果,亜鉛エナミドの亜鉛原子とエチレンが静電的な相互作用によりπ錯体を形成した後,炭素‐亜鉛結合と炭素‐炭素結合が同時に生成する協奏的な6中心舟型遷移状態を経由して生成物へと至る経路が得られた.生成物であるγ-亜鉛化イミンにおいて,イミン窒素が亜鉛に対し配位することで出発物質より安定化し,反応進行の駆動力となっていると述べられている(Scheme 1).

Scheme 1.Reaction Pathways of the Addition of Zinc Enamide to Ethylene(B3LYP/Ahlrichs'SVP for Zn,6-31+G* for others).Energy changes (kcal/mol)are shown with arrows.Relative energies(kcal/mol)are shown in parentheses.

 第3章では有機合成へ応用を考える上で重要な,付加により生じる不斉炭素の立体化学の制御について述べられている.様々な不斉補助基を有する亜鉛エナミドを用い,エチレンに対する立体選択的な付加が検討された結果,tert-ロイシノール由来のキラルなトリメチルシリルエーテルを窒素上に持つ亜鉛エナミドが高い選択性を与えると分かった.この時,亜鉛上のアルキル配位子としてはメチル基がよく,嵩高いtert-ブチル基の場合は選択性が低下する.本手法は環状のケトン基質において良好な選択性を与える.例えば,シクロヘキサノン由来のキラル亜鉛エナミド10はヘキサン中,エチレン(20気圧)に良好に付加し,酢酸緩衝溶液による後処理後,2-エチルシクロヘキサノン11を91%yield,95.0%eeで与える(式3).本手法は,アセタールやオレフィン等の官能基を有する環状のケトン基質にも適用可能であり,いずれも90%ee以上の選択性が発現する.また,オレフィン基質として,プロペン,スチレンを用いると,α位に立体選択的にイソプロピル基,2-フェニルエチル基を導入できる.

 付加により生成するγ-亜鉛化イミンを求電子剤により捕捉することで更なる炭素−炭素結合生成が可能である(式4).4-メチレンシクロヘキサノン由来の亜鉛エナミド12のエチレンへの付加で得られるγ-亜鉛化イミン13は,銅触媒存在下,臭化アリルにより捕捉され,ケトン14を89%yield,96.9%eeで与えた.また,パラジウム触媒存在下,12とβ-ブロモスチレン,ヨードベンゼンとのカップリングが進行し,対応するケトン15,16をそれぞれ97.4%eeで与えた.付加の段階で選択性が決定しているため,一様に高い光学収率で様々なアルキル基を導入できることが本手法の特徴である.

 第4章ではアルケニルホウ酸ピナコールエステル(以下,アルケニルボロネート)を用いた,連続不斉中心の高立体選択的構築法の開発について述べられている.始めに,付加反応のジアステレオ選択性の向上を目指し亜鉛化ヒドラゾンのアルキル配位子の検討が行われた.即ち,ヒドラゾン17から種々のアルキル配位子を有する亜鉛化ヒドラゾン18a-cを調製し,E-ヘキセニルボロネート19Eへの付加を行った.ここで,付加はオレフィンに対し位置選択的に起こり,γ-ホウ素/亜鉛化ヒドラゾン20を選択的に与え,炭素‐亜鉛結合を水でプロトン化することで,γ-ホウ素化ヒドラゾン21として得ている.検討の結果,ブチル基を有する亜鉛化ヒドラゾン18a,sec-ブチル基を有する18bを用いた場合はほとんど選択性が発現しなかったが,tert-ブチル基を有する18cは95.2%の選択性が発現することが分かった(式5).

 本手法ではアルケニルボロネートのE体とZ体では異なるジアステレオマーを主として得られる.エナミド23のE-プロペニルボロネート23Eに対する付加では99.2%の選択性でシン体24synが得られ,Z体23Zを用いるともう一方のジアステレオマー24antiが82.0%の選択性で得られた(式6).さらに,付加により生成するγ-ホウ素/亜鉛化ヒドラゾン25は立体選択的に炭素求電子剤で捕捉することが可能である(式7).この時,用いる溶媒が重要でありエーテル中では99%以上の選択性が得られるがTHFを用いると選択性が低下する(71.5%ds).

本手法は,環状のケトン,アリールケトン由来のヒドラゾンを用いても同様に高い選択性が発現

する(>95%ds)こと,不斉補助基を有するヒドラゾンを用い,光学活性体の合成も可能(>90%

ds)であることなど,精密合成手法として優れた特徴を有する.

1 2 3 4

unstable

5 6 7 8 9

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は5章から構成されており,亜鉛エナミドのオレフィンへの付加反応の開発研究について述べられている.第1章ではオレフィンに対する有機金属化合物の付加,即ちオレフィンカルボメタル化反応について,基本概念を述べられている.そして,これまでに報告された反応例をオレフィン基質ごとに分類し,それぞれの反応原理と合成的特徴を概説している.後半部分では金属エノラートのオレフィンへの付加反応について述べている.ここでは,等電子な反応である金属エノラートのカルボニル化合物への付加(アルドール反応)と比較することで,本研究の意義を明確にしている.

 第2章ではオレフィンに対し高活性な亜鉛エナミドの創製とそれを用いたケトンのα-アルキル化反応について述べられている.近年,中村研究室により金属エノラート窒素類縁体である亜鉛化ヒドラゾンがオレフィン類に付加することが報告されているが,用い得るオレフィン基質に著しい制限がある.本研究では,N-2,4-ジメチルフェニル亜鉛エナミドを用いることで,これまで困難であった末端アルケン,1,1-二置換アルケンへの効率的付加を達成している.これは,従来のハロゲン化アルキルによるケトンのα-アルキル化では困難な,2,3級アルキル基を導入できる点で注目に値する.また,付加生成物であるγ-亜鉛化イミンを銅,パラジウム触媒存在下,種々の求電子剤で捕捉することで,逐次的な炭素骨格構築,官能基導入が行えるのが本手法の合成的特徴である.後半部分では,密度汎関数法を用いた理論化学的検討が行われ,本反応が6中心舟型の協奏的遷移状態を経由して進行していること,生成系でのイミン窒素の亜鉛への分子内配位による安定化が反応の駆動力となっていることが明らかにされている.

 第3章では付加により生じる不斉炭素中心の立体制御について述べられている.tert-ロイシノール由来のトリメチルシリルエーテルを不斉補助基として持つ亜鉛エナミドを用いることで,95%以上の高い立体選択性が発現することが明らかとされた.生成したγ-亜鉛化イミンを求電子剤により捕捉することで,様々なアルキル基を逐次的に導入できる.従来のハロゲン化アルキルによる不斉アルキル化反応では,導入するアルキル基に立体選択性が大きく依存したが,本手法では,オレフィンへの付加の段階で選択性が決定している為,一様に高い選択性で多様なアルキル基を導入することができる.

 第4章では付加反応と引き続く捕捉反応により生成する連続不斉炭素中心の立体制御について述べられている.亜鉛上の配位子として嵩高いt-ブチル基を持つ亜鉛化ヒドラゾンが,アルケニルホウ酸ピナコールエステルへの立体選択的に付加することが明らかにされた.生成したホウ素/亜鉛-2金属中間体は塩化銅(II)存在下,求電子剤により立体特異的に捕捉される.生成するγ-ホウ素化ヒドラゾンは,ヒドラゾンのα,β,γ,δ位の不斉炭素中心に関しほぼ単一の立体化学を有する.本手法は鎖状,環状のヒドラゾン基質でいずれも95%以上の立体選択性が発現すること,不斉補助基を導入することで光学活性体の合成も可能であること等,精密有機合成手法として優れた特徴を有する.加えて,密度汎関数計算により,6中心舟型遷移状態における亜鉛上のt-ブチル基とホウ素上のピナコールエステル部位の立体反発が,立体選択性の発現要因となっていることが明らかにされている.

 第5章では本論文についてのまとめと今後の展望について述べられている.2-4章の結果を合成化学と反応論の立場から概説することで,本研究の成果とその意義を明確にしている.なお,本論文の第2-4章は,中村栄一氏,中村正治氏,原賢二氏,福留裕樹氏との共同研究であるが,論文提出者が主体となって検討を行ったもので,論文提出者の寄与が十分であると判断する.

 本研究は,亜鉛エナミドを用いた新たな精密有機合成手法の開発に成功したものであり有機合成化学の進展に著しい貢献がある.加えて,密度汎関数計算により反応機構,反応原理を解明し,有機金属化学の分野に多くの知見を与えた.従って,博士(理学)を授与できると認める.

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